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八月防衛戦
先鋒隊敗走
しおりを挟む機を見計らって北より現れた騎馬隊は、猛々しい喚声を上げながら南進。
李醒隊を北から攻撃する的場隊銃兵の背後に迫る。
「オオオォ!! オォオッ! オオオォ!!」
「ヴオオオォォーー!!」
鳴り止まぬ咆哮。偏に、それは武器であり、攻撃手段の一つだった。
出番到来とともに発する単発的な喚声が己の気勢を高める一方で、迫りながら継続して放つそれは実数以上の重圧を浴びせ続ける。
不利側の本能に作用して恐怖心を煽り、声が大きくなるにつれて死への秒読みが加速する。
中でも先頭を駆ける巨漢の咆哮は一際凄まじく、一個中隊程度であれば、正面から向けられただけで参ってしまうほど。
「ヴオオオオォォアアァァーーー!!!」
「ひっ、ひぃぁ!? 来るぞ!? 来るぞ来るぞ来るゾォ!?」
「あっ……あれは間違いない! 黄家の黄荻だぁーー!?」
殺戮的な威圧を持つそれを背後から受けたとすれば、高々一千の遊撃部隊などは波に呑まれる小石に等しい。体を畏縮させ、ただ声を震わすのみ。
勇気と余裕は簡単に掻き消され、彼等は一転して極度の恐慌状態に陥った。
「銃兵を出せ。今が撃ち刻だ」
「ははぁっ! 右翼銃兵隊出でよ! 的を絞らず撃ち尽くせ!」
しかも、前方には李醒隊が構えている。
狂暴な新手の出現はもとより、これによって挟撃された状態が形成され、戦う逃げる等の思考を停止させるばかりか諦めの境地に至らせてしまうのだ。
「さぁ、どうする的場。私を狙って前に進むか? それとも味方を想って後ろに当たるか? どちらにせよ貴様は半身を失う。故に悶え、そして沈め。万夫不倒の伝説とともに」
李醒は聞こえぬ、見えぬを承知の上で、本陣に迫りつつある的場に問い掛けた。
当の的場はそんなこと露にも知らないながら、奇しくも答え返す。
「……ちっ、あのイカサマ師が! これを狙ってこの地に布陣したのか!
――全軍を後退させて一塊を成す! 特に北側の遊撃隊は急いで下がらせろ! 放心しておる場合は馬鹿にしてでも呼び戻せ!」
的場の下した判断は、一旦下がって態勢を立て直す事だった。
彼本人も突撃を断念し、馬首を返して出撃前の場所まで戻ろうとする。
然し、彼は反対側に居る事が災いして状況把握に多くの時間を要しており、指示を発した時には北側の味方は手遅れに近いほど黄荻隊の接近を許していた。
結果、後退の指示が伝わる頃には黄荻隊による蹂躙が始まってしまう。
そして李醒は、その時間差を前にして何もしないほど優しくない。
「呉穆、ここの守りはもう必要ない。太嶷等と合流して敵軍を突き崩せ」
「どれほど敵を残せばよい?」
「的場を残して他は皆殺しで構わん。本部からの下知は受けてある」
「では遠慮なく。皆、某に続け! 狩りの時間だ!」
李醒の傍に控え、今の今まで黙り続けていた老将が矛を手に取った。
彼の名は呉穆。李醒の副将を務める一人であり、李醒直属軍の筆頭武官だ。
的場に備えて最後の主力兵を本陣に待機させていた呉穆は、それらを率いて出陣。最前線で踏ん張る太嶷、西慶、楊蕭達と合流し、反転攻勢に移る。
「き――」
「ひ――」
「ひゃ――」
「道を開けろ道を開けろォ!! 我は鳳国にその人有りと謳われた「戦餮の呉穆」!! 雑兵なんぞに用はない! 的場ァ! 的場は何処だ! 的場昌長ァーー!!」
熱を帯びた呉穆を止められる者はそうそう居ない。
彼の荒ぶりは味方ですら近寄り難く、敵兵に至っては悲鳴を上げる前に肉塊と化す。
「相変わらず容赦がないな、呉穆将軍は」
「あぁ、太嶷達ですら陰る武力を持っておられる……!」
上官の傍にあって常に考えを働かせ、無駄口を叩く暇すらない李醒の幕僚達ですら、呉穆の武勇を前にしてただただ見事と言う。
「李醒様。北面の敵が黄荻隊によって駆除されました」
更に、この戦場にある豪将は呉穆だけではない。
彼以上とも思われる黄軍の黄荻も参戦しており、そちらに関しては突撃から僅か十分とかからずして敵部隊を一蹴していた。
李醒は戦況が覆る事は万に一つもないと判断し、守勢に徹している部隊にまで反撃を命じる。
「全軍総攻撃に移れ。一兵たりとも、この地より生かして帰すな」
情け容赦がないのは、李醒も同じである。
否、全軍を統率する立場として、呉穆や黄荻以上に徹底しているとも言えた。
側近達は指示に従って出陣していくが、皆が心の中で同じ事を思う。「鬼だ」……と。
一方の的場隊は圧倒的な劣勢に立たされ、敵の反撃を受ける味方が各所で崩れていた。
「北側の御味方、壊滅! 黄荻隊は矛先を此方に変えました!」
「第一陣も全滅に近い状況です! 第二陣もまた、被害甚大!! 的場様、ご指示を!」
連続して届く敗報、刻一刻と悪化していく戦況、逆転した戦力差と士気。
この苦境を前にしては手の施しようがなく、態勢の立て直しどころの問題ではない。
「ちぃっ! ……撤退だ。西に撤退して陣に籠って耐える! 全軍、撤退だぁーー!!」
的場は撤退を余儀なくされ、歯ぎしりした。
(こうなっては最早、被害を最小に抑えて陣地の守りを固めるのみ。これ以上意地を張って無駄な抵抗をしたとしても、無駄に李醒の手柄が増すだけだ。…………だが……)
的場は首を後ろに回し、東に構える李醒本陣の奥を、追撃する呉穆等によって背後から討たれる味方越しに、一頻り睨む。
(心しておけ! 貴様はまた、ワシ等の恨みを買った! この借りは数千倍にして返ってくるぞ!!)
将として冷静を失わないところは的場の評価点だった。
幾ら剣合国を憎み、自らを軽くいなした李醒に殺意を覚えようとも、過去に飲まされた苦汁が彼の精神に耐性をもたらし、将としての平静を保たせたのだ。
「…………愚か者が。生きようが死のうが、抗う限り先はない」
向けられた殺意に気付いたのか、李醒は的場の心言に返すかの様に言う。
「敵に退路はない。このまま追い詰め、一気に屠るぞ。窮鼠猫を噛む暇も与えるな!」
そして全軍に追撃命令を下し、彼自身も本陣を打ち捨ててまで出陣した。
的場隊は苛烈な追撃を受け、陣形は元より戦意までズタズタに喰い破られる。
「的場様!? あっ、あれを! 味方の陣に李醒の旗が立っております!」
「な……ぁんだぁこれはァーーー!!」
何とか陣地近くまで下がった彼等だが、目に映った光景は信じがたいものだった。
折られたヤタガラスの旗が陣地の外へ無造作に捨てられ、代わりに剣合国の旗と「李」の旗が掲げられていた。
「敵が打って出ました! 後ろからも李醒隊と黄荻隊が迫っております!」
「このままでは逃げ場を失います! 的場様、ご指示を!」
西からは無傷に近い剣合国軍別動隊二千、東からは李醒と黄荻の連合部隊五千。対する的場隊は三千程にまで減っており、半数以上の兵が負傷していた。
この時点で軍としては壊滅状態であるが、李醒はそれでも攻め手を緩めなかった。中途半端な終わらせ方が行く行くは味方を苦しめると知っており、最期の最期まで徹底した殲滅を望むのが彼なのだ。
「またしても……またしても李醒……貴様ァ……! …………えぇいくそったれ!! 南に下って中郷へと抜けるぞ! あそこには岡崎の倅が残っておる! 奴と合流して態勢を立て直すぞ!」
八月は西と南で雑賀領に隣接している。
西は鈴木家の十ヶ郷で、南は岡崎家の中郷。岡崎家当主の岡崎義重は鈴木佐大夫の本軍に属している為に不在だが、彼の三男に当たる岡崎三郎が同地には残っていた。
的場は彼の地に逃れて兵を立て直した後、再び八月に侵攻する事を決めた。
「呉穆様! 的場隊が南へ向かって逃げ出しました!」
「往生際の悪い奴だ。何処へ逃げても等しく、奴等に逃げ場は無い! 更に追撃を掛けるぞ!」
呉穆を先駆けとする李醒本隊三千が追撃に移り、黄荻騎馬隊二千は李醒の頼みを受けて陣の防衛に回る。
ここで黄荻騎馬隊に手を引かせる理由は、主に二つある。
一つ目は雑賀の後続軍が来る前に陣の守りを強化する事。
二つ目は人馬ともに疲労が著しく、休息を必要とした事。八月北隣の豪山より駆け付けた為、馬に至っては駆け疲れて倒れそうな状態。騎兵達も黄荻の存在及び激励、または圧勝劇による士気の獲得を以て、気合いで戦闘を継続させているに過ぎない。
軍の体力管理にまで気を回し、それによって策の幅を広げる李醒が、援軍である黄荻隊に無理を強いる訳はなかった。
余談だが、黄荻隊が駆る馬の品種はトーチューのものとは違う。
トーチュー騎軍が生産し、剣合国軍にも輸出されていた馬は、完全な戦闘特化型。優れた体躯と持久力と速度を誇り、戦場という非日常にも逸早く順応できる。
然し、黄家の有する軍馬はトーチューのそれとはまるで違う。
山城州の山岳地帯で産まれ育った為に足腰が強くて頑丈で、山中の戦闘では頼りになるのだが、短足胴長の中型馬である事が影響して速度は比較的遅く、持久力も控え目。
所謂、戦闘に不向きな軍馬であり、こと平野戦では真価を発揮できない。
それも理由に加えるとするならば、李醒が黄荻隊を離脱させたのは当然とも言えた。
「おぅし! 敵が減ったぞ! これなら大丈夫そうだ!」
事情を知らぬ的場は黄荻隊の追撃が中断された事に喜び、それは部下達も同様だった。
だがそれは、とても浅はかな一喜一憂であろう。
ここまでの流れを予測している李醒が、騎馬隊の離脱を見越して代わりになる存在を先に配していない訳がないのだから。
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