18 / 65
ショコラブラウン
しおりを挟む気まずい。
胸の中の感情に名前をつけるならこの一言に尽きた。
あの話をして数日。ジルベルトの態度は分かりやすくぎこちなかった。それはもう分かりやすく。
屋敷の者やセオは問いただしこそしなかったけれど、遠慮のないゼロスやアルバートには速攻で指摘された。彼に演技や嘘が向いていないのはわかりきっていた事だし仕方がない。
そして話す訳にもいかない。
どう説明すればいいと言うのか。
実は生贄として彼女を殺そうとしていたのがバレました。
アルバートやオズワルドにそう言った時の反応をちょっと見てみたい気もするが。
ジルベルトは相変わらず優しいし気遣ってくれる。今はその気を遣いすぎているところが問題なのだが。性格的にジルベルトに開き直るのは無理なんだろうけれど。
はぁ、と大きく溜息を吐く。
因みに場所はジルベルトの屋敷の鍛錬場。
それ程大規模な物ではないが、屋敷の隅にあるジルベルトの鍛錬場は存分に魔術を扱える造りとなっており、勿論防音。クローディアはジルベルトに許可をとって時々使用している。使用時は常に一人。特に鬱憤が溜まった時など思いっきり剣を振るい魔術を放つ。
シュネールクラインでもよくやった。勿論一人で鍵を掛けて。
防音最高。
密室最高。
人様にはとても見せる事の出来ない姿だ。
額から垂れてきた汗を腕で雑に拭う。漏れる息は荒く、肩が忙しなく上下する。
最近は特にこの場所を使用する機会が増えていた。隠しきれなくなってきている心の靄を払うために。
そして彼に勝つために。
若干ハードな鍛錬の後、汗を流し一休みしたクローディアは街へと繰り出した。
実はクローディアは一人で出歩いた事がほとんどない。マリーやクレアには心配されたが何とか躱す事に成功。何せ気晴らしなのだ。被った猫を脱ぎたい。
最近ちょくちょく脱げてる事は一応自覚済みだが。
クローディアの恰好はドレスではなくワンピースにボレロという無難な服装。Aラインのシンプルなワンピースで、ウエスト部分の菫色のリボンがアクセント。気ままに散策できるように靴も踵の低い物を選んだ。
さて気晴らしをと意気込んだのも束の間。
自分を取り囲む四人の男。顔にはにやにやと下卑た笑み。
クローディアはわかりやすく絡まれていた。
一人の男がクローディアの手を掴もうと伸ばした腕を躱す。周囲に視線をちらりとやれば気まずそうに、あるいは心配の色を浮かべながらも逸らされる視線。因みに助けを期待したわけじゃない。ただ人目が在る中で男共を伸すのもなとそんな気持ちの視線だった。
さて、如何しようか。
思案しているところへ
「待たせてごめん!!貴族様のお相手が長引いてしまって」
見知らぬ男が忙し気に走り寄って来た。
「遅くなっちゃって本当にごめんね。代わりに何でも好きな物を奢ってあげるね」
四人の男を通り抜けた彼がクローディアに甘やかに微笑みかける。
誰?正直そう思ったけれど、どうやら自分を助けてくれているようなので話を合わせる。
「本当?約束よ。今度遅刻したら許さないから。貴族様ったらいっつも貴方を独占するんだから」
ぶりっ子しつつプンプンしてみた。
男の連れが現れたのと、貴族の単語にやばいと男達がそそくさと去って行った。心配気に見守っていた野次馬達も。
「大丈夫だった?」
小声で囁きかける男に、先程の男達の姿が完全に見えなくなった事を確認して頭を下げた。
「助けて頂き、有難う御座いました」
突如雰囲気の変わったクローディアに「演技上手だね」と男は朗らかに笑う。
男は仕立てのいい薄茶のスーツを着ていた。上品に整えられた身嗜み。貴族ではなさそうだが裕福な出だろう。細身で、ショコラブラウンの髪と瞳。顔立ちは派手でこそないけど整っており、何よりその名の通りチョコレートのような瞳がとても甘い。
「お嬢さんは一人?」
問い掛けにええ、と答えれば彼の顔が顰められた。
「何処へ行くの?」
特に決めてない、と答えれば一層思案気な顔になった後、クローディアの姿を上から下まで眺めた。
「もし良かったら僕もご一緒させてもらえないかな?君みたいな可愛い子が一人で居たらまた絡まれちゃうよ」
下心を一切感じさせない申し出にクローディアは暫し考える。本音を言えば一人で散策をしたい。だけど彼のいう事も一理あった。何せ馬車を降りて数分もしない内に絡まれた。今も時々視線が投げかけられているのを感じている。彼が去れば新たな輩に絡まれる事は目に見えていた。
「じゃあ、お願いしてもいいかしら?実は街の事も何もわからなくて何処へ行こうかも迷ってたの」
どうせもう会う必要のない相手なら猫を被る必要もなくて気兼ねしないし。そんな事を考えて、話やすい彼に虫よけと案内をお願いする。
「お嬢さんの事は何て呼べばいい?」
「・・・」
名を告げるべきか迷っていると、「別に本名じゃなくてもいいよ。ただずっとお嬢さんっていうのも微妙だから」と言ってくれたのでその言葉に甘える。
「・・・ディー」
「ディー。可愛い名前だね。僕の事はレイって呼んで」
似合わない名前だと思いつつ告げたのに、レイは甘く笑って軽く流す。
言いそうな事はアルバートと同じなのに、全くチャラさを感じさせない爽やかさにクローディアは謎の感動を覚えた。
手の中には小さな使い捨てのカップ。
中身は果実を絞った酸味のある果汁で、歩きながら飲み物を口にするのなんて初めてなクローディアは零さないように慎重に口をつける。慎重になるあまりその度に歩みが疎かになるのを、レイは微笑まし気に眺めながら嫌がりもせずに歩調を合わせてくれた。
「何が見たい?綺麗な装飾品の店も、可愛い雑貨も、流行りの服屋もこの辺りのことなら僕はちょっと詳しいよ。それとも美味しい食べ物がいい?ディーは何が好き?」
指を折りつつお勧めしてくれるお店はどれも素敵で
「そんなにいっぱい言われたら迷っちゃうわ」
「それは困ったな。じゃあ近場から寄ってみる?途中で行きたい所が決まったらそこへ行こうか」
そう言って再び賑わう通りを歩き始めた。
至る所に来月行われる《星祝祭》のポスターが張られ、祝祭用の商品を売り出す店々が並ぶ通りはひどく賑やかだった。
自分で言っていただけの事はあり、レイはこの辺りに詳しかった。
お客さんでいっぱいの可愛い雑貨屋も、入り組んだ道の奥にある書店も、一見店には見えない隠れ家のようなレトロなカフェも。おまけに彼はとても顔が利いて、覗いた露店で菓子等を買う際もおまけを沢山つけて貰った。お蔭でクローディアのお腹は一杯だ。
薄っすらとオレンジ色に染まりだした空に、あっと言う間に時間が経った事を思い知る。
「今日は有難う。凄く楽しかったわ」
「こちらこそ、僕もすごく楽しかったよ。もしまた何処かで見かけたら是非声を掛けて」
にっこりと笑いながら、先程露店で買った蜂蜜を固めた菓子を差し出してくれるレイにありがとうと告げて手を伸ばす。優しい甘さが口の中に広がった。
「でも、次は誰かに着いてきてもらった方がいいよ」
「いや」
レイの忠告に子供みたいな拗ねた声が出た。
「だって誰かに着いてきて貰ったら目的が果たせないもの」
「目的?」
「被ってる猫を脱ぎ去りたい」
クローディアの言葉にレイが噴出した。口元を腕で隠したまま肩がプルプルと震えている。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「ごめん。ディーって猫っぽいから、ディーが猫の着ぐるみ着てぽいっってしてるとこが頭に浮かんじゃった」
可愛い、可愛いとレイが笑う。
「ディーは猫かぶりなんだ?」
「そうよ。厚着で暑苦しいんだもの」
「でも確かに、わからないでもないな。ずっと取り繕っているのは疲れるもんね。偶に誰の眼も届かないところに逃げ出したくなる事がある」
「レイも?」
隣を歩くレイを覗きこめば「うーん」と小さく首を傾げながら苦笑いされた。
「そう思う時があるのは確かなんだけどね。だけどもう身につき過ぎちゃって、半分それが素になっちゃってるっていうとこもあるんだよね。今更やめろって言われても逆に無理っていうか」
「すごい良くわかるわ!散々取り繕ってきた相手に素で接しろとか恥ずかしくて軽く死ねるもの」
「だよね」
そんな事を話している間に迎えの馬車が待つすぐ傍まで着いた。
楽しかった時間が終わってしまう事に名残惜しさを感じながら手を振れば
「ディーには本音で話せて楽しかったよ。気をつけて帰ってね」
ショコラブラウンの瞳を甘く緩めてレイが手を振り返してくれた。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る
花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。
その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。
何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。
“傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。
背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。
7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。
長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。
守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。
この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。
※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。
(C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。
いつか彼女を手に入れる日まで
月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?
今更困りますわね、廃妃の私に戻ってきて欲しいだなんて
nanahi
恋愛
陰謀により廃妃となったカーラ。最愛の王と会えないまま、ランダム転送により異世界【日本国】へ流罪となる。ところがある日、元の世界から迎えの使者がやって来た。盾の神獣の加護を受けるカーラがいなくなったことで、王国の守りの力が弱まり、凶悪モンスターが大繁殖。王国を救うため、カーラに戻ってきてほしいと言うのだ。カーラは日本の便利グッズを手にチート能力でモンスターと戦うのだが…
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる