10 / 33
◆ 拾 ◆
しおりを挟む通り過ぎた男にふと足を止めて振り返った。
見知らぬ若い男を寸の間だけ視線で追い、慌てて足を進める。
「おやまぁ」
驚いたような、面白がるような声。
「ああいう男が好みだったのかい?眉が濃くってきりりとしてて様子のいい男だったけどさ」
「そんなんじゃありませんよ」
揶揄う気が満々のお妙の言葉に苦笑いで弥生は応じる。
実際、弥生のほかにも目を向ける若い娘たちがいた。
日に焼けた体躯は逞しく、濃い眉に精悍な顔。きらりと光る白い歯も眩しい美男子だったが、弥生は別に見惚れていたわけではない。
「ただ、火消しの方のようだったので」
目を惹かれたのは、男の職業ゆえだ。
火事ともなれば法被に皮頭巾をかぶり、勇ましく火事場に駆け付ける火消しは花形だ。
打ち振られる纏いのばれん、木槌で建物を打ち壊すその姿は頼もしく、火事の多いお江戸だからこそ憧れる者も多いだろう。
「頼もしい存在だよねぇ」
静かに答えた弥生の声音に、お妙も声の質を変えてそれだけ答えた。
男の背はもう見えない。
菓子折りを入れた風呂敷包みを抱え直し、お得意様へと挨拶に伺うお妙の背に続いた。
「旬のものだからね。慎之介さんにも届けておくれ」
筍をたくさん頂いたからとお使いを言いつけられて店を出たのは夕暮れ前。
最前まで弥生自身が煮つけていた筍の煮物を持って生駒屋を出た。
濃い目の味付けでしっかりと煮て、かつお節をたっぷりと加えたそれは我ながらいい出来だった。
所帯もちならいざ知らず、独り者の職人たちでは手の込んだ手料理などなかなか口に出来ないから、機会があればこうして届け物をするのも珍しいことではない。
生駒屋からそう遠くない慎之介の住まいにはすぐに着いた。
戸口で声をかけるも反応がない。
出掛けているのだろうか?珍しい、そう思ったところで内から微かに音がした。
だけどすぐに足音は近づかず、ガタンと倒れるような音。一声かけ、戸を開いた。
よろけたように座り込み頭を押さえる慎之介の姿に慌てて駆け寄る。
「どうなさいました?お具合でも……」
煮物の入った器を置き、慎之介を支えようと伸ばした手と声が途中で止まる。
ふわりと漂う酒の臭いと火事場のように真っ赤な顔。
「もしかして……酔っておられます?」
ふらふらしながら顔を上げたがまたぐらりと揺れる。
慌ててそれを支えた弥生は慎之介を壁へと凭れかからせて水を汲みに走った。
見つけた茶碗一杯に水を汲んで差し出せばごくりと喉を鳴らして飲んだあと、ふぅと漏らされた息からもかすかに酒気が漂う。
すぐさま空になった茶碗に「もう一杯いりますか?」と問えば、申し訳なさそうながらも「お願いします」と返され再び水を汲みにいく。
人心地ついたのか、先ほどよりは落ち着いた様子で慎之介が頭を下げた。
まだ少し頭がふらふらしている。
「いやはやお恥ずかしい。大変なご迷惑を」
その恐縮した様子に少しだけ笑みが漏れ、「珍しいですね」と弥生は口にした。
こんな時間から酒を口にすることもそうだし、そもそも酒は不得手だと耳にしたことがある。
「親方のお嬢さんの縁談がまとまりましてね。目出度い話だからと親方に付き合わされてこのザマです」
頭を掻きながら恥ずかしそうに告げられら理由に得心した。
先だって独立した慎之介の元の親方には弥生と同じ年の娘が居た筈だ。一度だけちらりと顔を会わせたこともある。勝気そうな可愛らしい娘だった。
「それはお目出度いですね」
「はい。それで、弥生さんはどうしてこちらに?」
問われてすっかり置き去りにされていた器を手元に引き寄せた。
「筍の頂きものがあったんで、お内儀さんからお使いを頼まれたんです」
「や、これは美味しそうだ。有難うございます」
ほどよく色づいた筍の煮物を見て慎之介がほの赤い顔を笑み崩した。
「それではそろそろお暇します」
「お店までお送りいたします」
腰を上げた弥生に慎之介も習おうとしてまたふらりと身体が揺れた。
思わず口元に手をやりくすくすと笑ってしまう。
「一人で帰れますのでお気遣いなく。ごゆっくり休んでください」
心遣いは有り難いが、生駒屋まではすぐそこだ。夕暮れとはいえまだ人出もあるし、女の一人歩きを危ぶむほどの時間でもない。
千鳥足の足取りの方がよっぽど危うい。
申し出を断り一人で歩いていると、茜色の空の下で自分を呼ぶ声が響いた。
「やよい!」
腕を大きく振りながら駆けてくるのはおりんだった。
一緒に遊んでいた子らだろうか、数人の子どもたちが手を振っている。
「おつかい?」
「はい」
「慎之介さんのとこ?」
弥生が来た方向から当たりをつけたのだろう、期待に満ちた視線に苦笑いしつつもう一度頷く。
「筍の煮物をお届けしたんです。お嬢さんもお好きなかつお節で煮たやつです」
「やったぁ!」
夕餉の献立を知っておりんが小さく両手をあげる。
「おりんお嬢さんは今日はなにをして遊んだんです?」
「鬼ごっこよ。あたし、男の子だってみんな捕まえてやったんだから。駆けっこだって判じ物だって負けないわ」
「それはすごいですね」
褒められたおりんはふふんと胸を張ってから、ちょびっとだけ照れた様子で弥生の手をぎゅっと握った。
「ね、やよいは駆けっこや判じ物得意だった?」
覗き込むように聞かれ、困り顔の笑みが浮かんだ。
「あんまり。同じ年頃の子らよりどれも苦手でした」
「そうなの?やよいはきびきびしてるし、頭だっていいのに」
驚きを顔いっぱいに浮かべるおりんと弥生の手を繋いだ影が二つ、夕暮れに長く伸びていた。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

【完結】ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる