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12.顔と名前と新住所と

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 ともかく右斜め前に視線をやる。天井から床まで通る平べったい木の板に鏡が逆さに下がっているのを見付けた。持ち手の部分に紐を通して、柱から出る釘に引っ掛けてある。その持ち手及び鏡を四角く覆う木製の縁取りはわざわざピンク色に染められていた。
「どちらかと言えば女性向けの配色ですね。清原さんの好みですか」
「特にこだわりはないし、女っぽいだの男っぽいだのを決め付けるのはよくないぞ」
 それもそうだ。探偵をするに際しても、思い込みは厳禁。
 僕は頭の片隅で留意しつつ、鏡を覗き込んだ。
「お……」
 少し驚いた。清原氏の顔になっている物と思っていたけれども、違っていたからだ。似てはいるが、受ける印象が異なる。左右逆に見ているから、というだけでは片付けられない違和感があった。
「何だか混血のような」
「うむ。やっぱり気付くか」
 清原氏の声。これまでと違って淡々としている。
「俺になると言ったが、実はある程度のアレンジは可能なんだ。あんたの顔と俺の顔それぞれの要素を混ぜるという条件でな」
「ということは、清原さんの要素を限りなくゼロに近付ければ、元の僕とほとんど変わりのない顔にもなれる?」
「ああ。お望みならいつでも変えられる。ま、普通に暮らす分には、顔を固定した方がいいだろうな」
「そうですね……とりあえず、このままで。元の顔に近付けると、これからやりたいことに支障が出るかもしれませんから」
「やりたいこと、ね。分かった」
 清原氏が腕組みをして幾度か頷いた、気がした。皆まで言わないが、モガラに復讐するにはカール・ハンソンと気付かれないよう、接近する必要がある。
「あ、そういえば名前は何と名乗ればいいんでしょう?」
「ディッシュ・フランゴという名前で、この部屋を借りた。先に言っておくと、下宿屋の一室だ。借りてから一日経っている。家主はトルネ・ヨキヨっていうおばさんだ。血縁関係があるんじゃなくて、中年の女性って意味な」
「ヨキヨおばさん、ですね。同じ建物にいるのなら、早くご挨拶しとかないと」
「いや、挨拶は軽くだが済ませてある。家賃を一年分前払いしたことで、気に入ってくれたみたいだから安心していい。そんな細かいことは気にせずに、とにかく外に出てみろって」
「家賃の件はありがとうございます。でも、まだ部屋の中にも興味はありますし」
「腹が減ってるんだ。カール・ハンソン改めディッシュ・フランゴが食ってくれないと、俺は栄養補給ができない」
「え? そういう仕組み? じゃあ何か作りましょうか」
「食料は現時点でゼロだ。買ってくるか外で食うしかない。ああっと、金は机の真ん中の抽斗の奥に、袋にまとめて入れておいた」
 私は言われた場所を覗いて、お金を確認した。適量を持って、外出する準備に取り掛かる。材料を買うにせよ外食するにせよ、お店に行くのなら寝間着のままはまずい。
 タンスを開けると、外出に使えそうな服が三着あった。どれも清原氏のしていた格好からほど遠い、我が国のノーマルなデザインでほっとした。

 時刻は正午を回った頃合いだと知れたので、昼食の取れる料理屋を探しがてら、街並みを徒歩でぶらついてみた。
「知り合いって言えるほどの顔見知りはまだいないから、安心していい」
「軽い会釈程度で大丈夫ってことですね」
 ご近所さんに変な目で見られないようにするくらいの気遣いは必要だろうなぁ。
 と、本屋らしき構えの店の前を通り過ぎて、しばらくしてから思った。地図を買って置く方がいいんじゃないかと。
「清原さん。ちょっといいですか」
「おう、何だ」
「街というか市内というか、そういった地図はあの下宿の部屋にあるんでしょうかね? タイタス・カラバン探偵事務所とはどのくらい距離が離れていて、どういう経路で行けるのかを知っておきたいんですが」
「おっ、直接乗り込むつもりでいるのか」
「ええ。すぐにって訳じゃないですけど、カラバン探偵のところにもう一度入って、その上でモガラの悪事の証拠を掴んでやろうかなと思ってます」
「そう簡単に採用されるとこなのか?」
「簡単じゃありませんけど、僕という人間は探偵助手として何にも変わってないので、どうにかなるはず。ちょうど僕――カール・ハンソンが抜けて席が一つ空いていることになりますし」
「採用されたとして、危ないとは思わねえの?」
「え。何がです」
 ついつい声に出して聞き返している。傍から見た人は僕を、独り言の多いおかしな輩と思うんだろうか。
 すると。
「おっと、今あんたが思ったことが聞こえたぜ。そうだな、いちいち声に出さなくても、俺との意思疎通は可能だぜ。ちょっと強く念じて言いたいことを心の中で唱えればいい」
「それを早く言ってほしかったです」
 思わず言い返すと、清原氏はちっちっちと人差し指を振った、ような気がした。
「だから声に出さなくていいんだって。ほれ、やってみろ」
 言われた通り、“それを早く言ってほしかった”と心中で念じてみた。即座に清原氏が反応した。
「おいおい、一度声に出したのと同じことを念じられても、思ったことが伝わっているかどうかの証明には微妙だろう」
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