21 / 33
◆ 弐拾壱 ◆
しおりを挟む考えるよりも早く弥生は身を翻していた。
燃え盛る火の中へ、紅蓮の怪物の口の中へと飛び込もうとしていた。
「おいっ、なにしてるんだ!」
だけどすぐさま周囲の男たちに取り押さえられる。
「放して!!」
身を捩って弥生は叫んだ。
「中にお嬢さまがっ!!お嬢さまが居るのよ!!」
鎮火は思ったよりも早かった。
火元である柳屋は全焼したが、近隣への被害は最小限にすんだ。
空気が乾ききり、炎の勢いが強かったわりに被害は驚くほどに少ないといっていいだろう。
「あら、平気よ。お店が火事を出す怖さはよぅく知っているから、この屋敷は万が一火が出ても延焼を防げるように造ってあるって聞いたもの」
火が消し止められ、ぷすぷすと薄い煙だけがあがる焼け跡を眺めながら、いつか聞いた美桜の声が頭の中で響いていた。
焼け出された奉公人たちは数か所に分かれて身を寄せていた。
広く商いをしていただけあり、付き合いのある人々が手を差し伸べてくれるのは有り難いことだった。だけどその有り難さを感じるだけの余裕は弥生にはなかった。
火傷を負った者達の世話をしながらも心の中は美桜のことでいっぱいだった。
助かった者達の中に美桜の姿はない。
それだけではなく、柳屋の主人である美桜の父親も、祖母の姿もなかった。
てっきり火の出所は厨か風呂かと思ったのに、火元はそのどちらでもないという。
主人たちが住まう屋敷の奥、火の手はそこから広がったようだ。
灯りが倒れでもしたのだろうか。
気づいたときには火は燃え広がっており、慌てて逃げ出したという奉公人たちは誰も詳しいことを知らなかった。
翌日、かえでを訪ねてみることにした。
彼女が身を寄せている柳屋の親族が営む店は歩いて行ける距離にある。もしかしたらなにか事情を知っているかもしれないし、かえでの怪我も心配だった。
怪我人のさらしを変えたり、粥の支度を手伝い、午後になって出かけた。足取りは重かった。
なにが起きたのか知りたい気持ちと、恐れが相反する。
あのとき、美桜の無事を尋ねた弥生にかえでは首を振った。
美桜の死を、突き付けられるのが怖かった。
考え事をしている内に目的地についた。
一歩が踏み出せず、突っ立っている弥生に同じ年頃の娘が不審そうに声をかけてきた。
「なにか?」
娘はここで働く奉公人のようだ。
反射的に一歩後退りかけて、ぐっと足に力をいれる。
「あの……わたし柳屋の……」
みなまで言い終わぬうちに娘の警戒が解けた。
強張っていた眉のあたりがほぐれ、気の毒そうな表情が浮かぶ。
「大変でしたね。誰かお知り合いが?」
「はい。かえでさんという方がこちらにお世話になっていると聞いて」
思い出そうとするかのようにかえで、かえでと呟きながら娘は小首を傾げ、ああとひとつ手を打った。
「いらっしゃいますよ。どうぞこちらに」
案内してくれる娘の背に続く。
「本当に災難でしたね。あたしも本当に驚いちゃって」
突き当りを曲がった辺りで振り向いた娘は口元に手を当て声を落とした。
「ご主人らは見つかってないんでしょう?」
「……」
「火事の原因ははっきりしているんですか?」
「いいえ。わたしはお使いでお屋敷におりませんでしたので」
なぁんだ、という表情が一瞬だけ浮かんで消えた。野次馬な好奇心を覗かせた娘は取り繕うように「でも火事に巻き込まれずに良かったですね」とお愛想を言ってまた歩き出した。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
朝敵、まかり通る
伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖!
時は幕末。
薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。
江戸が焦土と化すまであと十日。
江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。
守るは、清水次郎長の子分たち。
迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。
ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。
夢の雫~保元・平治異聞~
橘 ゆず
歴史・時代
平安時代末期。
源氏の御曹司、源義朝の乳母子、鎌田正清のもとに13才で嫁ぐことになった佳穂(かほ)。
一回りも年上の夫の、結婚後次々とあらわになった女性関係にヤキモチをやいたり、源氏の家の絶えることのない親子、兄弟の争いに巻き込まれたり……。
悩みは尽きないものの大好きな夫の側で暮らす幸せな日々。
しかし、時代は動乱の時代。
「保元」「平治」──時代を大きく動かす二つの乱に佳穂の日常も否応なく巻き込まれていく。
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
夜に咲く花
増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。
幕末を駆け抜けた新撰組。
その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。
よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
桔梗の花咲く庭
岡智 みみか
歴史・時代
家の都合が優先される結婚において、理想なんてものは、あるわけないと分かってた。そんなものに夢見たことはない。だから恋などするものではないと、自分に言い聞かせてきた。叶う恋などないのなら、しなければいい。
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる