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3惑甘ネジ

めんどうなのに①

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 休日に思わぬ場所で隣人を見かけ、どうやら小野寺と大学が同じだったことがわかってから一週間が経った。
 それからずっと観察しているのだが、いまだ小野寺との接点は思い出せない。

 あの夜、車の中の人と目が合った。相手は轟なのではと思いそちらも観察しているのだが、彼の反応ではわからない。
 わかったことは、あの晩女性とホテルから出てきたところを千幸が見ていたことを、小野寺は気づいていないということだ。

 今も相変わらずの熱視線。
 何もやましいことがないと一点の曇りもなく、千幸だけを捉えてこようとする。

 落ちてこいと腕を広げ待ち構え、甘々の砂糖漬けにしたいのか、甘い言葉を浴びせてくる。
 それが行われるのが、家のドアの前だというのはいつもと変わらない。
 だけど今は朝の爽やかな太陽の光の下ではなく、照明と月の光がその場を映し出す夜だった。

「千幸ちゃん、ね、言って」
「………何を?」

 夜の闇、きらめく星さえ背負い妖しく懇願する隣人に距離を詰められる。
 逃さないと掴まれた手からは熱が伝わり、力を入れているはずなのに振りほどけない。

 黒目のふちのところから黄色がかった茶色、茶とグリーンの絶妙な色合いの榛色の瞳で蠱惑的に千幸を見つめ、その視線を逸らせない。
 間近で聞かされる甘く低い声は、身体の奥からじわじわ浸透させ支配するような強さと甘さも含まれる。

 逃さないと告げる視線に捉えられ、とろりと甘いボイスで追い詰めてられる。
 その上、拗ねているのか懇願しながらもむすっとした表情がプラスされ、千幸は困惑していた。

 ――どうしろと?

 千幸は嘆息した。



 まずこの表情が追加され、攻撃パターンがしっとり重くなってきたのは三日前からだ。
 月末の金曜日の夜、予定を空けておいてほしいと誘われたの断ったことから始まった。

「夜に用事が?」
「夜っていうか」
「でも、仕事の後だし。その後は夜だよね。何か大事な用事?」

 やたら夜と告げる小野寺に理由を聞かれ、素直に話すと徐々に険しくなる表情。
 美形が表情をなくしていくのを間近で見せられながら、説明する身にもなってほしい。

 普通のことだ。普通のことのはずだ。
 なのに、いけないことをしている気になってくる。それだけで責められている気がしてくるからたまったものではない。

 小野寺に指定された日は、会社の送別会が決まっていた。
 元彼の遊川ゆかわ智史さとしのだ。その後一週間はまだこちらにいるのだが、彼も忙しい身のためその日に決定した。

 流れと立場的に千幸が参加しないわけにはいかない。
 千幸としても会社の後輩としてわだかまりなく向き合っておきたいという気持ちもあったので、参加することを伝えてある。

 どうやらそれが気に食わなかったようだ。
 小野寺はむっと眉間にしわを寄せて、二次会は参加せず一次会のみでその後に時間を作ってと切実という表現が合うくらい真顔で頼まれた。
 もともとそういうつもりであったから、千幸も九時くらいになっても構わないならと了承した。

 どうしても小野寺はその日を譲れないようだし、千幸としてもそろそろ小野寺に対して踏み込んで話してもいいのではないかと考えていた。
 小野寺は忙しい人で顔を合わせる割にはゆっくり話す時間はあまりなく、中途半端な現状がいつまでも続くのは互いによくない。

 考え想像するだけでは結局何も変わらない。精神的によろしくなくすっきりしない。
 想像はあくまで想像でその域をでない。何も見えない今を少しはっきりさせ、一歩踏み出したかった。

 その時はそれで小野寺も納得したようだった。
 千幸もそれで話は終わったものと思っていたのだが、寝て起きて次の朝の出待ちから小野寺の空気が変わっていた。

「千幸ちゃん、おはよう」

 爽やかに告げるその姿がいつものようで違う。
 今までにも増してしっとり甘くなった小野寺を前に、数秒思考が停止した。

 ごく間近で視線を合わせ、ほどよく肉感的な形のよい唇が千幸を呼ぶために動く。
 まるでキスをねだるような艶も含み、視線はずっと懇願するように千幸を捉えてくる。

「千幸ちゃん」

 そう呼ぶ声のしっとり具合がすごい。
 ていやぁーって投げ出したい。投げて畳んでまた投げたい気分になる。

 ────なんだ、しっとりって。しっとり甘いって何? 

 恋人でもないのにものすごく甘い空気を出されて、あれ、私たちは付き合ってたかな? と勘違いしそうなやり取りをさせられる。
 長い腕が伸びて千幸の髪を一房とると、小野寺がにっこり微笑む。

「誰にも触らせたらダメだよ」
「誰も好んで触る人はいませんけど」

 嫉妬からかと思わせるそれは、元彼の送別会も仕事で仕方がないというのも本人もわかっているから口には出さない。
 だけど、その分とばかりに表現がすごくて、もしかして無自覚なのかなと思うような時もあって戸惑う。
 そんな会話から始まったあれやこれを思い出し、千幸は遠い目をした。

『千幸ちゃん。好きだよ。いってらっしゃい』
『……いってきます』

 惜しげもなく好きが炸裂し、とりあえずスルーしてみるが本当にいっぱいいっぱいだ。

『今日は早く帰ってくる?』
『残業になるかも』

 あなたは私のお嫁さんですか? 
 いや、一緒に住んでませんし、隣ですからね。だからこそ、この会話変です。

『そっか。俺も夜は忙しくて帰ってこれないから今夜は会えないな。頑張るために、名前、さん付けでもいいから目を見て呼んで』
『翔さん、くどいです』

 相変わらずの名前呼びおねだり。
 つい先日に十五日経ったことは数えていたらしく、それでも諦めを見せない隣人は結構粘る人だ。
 妥協案を出しながらも、いろいろアピールしてくる。

『ああ、可愛い』
『……眼科に行ったらどうですか?』

 目の前の美形に何度も言われると、嬉しいというよりは視力が本気で気になってくる。
 本当に一度診てもらって検査結果見せて下さい!
 
『休みが合えばどこ行きたい?』
『その時に考えます』

『よそ見しないでね。
『何に対してですか?』

『予約を許されてるのは俺だけだからね』
『…………そう、ですか』

『千幸ちゃん。ねっ』
『ね、って何ですか?』

 ほかもろもろ、実際に声に出して突っ込んだり突っ込まなかったり。心の中でいろいろ留めたり。
 とりあえず、小野寺と対峙する時は気が抜けない。
 言葉を切り取るともう恋人のそれだ。溺愛彼氏の言葉だ。

 それにあの破壊力ある顔と表情を追加され、ふっかふかの毛布にくるんと包み込まれたように、うっかり気を抜きそうになってハッとするのだ。
 優しさに惑わされているうちに、しっかり包囲され逃げられない。

 それほどまでに小野寺の醸し出す空気と言動の圧が強い。
 そのやり取りを聞いている轟や桜田の反応は……、いや、その辺はあまり考えないことにしよう。

 はっきりした関係は隣人であるのに、そこに明確な言葉がないだけでもう雰囲気は恋人のそれだ。
 だが、そんなことで嫉妬するならこの間のホテルの女性との関係は? と考えがよぎってしまう。

 あんなにくっついておいて、大勢いる送別会に嫉妬するのはお門違いではないかとか。
 だけど、聞けない。言わない。それでも、空気は束縛するように甘い密度を醸し出す。

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