上 下
19 / 52
第2話 書棚の森の中ほどで①

第2話 01

しおりを挟む
「ごめんくださいませ」

 随分と丁寧でやたらと奥ゆかしい一声が、ほんの小さく店内の空気を揺らす。


 そのお客様が来店されたのは、夕暮れ時に差し掛かり、少々の賑わいを見せてたお店も、ようやくひと段落ついただろうかと言った頃合のことだった。

 丸テーブルの上を片付けていた私よりも先に、卓上に乗り込んでいたクロネコが両耳を立てて入り口の様子に気を向ける。

 遅ればせながら、私も片付けの手を止めて、声の聞こえた方へと向き直った。

「いらっしゃいませ」

 迎えの言葉を口にしつつ目を向ければ、そこには年の頃なら16、7歳くらいだろうか?
 薄紫色の長い髪を静かに揺らす一人の女性が立っていた。

 身体の前で緩やかに両手を重ねて背筋を伸ばして佇む物腰には、どこか凛とした気品のようなものを感じそうなものなのだけど、しかし。

(初めてのお客様みたいですね)

 店の入り口付近で立ち尽くし、勝手が分からないといった感じで店内の様子をきょろきょろとうかがう姿が、私には少しだけ心細そうに見受けられた。

 下から「とんっ」と聞こえたので視線を足元へと落とすと、テーブルから飛び降りたクロネコの姿が目に止まる。
 うちの看板ネコさんも新たなお客様を出迎えるつもりなのだろうか?

 などと思うも、しかしすぐさまキッチンへ向けて走り去っていく黒い背中に、いつも通りな彼女の気まぐれさを見る。

(ま、そうですよね)

 私はメニュー表を小脇に挟むと、左手のトレーに乗せた下げ物を倒さぬように気を配りつつ、新たなお客様をお席へご案内するために踏み出す。

 つい先ほど最後のお客様をお見送りしたばかりなので、店内のテーブルはどこも空いていた。
 だったら好きな席に掛けてもらうように申し上げる事もできたのだけれど、

(ご案内したほうが好印象ですかね)

 感じ取れた雰囲気から察して、丸投げ自由選択よりもお声がけした上でのご希望うかがいの方が、あちら様も安心できるのではないかと、そう直感しての判断だったりはした。プロですね。

「お一人様ですか?」

 お連れ様の有無を確認しつつ歩み寄れば、静かな口調で「はい」との頷きが返ってくる。

 それならばと、次いで好みのお席があるかどうかを問いかけるべく口を開きかけた私だったが、お客様が先手を打つように私の言葉を遮った。

「少々お伺いしたいことがあるのですが」

 出鼻をくじかれたようになった私は、口にしかかっていた案内の意思を告げる台詞を飲み下して、相手の発言に習うことにする。

「何でしょうか?」

 思いがけない予定変更にやや戸惑いながらも問いかければ、彼女はこんな事を言った。

「わたくし、その。実は御本を探しておりまして」
「は、はあ」

 御本とはまた随分と育ちの良さそうな言葉選びだななんて事をぼんやりと考えつつ、私は相槌を打って次の発言を待つ。すると、

「その、ぶしつけとは存じますが、出来ましたらこちら様の蔵書を拝見させていただければと」

 どこか歯切れ悪そうにつむがれた声が、お店の中に静かに響いた。

 私はどうしたものかと少々戸惑いながらも、それでもお店としての総意でもって返事を返すことにする。

「はい。ご自由にご覧になっていただいて構いません」

 もともと、ちょっとした喫茶と気分転換の読書を掛け合わせたのが当店の醍醐味なのだから。
 だったら、別段前もって一言断りを入れてもらう必要もありはしない。

 その旨を言葉にしてお伝えすれば、彼女は安堵したように表情を緩め、しかし次には整った顔を困ったように小さく歪めて見せる。

「ありがとうございます。ですが、その……」

 改めて店内の中を見渡し始めるお客様。そんな様子に、私は彼女が何を言わんとしているか察しをつける。

「お探しの本は、どのような物ですか?」

 無理も無いとは思った。

 祖母から引き継いだ魔法店を少しばかりアレンジして始めたこのお店。

 名うての魔法使いであった祖母がもともとの読書好きだった事もあり、その蔵書の数はまあ中々にして立派な物だったりする。

 そして、そんな大量の書物をお店のコンセプトの一環としてそのまま流用しているのだからして。

 そこから目的の一冊を見つけ出すと言うのであれば、それは中々に骨が折れそうなことは想像に難くない。

 壁面だけではなく、お店の右手側の空間を占拠するように立ち並ぶ、書物のぎっしり詰まった背の高い書棚の数々。

 こんな光景を前にしての本探しというのだから、彼女の表情に困惑とも不安とも取れそうな色合いがのぞいているのも、まあ致し方ないと言ったところなのだろう。

 だから私は、乱立する書棚の群れに視線を流しながら問いかけを重ねた。

「何と言う題名でしょうか?」

 これだけの蔵書なのだ。引き継いだ私とて、とてもではないが全ての書物を把握できているはずもない。

 それどころか、軽く目を通したことのある物まで総動員しても、総量の10分の1にも満たないことだろう。

 とは言えそれでも、この物量に馴染みのない人間から比べれば多少はマシというのも事実。であれば、運よくお力添えできる可能性も無くはない。

 そんな思いもあったからこそ、

「ひょっとしたら、覚えがあるかもしれません」

 私はそんな一言で、こちらからの申し出を締めくくった。と。

「お心遣い、ありがとうございます。ですが、その、ごめんなさい」

 お客様は軽く頭を左右に振ると、こんな事を口にする。

「実は、御本の題名は分かりませんの」

 おっとぉ?

「以前、こちらのお店で拝読さていただきましたのは確かなようなのですが、あいにくお話しの内容こそ覚えがあるものの、肝心の表題がどういったものだったのか、どうしても思い出せない様でして」

 おっとっとぉ?

「ええと、それはつまり。お客様ご自身がお探しになられているわけではないという事でしょうか?」

 耳にした文脈から読み取れた情報を頼りに、透けて見えた事情を問い合わせてみる。

 するとお客様は「ええ、そうなのです」と薄かった困り顔にもう少しだけ深みを増して見せた。

 お客様は続ける。

「実際にその御本を拝読させていただいたのは、わたくしの姉に当たる人物なのです。
 そんな姉より昨日手紙が参りまして。そこにはどういうわけか、その御本をわたくしに探してほしいとの旨が書かれておりましたの」

 それで今日、自分は姉の代理で訪問した、と。そう告げた彼女の言葉に、私は微かに眉根を寄せてしまう。

「お姉様は今、この街にはいらっしゃらないのですか?」

 以前に読んだ本を探したいというのなら、当然読んだ本人が出向くことが何より効率的には違いない。

 しかしそうせず、わざわざ手紙で代理を立てているあたり、ひょっとして。

「はい。姉自身は先日、故郷へと帰ってしまっておりまして」
「そう、ですか」

 当人不在。やっぱりそうかと思いながら合いの手を差し込めば、私の微かな心境の変化を感じ取ったのか、お客様は重ねた両手をもみ合わせながら少しだけ顔をうつむけた。

 私はどうしたものかと思案する。本を探す。言うのは簡単だが、あまりにも条件が悪すぎる気がした。

(これは中々……)

 本探しに協力すること自体はやぶさかではない。とは言えしかし、実際問題としてこれはどうしたものだろう? と、改めて書棚の森に視線を走らせつつ問いかけてみる。

「もう一度確認させていただきますが、お読みになられたのは当店でお間違えないのですね?」
「そのようですわ」

「でも、タイトルは分からないと」
「はい。お恥ずかしい話なのですが、どうやら表題自体は取り立てて珍しくもないありがちなものだったようで」

「それで記憶には残らなかった、と」
「ええ。手紙にはそのように」

「それは困りましたね」
「ええ本当に。手紙には他にも、多少は参考になりそうな事柄も書かれてはおりましたので、どうにかならないものかと思い参ったのですけれど……」

 そこでお客様は一旦言葉を切ると、

「まさかこれほどまでの蔵書があるとは思っておりませんでしたわ」

 か細い声でそう言うと店内を見回した。

 並び立つ書棚の森に遠い目を巡らせる彼女。私は彼女の意思を改めて確認するために問いかける。

「それで、どうされますか? 探されますか?」

「そうですわね。こうして訪問させていただいた手前もございますので、ご迷惑でなければそうさせていただきたいと」

 どこか困ったような、それでいて申し訳無さそうな表情での申し出を、私は頷いて受け入れることにした。そして、

「差し出がましいかと思いますが、手伝いはご入用ですか?」

 私の申し出に驚いたように、それでいて嬉しそうに私を見る彼女。

「そうしていただけるのでしたら、大変ありがたいのですが、その、よろしいのですか?」
「はい。今は手が空いていますので」

 無論、何かの間違いで唐突な団体客が押し寄せて来たりしたならその限りではないのでその旨を伝えると、先方は申し訳なさそうに感謝の言葉を述べて頭を下げた。

「では、取り敢えずこちらへどうぞ」

 彼女の姿勢が再び正されるのを待ち、私はお客様を丸テーブルが並ぶ左手側の喫茶エリアへと促す。

「?」
「これでも当店は喫茶店ですので」

 ちょっと遠回しだったかなと思わなくもないが、しかしどうやら私の言わんとしていたことは汲み取っていただけたようで、

「こ、これは大変に失礼いたしましたわ」

 と、素直に従ってくれる彼女に、私はどことなく好感を持った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

あるとき、あるまちで

沼津平成
ミステリー
ミステリー 純文芸 短編

嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

時の呪縛

葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。 葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。 果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...