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202話 たこわさび

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 幽玄にして暗鬱なる、滑らかな敷石の廻廊に胡座(あぐら)などをかき、獣脂燃料の角灯(ランタン)の光をたよりに、力なく床に伸びた、なにやら得たいの知れぬ嵩(かさ)高い物体を、ニチャニチャと揉みまさぐる影があった。

 「うわー、流石にここまで粉々だと、もう諦めた方がいいのかもなぁ。
 ったくさー、魔族の中でもそれなりに大物の魔戦将軍だったクセにさー、あんなただの飛び蹴り一発で簡単にオシャカになってんじゃないよー。
 まったく、使えないなぁキミも……」

 ギラギラとした小刀を脇に転がした、褐色の死霊使いギークが、裏返しにしたキャパリソンの大きな骸(ムクロ)、その背中を大きく切開した上で、手にした曲がった針と黒いテグスで、殆ど粉砕骨折した、黒曜石のような化生(けしょう)の背骨の破片をまとめ、縛り、また繋ぎ合わせ、それをなんとかして元通りの体幹の支柱へと復元させようと努めていた。

 だが、この奇絶怪絶の極みにして、吐き気をもたらすような彼の懸命な手術(オペレーション)も虚しく、魔王ドラクロワの怪異なる前蹴りにより砕かれた、その強靭だった魔族の肉体を、また死霊兵士として再再利用しようとする目論見は叶いそうにもなかった。

 「はぁ……。ボクの特製護符と死霊魔法とで、単純な筋力なら生前の三倍は引き出せるから、モノが元魔戦将軍っとくりゃ、コリャかなり強い兵隊になるぞー、とか喜んでた矢先に……コレさ。
 あ、クソッ!!あも、ムリだコレ!!」
 遂にギークは諦念に下り、魔人の杖のごとき奇怪な黒い接ぎ骨を手放し、額の汗を手の甲で拭った。

 「んふー。ま、いつまでもこんなとこで、くよくよしてても何にもならないからなー。
 うん、いっちょ気分を切り換えて、あのイヤーな冒険者君の装備の分配といきますかー。そそ、黙っとくと、またザックがゼーンブ独り占めしそうだからさー。
 フン。あの威張りんぼうの自称魔王君、装備をやたらと傷付けないよーに、サックリいい感じで殺られてくれてるといいんだけどなー。
 あー、お尻冷えっ冷えだよー。ったく」

 ギークは脇の肩掛け鞄を器用にサンダルの足先で開け、その中に顔を突っ込んで、ボロ布を咥えて引きずり出し、それで両の手先を浄め始め、やがて用済みになると、チンと鼻をかみ、キャパリソンの屍へと放り捨てた。

 そして尻の埃を叩(はた)き、暢気(ようき)な鼻唄まじりに両手を振って跳ねるようにして軽快に走り、残忍なる仲間の待っているであろう謁見の間。今や、みる影もなく崩壊した門扉に舞い戻り、篝火の漏れる破孔を潜(くぐ)り抜けた。

 「はーいお疲れ!あのさー、キャパリソンの方なんだけどー、もーコレが全っ然、ダ、メ……」
 
 と、実に太平楽にお宝の皮算用などしつつ、右の手刀を挙げ、陽気に続けようとした。が、飛び込んできた予想外の光景に、思わず続きを言い淀(よど)んでしまう。

 「あり?まぁだ殺ってなかったの?ちょっとキツタカー。たまにはさ、リーダーらしく真面目にやってよねー。
 ……て、アレ?イツクシマ……どこいった?」

 彼としては、下着泥棒の常習犯が捕らえられ、その無数の押収品がムダに美しいグラデーションを魅せつつ、恐ろしく丁寧に並べられるという狂気の沙汰のごとく、ドラクロワから剥いだ極上の装備品が整然と床へと並べられ、それらを腕組みで値踏み・鑑定する仲間の姿を脳裡に画いていた──
 
 だが、そうしている筈のザックもキツタカも、ただ呆(ぼう)と立ち尽くしており、またなにより、とっくに横死しているべきドラクロワも王座に深く座したままであり、その下方に立ったカミラーさえも、彼が出掛けた時と何ら代わり映えもしていなかった。

 いや、よくよく見れば確かに変化はあった。それは先ず、白の幻獣イツクシマの消失に始まり、そして西側の壁に穿たれた大穴があって、
その極めつけのトドメが、常に頼れる不沈艦のザック、その後ろ姿である。
 なんと今の彼には、その金色鎧の肩当てごと、根こそぎ左腕が見当たらないのだ。

 「えっ?何がどーしたの?うわっ!!」

 不意に、なぜだか常時鼻炎気味の鼻のつまりが、スッと抜け、大凶不吉にして、恐ろしく不気味な空気を肌で感じたギーク。
 思う前に、その逞しい戦士に駆け寄り、その哀れな欠損部を覗き込んだ。

 「うわっ!!なんだこれっ!?えー!?なになになになにー!?」

 その醜くく溶けて、歪み、黒く変色した鎧の穴から覗き見えた肩口の断面とは、先ず、尋常なる人間の肌の色とは異なり、活き蛸のような鼠色であり、かつ水飴のような粘性の分泌液にまみれていた。
 そして、そこは内側にすぼめた唇のように、必死になって損傷の開口部を塞ぐようにして、ゴワゴワと盛り上がりながら蠢いており、断続的に、フチュッフチュッと息つぎでもするように、粘っこい泡の玉、また煙を噴いていた。

 「これ……まさか、や、やられたの?」

 と、ギークが喉を鳴らして見上げたザックの顔とは、今だかつて見たこともないほどに、恐ろしく険しく、また艶のない鼠色であり、その青い両の瞳は大きく拡大し切って、すっかり白眼を覆い尽くしていた。

 「んん……し、信じられん……事が起きた……。アイツが火炎魔法で焼き切った、のだ」

 ザックは鮫肌に点(とも)った紫色の下唇を噛みしめ、少し離れた床で、ボコボコと泡立つ真っ黒な水溜まりを睨みながら、苦々しく呻(うめ)いた。

 「へっ?そんなぁ!!えー!?ウソでしょっ!?だってー、だってザックはさー」
 筋張った拳骨を口許にあて、激しく芝居がかったように仰け反るギークに──
 
 「ウム。だから言ったであろう。お前のような、どっち付かずの半端モノでは、ちぃとも興が乗らん、とな」
 王座の高見から、呆れ返ったような声が降ってきた。
 が、その言は動揺仕切ったギークには届いていなかった。
 
 「な、なんでさ!?ザックは邪神の兵士との合の子で、どんなに強力な魔法も一切無効。それに半分は人間だから、邪神の奴等が大の苦手の神聖魔法さえも効かないんでしょ!?
 そんなオイシー"いいとこ取り"のキミが、なんで!?なんで、こんなことになっちゃってんの、さ……」

 ギークがどうしたものかと気を揉みながら、手をこまねいて覗き込むザックの肩口は、未だ煮えたぎったように蛍光緑の霧を吐いていた。

 「フム。確か、そこな朴念仁(ぼくねんじん)。腰の剣を抜いたかと思えば、やぁやぁ我こそは、あの生臭くも気色の悪い、邪神の配下の戯(たわむ)れにより、実験的に造られた合の子にして、絶対無敵の超戦士にあり、とかなんとか名乗りを上げおったな……。フフフ……片腹痛いわ。
 ウム。まぁなんにせよ、お前達、いや、その邪神の軍勢をも含めた、この星の者達の通念、また認識であるところの"邪神の兵士には魔法が無効である"というのは、まったくの思い違いも甚だしい」

 と、語り始めた魔王の声には、ダイエットに血道をあげる者に「えっ?食べなよ食べなよー!知らないのー?フルーツの糖分は全然太らないのよ?」と平然と宣(のたま)う、度し難き愚者に感じる憤怒の念と、常々どうにも腹に据えかねた誤りを、ようようやっと正せるわ、というような解放の情緒があったという。

 「はっ!?えっ?なんだってー?あのキミさ、あんまりバカなことをいうんじゃないよー!!
 現に、このザックは今まで色んな奴等と闘ってきたけど、ただの一度だって攻撃魔法で傷付いたことなんてなかったんだ!!
 そうだよ!!今日だって、ついさっき、あの魔戦将軍のキャパリソンが放った雷撃だって、本当、蛙の面に──」

 「では、そのザマをなんと見る」

 魔王ドラクロワが顎をしゃくる先、その依然として再生はおろか、フチフチと煮立ち、巨大なゴカイの口みたいにもがき、蕩(とろ)けた緑の組織を吐くザックの肩口に、ギークは二の句が継げなかった。

 「ウム、あのキャパリソンの奴めの程度が、どうだとかまでは知らんが、一様に邪神の兵士らに備わっているとされているモノとは、断じて完全魔法無効などではない。
 確かに、そこらの十人並みの魔術師が放つ、ヤワな魔法の程度ならば、或いは涼しい顔をして受け流すかも知れん。
 ウム。実際、この俺もその特性を確認したことがある。
 だがな。そこのお前も、また奴等もが揃って誇らしげに自負する特殊能力の正体とは、単にあらゆる魔法に"強い耐性がある"というだけのことであり、ある一定の水準を越えた攻撃魔法であれば、それを突破して損傷をさせ、滅ぼすことも可能である」
  
 魔王は以前に時空を越えた先で闘った、黒コートの邪神兵との一戦から得られ、また確証をした事実を説いた。

 「うー、クソー。そりゃそーなのかも知れないけどー。
 なんたって、お前みたいな痩せっぽちがー、それからー、そこのチビガキもー、なーんでそんなバッカみたいに強いんだよー。
 なんなんだよー一体。こっちもなー、バリバリの特異点世代の大物のハズなのにー、この差はなんなんだよー、みたいなー」
 キツタカが無表情で両拳を挙げ、口惜しさに地団駄を踏んでは喚いた。

 「フン。低能のお前達に、再び何と名乗ったとて、そんなの出鱈目(でたらめ)だー、とか姦(かしま)しく喚くばかりなのが目に見えるようだ。
 あーそれより、そこの死霊使いは傀儡を失くし、お前は幻獣を掻き裂かれ、また出来損ないの木偶の坊は"燃えるゴミ"とくれば、もう他に見せられる芸などはないのであろう?
 ウム。それきりで仕舞いなら尻尾を巻き、さっさと失せるがよい。貴様ら三者三様の情けない命乞いなど聴くもつまらんし、あえて、わざわざと追い回してから、くびり殺すのも手間なだけだ。
 カミラーよ、こんな塵芥(ちりあくた)の寄せ集めなどはもう捨て置けい。
 しかし、フフフ……またなんとも平凡な特異点もあったものだな。
 では、ブルカノンへと舞い戻り、おわずけを喰らわされっぱなしの葡萄にでもありつくとしようか」
 と、冷めたように言ったドラクロワは、もう王座から腰を上げ、思わず「うっ」とばかりに身動(みじろ)ぐ強欲の冒険者達の間を颯爽と抜け、破壊を尽くされた門扉へと、ただ真っ直ぐに歩むだけだった。

 これにカミラーは、ほんの一瞬だけ「承服しかねます」とばかりに眼を細め、白い睫毛(まつげ)を震わせたが、それを露(あらわ)に出来る身の上でも、立場でもなかった。
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