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第2話 書棚の森の中ほどで エピローグ

第2話 エピローグ㊤

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 指先をちょちょいと動かして、お店の正面扉に鍵の魔法をかける。

 こうして一通りの閉店作業が終わる頃ともなると、外にはもうすっかりと、夜の帳が下りていた。
 いつしか降り出していた冬の雨音が、寂しさを増したお店の中に小さく響く。

 私は組んだ両手を逆さに押し出しながら、一つ大きく伸びをする。
 細く長く、今日の一日を詰め込んだ吐息を吹き流してみれば、足元にフワリとした感触を覚えた。

 視線だけをうっすらと真下へ向かわせれば、そこに見えたのは毛艶の良い真っ黒なお背中。

「おはよう、クロネコ」

 足周りに首根っこをすり寄せてくる小さな相棒に、私はそっと声をかける。
 もうすっかりと夜なのだけれど、この子にとっては、これからが一日の始まりなのでしょうか?

(気ままで羨ましいですね)

 何てことを考えながら、お店の中へと向き直る。すると向こう側に、うなだれた姿勢で座るリニアの姿が見て取れた。

 丸テーブルの上に上半身をべチャリと張り付ける、出身地不明な細身の女性。

 遠巻きに眺めながら、私は声をかけてみる。

「いつまで、そうしているつもりですか?」

 リニアが答える。

「そんなのぉ、私の気が済むまでにぃ、決まっているじゃないかぁ」

 間延びを通り越して、よれよれになる程に薄められた彼女の声が、雨音だけの店内に頼りなく響いた。

 私は言う。

「そんなに後悔するくらいなら、あんな伝言なんて押し付けなければ良かったでしょうに」

 きっと真っ当なはずの私の意見。だけれどリニアは、テーブルに突っ伏したままで言い訳を垂れ流す。

「仕方がないだろぉ? 私にだってねぇ、つい勢い余ってしまう事くらいあるんだよぉ」

 どこまでも引き締まらない、リニアの泣き言。
 「ああ、私のバカバカ」なんてくぐもり声をへろへろと響かせる、そんな彼女を遠目に見ながら、私は困った物だと思い起こす。



 あの後。

 メッセージの受け取り手は自分なのだと。伝言の内容は、自分の故郷に関わるものなのだと。
 そんな世迷言を、リニアが声高に断言してみせた後。

 彼女は摘み上げていた例の用紙を、テーブルの上に叩き付けた。
 そして白衣のポケットから一本の硬筆を取り出すやいなや、余りある余白部分めがけて、ガリガリと筆を走らせ始めた。

 そうして書きつづられていく文面。その手短な一文が”お返事”なのだと言うことに、私はすぐに気がついた。


『用があるなら自分で来い』


 乱雑で乱暴で素っ気無く。ただ端的に彼女の意思のみが書き付けられた、まだまだ余白十分な一枚の用紙。

 リニアは一頻り書き上げると、傍らでその様子をオロオロと見入っていたお嬢様に向けて、出来上がったばかりのお返事をぐいっと押し付けた。

 そして、

「分かっているね? 当然、早馬で送りつけてやるんだよ?」

 そんな厚かましい頼み事を口にしながら、酷く意地の悪そうな顔をぶら下げて見せたのだった。

 戸惑いながらも、胸元に突きつけられた用紙を受け取ったお嬢様。
 その果てしない程に戸惑った表情は、やっぱり少しだけ居たたまれなく見えたものです。



 そして今、リニアは言う。

「ああ、本当に来ちゃったらどうしよぉ!」

 テーブルの上で身体を捩らせるリニアの苦悩が、小気味よくお店の中に木霊する。

 聞けばどうやら、勢いに任せて強気なお返事をしたためてみたものの。
 後で冷静になってみれば、得体の知れない相手に対して、あれは随分と挑戦的な態度を取ってしまったとの嘆き。

 私は片手間に慰めの言葉を放り投げる。

「心配しすぎですよ」
「何だい! 人がこれほどに悩んでいるというのに、随分とお気楽なものだねぇ!?」

 リニアがガバリと、テーブルの上から上半身を引っぺがす。

 私は諭す。

「大丈夫ですって。だってほら、自分で言ってたじゃないですか。向こうには何かしら、面と向かえない事情があるって。
 それなら来たくても来られませんよ」

「それはそうかもしれないけれど、でも分からないじゃないか!
 事情が変わったり気が変わったりして、何だか危なそうな武闘派集団とか送りつけられたらどうするんだい!?」

 私は荒事が嫌いなんだよぉ、と。顔をくしゃくしゃにして頭を抱える彼女。
 何ですか。貴女の故郷って、そんなに大事件なんですか?

 よもや追っ手に怯える亡国の姫君か、はたまた故郷を滅ぼした悪しき何かか。

 どこまでも素性の見えないリニアの憂鬱に、私は面倒くささ全開で言い聞かせる。

「あぁもう。だから心配しすぎですってば。仮に変なのが来ても、ちゃんと私が追い払ってあげますから」

 耳触りの良さそうな言葉を適当に掴んで放り込みながら、私は腰を落として足元の黒いモフモフに向けて両手を伸ばす。

 すると。

「えぇ……カフヴィナがかい?」

 む。疑いの眼差しを感じます。舐められたものですね。

「これでも、そこそこに珍しい二等級の魔法使いですよ?」

 国の有事などにも、率先して重宝される。私の肩書きは何も、平和的な魔法だけで構成されているわけじゃないのです。

「少々訓練された程度の輩に、遅れを取ったりなんてしません」

 安心安全を言葉にしてピシャリと言い放ち、真っ黒な相棒の両脇に手を差し込んでそっと持ち上げる。

 両手に溢れる、極上の柔らかさ。

 私は姿勢を伸ばすと、リニアが居座るテーブルへ向けてゆっくりと歩き始める。
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