上 下
3 / 14

下々の戯れ

しおりを挟む
「ねみい……」

さっきからあくびが止まらない。店内には客が一人もいないからいいが、それならいっそ居眠りしたいと思ってしまう。バックヤードにでも篭もって、身体を毛布で包んで。いっそのこと、酒でも買ってくるか。

「寝不足ですか、塩留さん」

そんな俺の妄想を掻き消したのは、水下の声だった。相変わらず、男か女か分からない見た目と声をしているので、寝ぼけた頭には刺激が強い。見慣れているはずなのに、性別がどっちか区別が一瞬だけ区別がつかなかった。

「そういう君は元気ですね、龍之介くん」

からかい気味に下の名前で呼んでやると、水下は拗ねたような目で睨んできた。他の同僚から下の名前で呼ばれても特に気にしていない様子だが、俺は例外らしい。

「塩留さんは下の名前で呼ばないで下さい」

過去に念入りに釘を刺された。要するに俺のことはあまり好きじゃないってわけだ。

「僕一人に力仕事させる気ですか?」

今もこうやってねちねちと嫌味を言ってくる。他のやつには愛想がいいくせに。ただ、確かに後輩一人に仕事をさせるという絵面は、格好が悪いのは否定できない。

「じゃあ、残りは俺が全部運んでおくよ」

水下が持っているもの以外はダンボールの小箱ばかりだし俺一人で十分だろう。ついでに、先輩らしさを更に見せ付けておくか。

「ほら、お前が今持ってるのも寄越せ」

「あっ……」

水下から荷物を受け取ろうとして、つい手に触れてしまったがそんなに呆然とすることは無いだろ……地味に傷つくぞ。やはり、変に気遣う必要は無かったか。本当に可愛げの無いやつだ。もう、いい。とっとと片付けてしまおう。

「塩留さん……」

荷物をバックヤードに運ぼうとしたら、水下が背後から呼び止めてきた。また、嫌味でも言ってくるのか?

「この前のお弁当、どうでした?」

「ああ、相変わらず美味かったよ」

だから、面と向かって不味いとか言えるわけ無いだろ。いや、実際美味かったけど。どういうわけかこいつはしょっちゅう俺に弁当を作ってきてくれるが、毎回感想を聞かれる身にもなって欲しい。

「それじゃあ、俺は在庫整理してくるからしばらくカウンターに立っててくれ」

何もかも面倒くさくなったので、俺は逃げるようにバックヤードへと引っ込んだ。


さてと、そうは言ったものの実はそんなにやる事は無い。商品の在庫はまた別の倉庫に置いてあって、このバックヤードは一時的な荷物置場だ。だが、すぐに店頭に戻る気は起きなかった。疲れた、とにかく疲れた。全ては押入れに突然現れた、あの自称神を抜かすダルメトールとかいうやつが原因だ。


一昨日、つまり休日だが俺はチンパンジーに言葉を教えるように、根気強くダルメトールと話し合いをした。しばらくはこいつを追い出すことが出来ないのなら、せめておとなしくして欲しかったからだ。

一、 冷蔵庫の中身を勝手に漁らない
二、 勝手に出歩かない
三、 好き嫌いをしない
 
これだけを守らせるのに、どれだけ多くの言葉と時間を費やしただろうか。

「つまりこれは神との契約というわけだな」

満足げに頷くダルメトールの顔は、今思い出しただけでも腹が立ってくる。おかげで俺は自分の飯に加えて、あいつの飯も作らなければならなくなった。

「神に対して供物を捧げるのは当然だろう」

朝食にトーストとゆで卵を用意して、開口一番がこの台詞だった。本当にこいつは神なのではと錯覚しそうになった。

「日が昇り切る頃の供物はこの前のものでいい」

俺の脳内神語翻訳機にかけたところ、昼は漬物でいいと解釈した。望みどおり、大根の浅漬けを用意したが、これはお気に召したらしく大層ご満悦だった。

「これからも研鑽したまえ」

非常に素晴らしい言葉を承ることが出来ました、クソが。


思い出しただけで頭が痛くなってきた。それにそろそろ表に出ないとまた水下が嫌味を言ってくるだろう。機嫌をとるためにジュースでも持っていってやるか。

「おう、お待たせ」

「どれくらい時間かけるんですか?」

初手、水下の嫌味。それに対応して後手の俺、差し入れのジュース。

「悪かったよ、ほら、好きなの選んでいいぞ」

「っ……ありがとうございます」

目を逸らされた。別にいいんですけどね。しかし、時刻もそろそろ昼を回ろうとしているのに相変わらず客は来ない。今日はいつも以上に暇だ。ネットでの注文や発注業務もかかっていないし。今の俺としてはありがたいが、この店、大丈夫か?

「あの、塩留さんって料理するんですか?」

いきなり水下が脈絡の無い質問をしてきた。

「まあ、するぞ。炒めたり、煮たりの簡単なものばかりだけど」

「なら、今度塩留さんの作った料理、食べて見たいかな―って。いつも僕ばかり作ってるんじゃ不公平じゃないですか」

なに言ってるんだこいつ?弁当はお前が勝手に作ってきてるだけだろうが。いや、ありがたいが。大体ただでさえあのダメ神のせいで一人分多く作ってるのに、そんな余裕は無い。

「あー、すまん。俺、今ちょっとやばくてさ。余裕無いんだわ」

流石に今の俺に起きている事を正直に話す気にはなれないので、適当に誤魔化した。

「そんなに困ってるんですか?なら……今度の弁当多めに作ってきます」

そういうわけでは無いんだが、まあ、いいか。

「なにかあったら相談くらい乗りますから」

水下が何か呟いたような気がしたが、気のせいだろう。俺のあくびに掻き消されるくいだし。

「今日も暇だな」


「そうですね」

結局閉店まで俺と水下以外、誰も店内には入ってこなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

スーサイドメーカーの節度ある晩餐

木村
キャラ文芸
久留木舞(くるきまい)は深夜のコンビニにタクシーがダイナミックに入店する現場に居合わせた。久留木はその事故よりも、自分の傷の手当てをしてくれた青年――松下白翔(まつしたあきと)に対して言い知れぬ恐怖を抱く。『関わってはいけない』そう思っているのに、松下の押しの強さに負けて、久留木は彼と行動を共にするようになる。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

処理中です...