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Episode 4 水族館デート
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【2024年9月25日】
薄暗い照明。青い光が漏れ出す水槽。その中で平べったいエイが白いお腹を見せて泳いでいた。へらへらと流れに揺られながら。切れ目のように入ったえらがくぱくぱと開閉している。
アクリルの手すりに両手を突きながら、隣を見る。
そこには有坂未央の横顔があった。左耳にかけた髪の間、耳の下にクリスタルみたいなドロップがぶら下がったイヤリングが揺れている。
無邪気に浮かべる微笑が、可愛いなって思った。
「――可愛いな」
「ん? 何か言った?」
未央の顔がこちらを向く。知らない間に言葉になっていたみたいだ。
見上げる彼女の瞳を見つめ返すことはできなくて、僕はまた水槽の中を飛ぶエイに視線を戻した。
「いや、――別に。やっぱり、水族館は涼しいよな。室内だし」
「そこ? でもちょっとずつ涼しくなってきていない? 今朝は意外と過ごしやすかったよ」
「まあ、それはそうか」
横見で盗み見ると、彼女もまた視線を水槽へと戻して、海を模した世界の中を外側から眺めていた。
「――ねえ、悠人くんは水族館って好き?」
「なんで今更? 誘っておいて」
「いいじゃない。本人の口から聞きたくなることだってあるの」
「まぁ、――嫌いじゃないかな」
「そっか。そう言うと思った」
未央はそう言って満足気に笑った。
今の中途半端な回答のどこに満足できるポイントがあるのかはわからないけれど。
水族館は嫌いじゃない。
色々な種類の魚たちを見ていると、世界の多様さに気付かされるし、なんだか自分の日常が世界の中でほんの小さな可能性に縛られたものみたいに思うのだ。もっと自由で良いんだよ。もっと色々で良いんだよ。
だけど「嫌いじゃない」にとどまって、「めっちゃ好き」になれないのは、そんな魚たちが水槽という檻に閉じ込められているからだ。彼らにとっては世界の外側にいる人間たちによって。まるで運命を操る神様みたいに横柄な人間たちに、故郷から離されてこの海一つない京都盆地のコンクリート建造物へと連れてこられて。どうしようもない水槽という檻の中で、生きていることを強要されている。
考えすぎだって失笑されるかもしれないけれど、「結局はお前もそうなのだ」と言われているような気がしてしまったりするのだ。
隣を見ると彼女と視線が合った。僕にことをじっと見上げていたみたいだ。
ちょっと恥ずかしくなって視線を逸らした。
なんだか恥ずかしい思考を見透かされた気がして。
「先に進もっか?」
「そうだね。まだまだあるし」
「だね」
彼女がアクリルの手すりから左手を離す。ワンピースの肩口からするりと伸びた白い腕から、指先への流れが美しく、暗闇の中で揺らめいた。
その手に向かって僕は右手を伸ばす。
ふと我に返って、僕はその手を止めた。
意識的に左手で右腕を抱え込んで、何度か左へと引っ張った。
なんだか背中にストレッチをするみたいに。
勝手をする右手くんを戒めるみたいに。
僕らは暗闇を抜けて外へと出た。
京都の残暑はいつも厳しくて高い湿度で過ごしにくいことが多いけれど、今日は少しましな感じだった。もう九月も後半。流石に秋の気配だ。
その中でペンギンたちがてくてくと通路を歩いて、僕たちを見上げてくる。
「――ケープペンギン」
未央がしゃがんで白と黒の鳥類に目を輝かせる。
「詳しいんだ」
「詳しいわけじゃないよ。この前来た時に教えてもらっただけで」
「へー、誰に? 友達?」
彼女は僕を見上げて「企業秘密」と舌を出した。
「そっか。企業秘密なら仕方ない」
僕は列をなすケープペンギンたちを視線で追いかけた。
急に詮索めいたことを言ってしまった自分の発言を反省しながら。
まるでデートみたいな今日の水族館。知らない間に自分も無意識に彼氏気取りになっていたのかも。
僕らの脇を子どもたちが駆け抜けていった。
JR京都駅から山陰線を一駅西に移動した梅小路京都西駅を降りてすぐ。京都水族館は京都の観光スポットであるとともに、地域の親子連れで賑わう施設だ。完全な人工海水を利用した日本初の水族館であり、また、日本最大級の内陸型水族館でもあるらしい。
十年ちょっと前にできた比較的新しい水族館で、開業当初には母親と祖父母とともに、四人で来た。多分、小学校低学年の頃だった。
当時からケープペンギンたちはこの水族館人気者だった。比較的自由に動き回れるスペースと見せ方が新しいと、当時は話題になっているのを覚えている。
夏休みの宿題の絵画でケープペンギンを描いたら、小学校の中で張り出してもらえて、優秀作品の赤い花の飾りを横につけてもらえたのを覚えている。誇らしかったし、お母さんが褒めてくれたのが嬉しかった。
「ペンギンくんたち。可愛いよね」
「未央もペンギン、好きなの?」
僕たちは売店でアイスクリームを買って、ベンチに腰掛けた。
カップのバニラアイスクリームに木のスプーンを突き刺す。
「うん、まあ、好きだよ。可愛いしね。――でも、どっちかっていうと私が好きだった人が、好きだったって感じ」
「何それ? 元彼、とか?」
「彼氏じゃなかったかな。――まあ、良いじゃん、詮索は無しで」
「なんだよそれ。自分で言い出したんじゃん」
「そりゃそーだ」
彼女はそう言ってチョコミントのアイスクリームを頬張ると、飲み込んだ後に、赤い唇から舌をちろりと見せた。
それから僕らはイルカショーを二人で見てはしゃいだ。ちょっと後ろ目の席で観ていたからイルカジャンプの水飛沫はかからなかったけれど。イルカたちの息を合わせた演技と勢いのある運動に、ついつい声を出してしまう。いつも少しすまし気味な未央が童心に返ったように声を上げるのが微笑ましかった。
室内に戻ると、僕らを待っていたのは無数のクラゲが漂う360度パノラマ水槽だった。それは何度見てもとても綺麗で、生きた宝石の群れみたいだ。幻想的な水中空間がそこには広がっていた。
そんな空間の中で、水槽から漏れる光に照らされた未央の横顔に、僕は目を細めた。
薄暗い照明。青い光が漏れ出す水槽。その中で平べったいエイが白いお腹を見せて泳いでいた。へらへらと流れに揺られながら。切れ目のように入ったえらがくぱくぱと開閉している。
アクリルの手すりに両手を突きながら、隣を見る。
そこには有坂未央の横顔があった。左耳にかけた髪の間、耳の下にクリスタルみたいなドロップがぶら下がったイヤリングが揺れている。
無邪気に浮かべる微笑が、可愛いなって思った。
「――可愛いな」
「ん? 何か言った?」
未央の顔がこちらを向く。知らない間に言葉になっていたみたいだ。
見上げる彼女の瞳を見つめ返すことはできなくて、僕はまた水槽の中を飛ぶエイに視線を戻した。
「いや、――別に。やっぱり、水族館は涼しいよな。室内だし」
「そこ? でもちょっとずつ涼しくなってきていない? 今朝は意外と過ごしやすかったよ」
「まあ、それはそうか」
横見で盗み見ると、彼女もまた視線を水槽へと戻して、海を模した世界の中を外側から眺めていた。
「――ねえ、悠人くんは水族館って好き?」
「なんで今更? 誘っておいて」
「いいじゃない。本人の口から聞きたくなることだってあるの」
「まぁ、――嫌いじゃないかな」
「そっか。そう言うと思った」
未央はそう言って満足気に笑った。
今の中途半端な回答のどこに満足できるポイントがあるのかはわからないけれど。
水族館は嫌いじゃない。
色々な種類の魚たちを見ていると、世界の多様さに気付かされるし、なんだか自分の日常が世界の中でほんの小さな可能性に縛られたものみたいに思うのだ。もっと自由で良いんだよ。もっと色々で良いんだよ。
だけど「嫌いじゃない」にとどまって、「めっちゃ好き」になれないのは、そんな魚たちが水槽という檻に閉じ込められているからだ。彼らにとっては世界の外側にいる人間たちによって。まるで運命を操る神様みたいに横柄な人間たちに、故郷から離されてこの海一つない京都盆地のコンクリート建造物へと連れてこられて。どうしようもない水槽という檻の中で、生きていることを強要されている。
考えすぎだって失笑されるかもしれないけれど、「結局はお前もそうなのだ」と言われているような気がしてしまったりするのだ。
隣を見ると彼女と視線が合った。僕にことをじっと見上げていたみたいだ。
ちょっと恥ずかしくなって視線を逸らした。
なんだか恥ずかしい思考を見透かされた気がして。
「先に進もっか?」
「そうだね。まだまだあるし」
「だね」
彼女がアクリルの手すりから左手を離す。ワンピースの肩口からするりと伸びた白い腕から、指先への流れが美しく、暗闇の中で揺らめいた。
その手に向かって僕は右手を伸ばす。
ふと我に返って、僕はその手を止めた。
意識的に左手で右腕を抱え込んで、何度か左へと引っ張った。
なんだか背中にストレッチをするみたいに。
勝手をする右手くんを戒めるみたいに。
僕らは暗闇を抜けて外へと出た。
京都の残暑はいつも厳しくて高い湿度で過ごしにくいことが多いけれど、今日は少しましな感じだった。もう九月も後半。流石に秋の気配だ。
その中でペンギンたちがてくてくと通路を歩いて、僕たちを見上げてくる。
「――ケープペンギン」
未央がしゃがんで白と黒の鳥類に目を輝かせる。
「詳しいんだ」
「詳しいわけじゃないよ。この前来た時に教えてもらっただけで」
「へー、誰に? 友達?」
彼女は僕を見上げて「企業秘密」と舌を出した。
「そっか。企業秘密なら仕方ない」
僕は列をなすケープペンギンたちを視線で追いかけた。
急に詮索めいたことを言ってしまった自分の発言を反省しながら。
まるでデートみたいな今日の水族館。知らない間に自分も無意識に彼氏気取りになっていたのかも。
僕らの脇を子どもたちが駆け抜けていった。
JR京都駅から山陰線を一駅西に移動した梅小路京都西駅を降りてすぐ。京都水族館は京都の観光スポットであるとともに、地域の親子連れで賑わう施設だ。完全な人工海水を利用した日本初の水族館であり、また、日本最大級の内陸型水族館でもあるらしい。
十年ちょっと前にできた比較的新しい水族館で、開業当初には母親と祖父母とともに、四人で来た。多分、小学校低学年の頃だった。
当時からケープペンギンたちはこの水族館人気者だった。比較的自由に動き回れるスペースと見せ方が新しいと、当時は話題になっているのを覚えている。
夏休みの宿題の絵画でケープペンギンを描いたら、小学校の中で張り出してもらえて、優秀作品の赤い花の飾りを横につけてもらえたのを覚えている。誇らしかったし、お母さんが褒めてくれたのが嬉しかった。
「ペンギンくんたち。可愛いよね」
「未央もペンギン、好きなの?」
僕たちは売店でアイスクリームを買って、ベンチに腰掛けた。
カップのバニラアイスクリームに木のスプーンを突き刺す。
「うん、まあ、好きだよ。可愛いしね。――でも、どっちかっていうと私が好きだった人が、好きだったって感じ」
「何それ? 元彼、とか?」
「彼氏じゃなかったかな。――まあ、良いじゃん、詮索は無しで」
「なんだよそれ。自分で言い出したんじゃん」
「そりゃそーだ」
彼女はそう言ってチョコミントのアイスクリームを頬張ると、飲み込んだ後に、赤い唇から舌をちろりと見せた。
それから僕らはイルカショーを二人で見てはしゃいだ。ちょっと後ろ目の席で観ていたからイルカジャンプの水飛沫はかからなかったけれど。イルカたちの息を合わせた演技と勢いのある運動に、ついつい声を出してしまう。いつも少しすまし気味な未央が童心に返ったように声を上げるのが微笑ましかった。
室内に戻ると、僕らを待っていたのは無数のクラゲが漂う360度パノラマ水槽だった。それは何度見てもとても綺麗で、生きた宝石の群れみたいだ。幻想的な水中空間がそこには広がっていた。
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