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84話 願ったり叶ったり

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 コーサ=クイーンの放った死の宣告により、究極殺戮魔法"紫の顎門(しのあぎと)"が、銀の鱗と紫炎とを鮮麗絢爛(せんれいけんらん)に輝かせ、女勇者達に向かって無音で迫った。
 
 思えば、実際の死とか災厄というやつは、このように少しも足音を立てず、黙し、決して騒がず、実にスマートかつ、ただ正確に無力な者の命運を刈り取るものなのかも知れない。

 それに目を見開くユリア、その三つ編みの下がる側頭部。その左側に、それこそ何の前触れもなく、何か瑞々(みずみず)しい透き通ったものが立っており、小柄なミニスカートローブの女魔法賢者の耳元へと口を寄せ、まるで内緒話でもしているかのように見えた。

 その姿は、高い山地の小川にせせらぐ清流を汲み上げ、それをクリスタルで出来た裸身の女の型へと流し込んだような者だった。
 
 そのクリアな水流は、まるで命のある生き物のように、小さな白波を立ててつつ、極めて透明な外壁をもつ女の全身を駆け巡っており、都合、今現在は龍の紫に染まってはいるが、所々がプリズムのような虹色に輝いていた。

 それは正しく超幻想的存在であり、不思議な清らかさを帯びた女の形であった。

 この者こそ、この星の四大属性、その氷と水の化身、"水の精霊ウンディーネ"であり、ユリアはこれを"タチアナ"と呼んでいた。

 その背丈はシャン程であり、非常に均整のとれた美しい女の裸身のようなタチアナは、フル稼働中の自動食器洗浄機のごとき、清らかな水の逆巻く顔をユリアに寄せ
 「あぁらぁ、ユリアー。またまた随分とお久し振りねぇ。
 ホホホ。スラッと寸(すん)づまりの面白(おもちろ)ブチャイクのお嬢ちゃまは、元気してたー?それとも死んでたー?
 あららぁ?あれはー、あの炎の龍は何かしらー?
 脳味噌からっぽの暑苦しい炎の精霊(サラマンダー)とも違うみたいだし、一体全体なぁにかしらー?
 えっ?ま、さ、か、ユリアー。ワタクシを呼んだのってぇ、あの妙ちきりんな龍から身を守って欲しいとかぁ?
 いやん。もしかしてー、まさかしてー、そういうことかしらぁ?」

 この水の精霊は、この超危機的状況にはおよそ不釣り合いな、身勝手で横柄な態度が鼻につくが、安い上に料理と雰囲気が抜群に佳いため、悔しいけれど、なぜだかついつい通いつめてしまう、そんなほっこりとした、なじみの居酒屋の女将(おかみ)みたいな、万年低血圧の年増女のような声であった。

 ユリアはガクガクとうなずいて
 「そうそうそうそう!あの火炎魔法なんだけど、タチアナの氷の防炎壁で何とか出来ないかな!?
 というよりあのね!見てもらえば分かると思うんだけど、こんなに悠長に喋ってる場合じゃないんだよね!タチアナ!早く早くー!!」
 ユリアは魔法杖の先を、グングンと迫る炎龍に向けて、ブンブンと回し、早くして!とばかりにタチアナを促す。

 パチャパチャ、パシャパシャと音がしそうな、恐ろしく透明な人間ペットボトルは、さも面倒臭そうに腕を組んで
 「あぁらぁ?それが他の者に助力を求める言い方かしら?
 あのねえ、この際だからハーッキリ言わせてもらうけれど、このワタクシはロマノ様の僕であって、あなたに使役される覚えも、立場でもはないの、」

 ユリアは突然、その更年期の初期をむかえた年増女のような、不安定・不機嫌な水の精霊の頭を押さえ付けた。

 そう、無駄話をしている間に紫炎龍が襲いかかったのである。

 「キャーッ!!」
 流石に気丈に成長したユリアも叫んだ。

 目を閉じていても網膜を焼くような、痛いほど明るい猛烈な紫の光の炸裂、そして凄まじい熱波とが光の勇者団を襲う。

 ユリアの喚(よ)んだ水の精霊の魔法防壁(バリアー)に望みを託していたリウゴウ達神官等三名、そして女勇者達は、反炎属性(アンチファイア)のタチアナを中心に一塊となっており、その力に一縷(いちる)の望みを込め、あるものは仁王立ちし、そしてあるものは頭を覆ってその場にしゃがみ込んだ。


 ユリアは固く目を閉じ、両手で耳まで覆って、所謂、"走馬灯"というやつを見ていた。


 だが、その脳裡を駆け巡る映像の尖兵(とっこうたいちょう)は、両親に抱かれて、ホンギャー!ホンギャー!と泣く幼少の頃の自分ではなかった。

 ノイズが白い雨のように五月雨(さみだれ)落ちる、古風な幻灯機のスクリーンのごとき、外縁(がいえん)の燃え上がる脳内ディスプレイには、薄織りの下着姿で階段を登る、白い肌の女らしきもの。
 それを見上げるような光景が映り、その中央に裂け目のような深いスリットのある、背の光沢ある紫のマントの切れ目から覗く、段を登る度に、モリ、モリと左右に妖しく隆起する、正しく扇情的な白い尻が見えた。

 ユリアは堪らず、おえっ!と舌を出した。

 次に流れ込んできたものも、またもや同じ女らしきものであり、強い酒を飲んで赤くなった華奢な喉元がアップになり、次いでその下の谷間に黒子(ほくろ)のある、小さ過ぎず、大き過ぎず、絶妙にほどよく膨らんだ形のよい胸……と、なぜか師ロマノの淫らな狂態的肢体ばかりであったという。

 はぁっ!?なんで!?なんでこんなのばっかりなの!?
 
 これが、これが自分の短い人生の最期に想起されるモノか……と、ユリアは世の不条理というモノを感じ、極めて不快になり、そして絶望的に悲しくなった。

 しかし、そうして悪夢を観ている間にも、小柄な身を強(こわ)ばらせて予想・諦念・覚悟した、骨まで焼くような死の炎熱は一向に感じられなかった。

 ユリアは不審に思い、もしやタチアナの魔法防壁が間一髪で間に合い、自分達を絶対の死の淵より救い出してくれたのかと、恐る恐る垂れた片目を開いた。

 その、ぼやけつつもチカチカとする眼前には、全く透き通ることのない、白と紫とが彩り豊かに入り混ざった者が立っていた。

 「やぁだぁー、お久し振りですー!ちょっとユリア、もうこの手をどけなさいよ!
 それにしても相変わらず枯れることのないお美しさですわね!
 あぁ、貴方様が居らせられるということは、あぁ、ここはワイラーでしたのね?」

 乱暴に手を振り払われたユリアは、訳が分からず、目の前の白い肌の人物を見上げるしかなかった。

 それは淡い麝香(じゃこう)の香りを纏(まと)わせる、正しく先程の走馬灯(ナイトメア)に現れた、ユリアの魔術の師にして、元魔導大将軍、妖艶なる魔性の美貌、ロマノ=ゲンズブールその人であった。

 なお、弟子であるにも関わらず「ウフフ……そんなことどうでもいいでしょ?」と問われる度にはぐらかし続けた為、ユリアはこのゲンズブールの姓は知らない。

 さて、消し炭にされることはなかったようだが、どうやら激しい熱源は、まだ近い中空にあるらしく、ユリアの蜂蜜色の頭髪は熱を帯び、額(ひたい)が火照(ほて)っているのが分かったので、瞬きを繰り返してみると、その目蓋も眼球との温度差を感じるほどに熱かった。

 「お、お師匠様!なんでここに!?あっ!!」
 ユリアはゲンズブールの薄い肩ごしに、マリーナ達が指差す上を見上げて驚愕し、呆然となった。

 見れば、先程の死の紫炎龍が、どこか不自然な姿勢で上向き、流体金属的なメタリックな鱗、その銀の喉をこちらに見せているではないか。

 更に注意深く観察すると、あろうことか、その眩(まばゆ)い紫炎と銀色の渦巻く身体に酷似した、というより全く同質な、大きな、とてつもなく大きな、その鉤爪さえも燃え盛る焔(ほむら)である、どう見てもワニ、いや龍の腕にしか見えないものが、コーサの最終兵器を鷲掴みにしているのに気付いた。

 それはまるで、隙をついて子供の虫かごから飛び出し、叢(くさむら)へと逃げようとする蜥蜴(とかげ)を、その父親が無造作に捕らえて、掴んだような格好であった。

 そして、その巨掌の元を目で辿(たど)ると、その肘から上は急激に細まっており、この焔(ほむら)の巨腕と同じ形に握って掲げた、黒い、暗黒色の手甲へと繋がっていた。

 つまり、魔王ドラクロワが天井方向へと上げた前腕は螺旋型の紫の炎を纏(まと)っており、それは炎柱となって斜め上へと伸びつつ巨大化し、15メートルはあるコーサの紫炎龍を片手で握るほどの燃える水銀のような、紫炎渦巻く龍の巨腕となっていたのである。

 そうして、紫炎龍が女勇者達へ向かうのを、まさにすんでのところで捕らえて阻止し、その場に止(とど)めていたのであった。

 魔王ドラクロワは、さも退屈そうな顔で
 「ん?このトカゲ。俺の作った、この紫の顎門に似ておるな。
 ま、幾ら似ておっても、こんなチビ助では何の役にも立たんがな。
 ウム、少々暑苦しいので手早く潰しておくか」

 ドラクロワの掲げたガントレットの掌が固く握られると、それと連動して少しの遅延もなく、その掌だけで15メートルを遥かに越える紫炎の腕も、それと同じく完全な握り拳(こぶし)となった。

 となれば、すなわちコーサの切り札であった紫炎龍(チビ助)も握り潰される形になり、その首は、ガクリと空しく下へと垂れ下がり、その各部は急激に圧された銀色の風船のごとく破裂して、ドラクロワから伸びた巨大な掌の指の間から溢(こぼ)れ、燃える銀の水となって落ちたのである。

 そして直下の黄金砂漠に到達する前に、真横に、パウッ!と弾け、炸裂する真っ黒な煙となって、次々と消滅してゆく。

 黄金仮面は若い女の目で、呆然とそれを見上げていたが、直ぐにドラクロワの方に向き直り
 「こ、これは……この極大にして膨大な魔力は……。
 ドラクロワ様!?」

 ここで悪魔的に知能の高い黄金仮面は、瞬時に数千通りもの思索・考察、記憶媒体である額のエメラルドに接続しての比較検証、想定・推理を終らせたので。

 断じて「あのドラクロワ様が、なぜここに?」などとは言わなかった。

 ただ、静かに緑の僧服の襟元、袖口と丁寧に居ずまいを正し
 「では、もはや私の仕事はここまで、という事ですね?」
 と胸前で合掌し、そう厳(おごそ)かに述べただけであった。

 ドラクロワはそれを五秒ほど見つめ
 「コーサとやら、お前はえらく潔(いさぎよ)く素直だな。
 そうだ。確かに、ここワイラーでのお前の仕事は終わりだ。
 ウム、ひとまず腕のみを発現させた紫の顎門に、この俺の強大な魔力の一端を感じ、すっかり恐れをなしおったか……。
 だが、なにやらお前からは、いや、その安っぽい宝石と仮面からは尋常ならざる魔力を感じる。
 さてはお前、疑似生命体か何かだな?
 その昔、父がそういった人語を話す呪いの武具の一式を造ったとか、入手したとか、何やらそんなことを言っておったな。
 俺は初めて見るが……面白い。その内、城の倉庫にでも飾ってやるか。
 ウム、ではコーサとやら、その人間を解放しろ。そして少しの間眠っておれ」

 黄金仮面はドラクロワが自分の事を、その口で放った命令も含め、丸ごと失念していることなどは、充分に想定の範囲内であったので
 「かしこまりました。では宝物庫に戻れる日を一日千秋の想いで待つことと致します。
 では、このコーサ=クイーン。これにて失礼致します!」
 と恭しく頭を垂れると、ド、バサッ!と、大きな透明の吸盤でびっしりと埋め尽くされた仮面の裏側を見せ、そのまま黄金砂漠へと落下した。

 そして、それを追うようにして法衣姿の少女の身体が、正しく糸を切られた操り人形(マリオネット)のごとく、前のめりに倒れ伏したのである。 
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