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5甘重ネジ
朝ワンコ③
しおりを挟むぎゅっと巻きつけられる腕の力が強まり、耳元でちゅっとリップ音がしたかと思えば怖いセリフを吐かれる。
独り言も聞いていられないものであったし、放たれた言葉に驚いているとさらなる言葉が追加される。
「あと、敬語もちょこちょこ出てたからそれも明日まとめるからな」
「…………」
やっぱりタダでは済まされないようだ。
言ったことに後悔はない。
なかば想像通りの展開に困って首を傾げて笑って誤魔化すけれど、それで曖昧にしてくれないのが小野寺だ。
「千幸は言ったこと守るよな?」
「それは、まあ……」
「さっきご褒美って言ったし、この耳でちゃんと聞いたから。明日がものすごく楽しみだな」
かなり念を押してくる。
「……わかりました。その代わり、今夜はしっかり睡眠とってください。約束ですよ? あと、敬語は早々抜けないのでもうちょっと待ってもらいたいです」
「それは無理。敬語を使われてると距離感じるし、付き合ってるんだから年齢や立場は関係ないだろ?」
正論だけど、そういったことに不器用な性格は頭でわかっていてもそう簡単に切り替えができないし、年齢や立場はまだ意識してしまう。
「まあ、そうですが」
「俺も協力するし、頑張れ」
その協力は罰と称す甘々のキスや言葉だ。
結局、千幸の要望は受け入れられず慣れるしかないようで、控えめに頷くと小野寺は満足そうに微笑んだ。
「そろそろ時間だな。気をつけて。あと、今夜は顔を見たら離れたくなくなるだろうから、メールだけにする」
「わかりました。翔さんも行ってらっしゃい」
「ああ」
やっと腕を解かれ距離を開ければ、とても柔らかなのに飢えた光が見え隠れする瞳に射抜かれる。
こく、と息を呑み、千幸はそっと視線を外した。
「……えっと、明日楽しみにしてます」
「うん。俺はそれ以上に楽しみだから、千幸は覚悟するといい」
光に当たっていつもより明るい髪をかきあげると、小野寺はにやりと悪巧みをするような笑みを浮かべた。
千幸は唇をへの字に結ぶ。
「どうした?」
すかさず案じられ、じとっと睨みつけた。
「無駄に色気を振りまかないでください」
「千幸にそう感じてもらえてるなら嬉しい限りだ」
「ああ~、もう行きます」
「ははっ。千幸、本当に諦めたら? 千幸が何を言ってもどんなことをしても俺は可愛いく感じるから、抵抗しても無駄」
千幸の葛藤などお見通しとばかりのそれに、今度こそ千幸は視線を外した。
対峙すればするほど小野寺のペースだ。
千幸なりに考えて変甘攻撃に対処しているつもりだが、最後は甘く終えられてしまうのは変わらない。
──変のバリエーションが多すぎて複雑すぎなんだけど……
そう思うが、そういうのもちょっぴり楽しいと思えてもきて毒されていると感じる。
今日もやっぱり朝から甘かった。
千幸は満たされるような疲れるような思いでエレベーターに乗り込んだ。
「暑っ」
遠慮のない太陽の日差しも、小野寺から向けられる熱も暑くて仕方がなかった。
ぱたぱたと手で仰いでみたがさして変わらない。
「慣れ、るのかなぁ」
美貌は慣れてきたが、ブレードアップする押しには慣れる気がしない。
最近自覚したばかりだが、千幸はあの榛色の綺麗な瞳と声がかなり好みだ。
声フェチでもないけれど、あの甘く響く低音の声とともにまっすぐ訴えるように見据えられると、思考が持っていかれる。
それらが自分に向けられるならば、緩いネジを締め直すのも悪くないと思い始めて、気力は使うが充実していた。
でも、やっぱり加減してほしい。もう少し控えてくれないかと思う。
過ぎた愛情を向けられているような気もしないでもないし、それについていけてないのはどこかで罪悪感を覚えてしまう。
だから、『ゆっくり』と進んでいきたい。
そう思うのに、ぐいぐいと引っ張って早く落ちてこいと、小野寺は待ち構えている。
それを隠しもしないからタチが悪くて、それが嫌でもないから引きずられて……
「付き合いって、こんな感じだっけ?」
何度も思ったことを思わず声に出して言ってしまうほど、楽しくもありいっぱいいっぱいでもあった。
今朝もそうだったが、あれほど高確率で朝出会っていた轟と迫力美人の桜田に小野寺と付き合ってからは出会っていない。
きっと小野寺が何かを言ったのだろう。
彼らと会いたいような、恥ずかしいような。でも、反応を確認したくもあって複雑な心境だ。
まだまだ小野寺には謎があって、何をどう訊ねればいいかわからず、第三者の反応があってもいい頃なのではと思うようにもなっていた。
ふっと心の内で一息つくと、エレベータから降りてマンションを後にする。
そこで振り返ると、まだ見送るべく廊下の手すりのところで小野寺が肘をつきながらこちらに向けて手を振っている。
──もう、いいって言ってるのに……
想像通りというか、いつも通りというか。
これは引っ越してきてから変わらない光景だ。ただ、違うのは千幸も見たくて振り返るというところか。
小さく手を振り返し、駅へと向かった。
電車に乗り込み人ごみに揉まれながら、ふと元彼の遊川のことを思い出す。転勤し、顔を見なくなってほっとするような寂しいような気持ち。
最後に見た彼も心なしかスッキリして見えて、互いが前に向いているのだと実感した。
遊川のことは完全に過去のものになった。
だからか、千幸も小野寺にもっと向き合おうと思った。
今、大事に関係を育てたいのは彼なのだ。
──明日、かぁ。
千幸が思う一歩と小野寺が思う一歩は絶対違う。絶対斜め上をいく。
──覚悟しとかないと。
そう気合いを入れ直す千幸の頬はわずかに緩み、それに気づいて引き締めると流れゆく窓の景色を眺めた。
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