桜花 ~いまも記憶に舞い散るは、かくも愛しき薄紅の君~

文字の大きさ
上 下
20 / 33

◆ 弐拾 ◆

しおりを挟む


そうこうする内に日も暮れてきた。
これ以上はどうしようもない。

一度帰ろうと駕籠屋かごやを教わって夕暮れの中を歩き出したところで、がくりと膝から力が抜けた。
自分の身体を支えられずに崩れるように膝をつく。
脇腹の辺りが燃えるように痛い。

「おいっ、どうしたっ?!」

「ちょっとお嬢さん、どうしたんだい?」

慌てた声がいくつも響き、駆け寄った一人に身を起こされるが弥生は痛みでそれどころじゃなかった。言葉も出せずに口からは苦悶の声だけが漏れる。

痛い、痛い、痛い、痛い。

まるで刺されたように脇腹が痛くて堪らない。

ぎゅっと瞳を閉じる。視界が闇に満ちた。
いつものあの声が、「殺せ」「殺してしまえ」という怨嗟に満ちた声が聞こえてきそうで弥生は無理矢理に目を開いた。

ぼんやりと景色が動く。
驚く人々の顔から燃えるような夕暮れに目に映る景色が変わる。
誰かに抱き上げられたようだ。近場の家の屋内にそっと降ろされる。
「医者だ!」「お水を飲めるかい?」矢継ぎ早に声が響く。
身体をくの字に曲げながら痛みに呻いた。頬を背を、汗が伝う。まなじりからは涙が零れた。

身を丸めながら無意識に伸ばした腕。
その指は、誰に届くこともなく畳の上にぽとりと落ちた。

数分すると痛みは消えた。
手妻みたいにすうっと消えた痛みに弥生自身も困惑しながら身体を起こす。疲労感は強くすごくふらふらしたが、それでも痛みは完全に消えていた。

「まだ休んでいた方がいいよ」

親切に声をかけてくれる申し出に首を振り、集まった人々に「もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」と頭を下げる。その拍子にまたふらっとした。
すぐ脇に座った女がそんな弥生を支えながら湯冷ましの入った湯のみを差し出してくれた。

「ほら、どこが大丈夫なんだい。そんなに青い顔をしてさ。お飲み」

こくこくと飲み下せば柔らかな熱が胃の腑に広がる。
人心地ついてほっと息を吐き出した。

「本当に大丈夫です。それに……もう帰らないと日が落ちてしまいます」

心配顔の長屋の住人らは何度も「本当に平気かい?お医者さまはいいのかい?」と確認したあと、駕籠屋かごやへ使いをだして駕籠かごかきを呼んでくれた。

一刻も早く帰りたかった。
何故かはわからないけど気が急いていた。

もどかしい想いで痛みのあった脇腹を押さえる。触れてもいまはなんともない。


どれくらい経っただろう。

不吉な音が聞こえた。
かき鳴らすような半鐘の固い音色、火事を告げる不吉な音だ。
しかもそれはどんどん大きく近くなる。

これ以上は近づけない、そう告げる駕籠かごかきに謝礼を渡し、止める声も無視して転げるように弥生は走った。

いまや闇に浮かび上がる紅蓮の舌は弥生の目にも明らかだった。
逃げまどう人々の流れに逆らいただ走る。

そして目の前には、
巨大で悍ましい生き物の舌に蹂躙され、飲み込まれつつある柳屋の姿があった。

怒号と悲鳴の中、ひらひらと火の粉が舞う。
夜に火を灯したかのようなその様は、いっそ美しくさえあった。

むっとした熱気が炎のただなかでない弥生の肌を舐める。
飛んできた火の粉が一つ、弥生の腕に散った。

「……っ!」

その熱で弥生のもとに現実が帰ってきた。

火消したちによって打ち壊される壁や建物。
野次馬に紛れて火傷を負った者がちらほらと居た。
慌ただしく周囲を見渡す。

美桜は?美桜は何処に?

人にぶつかりながら視線を彷徨さまよわす弥生の目に見知った姿が映った。
周囲の人に取り囲まれながら力なく座り込むかえでに駆け寄った。

「かえでさ……」

呼び掛ける声は途中で止まった。
かえでは顔や手足に火傷を負っており、すすで黒く汚れていた。
声に気付いたのか、かえでが緩慢に首をあげる。
男が一人、かえでを起こそうと手をかけていたがかえでにはその気力もなさそうだった。放心したようにぼんやりとした目をしている。

「お嬢さまは?お嬢さまはご無事なんですよね?」

問いに、かえでは緩く首を振った。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~

水葉
歴史・時代
 江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく  三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中 「ほんま相変わらず真面目やなぁ」 「そういう与平、お前は怠けすぎだ」 (やれやれ、また始まったよ……)  また二人と一匹の日常が始まる

【完結】ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

処理中です...