大戦乱記

バッファローウォーズ

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紀州征伐 後編

売国奴

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 中郷を完全に掌握した剣合国軍は、徐款と王晃を守備に配して宮郷郡へと進出した。
同地を治める者は太田定久オオタ・サダヒサ。協調性に欠ける人物であり、先の八月侵攻はおろか、中郷への援軍にも兵を出し渋った男だ。

「李醒将軍! 太田家当主・太田定久が、将軍にお目通り願いたいと申しております!」

「……許す。ここへ連れて参れ」

 宮郷に足を踏み入れて直ぐの出来事であった。
何と、太田定久自らが出馬し、先鋒の呉穆を通じて李醒に面会を求めたのだ。

 李醒は定久の要求を呑み、進軍の歩を止めて陣を張る。

 暫くして、兵に随行する形で一人の男が現れた。
小太りで丸々とした、醜い顔の中年だった。

「李醒将軍。太田定久殿をお連れしました」

「へへへ、太田……定久にございます。此の度参りましたるは、我等宮郷衆の者共が降伏を望んだが故にて。……何卒、お聞き入れいただけぬでしょうか?」

 案内した兵が整った挙動を見せる傍ら、定久は妙にへりくだった賤しい物言いをする。

(粗野とはまた違う……如何にもな小物感溢れる男だな)

 同席しているナイツを始め、李洪や亜土兄弟は定久に対する第一印象を悪く捉えた。
それは彼の容姿も去ることながら、根の曲がっている様な発言や、危機に瀕してさらっと態度を変える意気地のなさから感じる呆れだった。

「…………降伏は望むところだ。然し、貴様の行動で一つだけ気になる点がある」

「へぇ……何でございましょうか?」

「貴様とて、旧剣合国に恨みを持つ雑賀衆の一員であろう。にもかかわらず、度々の戦で他家に同調しなかったのは何故だ。鈴木家のように仕事を選ばずとも食うに困らぬ土地柄故、他人事の様に傍観を貫いたのか?」

「あぁ……へぇ、その事でありますか……」

 生返事とともに後頭部を掻きむしる定久。何とも覇気のない粗忽者な仕草を見せる。
それがナイツら若手の将には馬鹿にされたように映り、定久の印象を更に悪化させた。

 だが、李醒と呉穆に関して言えば、やけに落ち着いた様を示す。
定久の言動などまるで眼中にない様子で押し黙り、厳しい目付きを浮かべながら返答を待ち、言葉の裏にある真意を正さんとしていた。

「では、逆に問わせてもらいまして…………李醒将軍は、勝てぬ戦に挑みますかね?」

 そんな心の詮議を知ってか知らずか、定久は試し返すように答えた。

「戦に勝敗は付き物にて……「勝ち」「負け」とは勝つ算段があって初めて発生する結果。されど当初から勝ち或いは負けが決まっている戦は……戦とは言えないでしょう?」

「故に貴様は……「戦もどき」には加わらぬと決めたか」

「雑賀衆が中立を徹しておる限り、剣合国は征伐に及ばぬ……そう思っていた次第にて」

「……成る程な、道理で貴様等がアレス軍のみと戦っていた訳だ」

 宮郷太田家は、覇攻軍の派兵に応じてアレス軍と戦っていた。
雑賀衆に属していながら剣合国に靡く訳にはいかず、抑々にして太田家も旧剣合国への恨みがある為に、進んで味方しようとも思わない。
そうなれば傭兵稼業を営む彼らにとって、敵となる者はアレス軍のみになるのだった。

「うむ……良く分かった。宮郷太田家の降伏、剣合国軍総代将の李醒が確かに認めた。以降は我等の「戦」に加わり、道案内を務めよ」

「ははっ。有り難き温情、まっこと感謝致しまする。
――それと話は変わりまして李醒将軍。貴軍にとって有益な情報があるのですが、どうです? 一つ買ってみませんかね?」

 言質を得て頭を下げた矢先の事。
定久は目だけを上に向けて李醒をねめつけ、悪徳商人のそれに類似する不敵な笑みを浮かべながら、先程とはまた違う声音を以て提案してきたのだ。

「…………見返りに何を求める」

「恒久的な宮郷郡の統治。即ち所領安堵にございます」

 要求を耳にした李醒が、俄に眉根を寄せる。
諸将はその様子を見逃さず、長年の戦友に当たる呉穆から見れば明らかな不機嫌と言えた。

「……まぁ良かろう。ナイト殿に掛け合ってやる」

「その言葉だけでは少々……。できれば証文か何かを頂けるとですね……」

「私の口約束では信頼できぬと言うか」

「ナイト様の口約束なら信じますが、貴方様は底が知れなさ過ぎますので」

 不遜にして大胆な発言。定久という男は中々に肝の据わった人物だった。

「この無礼者が! 意気地なしの癖に調子に乗るでない! 李醒将軍が情けを掛ければ、それをずけずけと利用しおって!」

 皆を代表するように太嶷が凄んで見せ、剣に手を掛けるや定久を威圧した。
当然と言えば当然の反応である。この状況にあって下手となるべき者は、味方を見捨ててさっさと降伏を申し出てきた定久の筈。それが厚顔無恥にも所領の完全安堵を要求し、李醒に対して信用ならない人物という酷評を言い放ったのだから。

 これは最早、わざとと言える域に該当しており、本音と建前が苦手とかではなかった。

「……太嶷、止めよ。激情に我を見失う者は損をすると言うように、ここは考え所だ」

 然しながら、李醒は太嶷を良く宥めた。将としての冷静さを忘れるな、と。
定久はそれに便乗するように、李醒へ決断を促す。

「まっこと、その通りにございます。……それで、どうなさいます?」

「…………良かろう。証文を用意してやる。だがその前に、お前の話はそれに値するものか?」

「証明は難しいですな。何せ、人によって戦略的に判断する物差しが違いますから。ですがまぁ、判断基準として参考にするものならば…………私は勝てぬ戦をしない事です」

 厳然と構える李醒の睨みが僅かに和らいだ。
策謀を得意とする彼ならではの物差しが、定久の提示した参考に反応を示した様子。

「良かろう。総代将の特権を以て、お前の話を買う。太嶷、証文を用意せよ」

「……ははっ」

 普段なら武人らしい実直な返事を見せる太嶷が、今回に至っては珍しくも不満を示した。
だが当の李醒に至っては、側近の感情を前にしても顔色一つ変えず、宮郷太田家の所領を安堵する証文を流れる動作で書き記す。

「出来たぞ。これで良いか?」

「…………はい、これで良うございます。確かに頂きました。
――では早速お話致しましょうか。中郷郡より逃れてきた鈴木重幸と的場昌長の事です。重幸は現在、我が領内の山中に潜伏し、我が兵を扇動して貴軍に抵抗せんと企んでおります。昨日も私の所へ参り、李醒将軍を城へ招き入れて討ち取る策を提示し、私に協力を要請してきた次第にございまする」

「うむ……して、お前は何と答えたのだ?」

「多額の報酬と雑賀荘の支配支援を条件に、重幸の策に乗りました」

「重幸はどの様な策を以て、この李醒を討とうとした」

「今のように、先ずは私が降伏を申し出て剣合国軍に城と領土を明け渡します。そして李醒将軍を領内深くへ誘き寄せ、南郷の小野田家および宮郷の各集落を一斉に挙兵させる。小野田勢は南より迫って主力軍を釘付けにし、宮郷の兵は糧道を断って李醒将軍を孤立させます。兵站の確保と維持に重きをなす李醒将軍は、必ずや太田城にて指揮を執る筈……ならばそこを狙い、内部に潜ませた間者と連携して内と外より城を攻める…………といったところですな」

「的場は何処で何をしている」

「的場昌長は現在、南郷に居りまする。そこで小野田家の兵を集め、機を見て宮郷へ攻め寄せる手筈となっておりますれば……その数、ざっと五千はおりましょう」

「うむ、中々に良き話だ。所領安堵の件、しかと約束しよう。後の事は太田城に入ってからと致す故、下がるがよい」

「へへへ、それでは、あっしはこれで失礼します」

 重幸の策を残さず暴露した裏切り者の定久。
彼は保身の為に味方を売る罪悪感を微塵も感じていない様で、軽く一礼した後にふらふらと下がり、進軍の時まで悠々と待機する事にした。

 そして彼が去った後、呉穆が李醒に対して小声を向ける。

「…………太田定久、喰えぬ男だな」

 李醒も眼光を鋭くさせ、右腕の発した意見に同意を示す。

「……ああ。この私とした事が判断に誤ったようだ。多少強引でも宮郷を攻め落とし、奴の首を上げておくべきだった。まさか奴が降伏を認められた後に、これほど戦略的な話を切り出せる人物とは思っても見なかった」

 降伏と助命を認めた言葉を、口約束であっても違える事はできない。
それは暗黙の了解と言っても過言ではなく、普通の勢力であっても大事にするところを、信義を基とする剣合国軍であれば尚更だった。

 それ故に李醒と呉穆は、事ここに至って宮郷郡への強攻姿勢を示さなかった事を悔いた。
降伏を認めず片っ端から攻めて行けば、自ずと重幸の策を崩す事に繋がるからだ。
尤もそうした場合には、降伏を表明した者達を殺す結果となる為、メリットもあるがそれ以上のデメリットが発生してしまう。

「ならば、これはこれで利用するのみだ。そして、やるからには必ず元手以上を取る」

 李醒はこの場の誰よりも乗り気に見えた。それは策謀の色と気配に酔ったとも言える。

「…………だけど、定久が言っていた事は本当だろうか……。もしかしたら彼は、二重の意味で嘘をついている可能性だってあるだろ?」

 一方で、ナイツは定久の話を疑っていた。
不義な輩に嫌悪感を抱いた事も影響して、良く捉えられなかったのだ。

 李醒はナイツに説明するついでに、少なからず同じ思いを持つ他の将にも言い聞かせる。

「奴の言う事に間違いはないでしょう。仮に重幸の策が途中まで上手くいき、我々が術中に陥ったとしても、最終的な結果は目に見えています。定久は保身という観点をもとに第三者の目線でそれを見抜き、「利」に繋がる方へ付いたのです」

「利……か。如何にもな小物っぷりだね」

「……敢えて言えば、そこが問題です。今は利益によって味方となってはいますが、奴は……売国奴・太田定久は、剣合国が弱まった時に再び背くでしょう」

 半ば経験則の未来予知だが、断言した李醒の目付きは普段以上に血の気を帯びていた。
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