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210話 五千歳の大人買い

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「……すべて出払っている?つまり、どういうことですの?」

 ここは、キターク大陸南部の最高軍事拠点である要塞都市ブルカノン。
 その上級居住区にある、上質なる料理店"翡翠の蟋蟀(こおろぎ)亭"。

 そのあかぬけた店内の上品かつ、随所に据えられた鉢植緑の溢れる贅沢な空間に、まるで逆撫でされた雌猫の唸りを想わせるような、そんなうら若き女の低い声音が響いたのである。


「は、はあ……なんとも、そのぅ、も、申し訳ございませんっ!」
 まさしく、しどろもどろで、ジットリとした脂汗で濡れ光る禿げ頭を下げるのは、この店の給仕長リオック=コロギス52歳。

 それをワインレッドの鞣(なめ)し革のソファから見据えるのは、まるで貴族のごとき荘重(そうちょう)たる格調をまとった若い女であり、この南部でも有数の資産家の娘であるメデュサ=ゴルゴン22歳であった。

 そして、その両脇をかためる、同じように豊かな金髪を高く高く結い上げた、ピンクの壮麗なるドレスをまとった美女達は、メデュサの妹エウリュアレ、またステンノだ。

 この目映(まばゆ)いほどの美貌の三姉妹は、いよいよ明日に迫った伝統ある南部最大の競美会の連続覇者の一族であり、先達の親戚らに負けず劣らず、また是(これ)、過(あやま)たずで、たしかな美しい血統を受け継いでいた。

「……あのですね、リオックさん?これは、いわずもがなでしょうけれど、お姉様も私達も大事な明日に備え、固形物で胃を膨らませる訳にはいきませんの」
 なるほど確かに、美術彫刻のように彫り深く、妙々に整った顔ではあるが、生来の気位の高さが臭い立つ、末っ子のステンノが、苛立ちを噛み殺しつつ苦言を呈した。

「は、はぁ。それは重々存じております、が……そのぅ……いや、なんとも」
 四方を鏡でおおわれた蝦蟇(ガマ)のように気圧され、憐れなほどに恐縮仕切ったリオックは、黒々とした眉の左に乗っかってきた汗の玉を、左の親指の爪先で捕らえ、太眉にすりこむように拭(ぬぐ)う。

「はぁ(タメ息)、もういいです。昨年の優勝者の従姉妹たちから、この店のミントティのふくよかな香りだけは素晴らしい、と聞いて、心より楽しみにして参ったのですが……。
 これ以上、虚しい無いものねだりを重ねても仕方がありませんわ。諦めましょう。
 はぁ、ですが給仕長さん、私どもゴルゴン一族の者を消沈させたこと、それだけは忘れないことです」
 長女メデュサの、どこか爬虫類的な冷たい美貌に、より傲岸さの色が増したように見えた。

「そうですわ、お姉様。大伯父様に頼んで、こんな無礼で役に立たない店などは、早々に暇にしてもらいましょうよ!」
 桃色の華美な扇で、底意地の悪さを隠しつつ吼えたエウリュアレ。

「賛成賛成! それにお姉様、私どもゴルゴンを、こぉんな入り口付近に座らせた罪とあわせて、この店にはそれ相応の報いをうけてもらわねば、私、到底気がおさまりません!」
 そういえばと、全身の宝飾品を煌めかせつつ、ステンノも追撃する。

「え!? いや、その、そればかりはっ!!」
 リオックは露骨に狼狽し、まるで背(せな)を鞭打たれたように立ち上がるや
「しょ、少々お待ち下さいっ!!」
 矢継ぎ早に言って、なにかしら想うところがあるように、すぐさま店の奥へと駆け出した。


 このゴルゴンとは、造酒ギルドの中央を取り仕切る大資産家、いや財閥であり、ゆえに多くの軍事関連の役人にも絶大な影響力を持ち、ほんの気まぐれに出資を断てば、即、営業が立ち行かなくなる者らも無数に抱えていた。
 しかも、殊(こと)ここ南部においては、その影響力は王室を凌(しの)ぐといわれるほどに絶対である。

 また権力云々のみならず、南部大競美会の華である、格別に見目麗しい参加者らは、この一族の血を引く者達が多く、そういった意味でも永年、ブルカノンの隆盛を支え続けてきたといえる。

 そして、そのゴルゴン一門の近年稀に見る大傑作として美々しく開花し、咲き誇ったのが、このメデュサであり、エウリュアレ、またステンノであった。

 その傲岸不遜の棘に満ち満ちた三輪の高嶺の花らが所望した、この店の誇る最高級のミントティの茶葉が、如何(いか)な通人か知れぬ何者かにより、そのすべてが買い占められていたのである。
 

 さて、その店の奥。嵩(かさ)高い色とりどりの鉢植えに囲まれるようにしてあるテーブル席には、店の瀟洒ながらも典雅な趣には、およそ場違い甚だしい、禍々しき意匠に充ちた暗黒色の甲冑を着込んだ貴公子と、その旅の一行らが座していた。

 そして、なにやらそこの一角では真紅の胴鎧(ブレストプレート)の大柄な半裸の女が立って、こう?いやこんな感じー?と長い両腕を振り回していた。

「ウム。マリーナよ、大体分かったし、ホコリが舞うので、もう座れ。
 まぁなんだ、つまるところが、それなりの自惚(うぬぼ)れを抱え、意気揚々とその徒手空拳の女に挑んではみたものの、まったく足元にも及ばず、不様に鼻っ柱をへし折られて帰っきたと、そういうことだな?」
 朱(あか)いクッションに深く沈んだドラクロワが、雑談の概要(あらまし)をまとめた。
 
 マリーナは、なにかを成し遂げたような満ち足りた顔でうなずき
「ヒック。ハイハイ、ごめんよー」
 と自身の席に戻ろうとするが、その途中で仲間の膝前を通りすぎながら、わずかにバランスを崩し、大きな臀部をユリアの顔にぶつけそうになった。

「もー」
 と仰け反るユリアは、そこを景気よく、パチンとビンタして
「ちょっ! ドラクロワさんっ!? まったくあなたという人は、ホンットに他人の気持ちをかえりみれない人ですねーッ!!
 よくもまぁ、大切な仲間の不名誉をそこまで冷酷に切り捨てられるもんですよー!! 
 その、ちょっとは心配したりとか、少し慰めてやろうかなー?とか、そういった優しい温情みたいなモノはないんですかー!?
 まったく! あの北の大地の魔王だって、もう少し部下には優しいんじゃないですかねー!?」
 プーと頬を膨らませ、ボフリ背後のクッションに倒れこんだ。

「これユリアよ、お前はなーに甘ったれたことを言うておるか?
 食い物屋でたまたま隣り合わせになった、少し腕が立ちそうな女に要らぬ喧嘩をふっかけておいて、挙げ句、ぼろぼろに負けました、さぁさ慰めて下さい、てか?」
 と、カミラーも相変わらずの切れ味である。

「あ痛たたた……。アハッ!でもさでもさっ、まぁ、この世界にゃまーだまだ、あーんなスゴい人がいるってのが分かったんだし、何よりさー、あの人の技ときたら、えと、手に豆握るっての?観てるだけでスンゴイコーフンしたし、ま、結果よかったんじゃないのー?ウン、上には上がいるーみたいな?
 だからユリアー、そんな落ち込まなくてもさ、そっ、その悔しさをバネにしてさ、ウンウン、なんつーか、そっ! 次次!! 次こそ勝てば、それでいいんじゃない!? アハハハハッ!」
 大ジョッキを重ねたマリーナは、他人事とはいえ、実にいい気なものである。

「はえっ!? ちょっとマリーナさん!? なに言ってるんですかっ!? ホント次とかないですから!! ゼーッタイ!!
 それと言っときますけど、私は断じて自分から望んで戦った訳じゃないんですけどー!? 
 もぜーんぶ、シャンさんとマリーナさん、それからあの、ちょっとおかしいくらいに強い人が勝手に始めたことでしょっ!?」

「うん。確かに、単なる好奇心ひとつで決闘を押し進めてしまったな。
 ユリア、悪かった。だが、私もあの女武芸者が、まさかあれほどまでとは想わなかったのだ」
 無表情とはいえ、大きな水晶玉の上部をカットしたようなグラスを置き、素直に詫びるシャン。

 また、皆から離れた隅っこに座るアンとビスも、流石にいつものお澄ましなどではなく、眼下に置かれた美しいカットの入ったアブサンのグラスなど放ったらかしで、最前から萎(しお)れっぱなしである。

「ウム。しかしその女とやら、まったくの無手にて、あの珍妙技を保有するユリアを軽々といなし、あまつさえ強化変異した、このアンとビスまでもを、ただの一合にて粉砕したとは、な。
 ウム。はて、どんな術をどう使うのか、正直この目で観てみたくなった」
 口では多分に卑下しながらも、ある程度はユリア達の戦闘力を評価していたドラクロワは、旅連れ達との歓談の付き合いばかりでなく、確かに好奇を誘われたようだ。

「はっ! では、またその女闘士が現れましたおりには、この私めが即座に掻き裂いてご覧にいれまする!」
 カミラーは白いティーカップを置きつつ、主君のあおる葡萄酒の瓶の残量を視ながら、この私だけは何者にも遅れをとりませぬ!とばかりに勇ましく言ってのけた。

「あー、そっかー。確かにさ、あの人も中々に素早かったけどー、どーガンバっても、サスガにカミラーみたいには動けないよね?
 ウンウン、いっくらあの人が、なんでもかんでも、こう、ガッと捕まえて、でもって、パァン!!って破裂させるってもさー、カミラーみたく、とっても目では捕らえられないよーな速さで駆けられたなら、一体どう立ち回るんだろねー?
 アハッ! なんだかさ、それはそれでムショーに観てみたくなってきたよー!! ねっ!? ねっ!?」
 マリーナは大きくうなずきながら、隣のシャンに、ひじ打ちを連打する。

「フフフ……確かに、な。だが、あえて、あの女武芸者がどこの何某(なにがし)かなど訊ねなかったから、再挑戦はおろか、再会を果たすことすら困難だろうな。
 うん、そうだ。ドラクロワ、お前は妙に物識(ものし)りでもあるから、その女が使う格闘体系なども聞き及んではいないか?そう、ほんの噂程度でもいいんだ」
 シャンは、まったく能(ちから)の底の知れぬ頼れる首領に、半ばダメ元で望みを託す。
 だが──
 
 やはりといおうか、魔王ドラクロワは、ユリアが、鬼神トーネの捜索"再会"という流れになりそうなのに目をむき、即座に猛烈な不承を呈するより先に
「さぁな」
と、すげなく応えただけだった。

「ウム。だが、その女武芸者とやら、このマリーナが素手で手を握っても平然としていたと言ったな……。
 ──となればその者、無論魔族ではない。だが、それでいて人外の武力を発揮した、となると……フム」
 ドラクロワは、まるで他人事のように、マリーナの為した、あの"聖魔テスト"について触れたが、この度は伝説の勇者達からの「えー?アンタもその光属性でしょうが!?」のツッコミはなかった。

 自然、その眉目秀麗なる考察顔に皆の視線が集中する。

「ンン。そいつが、まったく魔法を使わなかったというのなら、或いは……」
 魔王の脳髄から、一縷の手がかりが湧き出さんとした。
 その時── 

「ゆゆゆ、勇者様ぁっ!!」
 突然、中年の給仕長リオックが、ほとんど転がるようにして闖入してきた。
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