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188話 ひいてはいけないカード

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 ドラクロワは、冷たい叢(くさむら)に倒れ込み、ゲエゲエとやるマリーナ、そして緩慢そのものではあるが、決して単なる静物落下ではなく、明確な意志らしきモノを持って、ノッソリと手押し車の荷台から降車する暗黒の巨人を順に眺め
 (ウム……。あの大振りなプレートアーマー。あれの寸法だけを見れば、なるほど確かに、先代魔王であった父の鎧らしく思えなくもない、か……。

 ウム。長年、魔王級の真魔族が発する瘴気と魔素とが染み込んだ装備の品が、何かのきっかけで単なる武具の範疇を越え、それが強力な疑似生命体へと昇華することもある、とは伝え聞いたことがあるが……さて、どうだかな)
 と、今はっきりと始動しはじめた面妖なる怪異を、何処までも他人事のように想っていた。

 「キャッ!!う、動いた!?」

 「ユリア様!!危険です!もっと離れて下さいっ!!」

 「マリーナ様!!大丈夫ですか!?」

 「ウワッ!ヤッバッ!!てかアイツ!!なんで足とかまで動いてんの!?」

 幾らか不意打ちに近かったとはいえ、たった一発の打撃で、今やもんどり打って黄色い胃液を吐くマリーナを他所(よそ)に、その高さが優に三メートルを越える全身鎧は、傀儡(くぐつ)のごとき不自然さ、また頼りなさなど微塵も見せず、まるで中身がないなど嘘のように機動し、その巨躯の全体に堂々たる風格をさえ纏って、見事、屹立を果たしたのである。

 そして、困惑・戦慄をする女勇者達を遥かなる高みから見下ろし、その鋼鉄の巨体の各部から、ギギ……ガチッガチッと恐ろし気な重々しい怪音を鳴らしつつ、明らかにシャンを目指して歩み出したのである。

 これにシャンは少しも取り乱すことなく、悠然、いや婉然(えんぜん)と云ってもよいほどの恐ろしく滑らかな動きで以(もっ)て、手にしたピストルの回転式弾倉(シリンダー)に弾丸の六つを装填するや、その銃口を厳威に独往(どくおう)する巨人の眉間に向け、スムーズにそのポイントを済ませた。

 「コイツ、空っぽのクセに動いたか……。まったく、一体どういう仕組みで動いているんだ?
 ん?もしや、あの額と胸に妖しく煌(きら)めく紫の宝石らしきモノが魔導的力の源なのだろうか?
 フフフ……いいだろう、では、そこから撃ち抜いてやろうじゃないか。
 うん、呪いのプレートアーマーだか何だか知らんが、我が親友マリーナを打った仇は取らさせてもらうぞ」
 いつものしっとりと落ち着いた声音で宣言し、この女らしく一切の出し惜しみ、或いは躊躇(ためら)いも淀みもなく、直ぐに射撃を開始した。

 「うおっ!!わっ!わっ!わぁーっ!!
 なななっなんすかーこの音ッ!?」

 ベアトリーチェが、見たことも聞いたこともない、異世界のピストルが放つ目映(まばゆ)い発火炎(マズルフラッシュ)と、兇暴なる銃声との連続に仰天して、堪(たま)らず両掌で耳を覆い、可憐な顔をしかめて喚いた。

 その放たれた六発の弾丸は、まったくのノーガードで迫る漆黒の巨人の堅牢なる鎧面(おもて)の胸部の真ん中に、ほぼ垂直に近い角度で着弾したものの二つが、その厚い鋼を破って内部へと突貫した。

 だが無念、残りの四つは堅固な兜の左の面頬、そして両の肩当てにて火花を散らし、明後日(あさって)の闇夜へと跳ねた。

 だがしかし、この魔王の鎧と思われる伽藍堂(がらんどう)の巨兵は、この銃撃の猛火にも少しも怯(ひる)むことなく、いや、より一層の凄まじい迫力を発揮しつつ、グングンとシャンへと迫ったのである。

 「シャ、シャンさんっ!!逃げてぇっ!!」
 思わずユリアが叫んだ。

 だが、当のシャンはまったく微動だにせず、即座に暗黒鎧の突進速度と己との距離とを目で測り、無駄な再装填などはせず、ぐんと急加速した呪いのプレートアーマーの猛進を交わすべく、左に跳ぼうとした。

 そこに、大股で暴走をする魔王の鎧は、不意に走行運動にある脚の左を不自然に大きく前へと抜いたかと想うと、それを高く上げ、ズッドオンッ!!と大地に打ち下ろしたのである。

 その踏み鳴らしの強烈なこと、そこの草の大地は、まるで噴火したように真上に捲(めく)れて飛び散り、一瞬、その場は小規模地震の震源地となったのである。

 この直下型の激震に足元を揺るがされたシャンは、まったく思うようには跳べず、不覚にもその身は真上に浮き、その両の足裏は低空の宙に舞ったのである。

 この馬鹿げた怪力の大解放により、草の絨毯と土埃とが舞い上がる最中に漆黒の迅雷が走った。
 無論、それは魔王の鎧の剛腕であり、その右の巨掌がシャンの左足首を確かに捕らえ、そして力任せに引いた。

 シャンは左足首の骨を一瞬で握り潰された激痛という情報より早く、モウモウとした土煙の舞う夜の景色が溶けるように流れるのを見て、反射的に両腕で頭部を抱えるようにして防御した。

 そして、猛烈なる目眩(めまい)を伴った、暴動的に押し寄せる、尋常ならざる血流の殺到を額、そして両の眼球の毛細血管、また後頭部に痛烈に覚え
 (しまった、投げられたか)
 と瞬時に察して、凄まじい横の重力に意識は遠退きつつも、これは運悪く後ろに樹木があれば死ぬな、と淡く思った。

 こうしてシャンは、魔王の鎧の小細工なしの単純な怪力により乱暴に投げ棄てられ、ほぼ真横にすっ飛び、瞬く間に夜の林の奥へと消え去った。

 この一瞬の攻防を見ていた者等は、激しく驚愕して、その場で凍りつき、只只、深紫の矢となって飛翔したシャンを目で追うことしか出来なかった。

 「シャン様ッ!!」

 「お、おのれッ!!」

 そして、漸(ようや)く激昂したアンとビスとが、得意の武器である鋼の六角棒を構えて、呪いのプレートアーマーに雪崩れ込むように突撃した。

 だが、その殆んど倒れ込むような前傾姿勢から繰り出された猛攻撃を迎え撃つ鋼の大角巨人は、ドビュオッ!とばかりに空気を千切りながら、その鋼鉄の芯がしなる程の威力で振るわれた左右の棍撃を、何とも余裕のある風に挙げた両掌で以(もっ)て、はっしと捕らえたのである。

 アンとビスはその水際立った超反応に、ほんの僅かに慄然としたが、直ぐに両手で棍を捻(ひね)り、それを抜き取ろうと動く。
 が、これがまた万力で固定されたように、ビクともしない。

 「な、なんだコイツッ!?」

 肩甲骨の裏辺りに、プチプチと筋繊維の千切れる、ひきつれた痛みを感じつつビスが喚く。

 すると、黒光りする魔王の鎧の籠手の手先から二本の六角棒へと、月明かりにも黒い、蠢(うごめ)く蛭(ヒル)か影絵のごとき見たこともない不気味な文字らしきモノの列が這い出て伝わり、それの端を握った双子の掌へと、ザワザワドヨドヨと迫った。

 これに目を剥き、何か本能的な恐怖を感じたアンとビスは、ほぼ同時に棍から手を放して、一旦武器を放棄しようとした。

 だが、その奇々怪々なる、不気味なうねる文字群の先頭が褐色と雪色の手に到達する方が半瞬だけ速かった。

 「な、にっ!?」

 「手、手がっ!!」

 どうした事か、アンもビスも棍からまったく手を放せず、その繊細な両手に、腕に、ゴワゴワと文字達が殺到するのを見つめることしか出来ないのだった。
 
 そして、その軍隊アリのような黒い文字達の行軍は、二人が未だかつて味わった事もないような、猛烈な悪寒のような怖気(おぞけ)、また凄絶なる不快感と痺れとを伴って、ゾワゾワと登って行き、正しく、あっという間に彼女等の身体を駆け巡った。

 「ッキャアーーーッ!!」
 
 絶叫した二人は揃って感電したように仰(の)け反り、カッと白眼を剥いたが、その眼球の生っ白い面(おもて)にも、同様の不気味な文字列が躍り、走り、そして縦横無尽に流れて、一切の容赦なく、その華奢な身体のすべてから生命力を貪(むさぼ)って蹂躙し尽くした。

 こうしてシャンに続き、戦闘の確かな手練れである筈のアンとビスまでもが、ドオッと草の大地に昏倒させられたのである。

 この突如として襲い来た、予想を遥かに越えた大惨劇に、ユリアは攻守の魔法、その詠唱はおろか、息をすることすらも忘れ、只只、混乱の極みにあった。

 そして、悪夢の中の黒い暴風のごとき魔巨人が、ガチャガチャと盛大に金属音を撒き散らしながら、まだまだ喰い足りぬとばかりに、鋼鉄の戦闘長靴の裏で遠慮なく雑草を擂(す)り潰しつつ、そのユリアへと向き直り、死の突進を開始したのである。

 「イ、イヤァーーーッ!!!」

 闇を引き裂くようなユリアの悲鳴が、月夜の樹林に木霊(こだま)した。 
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