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いっそ毒薬を全て飲み干してしまえればよかった
しおりを挟む「泣けないの」
レイのショコラブラウンの瞳の中に映る自分の顔は、泣きだしそうに歪んでいる癖に一滴の涙も零れていない。乾いたままの頬がひくりと震える。こんな顔をするくらいならいっそ泣いてしまえばいいのに。
泣き方なんて忘れてしまった。
「痛くて、辛くて、哀しいのに泣くことすら出来ない。大丈夫だって、そう思ってたの。始めから全部演技で、全部全部偽物で。本気になったりなんてしないって思ってた、ただ少し綺麗な夢を見ていたかった。傷ついたりしないし、好きになったりしないって」
乳白色の膜が小さな波紋を描く。
それを見てカップを握りしめた自らの両手が震えている事に気づいた。カタカタと揺れる震えは寒さか、それとも他の何かによるものなのか。
「ショックだったの。本当はもうずっと手遅れで、とっくに引き返せないってわかってた。だけど、大丈夫だって思ってた。全部終わりにして、蓋をして、大切な想い出に出来るって信じてた。演技でも偽物でも綺麗なまま幕を引けるって・・・なのにっ!・・・ショックだった、自分があんなにもショックを受けた事が・・・全然、大丈夫なんかじゃないって、そう思い知らされた事が・・・」
支離滅裂な言葉の羅列。
それはクローディアの心の内そのものだった。
好きになるつもりなんてなかった。
傷ついたりする気なんてなかった。
全部演技で偽物で。本気になったりしない。好きになったりなんてしない。
最初から全部手遅れで、だけど幕を引けると信じてて。
何があったって、例え夢が醒めてしまったって大丈夫だと思ってた。
その全部が嘘で、全部が本当。
相反する幾つもの矛盾だらけの感情。
自分自身でさえもわからない自分の心。
胸の中はいつだってごちゃごちゃで、いつだって空っぽのまま。
だって大切なものは全部全部置いてきてしまったままなのだから。
「ディー」
レイの手がクローディアの手を握りしめた。
「ディーは、その人のことが凄く好きなんだね」
甘く覗きこんでくるショコラブランの瞳に唇を噛む。
だってそれは認める事が出来ない。
この期に及んで、それを認めてしまえばどうやって立っていればいいかすらわからなくなってしまうから。
答えないクローディアに困った子供を眺めるように苦笑いをしながらレイは人差し指を伸ばして唇を突いた。
「唇、傷ついちゃうよ。正直僕としてはそんな男は止めておけって言いたいんだけどね。ディーは可愛いんだから幾らでも他にいい男が見つかるのに。選り取り見取りの選び放題だよ」
咎められた唇を噛みしめる代わりに突き出してむくれる。
「わたくしを可愛いなんて言ってくれるのはレイだけだわ」
「は?何その見る眼ない男達。本当にそんな男止めといて他探した方がいい」
「前から思っていたのだけど弱ってる女にそれはないわ。いつかうっかり本気で恋に落ちちゃうお嬢さんが居そうだからレイは言動に気を付けたほうがいいわ。素敵だけど」
お互い真顔だった。
真剣な声音で言い合ったあとで、一拍ののちどちらともなく笑い出す。
「言っておくけど忠告は超真剣ですから」
「僕だって真剣だよ。全部ちゃんと言えばいい、不満をぶちまけて、何なら本当に殴っちゃえばいいよ。泣けないのなら怒って喚けばいい。傷ついたって責め立てて、それでもディーの事を本気で大事にしてくれない奴ならこっちから捨ててやればいいんだ」
冗談じみて軽く語っているけれど、レイの瞳は真剣だった。
クローディアは緩く首を振る。
「無理よ」
苦く笑う。
誤魔化す為に笑う癖がついたのはいつからだっただろう。
「今更本音なんて出せない。レイも言っていたでしょう?もうそれも自分の素になってしまったって。わたくしもそう、取り繕う事になれすぎてそれさえ含めてわたくしだもの」
取り繕えば取り繕うだけ本当の自分を見失っていく。
「本当は傷つきたくなくて取り繕うことを始めたはずなのに。傷ついてなんていないって周りや自分を騙したくて強がって笑って。弱みを見せたくなくて、虚勢を張って自分自身を守ってるつもりだった。なのにその鎧が重くて身動きが出来なくなるなんて莫迦みたい。本末転倒だわ。それでも今更その鎧を脱ぐことなんて出来ない」
そうして何よりも_____
「きっとわたくしは傷つけるわ。
吐き出してしまえば感情のままに言葉の刃で相手をズタズタにしてしまう。自分が痛いからって相手を傷つけて、そうしてまた自分が傷つくの。吐き出した言葉は戻らないのに、一つ零してしまえばそこから水のように溢れ出してしまう。
本当の事も想いも、言葉にした瞬間全部白々しい嘘に変わってきっと後悔しか残らないのを知ってるもの」
矛盾ばかりを孕んだ心の奥底。
そこに仕舞った想いだけは嘘になんてしたくなかった。
誰にも知られなくていい、誰にも伝えられなくていい。
クローディアは両手で自分の首を抑えた。
「想いを伝えられないのなら、声なんてなければ良かったのに」
声があったって届けられないのなら、そんなのないよりも辛いだけ。
奪われてしまえば諦める事だって出来たかも知れないのに。
「それは困るな。ディーとお喋り出来ないのは悲しい」
「そうね。わたくしもレイとお話し出来ないのは嫌だわ」
首から外した両手をじっと見つめ、広げた両手を勢いよく閉じた。自分の顔面に向かって。パァンッと高らかに響いた音。突然自分の頬を張ったクローディアにレイは瞳を白黒させている。両手と両頬がじんわりと熱を持つ。
「ちょ、いきなり何してんのディー?!ほっぺ真っ赤じゃん!すぐ冷やすもの」
「大丈夫よ。わたくしの力じゃ赤みなんてすぐ引くわ」
「いや、そういう問題じゃなくてね」
頬は僅かに痛いけれど、すっきりと眼が醒めた気がして気分は悪くなかった。
カップに残ったミルクを口にする。
すっかり冷めてしまったそれを全て飲み干した。
「ホットミルク美味しかった。お洋服も有難う。あとお仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい。お姉様にもお礼とお詫びをお伝えしてくれるかしら。とっても素敵なお姉様ね、優しくて暖かくてレイにそっくりだわ。あととっても美人」
カップを置いてにこりと微笑む。
大丈夫、まだ笑える。
「もうそろそろ帰らなきゃ。明日は前に言っていた元婚約者とお目見えなの。髪を整えて、肌を磨いて、とびきり綺麗に武装しなきゃ。鎧を脱ぐ事も出来ないなら、せめて誰よりも綺麗に着飾って迎え撃つわ。笑われても毅然と胸を張って笑い返してやるんだから」
「・・・ディーは恰好いいね」
「有難う。恰好良くあれるように頑張るわ」
痛い、痛い、痛くてたまらない。
例え一歩歩くごとにナイフに刺し貫かれるような痛みがあったとしても、
それでも笑顔で踊って見せよう。
自分で始めたこの滑稽なおままごとがせめて綺麗なまま幕を引けるように。
水気を絞ったドレスは乾ききっていなくて重いまま。袋に入れてくれたそれを受け取って扉を開けた。
「無理はしちゃ駄目だよ。また今度街を歩こう。気晴らしに美味しいものを食べに連れて行ってあげる」
去り際に掛けられたレイの言葉にクローディアは困り顔で眉を下げる。
「ごめんなさい、わたくし約束事は嫌いなの。でももし機会があれば楽しみにしてるわ」
後半だけは笑顔で言った。いつかまたそんな機会があればいい。
約束事は嫌いと言ったクローディアにレイの瞳が痛まし気に向けられる。
心配をかけてしまっただろうか。他愛のない約束なのだから気軽に頷けば良かったのかも知れない。だけど如何してもクローディアは昔から約束事が嫌いだ。
もしそれが果たされなかった時にとても悲しい気持ちになるのを知っているから。
そして今回だってジルベルトに最初からあんな約束を取り付けたりしなければこんなにも打ちのめされる事もなかったと思ってしまっているからこそ尚更に。
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