虫けら

崎田毅駿

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           *           *

 どこまでも吸い込まれそうな青空の下、グラウンドのあちこちでは、黄色く甲高い声が飛び交い、白い砂埃が待っていた。
 運動場の西の隅、半分がた埋めた古タイヤの列が二本、赤、青、黄、緑……と続いている。数人の男子児童が集まっていた。
 タイヤの列を東から見てその右端には、男児二人が片足をタイヤに掛けてスタンバイしていた。レース前の緊張感が漂う。タイヤからタイヤへ飛び跳ね、最後まで渡り切る。もちろん早い方が勝ち。地面に落ちたら、スタートからやり直し。転落即敗北の可能性が非常に高い。
「用意」
 レンズの小さな眼鏡をした子が、右手をピストルの形にして天に向けた。男児二人の足に力がこもったのがよく分かる。タイヤのゴムと靴底が擦れて、きゅきゅと音がした。
「どん!」
 合図と同時に、二人は一つ目のタイヤに立ち、その勢いのまま、二つ目、三つ目と飛び移っていく。互角のスタート。いや、中程に差し掛かった段階でもまだ互角だ。周りの男児が囃し立てる。
 二人は騒ぎ声にも動じたり焦ったりすることなく、軽快なジャンプを繰り返した。東側を飛ぶ有森礼一郎ありもりれいいちろうは集中力と冷静さを保ち、西側を飛ぶ遠藤直樹えんどうなおきは直感とリズムで進んでいるところがあった。
 あと三つ。まだ差はつかない。――と、そのとき。
「殺さないで!」
 すぐ近くでした女の子の悲鳴に、片方の男児が足を踏み外した。有森だった。
 遠藤はその事態に気付いたのか否か、一気に渡り切ると、ガッツポーズ。
 有森は肘をタイヤに掛けた姿勢のまま、大きなため息をした。
「今の、なしだろう?」
 敗者の気持ちを代弁するかのように、集まっていた男児の一人が言い出した。
「有森が落ちたのは、伊之上いのかみが叫んだからだ」
 と、最前悲鳴を上げた女の子を指差す。当の伊之上由奈ゆなはタイヤの上に手をやり、何かしげしげと見ている。一番近くにいた有森はさらに近付き、彼女の視線の先を追った。
「てんとう虫か」
 赤地に黒い星を背負ったドーム型の小さな虫が、黄色いタイヤの頂上付近をうろうろしていた。それも二匹。
「遠藤、やり直しだぞ」
「何でだよ」
 異議を唱えた男児、牛木等うしきひとしと遠藤との間でちょっとした口論が始まっていた。
「だから有森が落ちたのは、叫び声のせいで」
「叫び声なんか、俺はちっとも気にならなかったぜ」
「そりゃあ、おまえの方が伊之上から遠いからだよ」
「関係ねえよ。あんなので驚いて落っこちるのが悪いんだ」
「そんなことあるか。近い方が驚くに決まってる。なあ、有森も思うだろ?」
 牛木の声に、有森は振り返った。
 が、その牛木の目線は有森を通り越し、伊之上に注がれている。
「だいたい何で伊之上、いきなり叫ぶんだよ」
「てんとう虫を踏まれたくなかったってさ」
 察しを付けた有森は苦笑い。その返事は伊之上にも聞こえたらしく、跪いたまま振り向いた。大きな丸い眼鏡越しに、瞳が状況を探る風に見つめる。
「この子達が踏まれそうだったから、思わず」
 静かだが、はっきりした物言いをした伊之上。
「たかが虫一匹で、大声出したのかよ?」
 信じられんと言いたげに、牛木は目を丸くする。有森は有森で、「よく見つけられたなあ」とつぶやいていた。
「とにかく、おまえのばかでかい声のおかげで、有森は負けた。責任取れよな」
「どうやって」
「おまえからも、もう一回勝負しろって遠藤に言え」
 傍らに立つ有森が「無茶な」と微苦笑をこぼす。
 と、牛木が視線を戻し、「笑っている場合じゃないっ」と声を大にした。全身に力が入ったか、肩が震えていた。
「負けだと、俺達の班は修学旅行で荷物持ちだ。忘れてんのか?」
「覚えてる。でも、あいつが落ちずにゴールして、僕が落ちたのは事実だからなあ。どうしようもないんじゃないか」
「だから、その落ちたのは、大声にびっくりしたからだろってんだ」
 片足で地面を踏み鳴らす牛木。同じ班の他の男児も、口々に不平を漏らした。
 遠藤を見ると、俺の勝ちは動かないとばかり、腕組みをして、退屈そうに貧乏揺すり。
「ふーん」
 伊之上は事態を飲み込めた風に息をつくと、てんとう虫二匹をタイヤから別の場所へ逃がしてやり、それから眼鏡の位置を直した。
「遠藤君。私からもお願い」
 すいと近付いた伊之上に、遠藤は腕組みの姿勢のまま、反り返らざるを得なくなり、やがてバランスを崩した。よろめいて二、三歩後退し、腕組みを解く。
「な何だよっ」
「もう一回、勝負してあげて」
 伊之上は小首を傾げてしなを作り、ウィンクまでした。
「どーしてだよ」
 遠藤の反応の台詞は短くなりがちだ。その上、返事を聞かない内からそっぽを向いてしまった。
「分かってるくせにぃ」
 今一歩接近し、手を取る伊之上。遠藤は火に触れたときみたいに、その手を引っ込めた。
「そりゃあもちろん、悪いのは私よ。けれど、私一人だと責任を取れない。だから、こうして頼んでいるの。お願い」
「……本当のこと言うと、俺はおまえの声、聞いてない」
「すごーい。集中してたんだ? それなら何遍やっても、きっと勝つわ」
「ででもなあ……班の連中のこともあるし、簡単には引き下がれねえな」
「そうよね。一回勝ったつもりなのに、また最初からやり直しなんて、馬鹿らしい。だったら、三本勝負の一本目ってことにならないかしら」
「三本勝負?」
「うん。遠藤君はあと一回勝てば終わり。有森君は二回勝たなくちゃだめ」
 途中から、有森達の方にも目を向けた伊之上。本人にその気があるか否かは不明だが、なかなか交渉上手のようだ。
「それなら、まあ……」
 遠藤が受け入れそうな素振りを示した。それを機に、有森も口を開く。
「こっちはそれで充分。やってくれるだけで助かるな」
「ね? 有森君もああ言ってるんだし、受けてあげてよ」
「うーん……」
「さっと受けたら格好いいわよ、男らしくて」
「そそうか」
 話がまとまった。
 昆虫がまた飛んで来ないよう、皆で厳重に注意する中、レースは続けられた。
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