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2甘ネジ

となり③

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「ちょっ、犬ですか? 耳噛まないでくれます?」
「だって、目の前に美味しそうなのがあったからつい」
「ついじゃありません。やっぱり酔ってます? これ以上酔っ払い炸裂なら置いてきますよ」

 つい、で首傾げても可愛くないですからね。やってることセクハラですからね。
 険を込めた眼差しを向けても、小野寺の視線は千幸の耳に向けられたまったものではない。

「ええっ。置いてかないで。それに千幸ちゃんが俺を酔わすから悪い。それに置いてかれたらお姉さんに拾われちゃう」
「……なんですか。拾われちゃうって」
「そのままの意味。だから、千幸ちゃん一緒にいて」
「変な理由ですね。それに自意識過剰……でもないか」

 さっきから女性の視線が小野寺を値踏みするように見ていくのに気づいていた。
 控えめなのはいいが、じとっと千幸まで面白くなさそうに睨んでいく人もいて、この人モテるのだとじわじわ実感していたところだ。

「千幸ちゃん」
「…………」

 はぁ。世の中は不公平だ。

「千幸ちゃん」
「…………」

 少しお酒でかすれた声。耳元でささやかないでほしい。

「千幸ちゃん」
「…………」  

 何度、名前を呼んだら気がすむんだこの人……

「千幸ちゃん。千幸ちゃん、千幸」
「……何ですか?」
「一緒にいて」

 くぅぅーんと聞こえてきそうな声音で耳元でひそっと告げられる。
 だから、その声やばいって。

 甘えが入るととろりと響いてきてぞくっとする感覚を逃しながら、千幸は小野寺を見た。
 声がよすぎて思わず反応しそうになったが、素知らぬ顔で返す。

「一緒に帰ってるじゃないですか。置いていきませんよ、隣ですから」
「そうだね。隣だから」

 小野寺は終始笑顔で隣というたびに、ふふっと微笑む。
 なんか、ずっとこの緩んだ顔を向けられてどうしていいのかわからない。
 緩んでいても格好よくて、声もよくて、変な人だと思うのに突き放しきれない。

 さっきまで自分のほうが酔っていたのではないかと思うのだが、千幸に酔ったんだと甘くささやく小野寺が掴む肩から伝わる熱が、熱い吐息が千幸を包み込んでくる。
 熱が全身に駆け回るようで耐えられず、身じろごうとしたがしっかり掴まれた手は解けない。

 口を引き結びながらどうしようかと視線を彷徨わせた千幸の頭上から、「可愛い」という言葉がまた降りてきた。
 それに反応するか迷う暇もなく、さらに熱を含んだ声音で小野寺がとんでもないことを言い出す。

「そうそう。千幸ちゃん。呼び捨てに十五日。落とすのに一か月って決めてるから覚悟しておいてね」
「何ですかそれ……」
「だって、この一か月で全く伝わってなかったようだし、これから本気出すぞと宣言しとこうかと思って」
「だから、何で本人に宣言するんですか?」
「もたもたするな。ぐいぐい行けって言われたから」

 にっこり笑顔で告げられた言葉に、千幸はひくひくと頬を引きつらせた。

 ――誰だ、そんなことを言った人は!?

 とろっとろの笑顔を向けられ、千幸は喉の奥が張り付いたように言葉を発することができなかった。
 文句やら、驚きやら、むず痒いやら、そしてまた文句やらが身体中を駆け巡って渦巻いていく。

 慈しむかのように肩に置いた手を首に滑らせて覚悟しろと見つめられ、千幸は固まる。
 すっかり反応がなくなった千幸を見て、小野寺が爽やかに笑う。

「そういうことだから」

 そういうことって、どういうこと?
 その疑問がありありと顔に出て伝わっているだろうに、うんうんと小野寺は頷く。

 ────ちょっと、一人で完結しないで!

「千幸ちゃんが嫌がるなら、家に呼びたいけど今日は我慢する」

 黙ったままの千幸を、褒めてとばかりに小野寺が熱っぽい目で見つめる。
 ビックリショックを一先ず呑み込んだ千幸は、ようやく喉の奥が開いたのを意識しすかさず告げた。

「当たり前です」

 声もどこか掠れている気がするがきっと気のせいだ。それかお酒のせいだ。

「何で? 何もしないのに」

 はっきりと拒否したのに、目を見開いた小野寺は嬉しそうにふっと笑みを浮かべる。
 にっと口の端を上げて、機嫌が良さそうに親指で喉元をそっと撫でてくる。
 さわさわと優しく撫でられ、もし本当にエロい意味がなくてもこうして接触してくる相手の何を信じればいいのだと文句を告げる。

「いや、すでにその視線とよく回る口が問題です」

 それでも、手のことは触れるのは怖くてそこは黙っておいた。
 今晩だけで小野寺式スルー倍返しを受けまくり、暖簾のれんに腕押しタイプについ返してしまうが触れてはならぬところはわかってきた。

「心外だな」
「こっちのほうが心外です」

 心の底から心外ですよ。もうへとへとだ。

「もっと一緒にいたいだけなのに」
「はいはい」

 遠回しから直球になったと思ったら、豪速球を投げ続けられ受け止めきれない。

「隣にいたいだけなのに」
「はいはい。隣人さんです」
「んーっ。抱きしめたい」
「遠慮します」

 何を言い出すのだと冷たい視線を送ったはずなのに、ほわっと嬉しそうな小野寺が笑った。

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