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140話 四次元殺法

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 邪神の配下で、その軍医を勤めた兇刃猟奇(きょうじんりょうき)の古代妖魔は、自らの常用する言語で考えていた。

 (うぅっ!!痛い!痛いっ!!なんなんだ一体!?
 気が付いたら、私の右の腕が根元から切り落とされていたぞっ!?
 畜生っ!!この私が全然気が付かなかった!!

 クソッ!!あ、あの小さな餓鬼の女がやりやがったのか!!嘘だろ!!?し、信じられん!!
 信じられんが、確かに腕が切り飛ばされたのは事実だ!!

 あぁ痛いっ!!痛いっ!!痛い痛い!痛いーー!!
 ぐくぅ……がぁあああ……。

 だ、だが、神から賜(たま)いし万能なるこの体。
 も、もう少しでこの断面には薄い膜が張って、この出血は止まる。
 そ、そうすれば、直ぐに筋肉と骨膜の組織が再生され、そこから多少時間はかかるだろうが、また元通りに右腕は生えて来るだろう。

 しかし、コイツらは一体何者なのだ?
 この私の神速を遥かに越えた、あの娘の恐るべき速度とはなんだ?

 ハッ!まさか、まさかあの餓鬼女は、一見人間族のメスの幼体に見えて、その実、戦闘に特化した、全く別の種族なのでは!?

 くっ!な、何にせよ、初手である程度奴等に驚異を与えたことにより、この私が慢心し油断したのは確かであり、そこに反省すべき点はあるな。

 だが、まだ利き腕の左の二本は健在だ。
 今度は私の持ちうる能力を総動員させ、全身全霊の最高速度で以(もっ)て一駆けするか。

 奴等め、私が最早、手負いの半死半生の深傷にあり、と油断しているな?

 よし。

 そうとなれば、このままこの場にて、無様に惨めったらしく弱ったフリの擬態(ぎたい)に身を窶(やつ)しておれば、きっとあの者等のうちの何者かが、必ず私に止めを刺そうと歩み来る筈……。

 そうだ、今度はその油断に乗じて、その者を切り裂いてくれる!!

 そこで、もし、あの恐ろしく素早い餓鬼の女が来たとしても、この傷口に力を入れ、そこから一気に血液と組織液と噴射させて浴びせ掛け、怯(ひる)んだところを、先ずは足首を斬り、つんのめったところを右の脾腹(ひばら)から逆袈裟にて引き裂いてくれるわ!!

 さぁ来い!!さぁ来い!!

 ……………………。

 ん?

 な、なんだ?この短い剣はなんなのだ?
 い、いつから左手で掴んでいた?

 …………この分厚い剣は、なんだ?
 私のじゃないぞ!?

 この紫の握りに、少し彫金細工のある護拳(ナックルガード)…………。


 んんっ!?な、何だか左の首筋がひきつるような……い、痛たたたたた!!
 そんなに押すなってー!!

 なんだ!
 ?つ、冷たい何かが、は、入ってくる!!?)

 古代妖魔が、左の首の根に、むず痒いような、冷たい圧迫を感じて、ふと顔を上げると、そこには黄色く燃えるような宝石が見えた。

 そして、いよいよ激痛となってゆく首元の痛みに顔を歪めると、プシーッ!!と音がして、左の眼に何か生温かいものがかかって、その視野は暗く覆われてしまった……。

 それに戦慄・混乱しながらも、残りの右の眼を凝らして、よくよく眼前を見れば、その宝石に見えた二つとは、爛々(らんらん)と輝く獣じみた瞳であり、その生き物は深紫のマスクを鼻筋まで上げ、眉の辺りで真横水平に切り揃えた漆黒の髪の女であった。

 それは、こちらを無表情で見下ろしていた。

 これを俯瞰(ふかん)で見守るマリーナは、ポカンと口を開け
 「あれ!?ちょっとちょっと!!ユリアッ!!アレ見てよ!!
 あそこ!あそこ!あそこに立って、あの人斬り変態ヤローの首んとこにダガー(大型短剣)をブッ込んでるのは誰だい?」
 親友であるはずの東洋的スレンダー美女を指差して言った。

 ユリアも小さな人差し指を唇の上に乗せ、怪訝なソバカス顔を傾(かたむ)け
 「えっ!?なんですかー?
 えーっ!?あの人誰ですか!?私は知りません!
 あのレザーアーマーの軽装からすると、盗賊(シーフ)さんですかねー?
 一体いつ、何処から入ってきたんでしょう?
 うわっ!!結構残忍な性格の人みたいですー!!?
 もうダガーを刺すだけじゃなくて、体重をかけて、グリグリとこねくり回してますよー!!
 あーあ!あれ、なんだかもう古代妖魔が可哀想になってきましたよー!
 いきなり現れて、本当に無茶するなーあの人」
 ユリアの鳶(とび)色の瞳には、仰(あお)向く邪神兵に足をかけ、右手のダガーをその首筋に容赦なく押し込み、そこを抉(えぐ)る女アサシンが映っていた。

 アンとビスも、その見知らぬはずもない人物を見詰めていたが、その褐色の姉が
 「あ、あの人、何だか怖い!
 わ、私の中の狼犬の血が騒いでいるのが分かる!!
 どうしたの!?何!?一体、何に怯(おび)えているの!!?」
 と、なんとも言えない畏(おそれ)れに囚(とら)われ、戦慄する我が身を抱いた。

 その妹も同様に怯え、ブルーグレイの瞳の瞳孔を円くして
 「な、なんなの!?あの女性!?この都の自警団の団員か何か!?
 でも、あ、あの綺麗な人を見てると、なんだか……胸が高鳴る。
 えっ!?なにこれ!?
 か、勝手に、勝手に獣人深化していくよ!ま、まさか、あの人に促(うなが)されてる!!?
 まさか!?そ、そんな事って…………」
 己の左の手の先。その爪が揃って勝手に、ズオーッと伸びて来るのを見ながら、その怪異に戦慄(わなな)いた。

 ドラクロワも、この女アサシンらしき者を眺めながら
 「ウム。あの女。勝手に現れて、こちらに何の挨拶・断りもなく邪神兵に刃を突き立ておって。
 あれではもう、古代妖魔はもはや死に体ではないか。
 ウム。カミラーよ。少し、おかしな事を言うぞ?
 あれに見える闖入(ちんにゅう)の女だが。なにか不思議と見覚えがあるような気がせんか?」

 小さな白い手の先を神経質気味に嗅いでいたカミラーも
 「はっ。私も同様に感じておりました。あの襟の高い紫に染めた革鎧、高く結った黒髪……確かに何者かは判然といたしませぬが、何処となく見知った者のような、そんな不可思議なる既知感を覚えまする。
 ん?シャ、シャム?シャナ?シャオ?」

 ピンクの前髪の小さな額を指で押さえていると、突然、カミラーの脳裏に湧いてきた、何かの名称らしきモノが、その口をついて飛び出して来た。

 

 少し前…………。

 右肩の切断面から止めどなく流れる蛍光緑の体液にまみれながら、もんどり打っていた古代妖魔は、絶叫を迸(ほとばし)らせつつ、腕を切り落とされたことから来る、想像を絶する激烈なる苦痛に身を捩(よじ)っていた。

 その凄惨なる場に歩み寄ろうとする者が居た。
 
 それは鋼鉄の板金脛当(すねあ)てまでもを深紅にカラーリングした、戦闘用のロングブーツで茶の絨毯(じゅうたん)を踏みしめる女戦士であった。

 「さーて、この人斬り変態ヤロー、どうする?
 古代妖魔ってーくらいだからさ、そのうち、スッと起き上がって、ズルルッ!!て新しい手を生やして、へーぜんと襲いかかって来そうだよー?
 どーする?サックリとトドメ刺しとくかい?」
 フォンと空を斬って、肩に担いでいた剛刀を正眼に構え、ピタリとそこに固定した。

 それを見ていたドラクロワは、もはや邪神の兵士には興味を失ったようで
 「好きにしろ」
 と、身勝手にそれとの関わりを断絶した。

 カミラーは思案顔であったが、直ぐに何度かうなずき
 「そうじゃな。もしもそいつが、そいつなりの"神速"とやらで攻め来たとして、それを受け止め、返り討ちに出来るのは、この中ではドラクロワ様とわらわを除けば、お前くらいのもんじゃろ。
 無論、わらわは臭いので遠慮する。
 となれば無駄乳よ、早(はよ)う楽にしてやれ」
 右手を、シッシッ!と振りながら指示した。

 マリーナは油断なく大剣を構え、その柄(つか)を両掌で握り直し
 「だよねー。コイツがカミラーより遅いってことはさ、本気のアタシなら見切れないってこたぁないよねぇー。
 んじゃ、手負いの何とかじゃないけど、鼬(いたち)の最後っ屁みたいなのをかまされないよーに、一応、警戒するとして、」
 この女らしくもなく、慎重に歩を進めつつ、緑の湿地帯へと赴(おもむ)こうとしたその時。

 「マリーナ、待ってくれ。
 私が見たところ、あの邪神兵には、未だ力を残している気配がある。
 だが、今、正に警戒をして、臨戦態勢にあるお前であるならば、奴から不意打ちを食らうことも、討ち損じる事もないだろう。
 それは、過去のお前の戦績を思い起こせば、直ぐに分かることだ。
 だが、ユリアとお前には覚えがないのかも知れんが、私はつい最近、ある偉大なる存在達の浸(ひた)る水に触れていてな、それにより以前より更に、法力と能力とを増進させられた気がしているのだ。
 そこで、過去の伝承において、この星の生物を十分の一にまで減らしたといわれる、生ける災厄とまで謳(うた)われた、この邪神の兵士相手にそれが何処まで通用するのかやってみたいのだ。
 我が親友のマリーナ。勝手を言ってすまんが、ここは私に任せてはもらえないか?」
 そう言うシャンの声は、いつもと何ら変わらず穏やかであり、無理強(むりじ)いするような響きは微塵も感じられなかった。

 マリーナは素直に構えを解いて、斬馬刀のような愛剣を背に納刀し
 「ん、いーよいーよ。何だかよく分かんないけど、アンタの頼みなら、アタシャ四の五のなしさー。
 まぁアタシなんかより数段賢いアンタのこったからさ、コイツはいらぬお世話かも知んないけどー。
 あの変態ヤロー。今んとこは、ヒーヒー言ってっけどさ、ホントはあれ、芝居だったりするかもしんないから、油断して心臓に穴を開けられないように、イチオーは気を付けなよ?」
 と、邪神軍随一の神速を自負する獲物を譲ってやる事にした。

 シャンは深々とうなずき、先に手から弾かれた、三枚刃のケルベロスダガーの二振りを拾って左右の腰に帯び
 「マリーナ、忠告をありがとう。私は決して油断はしないと、今ここに誓う。
 では、これより私は、七大女神様達の領域に触れたことにより、これまでにないほどの純粋なる虚無・空となるだろう。
 皆、暫(しば)しの別れだ」

 確かに、この多重構造からなる世界のかなりの上層階にて、謎の金色の泉に足を踏み入れた結果、飛躍的に亢進(こうしん)させられたシャンの能力は凄まじかった。

 それは、ほんの数瞬とはいえ、シャンという存在を完全なる虚無・空とならせ、この無数なる多重世界の何処と言わず、それら総(すべ)ての現在、また"過去"からさえも全く消え失せさせたのである。

 ゆえに、この虚無の乙女シャンは、人の"過去"の記録である、その記憶からさえも完全に消失してみせたのであった。

 そうして、彼女は音もなく標的へと歩み、邪神兵の反応を見るためか、右の腰から鞘ごとダガーを取り、その漆黒の剛毛の繁茂する胸元へと放って投げ、それをしっかりと受け止めたのを認め、古代妖魔に投擲(とうてき)物を咄嗟(とっさ)に受け取める程に意識があり、超絶危険生物としての"反撃の力"あること、そして、苦痛に身を捩(よじ)るこの姿が、正しく擬態(ぎたい)であることを見破ったのである。

 そうして、気配があるとか、ないとかそういったレベルからは逸脱し、正に"無"となって、今話の冒頭へと帰るのであった。


 
 そうして、虚無状態を解除した女アサシンを見ていた女戦士の瞳は潤んで輝き、その全身には粟(あわ)を立てて、矢も盾も堪(たま)らずこう叫んだ。

 「そーだ!!そーだよ!!そーだよ!!
 シャンだよ!!アイツはアタシの親友で!そんでそんで!いつでもどこでも、スッゴく頼りになるスゴいヤツ!!
 そうさ!!アイツの名前はシャン!!
 忘れるもんかー!!おかえりー!シャーン!!」

 シャンは蛍光緑の返り血にまみれた、凄絶に陰惨なる顔ながら、そこの上質なトパーズみたいな、魂ごと吸い込まれそうな輝きを放つ瞳で笑い

 「ただいま」

 と、短く言ったという。
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