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118話 エルフの恩返し

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 結局のところマリーナは、世界の大改変をさえ天秤にかけた、あれほどまでに恋い焦がれ、切願した"天上の大ご馳走"を、本当にもう後一歩のところで味わい逃したのであった。

 当然、この女戦士は苦悶に身を焦がすがごとく、正しく懊悩(Oh no!!)するようにして、とうに元通りの成人サイズに戻った、金髪を高く結った頭を抱え
 「ぐあおーーーっ!!そそそそそそ、そっりゃないよぉー!!!」
 と、神仏を呪うがごとき遺恨(いこん)の大火山となり、その天を衝(つ)くような爆発的大噴火である、荒ぶる咆哮(ほうこう)を炸裂させるところであった。

 が、そのすんでのところで、この女らしくもなく、試奏用の座席に座した親友のシャンが膝上に乗せた、彼(か)のブラキオシリーズ、そのトゲまみれの紫色の禍々しい馬頭琴に目を留め、それに張られた二本の弦と、その直下の指板とが紅く染まっていることに気付き
 「ああっ!シャンッ!ア、アンタ大丈夫かい!?
 うっわぁっ!!指のマメが潰れて、血が出てるじゃあないか!?
 ちょっとユリア!コリャ大変だよっ!シャンの手先に神聖治療魔法を頼めるかい!?
 シャン!!ア、アンタってば……。こ、こんなになるまで、メチャクチャガンバって弾いててくれたんだねぇ……。
 ウーン、コリャ、スッゴク痛かっただろうねぇー?
 ホント、アタシなんかの為にこんなになるまでやらせちまって、わ、悪かったねぇー」
 ズカズカと女アサシンに駆け寄り、まさに腫(は)れ物に触るようにして、その血に染まった左手をとって、弦で擦(こす)れて皮膚の破れた指先をしげしげと見つめ、その痛みに共感するようにして、さも済まなそうに顔をしかめた。

 だが、卓越した弦楽器奏者であるシャンは、その血マメの弾けた手を緩(ゆる)く握って、頭(かぶり)を真横に振って、眉の所で横一直線にカットされた前髪を揺らし
 「フフフ……気にするな。これは何もお前達のせいじゃないんだ。
 私も、ブラキオの放つ、この世ならざる甘美なる音色と響きとに酔いしれ、つい夢中になっていてな。気付いたらこのザマだ。
 ユリア、悪いが詠唱を止めてくれ、これには治療魔法は要らないんだ。
 本来、弦楽器の演奏とは、こうして血マメを作っては潰し、作っては潰しを繰り返し、固い指先を作らねばならないんだ。
 フフフ……最近はアサシンナイフばかり握っていたから、タコが出来る部分が微妙に違ってな。
 だから、お前の唱える優れた神聖治療魔法でもって、弦楽器から遠ざかっていた、ここ最近の柔らかな指先に戻してくれたとしても、それはそれで、ドラクロワの前で演奏したとき、またまっさらな血マメが生じて、それが摩滅(まめつ)し、再度出血してしまうだけなんだ。
 今一時は苦痛だが、これを越えなければ、それらしい手にならないんだ。ありがとう」
 仄赤い灯火にもハッキリとした血の朱(あか)を目の当たりにし、思わず心配そうな顔になった仲間達に、今は奏者としての通過儀礼の時であり、手出し無用が一番であることを穏やかに告げた。

 そして、腰を折って身を屈める半裸の十二頭身を見上げ
 「それより、マリーナ。お前の悲願は首尾よく果たせたのか?
 私としては、こんなかすり傷より、そちらの方が余程気掛かりだ。
 なにしろ世界を改変する程に、絶大な魔力を発動するこのブラキオの使用は、正真正銘さっきの一回で終焉(おわり)にし、固く封印しておいた方がよいだろうからな。
 フフフ……だが、危険と言えば、初めの一度目さえも、私がブラキオに認められる事と、この凄絶なる超魔的作用とが予見出来ていれば、決して手を出さなかっただろうがな。
 ん?どうした皆。まさか、飛んだ先で、なにか重大な不手際でもあったか?
 それとも、世界を大改悪しそうな、恐るべき事象に関わったか……?
 どうした?何があったか詳しく聞かせろ」

 これにマリーナはひきつった笑みを見せ、ユリア、アンとビスは若干うつむき、とても気まずそうな、ばつの悪そうな顔となって、返答を口ごもっていた。

 だが、先の自分達の行動は、どう転んでももはや取り返しのつかない、正しく不可逆的なものであり、決して任務の完遂とは成らず、不面目な結果になったとはいえ、よくよく考えてみれば、所詮(しょせん)は只の"ご馳走の食べ逃し"か、と開き直って、急に馬鹿馬鹿しくなった来た。

 そして、奇妙な因縁を感じずにはいられない、過去での魔戦将軍カミラーとの出会いと、然(しか)る後のそれの撃退劇の顛末(てんまつ)とを、身振り手振りを交えつつ、面白おかしくも要領よく説明したのである。

 マリーナは父親そっくりに、金髪の頭を、ガシガシと掻き回し
 「んん。ってー感じかなぁ?血マメ潰してまで、トコトンやってくれたアンタにゃ悪(わり)いんだけどさー、結局、ご馳走は一口も食べられなかったんだよねー。
 フムゥ……。まぁ若い頃の親父に会えたし、バリバリ魔戦将軍の頃のカミラーと剣を交えて、ちょっとだけアタシの腕も試せたし、そうそう悪いことばっかでもなかったけどねぇ。
 それにしても……いっやぁー喰いたかったなぁー!あのごちそう……」
 此度(こたび)の時間旅行により、悔恨がより鮮烈なる悔恨として上書きされ、逃した魚を白鯨(はくげい)にしただけの女戦士は、両の深紅の指ぬきグローブで、身体の割りに小さな頭を抱えた。

 シャンは紫の貫頭型のマスクの面(おもて)を波立て
 「フフフ……まぁ、それはそれで良かったんじゃないか?
 その分なら、どうやらその宴で人死にはおろか、怪我人も出なかったようだし、ご馳走ならば、我々、親しい友と呼べる仲間達と一緒に、これから幾らでも満喫出来るだろ?
 となれば早速、このブラキオシリーズとの類い稀なる邂逅(かいこう)と、時空を越えた先でのお前達の大活劇とを祝って、昼酒でもやりに行くか?
 ユリア、済まんが探知魔法を頼む」

 こうして、伝説の超魔導楽器、ブラキオの馬頭琴による、世にも稀有(けう)な一時の冒険を楽しんだ女勇者達と、その従者二名の一行が、地上へと続く螺旋階段に向かおうとしたその時。

 「お客様達、どうかお待ち下さい!!」
 それを止(とど)める男の声が降りてきた。

 それを放ったのは、この「ダゴンの巣窟」の店主、オーズ=ソルバルウであり、最愛の人、レイラを引き連れて、殆(ほとん)ど転がり降りるようにして、高級木材の滑らかな螺旋階段を下って来た。

 「お、お客様達は、も、もうお帰りですか!?
 どうかその前に私達に恩返しをさせて下さい!!
 このまま手ぶらでお帰りあそばれては、私の気持ちが済みません!!」
 世界の改変の余波により気分を悪くし、朦朧としていたオーズだったが、どうやらそれも治(おさ)まり、スッカリ統合・快復したようで、女勇者達の前にその細身を投げ出さんばかりにして崩れ、そこに諸手(もろて)をついて、長く尖った耳の頭を垂れた。

 ユリアは、その緑の長髪で床掃除を始めたエルフに歩み寄り、スッと腰を落として
 「オーズさん。どうか頭を上げて下さい。
 何て言うかその、私達も最初からオーズさん達を助けようと思ってた訳じゃなかったんです。
 だから恩返しとか、そんな事は気にしないで、これからもレイラさんと末長く、幸せに暮らして下さい」
 畏(かしこ)まるエルフのオーズを見下ろしながら、温かな眼でその夫人とを見遣(みや)って言った。

 しかし、オーズは尚も首を横に振って
 「いいえっ!私もこの地方では其(それ)なりに名の知れた商人にございます。
 ですから、大恩ある皆様をこのままお帰ししたとあっては、その名も廃(すた)れるというもの。
 それに……それに皆様がここに現れるこの日を80年待ち続けた私の気持ちも、どうかお汲(く)み下さい!
 そうです!どうか、せめてそこの"ブラキオ"をお持ちになって下さい。
 そして、取り返しのつかない過去に呪われ、今も尚、それに苛(さいな)まされ続ける悲しき者達の魂をお救い下さいますよう、何卒お頼み申し上げますっ!!」
 図らずとも、シャンが血で汚した魔性の馬頭琴を手で差した。

 しかし、今度はシャンが首を横に振る番であった。
 
 「店主よ、有り難う。これよりはこのブラキオ、我が一族の至宝とし、何よりも大切にすると誓う。
 と、言いたいところだが、悪いがそれは固辞(こじ)したい。
 確かに、全ての奏者にとり、ブラキオシリーズの楽器を手に出来るというのは、類い稀を遥かに越えた、超絶的な奇跡に等しく、しかも、それを譲り受けることなどというのは夢の中の夢であるかのような、とても筆舌には著せないほど奇なる僥倖(ぎょうこう)だ。
 だがあの楽器は、いや、あの超越的魔導器は、このまま誰の手に渡ることもなく、この保管庫で時の果てるまで眠っていた方がよいように思う。
 その理由とは、言うまでもなく世界改変の能力にあり、その超魔力を体験した店主殿なら分かる筈(はず)。
 だから、私は最初に試させてもらった馬頭琴二本の内のいずれかを購入しようと思う」
 骨董の品質保持のための特殊な赤い光を浴びる、専用器具によって屹立(きつりつ)する、美しい仕上げの二本の馬頭琴を、上質なトパーズみたいな瞳に映した。

 オーズは世界の救世主を失ったような、未だ得心のいかない苦悩する顔ではあったが、ブラキオの持つ諸刃の刃の危険面に想いを馳(は)せ、その端正な顔は、感傷・激情から徐々に論理的思考を巡らせる、聡明・知的なモノへと変わっていった。

 「た、確かに、お客様の仰有られる通りかも知れません。
 すっかり取り乱してしまして、申し訳ございませんでした……。
 で、ではせめて、このようなガラクタばかりの店(たな)ではございますが、もしも皆様のお目に叶う物が有りましたら、ご遠慮なくなんなりと、お好きな商品をお好きなだけお持ち下さい。
 勿論、お代などは結構です!!」

 この太っ腹で豪胆なる言葉に、女勇者達とその従者等は顔を見合わせ、一瞬、喜色めいた色を浮かべたが、よくよく考えてみれば、彼女等には、この星の統治者がスポンサーとしてついており、生憎、金には不自由していなかったことを思い出した。

 だが、ここでマリーナが何かに気付いたような顔になり
 「そういえばさー、そもそもアタシ達がここに来たのって、無敵のドラクロワに赤っ恥をかかせるのに使う楽器とか、絵の道具なんかを買いに来たんだよねぇ?
 そりゃ、そーゆのはここでスンゴイのが揃うだろうし、アイツのやり込められた顔も見たいよ。けど……。
 けど、なんだかさー、カンペキアイツの勝手な勘違いなんだけど、それでも、あんなにビックリパーティーを楽しみにしてるの見てさ、ちょっとカワイソーになってきたよー。
 今からじゃパーティーは無理にしても、なんかアイツが喜びそーな、いい感じのプレゼントだけでも買って帰ってやろうよ?
 でもま、それもアイツの金で買うんだから何とも言えないんだけどさ……」

 このマリーナの呟(つぶや)きは、女勇者達にとって、とても素敵な提案に聴こえたらしく
 「皆様には、他にお仲間がいらっしゃるのですか?」
 と賢(さか)しくも、悪くない見当を付けて訊(たず)ねる豪商を余所(よそ)に、一同は大賛成となり、早速、代理格闘遊戯の覇者となったドラクロワへの祝いの品を購入することとなった。

 オーズは(これだ!!)とランプの魔神のごとく、ギンッ!とオレンジの瞳を輝かせると
 「では、何か特別な祝いのお品をお探しにございますね!?
 それならば是非とも、この地にて永きに渡り商いをして参りました、この不肖(ふしょう)私、オーズ=ソルバルウめに御一任下さい!!
 きっと心より喜んでいただける、第一等級の商品を選ばせていただきます!!
 では、失礼ですが……先方の性別、ご趣味と嗜好、ご性質等を頂戴出来ますでしょうか?
 えぇえぇ……ふむふむ……。んん、なにより葡萄酒に目のないお方で……誉め言葉に滅法(めっぽう)弱い……と。
 フフフ……ございます!!それならば、このお方にピッタリのお品がございます!!
 では、直ぐに準備致します!
 レイラ!悪いが、お客様達に最高級のお茶を出しておくれ!!
 とっておきの茶葉の場所はだな、なに?知ってる?そうか……そうだな!
 では、早速頼まれてくれっ!!」
 
 こうして「ダゴンの巣窟」の店主は全身に粟(あわ)を立てつつ、店内を駆け巡る疾風となり、正しく水を得た魚のごとく、その才気と手腕を振るったという。

 そしてややあって、女勇者達とその従者等は幾つかの品々を抱え、ユリアの魔法杖の先に灯(とも)った、人物探知魔法の光に導かれつつ、城郭のごとき「ダゴンの巣窟」を後にしたという。


 さて、その"第一等級の品々"とは、この星の統治者たる、彼(か)の魔王ドラクロワを喜ばせるに足るモノなのであろうか?
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