2 / 2
一幕「雫と滴②」
しおりを挟む
「いえ、私は知られて困るようなことなどは……」
しどろもどろになりながらも中年男性は必死で平静を装っていた。まさかこんなところで衆目を集めるとは思っていなかったのだろう。気まずそうに視線をあちこちにやっている。その様子を壇上の雫さんは穏やかな表情で見つめていた。そして、隣にいる滴さんに話しかけるような囁き声が会場全体に浸透していった。
「蕾を開花させるのはいいけど、手入れを怠っては駄目ですよ。熟す前の木に成った果実を、もぎ取っては駄目ですよ。今まで幾つ口に入れてきたのでしょう。二つ、三つ……」
「あら、実を含めて十二なんて。それに今日も一つ目を付けたみたい」
吐息のようにすぐ消えるような声でも中年男性には違ったようだった。周りは私も含めて何がなにやらさっぱりだったが、中年男性だけは顔が青ざめていた。
「ふ、不謹慎な。私に対する侮辱か!!」
先程までとは打って変わって、中年男性の表情は冷静さを無くし、激昂していた。雫さんと同じくらいに会場内にその声が響き渡る。
「さてさて、私にはどこがどう侮辱なのか分かりかねます。会場の皆様、誰かわかる方はいらっしゃいますか?」
とぼけた団長の声に反応するものは誰もいなかった。
「もし良ければ貴殿から説明していただけますかな。それとも、壇上の双子にもう少し分かりやすく説明をしてもらいましょうかね」
「私は失礼させてもらう!!」
吐き捨てるように言ったあと、中年男性は席を立ち会場から出て行った。誰もが呆気に取られたけど……誰もが雫さんと滴さんを見る目が変わっていた。いや、誰も壇上に目を合わせようはしなくなった。
「今回はイマイチだったな」
今日の興行が終わり、テントを閉めたあと私は団長と一緒に今回の売り上げを集計していた。顎肉を揺らしながらお札を数え、不満気に漏らしている。私の心に嫌なモノが滲んできた。もしかして私の呼び込み不足だったのかも……
「お前のせいじゃねーよ、気にするな」
お札と幾許かの小銭を金庫に入れた団長はその場で横たわった。顔をこちらに向けていないのでその表情は分からない。悪かった事があるなら言って欲しいし、反省もする。さっきからずっと畳みの上で正座もしている。お願いします、追い出さないで下さい、私はここに居たいんです。
「おい」
「はい!!」
団長は腰に掲げた袋包みから幾枚かのお札を私の方へ投げた。
「まだ店もいくらか空いているだろうからこれで遊んでこい。お前なら出歩いたって目立たねーだろ」
それっきり団長は黙り込んだ。私は畳みに額を擦り付けてそのお金を受け取った。
けど、出歩く気なんて起きなかった。もし、私がこのテントを出ている間においていかれたらと思うと……そんな不安がよぎってしまう。そんなことは無いとは言い切れないのが嫌だ。そんな不安を紛らわすために私は壇上へと立った。
組み立て式の簡易な作りの舞台。一歩足を進めるごとに軋む音がする。普段は裏からしか診る事が無いこの場所も、実際に立ってみるとこんなにも違って見えるのかな。
「香菜ちゃんはどんなモノを見せてくれるのかしら」
いつの間にか観客席に雫さん達が座っていた。さっきまで誰の気配も感じなかったのに。戸惑う私を余所目に雫さん達は立ち上がりこちらへと歩いてくる。そして、舞台へ上がると穏やかな笑みを浮かべて私をそっと抱きしめた。
「え?なにを」
「今日は出歩いちゃ駄目、私達の部屋へ来なさい」
滴さんのか細い唸り声と共に雫さんの優しい声が耳に入ってくる。私は出歩くなんて出来ないです。そんな怖い事、出来ないです。だから離して下さい。そんなに強く抱きしめないで下さい。痛いです、痛いです!!
「うぅ、あああああああああああ!!」
突然の悲鳴に脳が麻痺しそうになった。でも、実際にはそんなに大きな声ではなく私の耳に直接叫ばれたと気がついたのは。滴さんと目が合ったからだった。普段は焦点の合っていない両目はじっとこちらを睨んでいる。涎が垂れっぱなしの口元も今は閉じられていた。
「今日のお外は怖いから、ね?」
「それって、どういう意味……」
私の質問は「音」に掻き消された。
「私達は死ぬ。三年後に死ぬ。みんな死ぬ。でもお前は生き延びる。卑しく生き延びる。みんなを踏みつけて生き延びる」
「え?」
言葉の意味を理解しようとする間もなく「音」は消えた。そして、すぐに雫さんの声が聞こえる。
「安心して。大丈夫、怖くないから」
その言葉を聞いて渡しは雫さんの身体を抱きしめ返した。こんな身体の私でもここにいていいんだよね。
「そうよ、その代わり…で……しい…そして、……ないで」
その「声」は再び「音」に掻き消されて聞こえなかった。
翌日、広場から少し離れたところで少女の惨殺死体が発見された。犯人は不明らしいが、テントに警察が踏み込んできて中を色々と調べられた。団長は縁起が悪いということですぐにこの場所を離れたがっていたが、容疑が完全に晴れるまでは動けなかった。
暫くは一座が私を置いてどこかに行く事は無いと思う。だから、私は団長から貰ったお金で商店にノートを買いに行った。日記をつけようと思ったからだ。この前、雫さんと滴さんが何を言ったのかは良く分からなかったけど書き記しておくことによって、いつの日か思い出すかもしれないからだ。
「書くなら、昨日の出来事からかな」
私は頭の中で筆を走らせた。冒頭は……
一九一九年、八月九日
さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。親の罪を子が継いで何の因果か生まれるは……
しどろもどろになりながらも中年男性は必死で平静を装っていた。まさかこんなところで衆目を集めるとは思っていなかったのだろう。気まずそうに視線をあちこちにやっている。その様子を壇上の雫さんは穏やかな表情で見つめていた。そして、隣にいる滴さんに話しかけるような囁き声が会場全体に浸透していった。
「蕾を開花させるのはいいけど、手入れを怠っては駄目ですよ。熟す前の木に成った果実を、もぎ取っては駄目ですよ。今まで幾つ口に入れてきたのでしょう。二つ、三つ……」
「あら、実を含めて十二なんて。それに今日も一つ目を付けたみたい」
吐息のようにすぐ消えるような声でも中年男性には違ったようだった。周りは私も含めて何がなにやらさっぱりだったが、中年男性だけは顔が青ざめていた。
「ふ、不謹慎な。私に対する侮辱か!!」
先程までとは打って変わって、中年男性の表情は冷静さを無くし、激昂していた。雫さんと同じくらいに会場内にその声が響き渡る。
「さてさて、私にはどこがどう侮辱なのか分かりかねます。会場の皆様、誰かわかる方はいらっしゃいますか?」
とぼけた団長の声に反応するものは誰もいなかった。
「もし良ければ貴殿から説明していただけますかな。それとも、壇上の双子にもう少し分かりやすく説明をしてもらいましょうかね」
「私は失礼させてもらう!!」
吐き捨てるように言ったあと、中年男性は席を立ち会場から出て行った。誰もが呆気に取られたけど……誰もが雫さんと滴さんを見る目が変わっていた。いや、誰も壇上に目を合わせようはしなくなった。
「今回はイマイチだったな」
今日の興行が終わり、テントを閉めたあと私は団長と一緒に今回の売り上げを集計していた。顎肉を揺らしながらお札を数え、不満気に漏らしている。私の心に嫌なモノが滲んできた。もしかして私の呼び込み不足だったのかも……
「お前のせいじゃねーよ、気にするな」
お札と幾許かの小銭を金庫に入れた団長はその場で横たわった。顔をこちらに向けていないのでその表情は分からない。悪かった事があるなら言って欲しいし、反省もする。さっきからずっと畳みの上で正座もしている。お願いします、追い出さないで下さい、私はここに居たいんです。
「おい」
「はい!!」
団長は腰に掲げた袋包みから幾枚かのお札を私の方へ投げた。
「まだ店もいくらか空いているだろうからこれで遊んでこい。お前なら出歩いたって目立たねーだろ」
それっきり団長は黙り込んだ。私は畳みに額を擦り付けてそのお金を受け取った。
けど、出歩く気なんて起きなかった。もし、私がこのテントを出ている間においていかれたらと思うと……そんな不安がよぎってしまう。そんなことは無いとは言い切れないのが嫌だ。そんな不安を紛らわすために私は壇上へと立った。
組み立て式の簡易な作りの舞台。一歩足を進めるごとに軋む音がする。普段は裏からしか診る事が無いこの場所も、実際に立ってみるとこんなにも違って見えるのかな。
「香菜ちゃんはどんなモノを見せてくれるのかしら」
いつの間にか観客席に雫さん達が座っていた。さっきまで誰の気配も感じなかったのに。戸惑う私を余所目に雫さん達は立ち上がりこちらへと歩いてくる。そして、舞台へ上がると穏やかな笑みを浮かべて私をそっと抱きしめた。
「え?なにを」
「今日は出歩いちゃ駄目、私達の部屋へ来なさい」
滴さんのか細い唸り声と共に雫さんの優しい声が耳に入ってくる。私は出歩くなんて出来ないです。そんな怖い事、出来ないです。だから離して下さい。そんなに強く抱きしめないで下さい。痛いです、痛いです!!
「うぅ、あああああああああああ!!」
突然の悲鳴に脳が麻痺しそうになった。でも、実際にはそんなに大きな声ではなく私の耳に直接叫ばれたと気がついたのは。滴さんと目が合ったからだった。普段は焦点の合っていない両目はじっとこちらを睨んでいる。涎が垂れっぱなしの口元も今は閉じられていた。
「今日のお外は怖いから、ね?」
「それって、どういう意味……」
私の質問は「音」に掻き消された。
「私達は死ぬ。三年後に死ぬ。みんな死ぬ。でもお前は生き延びる。卑しく生き延びる。みんなを踏みつけて生き延びる」
「え?」
言葉の意味を理解しようとする間もなく「音」は消えた。そして、すぐに雫さんの声が聞こえる。
「安心して。大丈夫、怖くないから」
その言葉を聞いて渡しは雫さんの身体を抱きしめ返した。こんな身体の私でもここにいていいんだよね。
「そうよ、その代わり…で……しい…そして、……ないで」
その「声」は再び「音」に掻き消されて聞こえなかった。
翌日、広場から少し離れたところで少女の惨殺死体が発見された。犯人は不明らしいが、テントに警察が踏み込んできて中を色々と調べられた。団長は縁起が悪いということですぐにこの場所を離れたがっていたが、容疑が完全に晴れるまでは動けなかった。
暫くは一座が私を置いてどこかに行く事は無いと思う。だから、私は団長から貰ったお金で商店にノートを買いに行った。日記をつけようと思ったからだ。この前、雫さんと滴さんが何を言ったのかは良く分からなかったけど書き記しておくことによって、いつの日か思い出すかもしれないからだ。
「書くなら、昨日の出来事からかな」
私は頭の中で筆を走らせた。冒頭は……
一九一九年、八月九日
さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。親の罪を子が継いで何の因果か生まれるは……
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
自こ慢ぞく之家族
飴盛ガイ
現代文学
愛する妻と大好きな子供たちに囲まれて、平凡なサラリーマンの相馬光雄は今日も幸せな生活を送る。僕は理想的な父親だから、妻も息子も娘も僕にとっては理想の家族。何を考えているかなんて考える必要も無い。だって、自慢の家族なんだから。わざわざ聞く必要ないでしょ。
あなたと、「またね。」って言えたら。
灯火(とうか)
現代文学
「人との別れは人を強くする。」果たして、本当にそうでしょうか?
生ぬるい現実を突きつける、純文学。
デートの最中、突然に彼女が倒れた。
「あなたは、大切な人と別れたことがありますか?」
「そう、考えたことがありますか?」
人生において、いつかは考えなくてはならないテーマ、「人の死」。残酷で、凄惨な現実をあなたに。
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
─それぞれの愛《家族の風景》─
犬飼るか
現代文学
浮気し、家族を捨てた父。
必死で生きるなか、それでも自分なりに娘達を愛している母、梨夏。
どこかのんびりと、けれど毎日を懸命に過ごす妹の、由実。
しっかりとした性格だが、どこか愛されることに飢えた姉の、美花。
家族それぞれの日常の中での過去と、
それぞれの愛する人。
そして、それぞれの感情の交差。
─どうか楽しんで頂けますように─
(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!
青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。
すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。
「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」
「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」
なぜ、お姉様の名前がでてくるの?
なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。
※タグの追加や変更あるかもしれません。
※因果応報的ざまぁのはず。
※作者独自の世界のゆるふわ設定。
※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。
※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
五年目の浮気、七年目の破局。その後のわたし。
あとさん♪
恋愛
大恋愛での結婚後、まるまる七年経った某日。
夫は愛人を連れて帰宅した。(その愛人は妊娠中)
笑顔で愛人をわたしに紹介する夫。
え。この人、こんな人だったの(愕然)
やだやだ、気持ち悪い。離婚一択!
※全15話。完結保証。
※『愚かな夫とそれを見限る妻』というコンセプトで書いた第四弾。
今回の夫婦は子無し。騎士爵(ほぼ平民)。
第一弾『妻の死を人伝てに聞きました。』
第二弾『そういうとこだぞ』
第三弾『妻の死で思い知らされました。』
それぞれ因果関係のない独立したお話です。合わせてお楽しみくださると一興かと。
※この話は小説家になろうにも投稿しています。
※2024.03.28 15話冒頭部分を加筆修正しました。
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる