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1巻

1-2

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 それに対して文句を言っていたようだが、考えを述べても突っかかってくる相手に何を言えというのか。どんな反応をしてもきっと同じなのだ。
 年が明け、春が来たら彼らは魔王討伐に行く。自分は聖女が召喚されるまでの繋ぎ。
 万が一、召喚が失敗した時の代換品であったことを十分理解しているのに、悔しい気持ちなんて湧くはずもない。むしろ、ほっとしている。
 本物が来たのなら、偽物じぶんは速やかに撤退するのに何が気にくわないのか。
 最後までわからない勇者一行の絡みに、俺はゆっくりと眉を寄せた。
 勇者は剣士をいさめるでもなく、ふんと鼻を鳴らし、眉間にしわを寄せて俺を見る。
 睨まない視線以外は初めてで、ぱちぱちと瞬きをして相手を見上げた。

「金はいつものところに入れておく」
「ありがとうございます」

 変に絡んでくるのに、契約、契約というだけあって最後まで約束をたがえない勇者。
 こういうところは信頼できるなと素直に礼を述べ深々と頭を下げると、また周囲が文句を言う。

「結局、金かよ」

 銃使いがバカにしたようにそう告げると、これ幸いと便乗する仲間たち。

「わかっていたことじゃない」
「ヒーラーなのに慈悲もないなんて」

 追い出したがるくせに、離さなかったのはあんたらだろうと言いたかったが、今日で終わりなのにこれ以上絡むのは疲れるだけなのでやめておく。
 それにお金は大事だよ?
 結局、何をするにも先立つものが必要なのは誰でも知っている。
 勇者のおかげで大分稼がせてもらった。

「そうですね。お世話になりました」

 不当な扱いを受けていたが、命を守ってもらった。
 ヒーラーの自分が倒れたら、強い敵に出くわした時に不利だからだとしても、戦闘中の彼らは優先して自分を守ってくれた。それには感謝しているのだ。
 心を込めて、感謝を。
 あなた方が守ってくれたから、早くお金も貯まった。勇者は金払いが良かったから、こうして自分は足枷あしかせを取ることができたのだ。
 そして、これからはヒーラーとして戦いにいく必要もなくなる。
 俺は心からの謝意を込め、真摯しんしに彼らを見つめた。
 途端、はっと黙り込む彼らは自分に対して態度が悪いだけで、悪い人たちではないと知っている。
 命と隣り合わせの道中、何度も一緒に危険をくぐり抜けてきた。
 嫌いだけど、憎いわけではない。
 だから、あまり真正面から人に見せることのない瞳をさらし、これが最後だと小さく微笑んだ。

「では、さようなら」

 今まで、命を守ってくれてありがとう。
 お金をくれてありがとう。
 そして、さようなら。


 俺は静まり返って反応をよこさない勇者パーティにもう一度頭を下げると、くるりときびすを返し扉をくぐった。
 ようやく、自分の好きに生きられる。
 ようやく、今日で解放される。
 聖女召喚を眺めつつ、あれやこれやと分析しながらも、俺の気持ちはずっと高揚していた。この日が来ることをずっと待ち望んで生きてきた。

「やっとだ」

 仕方がないと思っていてもしんどかった日々。
 つらく当たられて、ふとこのまま消えてしまいたいと思うことはよくあった。
 助けてもらいながら、そのまま魔獣に襲われて死んでいたほうが楽だったかもと罰当たりなことを考えた時だってあった。
 自分は嫌われ者の厄介者。
 ここ最近の自分の評判は正直よくないのは知っている。
 俺の通り名は『無気力守銭奴ヒーラー』だ。
 知るかっ! とは思っているが、まあそんなもんだろうなと受け止めている。だから彼らに反論するつもりはない。
 実際、お金が必要だったから金払いのいい相手と組んだ。期間が終了したらまた新たに報酬と契約条件がいい相手と組み直し、最終的に勇者一行のところに入っただけのこと。
 今までの相手との関係を簡単に解消して金を優先するその事実ことが、周囲には慈悲もない守銭奴として映ったのであれば、実際お金が大事であったのだからそれでいい。
 契約履行は果たしているのだから、周囲がどれだけ何を言おうとも双方の問題だと思っている。思ってはいるが、パーティを渡り歩くようなタイプは性格に問題があると見なされる。
 それがわかっていても、後々不利になると理解していても、スタイルを変えなかった。
 課せられた仕事はこなしてきた自負はある。
 それなりに腕があるから、途切れることなくパーティを組むことができた。じゃないと、勇者一行の目に留まることもなかっただろうし。
 ただ、無気力と言われることに関しては、本気で意味がわからない。
 本当に無気力な者は、冒険者なんてしない。
 守銭奴に関しても、別に贅沢をしたくて金に執着しているわけではなく、金が必要だったから自分の力を少しでも高く買ってくれる相手と契約していただけだ。
 現に危険度の高い勇者たちのパーティに入ったのも金払いが一番良いのと、一年、もしくは聖女が召喚されるまでの期限付きだったからだ。
 途中、扱いにストレスを溜めまくって、何度か抜けたいと勇者に願いでたけれど、目標を達成した今となっては理不尽な引き止めはありがたかったと思うようにしている。
 そうなんだよなっ。
 結果として、予定よりは多めの金額を稼げたのは彼らのおかげだ。
 もめるのが嫌で人知れず出ていくつもりだったが、最後にちゃんと礼を言えた。
 俺は根が真面目と言えば聞こえがいいが、後腐れができるのは嫌だし、どうでもいいと思いながらも後々引きずるタイプだ。
 なので、しっかりと幕引きできたのはちょっぴり気分がよかった。
 明日から、いや、今からいいことが待っている。
 今まで頑張ってきた自分にそう言い聞かせ、一歩一歩軽い足取りで回廊を歩いた。
 月の明かりが足元をかろうじて照らす。
 さぁっと風が通り、広く開けた空間。
 昼間なら宮廷庭師が丹精込めて世話をしている美しい花々が見えるが、あいにく今はその風景の確認は叶わない。
 視線を上げると、丸いお月さまがこちらを見ていた。
 心の中で両手を重ねる。
 ──月の女神ルナ。解放してくださったあなたに感謝を。一生ついていきます!
 とにかく、今はここから早く去りたいので後でしっかりお礼申し上げますと心の中で挨拶をし、じんわりと浸りながら敬虔けいけんな気持ちで歩いていると、背後から鋭い声で名を呼ばれる。

「レオラム!」

 ──あっ、ああ~、もうっ! ……勇者、まだ絡むのか。
 俺はきゅっと唇を一度噛み、俊敏な動作で行く手をふさいだ勇者を見上げた。
 月の光に照らされこちらを見る青い双眸そうぼうには、軽い苛立ちと怒りが透けて見える。
 今までなら、それに萎縮いしゅくしてすぐ逸らしていた。
 だけど、これ以上イラつかせては駄目だと思っていた瞳を隠す必要はない。契約者でもないので配慮する必要もない。
 それに王都から離れて戻るつもりもないから、今さらどう思われてもいい。
 俺はゆっくりと息を吸い込むと、静かに告げた。

「もう帰りたいのですが」
「これからの予定は?」
「なぜ、勇者様に教えなければいけないのですか?」

 こっちは引きこもる気満々だ。やることやったら田舎の地でしばらくはのんびり過ごす予定だ。

「やめるのか?」
「そういう契約でした」
「また契約するつもりは?」

 は? 契約? 何を言っているのだと、猜疑心さいぎしんで声が低くなる。

「誰とですか?」
「俺と」
「聖女様がおられるのに? 必要ないですよね? それにほかの方が反対すると思います」

 というか、勇者も俺のこと嫌いなんだよね? なのに、また誘うってどういう了見だろうか?
 今日の勇者は変だ。いつもと絡み方が違う。

「なら、ほかのところに入るのか?」
「行く予定はありません。もともとギルドに登録した時にこの日までと決めていました」

 そう告げると勇者の青の双眸そうぼうはくっと見開き、驚いたと口を開いたまま停止した。
 普段隙のない勇者の間抜けな姿は、彼の容姿がカバーしてちっとも威厳が損なわれない。
 つくづく美形って得だよね、となぜか周囲の美形率が高い俺は嘆息する。
 気を取り直した勇者が、さらに俺に近づき見下ろしてくる。
 威圧感を覚えながらうなずくと、勇者はぐっと眉を寄せた。

「……この日まで? 金は?」
「えっ、勇者様払ってくれますよね? えっ、俺、ちゃんと働きましたよね?」
「それは払う。これからどうするかを聞いてるんだ」
「どうするって……」

 言われてもなぁ。詳しく話す気もないし義理もない。
 なぜこのような反応になるのか不思議に思い、軽く首を傾げる。
 俺になんて興味がないのに、いろいろ知りたがりの勇者。
 意味がわからないなと思いながら、今日で最後だしなぁっと珍しく相手の出方を待った。
 珍しく。そう、いつもは適当に流す俺にしては珍しく相手を待った。
 これがこの後にどう関係するかなんてわかりはしない。
 後々、悔やむことになるなんて、この時の俺にわかるはずなんてない。
 俺にとっては、少し先のことに浮かれていただけ。
 解放された喜びに、態度が綻んだだけ。たったそれだけのことだった。
 俺を相手にする時は、必ずといっていいほど不機嫌を漂わせる勇者の気配がいつもと違う。
 戸惑いを含みつつ、不機嫌だけどどちらかというとねているように感じた。

「言えないのか? もしかして何か悪いことでも? いつも身なりは質素だったしギャンブルや借金が理由の逃亡ではないよな?」
「失礼ですね。ギャンブルなんてしたことはありませんし、それなりに蓄えもあります。あと、勇者様に話す必要はありません」

 そう切り捨てると、明らかに勇者から怒気が放たれた。
 獣が一気に狙いを定めたような圧に、ぐっと歯を食いしばる。

「レオラム」

 鋭い声にはあっと大きく息を吐き出し、どうして話さないといけないのかとおざなりに告げた。

「日付が変われば十八になります。つまり法的に成人するので、できることが増えるでしょう? そのためにはまず先立つものはお金ですからしっかり支払っていただかないと」
「誕生日?」

 この国は十四歳でギルドに登録でき、一人で生活できるすべを持てる。だが、一人前の大人と見なされるのは法的に定められた十八歳だ。
 親や親族の庇護ひご下から外れ自由に行動できるし、その権利を主張できる歳となるのだ。権利の主張と同時に責任がのしかかるが、待ちに待った年齢。

「ええ。これ以上は言いません。それに勇者様には関係のないことですので」

 お金に反応するかと思えば、誕生日に反応した勇者をいぶかしく思いながらも、俺は話を切り上げるように言い捨てる。
 むっ、と明らかに機嫌を悪くした勇者がじろりと睨んできたが、俺は言葉通り関係ないよと涼しい顔で見返した。

「でも、さっきは少しって。……あと、十八だと?」

 納得いかないと猜疑心さいぎしんを滲ませた声のトーンが最後は上がり、勇者は眉間にしわを寄せた。
 それからじろじろと俺の全身を上から下へと視線をやって、嘘だろとばかりに目を見開く。
 小さいのは自覚しているが、改めて反応されるとムカつく。

「何かおかしいところでも?」
「ああ、いや、悪い。そうか……、普通そうだよな。経歴を考えるとギルド登録できる十四から活動していたということか。ん、法的に成人とは?」
「そこはどうでもいいでしょう」

 今さら、こちらの事情を知ったところで関係ないだろうと、勇者を静かに見つめた。
 これで最後という思いは気を大きくさせるようだ。自分と違ってがっしりした勇者の体格はいつも怖かったが今はもう気にならない。
 ……嘘です。気にならなくはないが、前ほど怖くはないかなって思った。
 威圧するように不機嫌をぶつけられると、いつもならびくっと身をすくめていたが、今夜は身体が反応しない。
 病は気から。なるほど、己で体験して納得する。
 どうしても反応する身体。
 幼い頃に染み付いたそれだったが、パーティからの解放とあと十数分で成人する事実が気を強くしたようだ。それとも、数々の魔物との戦いのせいか。
 文字通りしかばねを越えて俺は今こうして生きている。変わらないほうがおかしいし、いつまでも幼い頃のままではない。
 ──わかっていたようで、わかっていなかった。
 どうにかしたい気持ちがなかったわけではないが、ずっとそのこと過去に気づかないふりをして避けていた。
 だけど、思ったより自分は大丈夫だったようだ。
 これなら相手をはっきりと視界に入れ視線を合わせても今までのようにびくつくことなく、多少は胸を張って生きていけるだろう。
 図らずも、勇者がまた現れたことで知れた。
 嫌っていても、嫌われていても、勇者というヤツは多少なりとも人を救うらしい。
 嫌いは変わらないけれど、俺の中で勇者の存在価値が少しばかり上がる。
 まじまじと勇者を観察していると、するりと冷たい何かが俺の目を隠した。

「ひぃっ」

 気配もなくされたことに、情けない声が漏れる。
 ──何? いや、これは手だ。勇者は目の前にいるのだから勇者ではない。なら誰の?
 広い草原のような爽やかな香りのなかに、かすかな甘い匂いがする。
 嫌な気配ではないので抵抗するのを忘れパシパシと瞬きを繰り返しながら、己の現状をじわじわと把握していると、後ろにいるであろう人物がくすりと笑った。
 それに対してぞわぞわと悪寒のようなものと、全神経が背後に引っ張られる感覚がした。
 強烈だった。あらがい難い重力のように必然と引き寄せられていく。
 あまりのことに俺は身体を強張らせた。
 さっきから冷や汗が止まらない。鼓動もドキドキとせわしない。
 視界がふさがれているから悪いんだと知らぬ手に自分の手をかけがそうとしたら、ふふっとくすぐるように笑う気配とともに耳元でささやかれた。

「そうだよね。話さなくていいよ」

 ビクゥッと身体が跳ねる。
 鼓膜に男性の声がとろりと甘く響く。肌が、神経が、ぞわぞわと落ち着かない。

「殿下」

 勇者の声が相手を示す。
 見えないけれど、目の前で勇者がひざまずく気配。
 身分の高い相手が現れたらそうするよなぁ、ではなくって。

「……でん、か?」

 信じられない思いで、俺は勇者の言葉を繰り返した。





   第二章 聖君殿下と戸惑うヒーラー


 でんかって、殿下?
 今日この時をもって王宮内とはいえ離れたこの神殿にいる殿下と言えば、さっきまで聖女と一緒にいた第二王子のカシュエル殿下しかいない。
 えっ? これどういう状況?
 どうして自分は視界をふさがれているのだろうか?

「そうだよ。レオラム」
「……えっ?」

 名前……。名前を呼ばれたっ!?
 本当に王子がこの場にいるのなら、突っ立ったまま混乱している場合ではない。
 すぐさま勇者と同じようにひざまずこうとしたが、「ダメだよ」とまた耳元でささやかれた。
 その際に熱い吐息が触れ、俺はぷるりと小さく身を震わせた。
 うわぁーと内心パニックになりながら、自分の身体の反応は後回しにする。
 それよりもだっ!
 ──なっ、何が起こってる????

「殿下が、……どうして?」

 今頃、聖女と一緒にいるはずの第二王子が、なぜか自分の名を呼びここにいる。
 人違いという線はそれで消されてしまい、雲の上のような方にれられている現実が追いついてこない。
 あまりのことに何度か瞬きを繰り返し、そのたびに睫毛まつげが手のひらに触れる。
 ごつごつしているわけではないが硬い手は武術をたしなむ者の手であり、騎士ほど鍛えなくとも魔法を得意とする王子ならではのものだ。

「用事を済ませて戻ったらレオラムの姿がなかったからね。そう遠くには行っていないとは思ったけれど、追いついてよかった」

 ああー、やっぱり名前を呼ばれている。
 どうやら第二王子は俺を捜しにきたらしい。

「そう、ですか。お手を煩わせたようで申し訳ありません」

 捜される理由の見当もつかないが、先ほど神のようだと感じた第二王子自ら足を運ばせてしまった事実に冷や汗が止まらない。
 俺はがそうと上げた手を震わせながら、ゆっくりと下ろした。

「レオラムならさっさと帰ろうとすることも視野に入れておくべきだったが、実際こうして捕まえられたから問題ない」
「そうおっしゃるのでしたら……」

 そのあとの言葉が続かない。
 あと、ずっと目元を手で覆われたままでどのような対応が正解なのか?
 そこまで強い拘束ではないのだが、ひざまずくことを許してもらえず、かといってこのまま棒立ちというのは心臓に悪い。
 高貴な方とはずっと無縁の生活だったので、自分のどの言動が相手の逆鱗げきりんに触れるのかわからず縮こまるしかない。
 そもそも、勇者パーティに所属していたが、無気力ヒーラーなんて呼ばれてほとんどの人が自分の名前を知らないはずだ。
 なのになぜ、公の場で名乗るようなこともなかった自分の名前を殿下が知っているのか?
 どうして自分は背後を取られて目隠しされているのか?
 疑問ばかりが頭を巡り、先ほど奇跡を起こした相手に粗相があってはいけないという気持ちが強くて、わずかに身体が震えだす。

「そんなに怖がらなくていいよ、レオラム。大丈夫だから。すぐに取って食おうというわけではないからね」
「…………」

 言い知れぬ不安から王子の言葉を正確に聞き取れなかったが、危害を加えるつもりはないとの言葉にわずかながらに息をついた。
 だけど、王族にどのように声をかけていいのかわからず、依然として固まったまま動けない。

「これからは危険なところにレオラムが出向かない。それだけ決まっていたらそれでいい」
「どういう、意味でしょうか……?」

 まるで俺の現状を知っているかのような意味深な言葉に、ぎょっとして問いかける。
 だが、背後にいるカシュエル殿下はくすりと笑う気配だけで、答えもなく話が進んでいく。

「レオラムは今日までとても頑張ったね。だから、ゆっくりするのはいいと思う」
「……はぁ」

 何が言いたいのか。そもそも王子が自分の何を知っているのか。
 常々、まばゆくとても遠い方だと思っていた人物だということも相まって、俺はろくな反応ができないでいた。

「私もこの日のために頑張ったんだ。褒美をもらってもいいと思わないか?」
「……………????」

 聖女召喚のために用いる魔力、胆力、頭脳、魔法のずば抜けたセンス。それとともに、陰謀渦巻く貴族たちとの駆け引き。
 王子の苦労は想像でしかないが、底が見えない聖君と呼ばれる第二王子でも非常に疲れることだったのだろう。
 そんな殿下がご褒美を欲するのなら、望むものを与えるべきだ。
 噂を鵜呑うのみにするのなら、聖女か、もしくは身分違いの想い人がいて、その人と結ばれることを望んでいるのだろう。
 今日の聖女召喚は第二王子がいなければ成し得ないことだ。これだけ功績を残した王子に、身分が違う相手との婚姻を望むことに誰も文句は言えないだろう。
 王子の片思いだったとしても、きっと望む通りになるだろうと思える力強さとカリスマ性がある。
 容姿端麗で身分も最高級な相手にこれだけ熱望されるなら、既婚者やお相手がいない限りはすぐさまほだされてしまいそうなくらい、同じ男として嫉妬よりも魅力的だと感服する人物だ。
 さっき見ただけだが、少なくともお相手が聖女であった場合、すぐに陥落しそうであった。
 それだけのものを第二王子は持っており、所望する権利を誰よりも有している。
 そういった事実ものは少し考えれば誰でもわかるけれど、それをなぜ俺の背後で主張するのか。
 沈思していると、カシュエル殿下の吐息が耳をかすめた。

「そう思わない?」
「…………」
「ね、レオラム」

 名前を呼ばれているだけなのにすべてが支配される感覚。
 それから逃れたくて慌てて口を開いた。

「……はいぃ。そう思います」
「そう。よかった」
「っ、ぅっ……」

 再び俺は身を震わせ、小さくうめく。力強い美声だとは思っていたが、耳朶じだに響く破壊力はとんでもなかった。
 ぞくぞくと身体中がしびれる感覚に、俺は本気で怖くなった。
 ヒーラーは強い相手に力では敵わない。だから、自衛として気配に敏感だし、俺の場合はそれで何度も難を逃れてきた。
 その勘が第二王子から逃げろと告げている。
 まるで敵わない魔獣を相手にした時のようにびりびりと感情が高ぶり、すぐさま手の届かないところに逃げ出したいと訴えていた。
 だけど、そうすれば不敬になると理性でわかっている。どうしようもなく身体が震えるが抵抗できずじっとするしかない。
 辛うじて死を目の前にするような恐怖ではないので醜態を晒さずに済んでいるが、脳内で警報が鳴り響いて気が気じゃない。

「レオラム。いい子だね」
「うっ、はい」

 条件反射で返事はするが、一向に考えがまとまらない。
 己の危機感が狂っているのかと思えるくらい反応しているのに、今まで感じたどの感覚とも違って戸惑いがすごかった。
 いろいろ気にはなるが身体の反応に構っていられない。
 自分で解決できないならば、第三者にっ!

「えっと、勇者様、これは」

 勇者が空気のようになりかけているが、ひとまずこの現状の打開策を求めて声をかけてみる。
 そもそも勇者が俺を足止めしたせいで王子に捕まったのだから、どうにかしてくれてもいいのではないか。今日はいつもと様子が違うし、もしかしたら手を差し伸べてくれるかもと一パーセントくらいの期待はあった。
 先ほどから俺の質問は何気にスルーされているので、カシュエル殿下が何を望んでいるのかわからない。無礼も働けないし謎のプレッシャーもあって太刀打ちできそうにない。そもそも王族に気安く話しかけるなんて無理だ。
 すがるように勇者に声をかけると、隠されていた手が離れて目の前の視界が開けた。それと同時に視界がぶれる。

「それはダメだよ」

 とがめるような低い声とともに片腕でひょいっと抱きかかえられ、俺は「ひぇっ」と悲鳴を上げた。
 間近で見る美貌と、あまりにも神秘的な紫の瞳の色に魂を吸われてしまうのでないかと畏怖いふの念を抱くほどの眼力に、数瞬、思考が飛ぶ。

「…………えっ?」

 続いて、あろうことかこの国の第二王子に抱き上げられてしまっている現実に恐れおののく。

「軽いね。これからはしっかり食べてもう少し太ろうか」
「はっ? あっと、えっ?」
「ふふっ。いい反応だ」
「…………っ」

 内心では盛大に絶叫しているのに、王子の反応に対してはくはくと口を動かすだけでまともな言葉が紡げない。
 俺はこれ以上ないくらいカチコチに固まった。
 ──うぁぁ~、何が起こっているの?
 意識が遠のきそうになるなか、勇者の声で我に返る。

「殿下!」
「邪魔をするな」

 勇者が焦った声を出して一歩踏み出したが、カシュエル殿下がその動きを制した。
 若干苛立ちで燃えるような視線を、勇者は俺にではなくて王子へと向けた。
 やっぱり今日の勇者はいつもと違う。
 勇者が俺の意思を尊重しようと動いたことを目にして、複雑な心境になった。
 あと、王族に向けていいような眼差しではないよなぁと心配にもなる。
 だが、たとえ王子がよしとしても、子供のように抱えられ先ほどより密着している俺のこの状況のほうがやばいのではと、焦る気持ちがまさった。
 鼓動が高まりそうなのに、きゅっと締め付けられる緊張感でずっと変な汗が出ているなか、俺はそろそろと王子をうかがう。
 いつも人を見上げるばかりであったが、抱き上げられているため位置的に今はほんの少し見下ろす側というのも落ち着かない。

「レオラム。気になることがあるなら私に聞こうか?」

 王子は冷たい視線を勇者に向けていたが、俺の視線に気づくと覗き込むようにこちらを見てにこっと柔らかに微笑んだ。
 その変化に大きく目を見張ると、ずいっと顔を寄せられる。
 見れば見るほど不思議な色合いの瞳に視線が釘付けになりながら、吐息がかかりそうなほどの近さに、俺はわずかに肩を後ろへとやり距離を取った。
 俺が身体を反らせたことに気づいた王子は、すぐに抱き上げている位置を変えて開いた距離を詰めてくる。先ほどより頭の位置を少し下げられ、鼻と鼻が触れ合いそうな位置に俺はひゅっと心臓が縮みあがった。
 俺のどこにでもある平凡そのものの茶の髪だけが揺れ動き、カシュエル殿下の美しい銀糸の髪と重なる。
 それに釣られるよう徐々に視線が王子の顔へ移動し、俺は我に返って慌てて視線を逸らした。

「どうして視線を外すの?」
「その、……不快にさせてはいけないと」

 不服そうな声に、俺は肩を揺らした。


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