46 / 52
第3話 裏返された三角形㊤
第3話 04
しおりを挟む
残りの下げ物をトレーに積み込んで、再びキッチンへと舞い戻る。
するとカウンターの向こう側に、こちらへ背を向けて立つリニアの後ろ姿が見て取れた。
辺りを見回せば、例のカップと受け皿はもとより、先に預けていった下げ物が満載のトレーすらも、そのまま手付かずで放置中といったご様子。
(見事なまでに、何もされてませんね)
まぁ分かってはいたし毎度のことでもあるのだから、今さらとやかく言うつもりも無いのだが。
しかし何と言うか、もう少しくらいは分担作業というものに気を配ってくれても罰は当たらないのではないかと、そう思う。
私は一つ静かに息を付きながら、白ローブをまとった背中に視線を送る。
カウンターの上角に腰を預けて立ち、軽く顔を伏せている彼女。
戻ってきた私に気付いた素振りもなく、何やら手にした紙束らしきものを黙々とめくり進めているようなのだけれど。
(何をしているんでしょう?)
素朴な疑問を抱えつつ、私は新たに集めてきた下げ物たちを、先の手付かずなトレーの隣に丸ごとガチャリと乗せ上げる。
すると。
「おっと、早かったねぇ」
物音でようやく私の戻りに気が付いたのか、リニアが首だけを回してこちらを向いた。
私の視線は、自然と彼女が左手に持っている手のひらサイズで縦長な紙の束に吸い寄せられる。
「それは?」
問いかければリニアが答えた。
「ん? ああ、今日の分の伝票だよ。さっき持ってきたんだ」
え? と思い、怪訝に眉根を寄せる。
本日分の伝票と言えば、いつもは会計台の引き出しの中に、一まとめで管理している物だ。
それを持ち出してくる場面と言えば、店仕舞い後の会計合わせの時か、はたまた何かしらの手違いが発覚した場合なくらいのものなのだけれど。
(まだ店仕舞いには早すぎますよね。私、お会計で何かミスでもしたのでしょうか?)
少しだけ不安になり、「何かありましたか?」と問いかけを重ねてみれば、リニアは小さく首を横に振って見せた。
「いやいや、心配には及ばないよ。特に何かトラブルがあっての事ではないからねぇ」
のんきな口調でそう言う彼女。私は少しだけ胸を撫で下ろすも、しかし。だとしたら、いよいよ訳が分からない。
「では、どうして伝票を?」
「いやね。さっき軽くテーブルをのぞいてみたんだけれど、特にこれと言ったものは見つからなかったんだよ。それなら、こっちに何か残っていないかと思ってねぇ」
いつの間に、と訝しむ私を他所に、左手に握った伝票の束をバサバサと揺らしながら、よく分からない事を言うリニア。
言うまでもなく、私の脳内にクエスチョンマークが乱れ飛び始める。
「つまり、どういう事ですか?」
「つまりだよ。改めて見てみれば、カフヴィナの疑問ももっともだと思ったのさ。それで私なりに、色々と考えてみる事にしたと、そういう話だよ」
ああ、ダメな奴ですねこれ。
問いかけの答えを受ければ受けるほど、どんどんと意味不明の色合いが増してゆく。
そんな捉えどころのない現状に戸惑う私。
リニアは世間話でもするかのような声色で、のうのうと続ける。
「コーヒーを注文していた、あのお客さん。彼には右腕が無く、加えて同行者もいなかったみたいだったからねぇ。それならカップの扱いは、左手のみで行われていたと考えるべきだ」
あっ、と思った。
(まさか、さっきの話の続きですか、これ?)
彼女の発言に組み込まれていた単語の端々から、目下の話題に察しが付き始める。
(うわぁ)
唐突に降って湧いた面倒くささに眉間のしわを深める私。だけれどリニアの言葉は止まらない。
「左手でカップを取り、飲み終えて受け皿へと戻す。それなら普通は、残されたカップの持ち手は左側に向けられているはずだ」
ところがだよ、と言葉をつないだリニアが、右手を開いて傍らのカップの横にそっと添える。
「カフヴィナの話が本当なら、このカップは持ち手を右側にして残されていた。
つまりだよ。彼は一度カップを受け皿に戻した後で、なぜか持ち手が右側へ来るようにクルリと回転させたという事になる。左手を使ってね。
これは確かに、少しばかり不可解な状況だと言えるねぇ」
い、言うほどか?
一息で勢いよく語り上げられたリニアの物言いに煽られて、どうした物かと合いの手を詰まらせる私。
そんな私の態度に何かを悟ったのか、リニアが少しだけ意外そうに両目を丸めた。
「おや? カフヴィナもこの不思議な状況が気になって、それでああも考え込んでいたんじゃないのかい?」
問いかけられ、少しだけ返答に困る。
リニアが口にした『考え込んでいた私』とは、フロアの片隅でカップを前にして悶々と頭を悩ませていた時のことを言っているのだろう。
確かにあの悶々は、残されていたカップの向きに違和感を感じていたことが原因で。
それはきっと、彼女の言う“不思議な状況”とやらと、とてもよく似てはいるのだろうけれど、しかし。
(微妙に違うんですよねぇ)
というのも率直な感想だった。
私の抱えていた違和感の正体。
それは結局のところ、単に『自分で向きを入れ替えて提供した』事を忘れていたというだけの話でしかなかった分けで。
だからこうして思い出してしまった今となっては、そんな違和感などは、私にとって遠の昔に終わったお話でしかない。
ところが今、リニアが不思議だと言ってのけた事柄は、私の解決済みな違和感とは少しばかり趣が違う。
なぜカップの持ち手が右側に向けられていたのか?
知るかい、そんなこと。
するとカウンターの向こう側に、こちらへ背を向けて立つリニアの後ろ姿が見て取れた。
辺りを見回せば、例のカップと受け皿はもとより、先に預けていった下げ物が満載のトレーすらも、そのまま手付かずで放置中といったご様子。
(見事なまでに、何もされてませんね)
まぁ分かってはいたし毎度のことでもあるのだから、今さらとやかく言うつもりも無いのだが。
しかし何と言うか、もう少しくらいは分担作業というものに気を配ってくれても罰は当たらないのではないかと、そう思う。
私は一つ静かに息を付きながら、白ローブをまとった背中に視線を送る。
カウンターの上角に腰を預けて立ち、軽く顔を伏せている彼女。
戻ってきた私に気付いた素振りもなく、何やら手にした紙束らしきものを黙々とめくり進めているようなのだけれど。
(何をしているんでしょう?)
素朴な疑問を抱えつつ、私は新たに集めてきた下げ物たちを、先の手付かずなトレーの隣に丸ごとガチャリと乗せ上げる。
すると。
「おっと、早かったねぇ」
物音でようやく私の戻りに気が付いたのか、リニアが首だけを回してこちらを向いた。
私の視線は、自然と彼女が左手に持っている手のひらサイズで縦長な紙の束に吸い寄せられる。
「それは?」
問いかければリニアが答えた。
「ん? ああ、今日の分の伝票だよ。さっき持ってきたんだ」
え? と思い、怪訝に眉根を寄せる。
本日分の伝票と言えば、いつもは会計台の引き出しの中に、一まとめで管理している物だ。
それを持ち出してくる場面と言えば、店仕舞い後の会計合わせの時か、はたまた何かしらの手違いが発覚した場合なくらいのものなのだけれど。
(まだ店仕舞いには早すぎますよね。私、お会計で何かミスでもしたのでしょうか?)
少しだけ不安になり、「何かありましたか?」と問いかけを重ねてみれば、リニアは小さく首を横に振って見せた。
「いやいや、心配には及ばないよ。特に何かトラブルがあっての事ではないからねぇ」
のんきな口調でそう言う彼女。私は少しだけ胸を撫で下ろすも、しかし。だとしたら、いよいよ訳が分からない。
「では、どうして伝票を?」
「いやね。さっき軽くテーブルをのぞいてみたんだけれど、特にこれと言ったものは見つからなかったんだよ。それなら、こっちに何か残っていないかと思ってねぇ」
いつの間に、と訝しむ私を他所に、左手に握った伝票の束をバサバサと揺らしながら、よく分からない事を言うリニア。
言うまでもなく、私の脳内にクエスチョンマークが乱れ飛び始める。
「つまり、どういう事ですか?」
「つまりだよ。改めて見てみれば、カフヴィナの疑問ももっともだと思ったのさ。それで私なりに、色々と考えてみる事にしたと、そういう話だよ」
ああ、ダメな奴ですねこれ。
問いかけの答えを受ければ受けるほど、どんどんと意味不明の色合いが増してゆく。
そんな捉えどころのない現状に戸惑う私。
リニアは世間話でもするかのような声色で、のうのうと続ける。
「コーヒーを注文していた、あのお客さん。彼には右腕が無く、加えて同行者もいなかったみたいだったからねぇ。それならカップの扱いは、左手のみで行われていたと考えるべきだ」
あっ、と思った。
(まさか、さっきの話の続きですか、これ?)
彼女の発言に組み込まれていた単語の端々から、目下の話題に察しが付き始める。
(うわぁ)
唐突に降って湧いた面倒くささに眉間のしわを深める私。だけれどリニアの言葉は止まらない。
「左手でカップを取り、飲み終えて受け皿へと戻す。それなら普通は、残されたカップの持ち手は左側に向けられているはずだ」
ところがだよ、と言葉をつないだリニアが、右手を開いて傍らのカップの横にそっと添える。
「カフヴィナの話が本当なら、このカップは持ち手を右側にして残されていた。
つまりだよ。彼は一度カップを受け皿に戻した後で、なぜか持ち手が右側へ来るようにクルリと回転させたという事になる。左手を使ってね。
これは確かに、少しばかり不可解な状況だと言えるねぇ」
い、言うほどか?
一息で勢いよく語り上げられたリニアの物言いに煽られて、どうした物かと合いの手を詰まらせる私。
そんな私の態度に何かを悟ったのか、リニアが少しだけ意外そうに両目を丸めた。
「おや? カフヴィナもこの不思議な状況が気になって、それでああも考え込んでいたんじゃないのかい?」
問いかけられ、少しだけ返答に困る。
リニアが口にした『考え込んでいた私』とは、フロアの片隅でカップを前にして悶々と頭を悩ませていた時のことを言っているのだろう。
確かにあの悶々は、残されていたカップの向きに違和感を感じていたことが原因で。
それはきっと、彼女の言う“不思議な状況”とやらと、とてもよく似てはいるのだろうけれど、しかし。
(微妙に違うんですよねぇ)
というのも率直な感想だった。
私の抱えていた違和感の正体。
それは結局のところ、単に『自分で向きを入れ替えて提供した』事を忘れていたというだけの話でしかなかった分けで。
だからこうして思い出してしまった今となっては、そんな違和感などは、私にとって遠の昔に終わったお話でしかない。
ところが今、リニアが不思議だと言ってのけた事柄は、私の解決済みな違和感とは少しばかり趣が違う。
なぜカップの持ち手が右側に向けられていたのか?
知るかい、そんなこと。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
ダブルネーム
しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する!
四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。
旧校舎のフーディーニ
澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】
時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。
困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。
けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。
奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。
「タネも仕掛けもございます」
★毎週月水金の12時くらいに更新予定
※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。
※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。
母からの電話
naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。
母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。
最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。
母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。
それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。
彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか?
真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。
最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
無限の迷路
葉羽
ミステリー
豪華なパーティーが開催された大邸宅で、一人の招待客が密室の中で死亡して発見される。部屋は内側から完全に施錠されており、窓も塞がれている。調査を進める中、次々と現れる証拠品や証言が事件をますます複雑にしていく。
VIVACE
鞍馬 榊音(くらま しおん)
ミステリー
金髪碧眼そしてミニ薔薇のように色付いた唇、その姿を見たものは誰もが心を奪われるという。そんな御伽噺話の王子様が迎えに来るのは、宝石、絵画、美術品……!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる