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86話 こういうのって、割りと女の子の方が

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 マリーナの目の前からは、ちょっとした城塞都市のバリケードめいた、空(から)の木製エールジョッキ群が、キビキビ・テキパキとした動きの給仕の婦人によって、実に手際よく下げられてゆく。

 まだまだ満ち足りぬ、底無しの胃を持つ女戦士は、それがすっかり去ってゆく前に、なぜかキリリとした顔を作り、すかさず
 「あの、忙しーとこ悪いんだけどさ、これの黒いのをもう一杯とー。
 えー、それと何か豚の腸詰めみたいなのの香草風味のヤツ?なんかそんなのがあったらサイッコーなんだけど。ないよね?
 えっ?あるのかい!?アハッ!嬉しいねー!
 うんうん、じゃさ、それを一皿頼まれてくれるかい!?
 あっ!粒マスタードも多目で頼むよ!?」
 そう言ってオーダーを済ませると、嬉々として新たなナイフ・フォークを握って、その尻でテーブルをコツコツやり出した。

 宴もたけなわの今時分、夜も更け、"草木も眠る丑三つ時"とまではいかないが、連れてきた子供がグズり出した家族連れの客達などはすっかりと消えた頃であった。

 ロマノの指示により、アンがそれとなく、段階的にアルコール中和効果のある神聖魔法をかけたので、一切の自覚なく、酒乱の凶獣ユリアは、人畜無害な"甘党ユリア"へと見事クラスチェンジを果たしていた。

 このソバカスの女魔法使いは、生クリーム満載の紅茶味のシフォンケーキ、蜂蜜入りのアップルジュースに舌鼓を打ち、幸せそうな笑顔でウットリとしていた。

 だが唐突に、その僅(わず)かに垂れた大きな眼は、何やら自信に満ちたような色彩を放ち始め
 「オホン!えーと、じゃあ心当たりといえば、コレ私の体験談なんですけど、子供の頃から友達の誰に話しても間っ違いなく、ヒッー!と怖がってもらえる、王都正騎士団の紋章盾と同じくらい、ガッチガチに硬い話がありますから、先ずはそれから話しても良いですかね?
 でも、"怖い話"といっても、怨霊や死霊の出てくる話なんかは、冒険者の体験談とかでも決して珍しくはないですし、元不死軍団の指揮者カミラーさんも居るので、そういう類いのものじゃないのを話しますねー」
 そう言って、顔の両端に下がった二つの三つ編みを耳の後ろへと流しつつ、仲間達の顔を見回した。

 この勿体(もったい)をつける独特の雰囲気から察するに、これから興(きょう)される話というのは、どうやら彼女の中では相当に自信のあるネタらしい。

 自然と皆の期待も高まる。

 しかし、と言うか、やはりゴージャスなピンクの盛り髪のカミラーは怪訝な顔になり、左手の曲げた小さな人差し指を顎にあて
 「怖い話とな?しかも、この元魔戦将軍のわらわまで恐怖させる程のモノ、か……。
 ユリア、それほどまでに申すのなら、それはそれは、そこらにありふれた、退屈でありきたりな話ではなかろうの?
 もしも、わらわをガッカリさせるようなつまらぬ話じゃったら、その三つ編みの二房(ふたふさ)、只では済まぬぞえ?」

 魔王用の葡萄酒の瓶を左腕に抱え、右手の先の鋭利な真珠色の長い爪を、グッと見せ付けるようにして前に構え、何かを捕らえるような形にした。

 ユリアは目を見開き、三つ編みを両手で覆って
 「えっ?確かに、この話にはちょっと自信がありますけど、つまらなかったからって酷いことはしないで下さいよー。
 じゃあカミラーさーん。逆に、私の話を聴いて、少しでも怖そうにしたら、カミラーさんの苦手なニンニクのお料理、ニンニク山盛り二倍増しで食べてもらいますからね?なーんて!」
 眉を上げつつの細目、その小憎らしい得意気な顔で短い腕を組み、女バンパイアを見下ろした。

 当然カミラーは「なんじゃとー?」となる。

 流石にマリーナが心配そうな顔になり、飲みかけの黒エールのジョッキを置き、ユリアのサフラン色の薄い肩に深紅のグローブの手を乗せ
 「ちょ、ちょっとユリア。アンタさ、そんなによゆーの啖呵(たんか)切っちまって大丈夫なのかい?
 この婆さんさー、あんまし冗談通じないよー?」
 
 ドラクロワは、ライフル銃の弾丸みたいな、剣歯虎(サーベルタイガー)のごとき牙を剥くカミラーの腕から葡萄酒の瓶を抜き取り、紫の親指の爪でその先端を刺して栓を抜き
 「ウム、それほどまでに自信がある話なら 是非とも聴きたくなった。
 ユリアよ。では、前置きはそれくらいにして、早く始めろ」
 相変わらずの冷たい美貌で隠してはいるが、この男にしては珍しく、ユリアの話そうとしている内容に、正しく興味津々といった感じであった。

 さて、愛らしく小柄な語り手は、ベージュ色のアップルジュースで少し口を湿らせ、わざとらしい咳を一つして、世にも恐ろしい物語を紡(つむ)ぎ始めたのである。


 「はい、では早速。えーと、前もって言っておきますが、今から話す話は脚色などは一切なく、断じて作り話ではありませんことを宣しておきますねー。

 それは……私がまだ幼く、魔術師ギルドのお師匠様の所へと預けられるよりも前の事です。

 ある日、私の父親が幼少の頃より得意とした魚釣りの腕前を私に見せようと、この街に程近い、フログダーの沼にピクニックに行こうと言い出したんです。

 私は当時飼っていた、ヒヨコの竜巻ピーちゃんを観察して、その生態の細かな記録をつけたり、絵本の代わりに魔法書等を読んだり、と、どちらかというとあまり家から出ない、とても大人しい子供だったので、比較的近場とはいえ、沼なんかは初めてでして、少し不安を感じながらも、その提案にとても喜んだのを覚えています。

 今思えば、これこそが悲劇の始まりでした。
 ですが、七大女神様達でもなく、只の人の身の私達家族には、その先の運命を見通す力などあろうはずもなく、あの恐怖を避けることなど出来なかったのです……。
 なーんて!

 で、沼に出かける日の朝、母が早起きして作ってくれた、"新鮮"で、とっても美味しそうなハムタマゴのサンドイッチと果物サラダを持参して、その日のお昼頃かな?
 家族三人で沼へと出かけました。

 そのフログダーの沼というのは、深い森に囲まれた、とても大きな湖のような所で、水草の揺れる水は透明度が高く、とってもキレイで、沼の真ん中の深いところは何ともいえない、神秘的な緑色になっていたのが印象的で、今でもハッキリと覚えています。

 季節は春で、森の草木を揺らす凉風も爽やかで、陽射しも暖かく、水面にはキラキラとそれが反射していて、沼を泳ぐ小魚達が時折、銀色のお腹を煌(きら)めかせていました。

 早速、父は釣り竿を取りだし、針に餌を付け、浮きを投げて釣りを始めたのです。

 私は、一体どんな魚が釣れるのかとても興味を惹かれ、普段見ることのない父の水際だった滑らかな手元の竿さばきに夢中でした。

 確かー、私の少し後ろでは、母が草の上に敷物を敷いて、楽しみにしていたお弁当を広げ、サンドイッチとサラダを並べていたと思います。

 そういえば、その時の母は、大きな麦わら帽子を風に飛ばされたようで慌てていましたっけ。

 一方の父ですが、手首を反(かえ)して投げた糸が湖面に沈み、その浮きが浮かぶのを待たずして、その竿が、ギューッとしなっていました。

 そして直ぐに一匹、このナイフくらいの川魚が釣れ、生命力に満ち溢れた銀色の活(い)きた姿を見せてくれました。

 私は生きた魚を見るのは初めてで、とても興奮したのを覚えています。
 
 それから、その一匹を皮切りに、魚はドンドンと釣れ、それは正しく大漁でした。
 父の魚籠(びく)は、あっという間に新鮮な魚の大小で一杯になりました。

 こうして見事、面目躍如(めんもくやくじょ)、愛する家族に釣りの腕前を見せ付け、その素晴らしい釣果に惚れ惚れとし、最初こそ喜んでいた父、そして私でした。

 ですが、その異常ともいえる、えーと、入れ食い状態?っていうんですか?
 もう餌の針が水面に着く前に、水中の魚の方から、争ってそれに跳んでは食い付き、まるで自分から針に掛かりに来るかのような、何て言うか……本当に気味が悪いくらいの釣れ方でした……。

 これには父の方でも少し顔を青くして、竿を立てて、針をその柄の先に刺して納め、バシャバシャと無数の魚の跳ねる沼から後退(あとずさ)りしていましたね。


 そうこうしていると、木々が囲む空からゴロゴロゴロ……と嫌な音が轟いてきて、さっきまでの春らしい快晴がまるで嘘のように、ポツ、ポツポツと、小さな雨粒が落ちて来ました。

 でも、そこは大きな樹に囲まれた場所だったので、頭上で生い茂る枝葉が天然の外套(がいとう)になってくれて、私達は何とか濡れずに済みました。

 しかし、父はこの一種不吉ともいえる、度の過ぎた不気味なほどの大漁に戸惑い、血の気の失せた顔で、静かにサンドイッチを頬張っていました。

 幸い、このにわか雨の雨足はそれ以上は強まることはなく、真っ黒な暗雲が空を覆い尽くし、さながら夕暮れのような暗さではありましたが、慌てて帰り支度をするほどでもなかったので、みんなで無数の波紋の広がる湖面を、こう、ぼんやりと眺めていました。

 その時です。その場に一陣の生温かい風が吹き、突然何かが腐ったような、まさに吐き気を催(もよお)すような臭気が鼻を突きました。

 私達家族は、まるで三匹の犬みたいに、クンクンと辺りを嗅ぎました。

 その臭(にお)いというのは、父の魚籠の魚が放つものではないようです。
 うん、それは明らかに魚臭さとは違いましたね。

 どうやら、その臭いの元はかなり近いようです。
 
 私は、その噎(む)せ返るような臭気に気分が悪くなり、すっかり食欲も失せたので、何気なく、手にしていた食べかけのサンドイッチを見ました。

 すると、なんとそのサンドイッチは、緑の絵の具で雑に塗ったくったように、ドロリと汚ならしく苔(こけ)色に染まっており、あろうことか、そのパンの間からは無数の蛆(うじ)が覗(のぞ)き、モロモロ、ワラワラと外側へと溢れ出て来ていたのです!

 私も母も悲鳴を上げてそれを投げ捨て、立ち上がって、半狂乱で白いモノの蠢(うごめ)く腕と膝を叩(はた)きました。

 そして見れば、果物サラダにも、こんなに大きなナメクジと絡み合うミミズとが集(たか)っていて、全体にズルズルと溶け崩れたように黄色く変色していて、とても臭(くさ)い匂いがしていました。

 でも、そのサンドイッチもサラダも、その日の朝に母が作ったものなので、こんなに急に腐敗している訳はないのです。

 けれども、持参した食べ物はどれもこれも腐り切っていました。

 あ、マリーナさんゴメンなさい!まだ食べてましたね。

 しかし、不思議な出来事はこれで終わった訳ではないのです。
 またまだこれは私達家族を襲った、世にも恐ろしい未曾有の出来事、そのほんの序章でしかなかったのです……」 
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