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215話 魔界死地誘引

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 その不気味な声の鳴った方に皆が注視すると、ズングリと大柄なジビエの背後に、影のごとく張り付いていた何者かが、真横にずれるようにしてその姿を現した。

「はえ?な、なんですか? ジビエさんの後ろに誰かいるんですか?
 ひゃっ! アレは……ま、魔物!?」
 ユリアが、その闖入者(ちんにゅうしゃ)に指を差して戦慄した。

 なるほど確かに、その者の姿とは、まさしく魔物と形容するに相応しく、月光の下にさらされたその風体とは、どう見ても人間の"乾物(かんぶつ)"。
 あの木乃伊(ミイラ)そのものであり、それが聖者のごとき金刺繍の煌めく羽衣(はごろも)を緩やかに身にまとい、目玉のない暗黒の眼窩(がんか)を勇者団に向けて立っていた。

 その妙に生白い、動く屍としか云えぬ者は、どうやら呼吸をする度ごとに、体内の心臓が内部より輝いているようで、その胸骨(アバラ)の輪郭をオレンジ色に縁取って明滅させる姿とは、さながら屍のランプのようであり、窮(きわ)めて不可思議なる外見をしていた。

「やあやあ皆様、初めまして。我輩こそは、このジビエ=マルカッサンの盟約者にして、彼(か)の誉れ高き選(よ)り抜きの七人集。
 "暗黒鹵獲団"(あんこくろかくだん)のクワォリーと申すもの。
 どうか以後お見知りおきを──」
 屍蝋化(しろうか)したような長身の男が再度発言をすると、その頭髪のない頭上に、無数の光のナイフようなものが現れ、それらが後光のように、彼の後頭部辺りの空間に放射線状に配置され、キュラキュラと廻っては目映(まばゆ)く発光した。

 その様、言うなれば、悍(おぞ)ましき邪聖の偶像(イコン)、といったところか──

「ひゃっ!! しゃ、喋った!?」
 ユリアは魔法杖を握りしめ、その不死系の上級な魔物にしか見えぬ者へと神聖魔法を唱えるべく身構えた。
 と同じく、その背後の神聖魔法に長じたアンとビスも臨戦態勢に入っている。

「へぇ、よーやくソレらしいののおでましかい。
 フンフン。チョイと見たところ、不死系(アンデッド)のソコソコのオヤダマってーところだね?
 ねぇねぇカミラー? アンタさ、コイツに見覚えは?」
 マリーナも背中に担いだ大剣の柄(つか)に手を這(は)わせながら腰を落とした。

「──知らんわ」
 どうやらカミラーの死霊騎士部隊の所属ではないようだ。

「うん。話の筋からいくと、お前がその光属性の勇者を堕落させた張本人となるわけか。
 だが、その暗黒鹵獲(ろかく)──とやらはなんだ?」
 シャンも、胸前で腕を交差させる形で両腰のケルベロスダガーに手をかける。

「フム、ジビエ君。今宵はまた、かように美しい女性たちを消し炭にするか。
 よかろうともよかろうとも、いつも通り我輩が手を貸そうではないか。では失礼をばして──」
 クワォリーと名乗る謎多き化生(けしょう)の者は、シャンの問いかけになんら答えることもなく、再びジビエの背後に回った。

「ん、じゃ腹一杯喋ったことだし……あとはお楽しみといくか」
 ジビエ=マルカッサンは、その場に革の手袋と靴とを乱雑に放棄し、逞(たくま)しい両腕を上げつつ、大きく仰(の)け反り始めた。

「あえっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいっ!! お、お楽しみってなんですかー!?」
 ただならぬ殺気の膨張に、思わず後退(あとずさ)るユリアだった。

「フム、古来"享楽"とは、行き着くところすなわち是(これ)虐殺と、まぁ相場は決まっておるが……まぁなんとも捻(ヒネ)りのないヤツじゃて。
 三色馬鹿娘らよ、来るぞ……」
 カミラーは軽侮を込めて、妖しく発光するジビエを睨(ね)めつけた。

「ンフフフフフ……きたきたきたきたァッ! こここ、これだから用心棒稼業は止めらんねぇってんだぁッ!!」

 どうやらジビエの体内には、背後からクワォリーが溶けるように侵入を果たしたようであり、その禍々しき人魔融合術により、その顔と云わず手と云わず、その表皮のすべては鋼の光沢を備えてゆき、ピシッ!パキッ!とひび割れ、その内よりオレンジの輝きを外部に漏れ出させていた。

 また、体格もひとまわりほど肥大化したようで、黒いインバネスの各所が、ミリミリ、バツッという厭(イヤ)な音を放っていた。
 
 さらに、その頭部の左には、水牛を想わせるような鋼鉄の角が一本、焦げ茶色の長髪をかき分けかき分け夜空へと伸び、両の瞳は鞴(ふいご)で吹かれた石炭の如く燦然(さんぜん)と輝いてゆく。

「さぁて! 待たせたなお嬢ちゃん達ッ!!
一気にいくぜー!!」
 そう吼(ほ)えるように怒号を放ったジビエは、唐突にその場にしゃがみ込んだかと想うと、その鋼の左拳で草の大地を打ったのである。

 すると、打撃の落ちた地面は揺れ、その拳の触れたところから、恐るべき速度で深紫の光が放射線状に広がり、それは瞬時にして光のドームへと拡大しつつ、スッポリとドラクロワたちを包み込んだのである。

「ウム。戦場を半魔界へと移しおったか……。
 なるほどな、こうしてゴルゴン某(なにがし)に都合の悪い人間を闇から闇に葬ってきたと、そういう訳か……」
 ドラクロワが、ちっとも面白くもなさそうに察して述べた通り、もし一般の人間、例えば近所の何者かが、最前からのこのやり取りを観ていたとすれば、突然半透明なドームがジビエの足元より広がり、それが激しく閃光したかと思うと、そこはもう只の冷たい秋の裏庭があるのみ。
 ジビエを含むすべての登場人物が忽然と消失したことに大層肝(きも)を冷やしたことであろう。

 この一切の予告なしの空間移送に、ユリア達は揃って戦慄し、恐れるように辺りの景色を見回した。

 そうして見えた景色とは、汚ならしい紫と黒とが煙るような暗い廃墟そのものであり、よくよくと見渡せば、風化したような石畳に、ぬいぐるみや朽ち果てたような子供の玩具類が、そこここで小山を形成しており、なんとも云えぬ気色の悪さを演出していた。

 ドラクロワは、そのドロンとした真夏の黄昏時のような、温い空気を吸い込むと、心地好さそうにわずかに眼を細めた。

「ウム。"暗黒鹵獲団"とは、確か先々代魔王が考案したとかいう、七大女神達に帰依する聖者らを堕(お)とすために特別に編成された、あくまで正攻法ではなく"搦(から)め手"を得意とする特殊部隊のことなのだが……」
 何とはなしに、シャンに答えを授けてやるドラクロワ。

「はえっ!? ななな、なんですかそれっ!?
 せ、先々代の魔王!? か、搦め手ぇっ!?」
 今見える人外魔境の景観の不気味さより、遥かに好奇心のが勝る者がいた。

「フフフ……詳しいことは、また帰ってから教えてやる。
 それよりユリアよ、さっさと魔法障壁を呼び出せ」
 ドラクロワは、どうでもいいように警告を放った。

 だが、この気の抜けた忠告により、過去幾度となく命を拾ってきたユリア達である。ユリア、アン、ビスは、疑うより早く、すぐさま自己の発現させ得る最高位の魔法障壁、その詠唱を開始した。

 そして、早口のそれが切り結ばられて、魔法の障壁(バリアー)が完成するかしないかのところに、それは来た。

「ッヒャア!!」
 ユリアが叫んだ眼前で、凄まじいエネルギー爆裂が起き、半透明なる赤の八角形の魔法障壁を可視化させた。

 しかも、その衝撃(インパクト)は一撃では終わらず、重なるような連続の轟音を響かせ、さらにユリアを半狂乱におとしめた。

「ん、なーんか魔法使いらしいのがいるから、神聖魔法も併(あわ)せて使われて、後々面倒臭ぇことになるかと思って、とりあえず一発かましたんだが……。
 まぁた見事に防ぎやがったもんだな……」
 オレンジ色に輝く連続の火炎系の攻撃魔法を投げつけたジビエが、その燃え盛る瞳でユリア、またアンとビスの、どす黒い煙と陽炎をまとう防御壁を憎々しげに睨んだ。

「ユ、ユリア様!! 大事ないですか!?」
 ビスがユリアに寄って声をかける。

「は、はいっ! すすす、スッゴイ威力のファイアーボールでしたが、な、何とか防ぎましたぁー。
 て、アレ? 今のジビエさんてば、特に魔法詠唱をしてなかったような……」
 ユリアは頬に落ちてきた冷たい汗を押さえつつ、鋼鉄の片角魔人を見つめた。

「ま、いっか。あの三匹は後回しにして、と。じゃソコのアサシンと戦士の味見といこうかっ!」
 ジビエが言葉の尾を引きつつ、恐ろしい速度でシャンに迫った。

 そして猛烈な金属音。
 ジビエが下からカチ上げた右腕の鉤爪(かぎつめ)が、反射的に胸前で交差させたシャンのダガーと衝突し、一瞬目映いほどの火花を放った。

 その刹那、それを追うように、またジビエの鋼鉄の回し蹴りの踵(かかと)が、オレンジの尾を引きつつ、シャンの側頭部を薙(な)いだように見えた。
 が、シャンは紙一重でそれを交(か)わしつつ、はるか後方に華麗なるとんぼ返りをして、音もなく着地を果たしていた。

「うん。早い……な」
 低く言ったシャンの左頬に、ひとつまみほどの毛髪の束と、ドロリとした血潮が下がって来て、そのままマスクの下の顎まで汚した。

 どうやら融合魔人の放ってみせた迅雷の蹴りとは、それが只かすめただけで、脳まで揺らす威力を振るったようで、シャンはそのまま地面に吸い込まれるようにして、前のめりに倒れ付し昏倒した。

「シャンッ!!」
 それを横目で認めたマリーナだったが、今度はその頭上から銀色の巨大な鎌が落ちてきた。

 そしてまた重い金属の打ち合う、猛烈な衝突音。

 下方から迎撃のマリーナが、惚れ惚れするような流麗の抜き打ちで、間一髪打ち上げた大剣と、ジビエの回転式踵落しがまたもや火花を撒き散らした。

「わ重(おも)っ」
 と、黒革眼帯の反対の左眼を見張るマリーナの鳩尾(みぞおち)に、魔人の電光の足刀が射し込まれたが、これを本能的に察知し、左の深紅のガントレットでガードしたマリーナ。

「っうおっ!?」
 だが、その蹴りのあまりの威力に、自らの左前腕を抱き込むようにして、はるか後方にすっ飛んでゆく。

「ヒャッ!! マリーナさんッ!!」
 と叫ぶユリアが眼で追えないほどの速度でマリーナは飛び、ガントレットの赤い破片をばら蒔きつつ、なんら受け身もなく玩具の瓦礫の山に突っ込んだ。

 続けざまに、ドラクロワの周囲にて、またほとんど重なるような、けたたましい衝撃音が連続した。

 見れば、眼にも留まらぬ速度で、なにやら銀色とピンクの幻影が、上下左右の空間に縦横無尽に吹き荒れ、それらがほぼ同時にかち合い、至るところで火花を撒き散らしているではないか。

 無論、亜高速で駆けるカミラーと、魔人ジビエとの一騎討ちの相である。

「アッヒャア!!」
 ユリアが蜂蜜色の頭を抱えるのも無理はない。
 今その凄まじいエネルギーの連続衝突に空気は揺れ、耳を覆いたくなるような爆音と、音速を超える物体の放つ、まるで大気が連鎖爆発したような衝撃波が辺りを蹂躙していたのだから。

 そして、また遠くの瓦礫の山が唐突に吠え、小さなカミラーを吸い込んだのである。

「ん、てか、なあんで真正のバンパイアが混じってんだよ……。
 ったく、ちょこまかとこうるせぇもんだから、つい本気(マジ)で駆けちまったじゃねえか……ん、しんど」
 ズタボロのインバネスがドラクロワの背後で文句を垂れた。

「ドラクロワさん! う、後ろですっ!!」
 と、驚愕のユリアが指すまでもなく、暗黒色の貴公子は、瞬間移動を果たした魔人がどこに下り立つかなど重々承知していたようで、眼を伏せてわずかに後方に顔を傾けた。

「ウム。それなりにやるようだな。ジビエとやら……」

「ハッ、そらぁどうも。しっかし、よかったな色男のアンタ。なにせオレは男を殺す趣味はねぇから、よぉッ!!」
 言って、両の腕の先を組んでユリアとアン達に突き出す豪傑のジビエ。

 すると、その組んだ拳がオレンジ色に輝き、またもや一切の詠唱なしで、そこを中心に衛星のごとく無数のファイアーボールが出現。
 そのそれぞれが大人一抱えほどの灼熱弾に膨張したかと思うと、またもや恐るべき速度で女たちへと飛翔した。

 無論、ユリア達もその尋常ならざる殺気を捕らえるや、再度魔法障壁を喚び出し、苛烈な炎の洗礼に備えていた。
 
 そして、また緋色の閃光炸裂が連続し、魔法障壁を撃ち抜かんとする驚異的な破壊突貫力による轟音とユリアの絶叫が轟いた。

「っきゃあああーッ!!」
 その大迫力の連続衝撃に後退るユリアと、流石にいつものお澄ましを歪めるアンとビス。

「ユリア様! 我らと魔法障壁の重ね掛けを!!」
 アンが目映いオレンジの世界で喚いた。

「はっ! はいっ!!」
 すぐにユリアはそれに応じ、即時魔法障壁の詠唱を開始。
 それに背後のライカン姉妹らも同じ詠唱を切り結ぶと、それぞれの眼前に喚び出された八角形の神聖魔法障壁が拡張し、瞬く間に三名を護る大きなドームへと拡充した。

 また更にその魔法障壁は、その内側から急速に膨張して、未だ撃ちてし止まむ、致命の灼熱弾を頼もしくも弾いてゆくのだった。

「あ、ありがとうございます! アンさんっ! ビスさんっ!」
 強固なる合体魔法の相乗効果による盤石具合を認めたユリアが、涙眼で後方を振り返ると、なにを仰いますか、とオレンジに輝く女神のごとく美しい双子らが微笑んだ。

 だが、防戦一方ではなにも変わらないと、ユリアがあくまで正当防衛の延長にて、それなりに有効な攻撃魔法を選(よ)りすぐろうとした、そのとき──

「ん、お嬢ちゃん達、中々やるじゃねぇか、と言いてぇとこだが……な」
 と、ジビエが何かを含ませるような鋼鉄の微笑を作った。

「……な、なんだか、あのぅ──ち、力が……」
 最後の火炎弾を弾いた辺りで、爆裂する閃光にも青ざめたユリアが、額に無数の汗の珠を浮かべつつ呻(うめ)くように言った。

「ユ、ユリア様?」
 アンも同様の辛そうな面持ちで、力なく萎(しお)れゆくユリアの後ろ姿を見つめた。

「フフフ……ヤッパリ、このオレが単に目隠しのためだけに、ここに場所を移したとしか思ってなかったようだな。
 ん、お嬢ちゃん達のように、ちっと魔法に自信のある手合いなんかは、今のようにガンガンに強力な魔法を使わせながら、まずは精神力をカラッポにさせて、そんでもって魔界の瘴気に当てさせて弱らせる! とー、コイツが常套手段ってえわけさ」
 ジビエは、巧妙な仕掛けで以(もっ)て毛傷を負わせた獲物を追い詰めた狩人のように、遂に両の膝を屈したミニスカローブと、鋼鉄の六角棒にすがるような灰銀色のメイド服の二つを見下ろした。

「ウム。俺にとっては心地好い魔界第一階層の風も、コイツらにしてみれば致命的であったか。
 フム、それでシャンもマリーナも、あの体(てい)たらくであった、か……」
 ドラクロワもユリア達が倒れ臥(ふ)してゆくのを認めて呟(つぶ)くように言った。

「さて、と──次は色男のアンタなんだが、アンタまったく瘴気の影響を受けてないように見えるが、ソリャやせ我慢てえやつかい?」
 
「フフフ……そう見えるか?」

「ケッ! まぁどうでもいいさ。ん、とりあえずゴルゴンのお嬢様達から仰せつかってんのは、例のお茶っ葉を奪えってえこったから、まぁアンタだけは足腰立たねぇようにやり込めるのは勘弁してやるよ。
 んなぁアンタよ? ここまで仲間がボコボコにされたとなりゃ、さっすがに素直に茶を出す気にもなっただろ?」
 ジビエがドラクロワの至近距離にて燃える瞳を輝かせた。

「ウム、よかろう。ではこの俺が相手をしてやろう」

「おいおい! アンタ気は確かかい!? さっきからこのオレの人を大きく凌駕した、それこそ、北の城に住んでるとかいう、昼行灯(ひるあんどん)魔王もブッ飛ぶ、無敵の強さってえのを見といて、ウム、この俺が相手をしてやろう、てか? アンタのやせ我慢にゃ呆れた……ぜ!?」
 ジビエは突然、自身の身体が総毛立つのを感じ、窮(きわ)めて不可解に思い、今一度ドラクロワを見直した。

「なん……だと? 魔王がどうした、と?」
 今やドラクロワの瞳は赤光を放ち、その全身からは、魔界の瘴気を陽炎(ようえん)とさせるほどに恐るべき鬼気が放出させれていたという。 
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