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八月防衛戦
降すべき存在
しおりを挟む「…………最期まで意地を貫いた上に、討ち取られるのも良しとせず……か」
全滅した雑賀兵を越えて谷間を覗き込む李醒が、誰に言うでもなく呟いた。
的場は兵が討死するまで呉穆と一騎討ちを行った末、剣合国軍に討ち取られる事を拒み、自害するべく谷底の激流に身を投げたのだ。
「……将軍……」
呉穆と並び立つ李醒に、李洪が浮かない表情で駆け寄った。
対する李醒は依然として谷間を見つめ、息子に顔を向けようとはしない。
呉穆はそんな二人に気を遣い、李醒に代わって部隊指揮を執る。
「……撤収準備と的場捜索の物見を放っておく。谷に落ちたぐらいで奴が死ぬとは思えん」
「ああ。まがりなりにも奴は『不倒』の男だ。瀕死ではあろうが、恐らく生きていよう」
要らぬ芽を刈り取るに越した事はない。
李醒は呉穆の進言に賛同し、的場追討を認可した。
そして父子のみとなって漸く、李醒は李洪に言葉を掛ける。
「…………家中が揺れる勢力に調略を仕掛けるとすれば、お前ならば何処を狙う」
それは唐突に振られた講義だった。
李洪は数瞬に亘って面喰らった後に、自分が試されていると理解。直ぐに答えを言い返す。
「不満を持つ者を味方に付け、家中の対立を激化させます」
「その様な小物は捨て置け」
「……は?」
「手間がかかっても良い。手間を惜しむならば前もって動け。そして家にあって、最も忠義に厚い堅物を落とせ。凡百の軍師である程に尻軽を引き抜いてその場を凌ぎ、その尻軽を用いた大将が足を取られて戦に負ける。……何故だか分かるか?」
与し易い者は無視して、敢えて内応し難い忠義者を選べという発言は、効率的に敵を嵌め殺す事を十八番とする李醒に似合わぬものだった。
尤も、それは彼自身の体験が大きく関与しており、確かな根拠を含んでいた。
だが李洪はそうとは知らず、李醒曰くありふれた理由を答える。
「……簡単に寝返る者は、その性質故にまた寝返る事も辞さないからです」
李醒は僅かに眉根を寄せた。傍に立つ李洪ですら気付かぬ程の微動だった。
「……それだけではない。尻軽者は前科を増す程に軽くなる。然し、堅物はその逆に当たる。故に後々まで信頼できる堅物を奪い取り、家中に大きな波紋を立たせよ。さすれば兵を繰り出さずとも大勢は決し、後は徹底して家を滅ぼすのみ」
「ですが徹底した征服は、恨みが残るだけかと……」
「普通の調略を以て尻軽のみを生かせばそうなろう。だが忠義者には、後ろ帯引かれる存在を完膚なきまで消してやる方が為になる。中途半端に跡形を残し、その者の道を阻む事こそ罪と言えよう」
今日の李醒は良く喋った。だが喋りはするが、一貫して顔を合わせようとはしない。
嫌なものだが、それに李洪は慣れている。
故に彼は、李醒の言葉を深く刻みはするが、その真意と父の心中までは察せられなかった。
「承知致しました。しかと心に刻んでおきます」
「お前のそれが駄目だ」
「……はっ……? 駄目……ですか?」
本日二度目の聞き返しが行われ、ここで漸く李醒は顔を向けた。
表情は采配中と変わらぬものの、うっすらとだが叱責の気配を醸し出している。
「私に言われた事を刻むだけだろう。お前も行く行くは軍師を志し、若君を支える身。ならば何故、我が身に置き換え、その上で自分ならばこうすると頭を働かさぬ。何故、私に策を示そうとせぬ。聞いて学ぶだけなら子供でもできるもの。そこに落ち着き、謀る経験を積まぬ様では何も変わらぬぞ」
「しっ……失礼しました。私が浅はかでした……」
否、隠しているだけで、李醒の言葉からは厳しい叱責が被さっていた。
李洪は畏縮して頭を垂れる。これも嫌なものだが慣れていた。
強いて言えば、だからこそ李醒は駄目だと言ったのだ。
「……これ以上は自分で考えろ。
――兵を退いて陣に戻り、黄荻殿と合流する。お前も自身の部隊を率いて後に続け」
「……はっ」
父子としての会話は終わり、気を入れ換えて総代将と一将軍のやり取りに戻す。
李醒は本隊に何一つ指示を発する事なく前進させ、千人隊を任されている李洪も帰陣準備を早々に済ませて後に続いた。
結局、この日の戦は剣合国軍及び黄軍の圧勝に終わった。
捕虜となった雑賀兵は三千名に及び、他の七千名は討死。この数字は軍として壊滅以上の損害と言え、雑賀衆は完全に出鼻を挫かれる事となる。
それに反して剣合国軍の死傷者は千名程度と軽微であり、前線陣地には李醒本隊三千、黄荻騎馬隊二千、李洪隊一千の計六千名が備えについた。
「……おおぉ……おぉのれ李醒! 李醒貴様ァ……! 覚えておれよ……必ずや、同胞の仇を……討つ!!」
そして谷底に落ちた的場は、李醒と呉穆の予測した通りに生存しており、這う這うの体で南を目指して落ち延びた。
今の彼は得物の一本すら持ち合わせておらず、全身隈なく傷だらけの状態で、部隊の立て直しどころか参戦する事も適わぬ状態にある。
それ故に、先ずは自分の態勢を立て直す必要があった。
「おおぉ父上……あっ、兄上……! ワシはか、必ずや……必ずや! 剣合国を滅ぼすしますぞ! ですが今は……退く事をお許しくだされ……再戦の折には……必ずや李醒を討ち、剣合国の瓦解に……つっ、繋げて、みせましょうぞ……!!」
然し彼自身の精神は、もはや立て直しが効かぬ程に乱れていた。
「り、李醒……李醒だ……! 奴を討たねば、雑賀に明日は……ない……! 雑賀が襲われる……より先に、今度はワシが、奴を殺してくれる……!!」
切り傷・打ち傷がとめどない体を執念で動かし、血走った目で野生動物を射殺しながら、ゆらゆらと進んでいく的場。
彼は己の存在理由に乗っ取り、単身ながら紀州東部の中郷郡へと向かう。
過去の大戦に次いで死を覚悟した彼は、一言で言えば精神に異常をきたし始めていた。
自然と顕れた生存本能が彼の存在理由を強力に後押しして、ラスフェによって強行された紀州征伐の惨劇を思い出した故に、憎悪の塊と化したのだ。
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