18 / 52
第1話 役に立たない金のメダル⑧エピローグ
第1話 17 エピローグ
しおりを挟む
すっかりと薄暗くなった店内に、ぽしょぽしょとお湯が落ちる音が静かに流れる。
営業中は開かれていた窓際のカーテンも、今はその全てが閉じられていて、外から差し込む星明りの光も、さほど取り込めてはいなかった。
中ほどにある丸テーブルに腰掛けて、辛うじて空間を照らしている壁付け灯の一つをぼんやりと眺めていると、リニアの声がした。
「本当に良かったのかい?」
問われた内容に心当たりがあり、私は視界の端でキッチンに立つ彼女の後ろ姿を揺らしながら答える。
「ええ。急ぐものでもないですし」
一応、所在は確認できたのだ。ならばそのうち回収する機会も来ようというもの。結界がある以上、どのみち誰にも持ち出せはしない。それなら慌てる必要もないだろう。
私は視線を落として、羽織ったままにしているコートの胸元に目をやる。そこに見えるのは、未だに相方を失ったままの金色のボタンが一つ。
(結局、リニアの言ったとおりでしたね)
胸のうちで事の顛末を呟きながらまぶたを閉じれば、水中に沈む金色のボタンの趣を思い出す。
あの後。リニアが自らの仮説とやらに確信のような何かを持つに至った、あの後。
私は魔法で作り出した光源を頼りに、結界の外から貯水槽の中を覗き込み続け、そして失ったボタンを見つけ出した。
水面に浮かぶ数枚の落葉と丸っこい木片。水槽の底に敷き積もる、大量の銅貨と少しばかりの銀貨。
そんな中から薄暗い光源を頼りに、さほど目立つわけでもない一つのボタンを探そうと言うのだから、その作業には中々の時間を要し、
「結界、解いたほうが早いんじゃないかい?」
などと、リニアに言わしめてしまう程度には難航していた。
とは言え。本来なら噴水の結界を解くためには、そこを管理している数名の立会いが必要だったりする。
だから私用で気ままに解くわけにもいかず、お陰ですっかりと冷え込んでいく寒空の中、コートの襟元を引き寄せつつの強行軍なんて羽目になってしまったわけである。
「また張りなおせば良いだけじゃないかな。誰にも見つからなければ問題ない思うのだけれどね」
というのはリニアの発言。まあ彼女らしいと言えばどこまでも彼女らしい意見だと言えたし、できる事なら私だってそうしたかったのが本音ではあった。
とは言えだ。沈んでいる物の大半が銅貨だとはいえ、それでも溜まっているものが金銭である以上、その線引きだけはしっかり守る必要があるわけで、
「つかれた」
だからつい、平坦な声も出てしまうと言うもの。
私は上半身を寝かしてテーブルの上に貼り付ける。そのまま顔だけを立ててキッチンへと向ければ、丁度リニアがこちらに振り返るところだった。
目が合った。
「だから結界を解けば良いと進言したのだけどねぇ」
疲れを全身でアピール中な私の姿に、リニアが苦笑いを浮かべながら言う。
「そうはいきません」
手短に返答を返せば、「お堅いねぇ」という間の抜けた声。そしてテーブルの天板まで微かに伝わってくる、彼女の足音。
「ああこら、クロネコ君。危ないから足元をだね」
両手に一つずつカップを持ってこちらに歩み寄ろうとするリニアの姿と、その一歩ずつに絶え間ない体当たりを繰り返す看板ネコさん。
歩調に合わせて左足、右足、左足、右足、と交互に回り込んでいく器用な様子に、ああ猫になりたいなどとふんわりと考えてしまう。
「それにしてもだよ、カフヴィナ」
側まで来たリニアが、カップを一つテーブルに置いて言った。
「本当に、次の回収の時までボタンはあのままにするのかい?」
「ええ、そのつもりです」
「錆びてしまうかもしれないよ?」
「んん、それはちょっと嫌ですね。ですが──」
あのボタンには、小さな女の子のお願いが込められているので。
そう思いはしたけれど、でもあえて言葉にはしなかった。
疲れに任せて、上半身をテーブルの上にぐにゃりと貼り付ける。
顔だけを持ち上げれば、眼の前には湯気と香りの立ち上る愛用のカップ。
私は持ち手に指をかけ、お行儀悪くズリズリと引き寄せながら、
(頼みますよ、女神様)
取り止めもなく、そんな事を考えてみた。
「仕方が無いねぇ。ph濃度を下げられないか少し考えてみようか」
意味不明なリニアの独り言を不思議と心地よく響かせつつ、私はカップの中身を一口分だけすすり込んで、そしてぼんやりと思うのだった。
にが。
第1話 役に立たない金のメダル 完
営業中は開かれていた窓際のカーテンも、今はその全てが閉じられていて、外から差し込む星明りの光も、さほど取り込めてはいなかった。
中ほどにある丸テーブルに腰掛けて、辛うじて空間を照らしている壁付け灯の一つをぼんやりと眺めていると、リニアの声がした。
「本当に良かったのかい?」
問われた内容に心当たりがあり、私は視界の端でキッチンに立つ彼女の後ろ姿を揺らしながら答える。
「ええ。急ぐものでもないですし」
一応、所在は確認できたのだ。ならばそのうち回収する機会も来ようというもの。結界がある以上、どのみち誰にも持ち出せはしない。それなら慌てる必要もないだろう。
私は視線を落として、羽織ったままにしているコートの胸元に目をやる。そこに見えるのは、未だに相方を失ったままの金色のボタンが一つ。
(結局、リニアの言ったとおりでしたね)
胸のうちで事の顛末を呟きながらまぶたを閉じれば、水中に沈む金色のボタンの趣を思い出す。
あの後。リニアが自らの仮説とやらに確信のような何かを持つに至った、あの後。
私は魔法で作り出した光源を頼りに、結界の外から貯水槽の中を覗き込み続け、そして失ったボタンを見つけ出した。
水面に浮かぶ数枚の落葉と丸っこい木片。水槽の底に敷き積もる、大量の銅貨と少しばかりの銀貨。
そんな中から薄暗い光源を頼りに、さほど目立つわけでもない一つのボタンを探そうと言うのだから、その作業には中々の時間を要し、
「結界、解いたほうが早いんじゃないかい?」
などと、リニアに言わしめてしまう程度には難航していた。
とは言え。本来なら噴水の結界を解くためには、そこを管理している数名の立会いが必要だったりする。
だから私用で気ままに解くわけにもいかず、お陰ですっかりと冷え込んでいく寒空の中、コートの襟元を引き寄せつつの強行軍なんて羽目になってしまったわけである。
「また張りなおせば良いだけじゃないかな。誰にも見つからなければ問題ない思うのだけれどね」
というのはリニアの発言。まあ彼女らしいと言えばどこまでも彼女らしい意見だと言えたし、できる事なら私だってそうしたかったのが本音ではあった。
とは言えだ。沈んでいる物の大半が銅貨だとはいえ、それでも溜まっているものが金銭である以上、その線引きだけはしっかり守る必要があるわけで、
「つかれた」
だからつい、平坦な声も出てしまうと言うもの。
私は上半身を寝かしてテーブルの上に貼り付ける。そのまま顔だけを立ててキッチンへと向ければ、丁度リニアがこちらに振り返るところだった。
目が合った。
「だから結界を解けば良いと進言したのだけどねぇ」
疲れを全身でアピール中な私の姿に、リニアが苦笑いを浮かべながら言う。
「そうはいきません」
手短に返答を返せば、「お堅いねぇ」という間の抜けた声。そしてテーブルの天板まで微かに伝わってくる、彼女の足音。
「ああこら、クロネコ君。危ないから足元をだね」
両手に一つずつカップを持ってこちらに歩み寄ろうとするリニアの姿と、その一歩ずつに絶え間ない体当たりを繰り返す看板ネコさん。
歩調に合わせて左足、右足、左足、右足、と交互に回り込んでいく器用な様子に、ああ猫になりたいなどとふんわりと考えてしまう。
「それにしてもだよ、カフヴィナ」
側まで来たリニアが、カップを一つテーブルに置いて言った。
「本当に、次の回収の時までボタンはあのままにするのかい?」
「ええ、そのつもりです」
「錆びてしまうかもしれないよ?」
「んん、それはちょっと嫌ですね。ですが──」
あのボタンには、小さな女の子のお願いが込められているので。
そう思いはしたけれど、でもあえて言葉にはしなかった。
疲れに任せて、上半身をテーブルの上にぐにゃりと貼り付ける。
顔だけを持ち上げれば、眼の前には湯気と香りの立ち上る愛用のカップ。
私は持ち手に指をかけ、お行儀悪くズリズリと引き寄せながら、
(頼みますよ、女神様)
取り止めもなく、そんな事を考えてみた。
「仕方が無いねぇ。ph濃度を下げられないか少し考えてみようか」
意味不明なリニアの独り言を不思議と心地よく響かせつつ、私はカップの中身を一口分だけすすり込んで、そしてぼんやりと思うのだった。
にが。
第1話 役に立たない金のメダル 完
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
ダブルネーム
しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する!
四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。
旧校舎のフーディーニ
澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】
時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。
困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。
けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。
奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。
「タネも仕掛けもございます」
★毎週月水金の12時くらいに更新予定
※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。
※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。
母からの電話
naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。
母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。
最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。
母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。
それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。
彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか?
真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。
最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
無限の迷路
葉羽
ミステリー
豪華なパーティーが開催された大邸宅で、一人の招待客が密室の中で死亡して発見される。部屋は内側から完全に施錠されており、窓も塞がれている。調査を進める中、次々と現れる証拠品や証言が事件をますます複雑にしていく。
VIVACE
鞍馬 榊音(くらま しおん)
ミステリー
金髪碧眼そしてミニ薔薇のように色付いた唇、その姿を見たものは誰もが心を奪われるという。そんな御伽噺話の王子様が迎えに来るのは、宝石、絵画、美術品……!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる