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82話 諸悪の権化

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 その床は燃えるような、いや、実際に熱のない、くるぶし高の紫炎が揺れており、重々しい荘厳な間だった。

 その壁材は不明で、まるで銀の汗を噴いたように、全面に微細な珠の装飾の煌めく、美しい、万年雪のように白い壁だった。

 この白の間は、例えでも比喩でもなく、文字通り無限の奥行きをもっており、そのくせ幅は約七メートルぽっちで、中央には貴族の食卓のごとき長大なテーブルが置かれていた。

 その卓上には、銀の飾り燭台の真紅の蝋燭の灯が輝き、艶やかな乳白色の木材のエッジに紫水晶の枠がはめられたテーブルと揃って、まるで合わせ鏡の景色のごとく、先の視認が出来ないほど、無限に伸び連なっていた。

 そこに同じく、数え切れないほどに調(ととの)えられた、テーブルと揃いの格調高い椅子に座しているのは、11名の男女、らしき者達。

 この無限の会議机。そのこちら側は有限であり、豪奢な宝石類を星空のごとく散らした、大小の黒翼の重なるようなデザインの玉座じみた主なる席には、鎖骨辺りまでめくれた広い襟だけが、ハッとするほど真紅の黒衣に、美麗な黒ブーツのマント姿。

 バイオレットの長い頭髪を盛り花のごとく整えた、室の壁に負けないくらいに白き肌の貴公子が、色とりどりの宝石で飾った手の頬杖に、恐ろしく退屈そうな顔を乗せていた。

 その黙せる、血も凍るような美男子の左は、野生の獅子を無理矢理に人間らしい男の顔に整えたような、勇猛な佇まいの風格ある紳士だった。

 胸元に幾重にも鎖飾りの揺れる、内部に収納された筋肉群が、出口・行き場を求めて陳情を叫んでいるかのような、決壊破裂寸前の漆黒の軍服で座しており、唸るような顔で向かいの面々を睨んでいるように見えた。

 その獰猛な視線を受け流すかのように穏やかな顔で座しているのは、胸ぐりの大きく開いた、柔らかな薄織り生地を幾層にも重ね合わせた、燦爛(さんらん)華やかなオレンジ色のドレスの痩せ形の女。

 伊勢エビの頭部より複雑な、漆黒の壮麗な頭飾りと盛り髪も美しいこの女の顔は、やはりオレンジを主色とした、恐ろしく派手やかな化粧を施しており、両のこめかみに蜘蛛の複眼らしき、小さなオニキスのような眼が、決して規則的ではなく、適当に散らばるようにして五つづつあった。

 この二人以外の残りの者等は、縁(ふち)に銀の糸で流麗な刺繍を施した漆黒のローブ姿で、体格の大小は見てとれるものの、どれもこれも性別すら判別不能であり、皆一様に黒曜石で作った蝉の顔のような仮面をひっ被っていた。

 先ほどの女郎蜘蛛を思わせるのような、黒い眼の女がタメ息を吐き
 「ほっ。どうにもこうにも煮詰まりましたね。
 まとめますれば、既にこの星には脅威となるほどのものはありませんが、やはり神聖魔法だけは我等魔族に依然として有効で、悪条件が重なれば、ときとして致命的であり、いずれ人間族、亜人種達の高僧等が団結などして、神聖魔法の聖・魔導兵器などを造られると面倒だということ。
 そして、今、間違いなくその動きがあること。
 そこで、この過去最大級に高まった人間たちの最後の牙である、七大女神達の加護の顕(あらわ)れ、神聖魔法をどうやって根絶するか?
 でしたわね?アスタ様」
 向かいの獅子のような軍人に確認するように述べた。

 アスタと呼ばれた魔王軍の元帥は、茶色の長い髪のオールバック、両脇にたてがみのごとく広がる、雄々しい顎髭(あごひげ)という、あまりにワイルド過ぎる野性的美男の顔でうなずき
 「あぁ。今日の、いや、ここ最近の議題はそれで、論はそこから一歩たりとも動いていない。
 加えて、その聖・魔導兵器は、既に人間達の王都に中型砲台があるようだ。
 だが幸い、まだまだ実戦投入にはほど遠いらしいがな。
 ドラクロワ様。いかがいたしましょう?神聖魔法根絶の為、星の神殿をしらみ潰しに焼きますか?
 また、退聖属性を有する者達を募り、七大女神達の高僧・神官狩りをいたしましょうか?
 それとも……七大女神崇拝の座である、大陸キタークの王都と、その聖都とされるワイラーを攻城なされますか?
 誠に失礼ながら、魔王様。何やら議論がここに進む度に、何やらこう、王都を攻めたくないような……何と申しますか、不思議と攻めの一手をこまねいておいでのようですが……」

 ドラクロワは露骨なアクビをして
 「お前達……。俺は一向に構わぬが、人間共の都などを落としたら、この先つまらんぞ?
 都の奴等が懸命に育てて生み出す、細(ささ)やかな抵抗である、多種多様な冒険者達が、その短い一生を富と名誉と栄光を求めて、俺達魔族相手に喧嘩を吹っ掛けてくるのを、うむ、ただの人間と亜人種達が、よくぞここまで来れたものだ……。
 ではこの俺様が直々に手合わせしてやろう。
 だが、その前に一つ訊きたい。
 正直な所、お前達ほど有能な者達は、ちょっと魔界でも珍しい。
 よければ、この領土の半分をやるから俺様の下で働いてみんか?
 なーにそんな顔をするな。今から俺様相手に、たった一粒の命を懸け、ほとんど勝てる見込みのない闘いを挑むのと、今日ここで使いきれぬほどの巨万の財、権力を確実にその手に出来るのと、どちらが利口で実りのある人生であるか考えろ。
 後者を選べば、お前達は数時間後の今夜、この城の大食堂で、見たこともないような贅沢な夕げを食べながら、領土の地図を前に財宝を山分けしていることだろう。
 待てよ。そうだな。お前達ほど有能な者達なら、たったの数十年で死なせるには惜しい。
 その気があるのなら、お前達を人間を遥かに凌駕する、強靭で長命な魔族の身体へと転生させられる仲間を紹介してやってもよいぞ。
 心配するな、魔族となってもお前達の記憶も意識もそのままだ。
 うん?そうか、やってみたいか?
 うむうむ、これは驚いた。ただ有能なだけでなく、頭脳明晰にして、実に決断力のある思慮の深い者達であるとはな。
 よしよし。今や魔界も、よい人材、いや待て待て、お前達ほどにもなれば"人財"といえるな。
 んん、まぁ、そういった有能なもの達は喉から手が出るほど、というやつである。
 う、うん……いや、なに、想えばこの俺様も、今のお前達と同じく、己の可能性を試すべく、狂乱の戦場にて血にまみれ、必死に槍一本で身を立て、こうして何とか一国一城の主と成り上がった男なのだ。
 だから、今のお前達の無限の可能性に満ちた生き生きとした眼(まなこ)を見て、つい、つい少しだけ感傷的になってしまったのよ。
 フフフ……お前達をおいてけぼりにして、ひとり突っ走ってしまったな、いや、これはすまぬすまぬ。
 しかし、こうしてお前達を見ておると、魔族と人間という生まれこそ違えど、何やら他人とは思えなくてな……。
 うむ、俺様も将と呼ばれる漢(おとこ)。お前達のこと、誓って、決して悪いようにはせん。
 そうだな。では……うむ、もそっと近う寄れ。
 こらこら、もはや我等は永なる主従である。不粋な武器など不要であろう……。
 む?あれに見えるはなんだ!?
 はい、隙ありーー!!!
 とかゆう遊びが、人間の王都を叩けばもうできなくなるのだぞ?」
 魔王は長話で喉が渇いたか、魔界の葡萄酒"疫病女神(カラミティクイーン)"を逆さまにしてあおった。

 魔王軍の幹部達は、それぞれに魔王様ゴッコをして楽しんだ覚えがあるらしく、一様に思案顔になって、ぐうの音で唸った。

 少しして、魔王軍の元帥はドラクロワへと向き直り
 「では魔王様、神聖魔法の鎮圧と抑制はどうなさるおつもりか?
 神聖魔法も、その"細やかな抵抗"として甘受なさるおつもりですか?」

 魔王は、シャポンッと緑の瓶を下ろし
 「お前達は勇壮な軍人だが、ゴリゴリの正攻法ばかりで、今一つ繊細な、"からめ手"というヤツを知らん。
 こういう局面では、まずは神聖魔法というやつの権化、七大女神達を地に落とさぬか。
 うむ、奴等の信徒共の穢(けが)れなき信仰の拠り所である、教会組織というヤツを汚して、それを内部から腐らせ、切り崩してしまえばよかろう。
 そうすれば、七大女神達の神性と権威とは失墜し、人間達は自ずと神など軽視するようになり、次第に真面目くさって神聖魔法等を学ぶ者等も減り、遂には不信仰で無神論な世代の完成である。
 そうだな。アッカズよ、確か、宝物庫に呪いの黄金仮面があったであろう?
 嘘か誠か分からんが、口先三寸とペテンでもって、古代の人間達の神聖帝国を惑わし、それを根底から揺るがし、遂には滅ぼしたという前時代の遺物、あの喋る知識の仮面というヤツが。
 全く、お前達に任せておくと、この下らぬ会議を何百年続けるか知れん。
 アッカズよ、俺の顔を見飽きたら、直ぐに取ってこい」


 さて、蜘蛛魔女のアッカズが走って、この場には時を置かずして、つるりとした飾り気のない仮面が運ばれた。

 魔王はそれを蝋燭の火にかざして眺め
 「うむ。これだこれ。しかし、こいつをたまたま通りかかった、欲深い人間に拾わせ、被らせるには今一つ、か……」
 そう言って、自らの左の中指にはまる、大きなマーキスカットエメラルドの指輪を外し、その美しい緑の宝石だけを指輪の台座からもぎ取り、薄い紫色の唇の口元に右の親指をもっていき、ハァーと息を吹き掛けると、その親指を立て、黄金仮面の額の中央へと押しあてた。
 
 すると、そこは正しく親指大に、ブスブス、カーッと赤熱し、魔王はそれが熱いうちに、すかさず大粒のエメラルドを押し当て、そこに固定したのである。

 このマーキスカットエメラルドは魔界で発掘される至宝の宝石であり、人間界の宝石等からは群を抜いて美しいだけでなく、意識こそもたないが、外部のあらゆる事象を知識として蓄える、一種の記憶媒体としての側面も併せ持っていた。

 つまり、このエメラルドは、永きに渡り魔王の中指に鎮座して共にあり、その発言、生活、嗜好はおろか、ドラクロワの気紛れな魔法開発の場での実験の全てをも見て、覚え、そして蓄えてきたのであった。

 それが今、あらゆるカテゴリーの膨大な知識を有し、悪魔的弁舌を誇る、呪いの黄金仮面と一体となったのである。

 つるりとしているばかりで、今一つ飾り気がないな。
 うむ、ここは宝石の一つでも穿(うが)つか?
 と、その単なる思い付きを実行しただけのドラクロワは、自分のプチアレンジメントに満足したようにうなずき
 「うむ。知識と詐欺の黄金仮面よ。これよりお前は、好奇と欲に惹かれた人間に拾われ、それを導いて七大女神を汚すのだ。
 ふーむ。黄金仮面というのも味気ないな。そうだ、お前のこれからの"工作員"としての勤めに相応しく、これよりお前は、コーサ=クイーンと名乗るがよい!」

 魔王はここで小声になり、仮面に口を近付け
 「といっても、わざわざお前を引っ張り出したのは、コイツ等の下らぬ無限会議を終わらせる為だけである。
 だからあまり気張らず、得意の口先三寸で、適当にちょっと面白い話でもして、破戒僧の何匹かをこさえればよろしい」
 そう言って、ドラクロワは魔王軍元帥へと、フリスビーのごとくコーサを放って、パンッ!と手を打ち鳴らし
 「さて、つまらん会議は終わりだ。お前達、ボケーっとしておらんで、さっさと宴の用意をせぬか」

 
 こうして、この呪いの黄金仮面は、七大女神崇拝の神殿の列挙する街、聖都ワイラー近くの荒野へと放逐・放擲(ほうてき)されたのである。

 今より67年前の出来事であった……。
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