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第1話 役に立たない金のメダル⑦

第1話 15

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 冬空の下を、リニアと連れ立って歩き始める。

「私がこの仮説を立てた最初のきっかけは、そうだね。君が話してくれた、窃盗騒ぎの中での少年の行動だったかな」

 ゆったりとした歩調に合わせながら耳を傾ける。

「確かハンス君から逃れた少年は、君に向かって駆けてくる最中、一度急停止したのだったよね?」

 問われて思い出す。こちらに走ってきた少年が私の前でピタリと止まり、そして。

(私の胸元、そんなに酷いですか)

 何となく悲しい気分になりながら、つい自分で見下ろしてしまう。そんな私の軽く下げた頭の動きを肯定とでも受け取ったのか、リニアが静かに話を続ける。

「最初に聞いたときから奇妙ではあったよ。いくらカフヴィナの胸元が貧相──ささや、貧相だったとしても」

 柔らかい言葉に言い直すんじゃねぇのか、お前。

「しかしだね。それが盗みを働いて逃げている人物が足を止めるほどに強烈なものだとは思えない」

 何という酷い言われようでしょうか。

「す、すいませんね、それは」
「別に責めてはいないよ」
 責められてたまるか。

 口先を尖らしてはみるものの、しかしこの暗がりではこんなささやかな皮肉など意味を成すはずもなく、というかそんな事よりも。

「なら、どうしてあれほどに凝視されたんですか、私?」

 話の先と向かう先。気になる先の多さに根負けするように、私は先を促すべく問いかけを投げつける。
 リニアが答える。

「ボタンだよ。少年は、君の胸元に付いていたボタンに目が止まり、思わず立ち止まったのだと思う」

 思いもかけない回答が返ってきた。

「ええと……このボタンですか?」

 コートの胸元に一つ残ったボタンを見下ろす。

「そう。ま、その時点ではボタンはまだ二つとも付いていただろうから、上下のどちらに注目したのかまでは知らないけど、そんなことは問題にはならないだろうね。と言うことで、ほら」

 そう言うと、リニアは右手を私に突き出してくる。見れば手のひらに例の記念メダルが乗っていた。

「似ているよね、これと」

 比較された先が私のボタンなのだと察して、交互に見比べる。
 方や、ハリスおじさんお手製の土産物メダル。方や私のコートに残された最後のボタン。

(あまり……似ていないように思うのですが?)

 少しばかり大きさも違うし、施されている意匠も違う。
 しいて似ている部分を上げるとすれば、まあ色合いくらいだが、それもこうして見比べれば全く異なったものだった。

「似ていますでしょうか?」

 思わず素直な感想を口にすると、リニアは軽く頭を左右にふる。

「似ていたんだよ、あの少年にとってはね」

 リニアは言う。

 記念メダルを盗み出した少年は、逃げ去る最中で”目的により適した物”を見つけてしまい、思わず足を止めた。それは金属特有の鈍い光を放つ円盤状の形をした、そう。丁度硬貨を少し大きくしたような物。

 本当ならそれの入手も考えたのかも知れないけど、しかし。今まさに捕まるかどうかの瀬戸際だった彼に、新たな代替え品を手に入れている余裕などない。

「それで仕方がなく、本来の目的だった記念メダルだけを持ち去ることにした」

 リニアがそう口にした辺りで、私達は路地を抜けきった。
 広場の入口に立ち止まる彼女。私も釣られて足を止める。

「だから。少年の本来の目的はきっと、これだったはずだ」

 リニアがあご先を小さく動かして示した先。そこには件の噴水が薄暗い冬空の下で佇んでいる。

「この時間なら水も吹き出してはいない。探すにはうってつけだろう」
「探す?」

 彼女の台詞に紛れ込んでいた動詞をオウム返しに口にすれば、その言葉が意味するところは容易に読み取ることができた。

(ここにボタンが……?)

 先読みこそはできた。しかし、だからといって納得はできない。

「つまり、私のボタンが噴水の中に投げ込まれていると?」
「私の見立て通りならね。もっとも。この仮説の最後の検証は、今から行うのだけどね」

 検証。そう言えば彼女は、さっきもその単語を口にしていた。検証するために、記念メダルを買い取ったと、そう言っていた。

「検証……何をするつもりですか?」
「なぁに、そんな大仕事じゃないよ」

 そう言ったリニアは再び歩みを進め始める。付き添う私。広場の中央を行き、ほどなく私達は噴水の眼の前にたどり着く。

「小さな女の子が、この場所を目指していたのだよね」
「はい」

「その女の子は、こんな事を言っていたのだよね。今日は一番大きいやつを持ってきたと。だから今日は大丈夫だと」
「は、はい」

「それならば。本来であればその一番大きいやつというのは、この記念メダルだったのだろうね。ところが事情が変わった。変わってしまい、その結果が”今”だ」

 そこまで言うとリニアは一つ息をつき、噴水へ向けて一歩踏み出す。

「繰り返すけど、これは仮説だよ。現状では確証も物証もない、ただの仮説だ。それでもいいなら話すけど、聞いてみるかい?」

 私が頷くと、リニアは「おーけー」と気のない声で前置きをして話し始める。

「少年は、この記念メダルが欲しかった。だけど、子どものお小遣いで買い求めるには少し厳しい。だから盗みを働いてまで手に入れた。
 では、少年が盗んでまでメダルを欲した動機は何か? 決まっているよね」



 少年は、盗んだメダルを使って、この噴水で願い事をしたかったんだろう。



(いや、それはいくら何でも……)

 決めつけてしまっていいのだろうか?
 いくら硬貨に似せているとは言え、所詮はただの土産物だ。そんなもので祈ったところで何のご利益もなさそうなことくらい、子供にだって分かりそうなものなのだけれど。

「分かっていたはずだよ、彼にはね」

 まるで私の不信感を見通したかのように、リニアが口を開く。

「所詮は偽物の硬貨。材質や重さ、大きさやデザインだって本物とは遠くかけ離れているだろうね。
 そんな物で願掛けしたところで、何の意味も無いことなど、当の少年自身にだって分かっていただろうさ。
 しかし、それでも良かったんだ」

「どういう事ですか?」

「なに、簡単な話さ。少年には分かっていた。でも、もっと幼い子には分からなかった。だから偽物の記念メダルでも事が足りると、そう考えた」
「もっと幼い子……」

 聞き取れた単語をオオム返しに呟いてみれば、浮かび上がってくる姿はあの時ともに噴水まで歩いた──

「少年のことを『にぃ』と呼ぶ少女。5、6歳くらいだと言っていたかな?」

 私の横をぴょこぴょこと跳ねるように歩く、あの時の少女の姿が思い出される。

 リニアの仮説は続く。

「少年は噴水の願い事に利用するために記念メダルを盗んだが、しかし。実際に願い事をするのは少年ではない。彼よりも年下の小さな女の子だ。
 つまり、メダルはその女の子のお願いとともに噴水へと投げ込むための物だった」

 いや、それはいくら何でも。

「待ってください。言っても5歳ですよ? その年なら、本物のお金と玩具のメダルくらいは区別できると思いますが」
「そうかい?」

「ええ、そうですよ。小さな子だって、銅貨や銀貨くらいなら──」
「大金貨ならどうかな?」

「え?」

 差し込まれた単語に、一瞬言葉を詰まらせる。リニアは続ける。

「君の出会った少女の発言に、『今日は』という言い回しが何度か使用されている。そこから察するに、噴水へお願い事をするのは、今回が初めてではなかったのだろう。
 だとすれば、こんな状況が想定される」

 リニアは言う。これまでにも少女は何度か噴水に向けて、何かしらのお願いをしてきたのではないか、と。
 小遣いか御駄賃かは知らないが、手持ちの硬貨を噴水へと投げ入れて、所在不明の女神様に向けて何度もそれを行ってきたのではないかと。

「最初はまあ、一般的に銅貨あたりを投げ込んだのだろうね。ところが願いは叶わない。どうして叶わないんだろう? どうすれば叶えてもらえるんだろう? もっと沢山投げれば良いのかな?
 なんてね。有りがちな話だよ、くだらない」

 微かだが、リニアの口調に苦みを見た気がした。

「一枚の銅貨から始まり、しかし願いが叶わず枚数が増え、そのうち銀貨に変化したかも知れない。その女の子の家の経済状況によっては下手をしたら金貨にまで、なんて事もありえたかも知れないね」



 だけどそれでも、願いは叶わない。



 冷たい口調で告げられた言葉を聞きながら、私は少女との短いやり取りの一部を思い起こしていた。

『にぃがね、小さいのじゃダメだし、女神様がいなくてもダメなんだって』

「小さいのじゃ……ダメ」

 呟く。まるで。これではまるで、今しがたのリニアの推測どおりの展開を、あの小さな女の子が歩んできた上での言葉だったようにも感じられるではないか。

 眼の前の噴水とそこに投げ込まれているだろう数多の硬貨に、どこか薄ら寒いものを感じ、思わず身震いする。そんな私の耳を、リニアの言葉が変わらず揺らす。

「銅貨ではダメ。銀貨ではダメ。ひょっとしたら金貨でもダメ。だったらいっそ、一番大きいやつならどうか? 実に子供が考えそうな事だ」

「ですが、大金貨なんて、そう簡単には……」

 そこまで口にしかけて、思わずつぐむ。確かに、大金貨などと言えばかなりの高額貨幣だ。この私にしたって、実物にお目にかかったことなど数度しかないような代物。

「そうだよ、カフヴィナ。本当に必要な物が大金貨だったのなら。5、6歳の女の子が実物を知らなくても何らおかしくはない。
 そして、少女に大金貨を”投げ入れさせる”ことが少年の目的だったのであれば。その場合に限り、この記念メダルは初めて偽物としての役割を果たす」

 確かに、と思う。リニアが買い取った記念メダル。当然ながら純金製などではないものの、それでも色合いは金色に見えなくもなく、素材は何かしらの金属製。そして──

「大きい……」

 いや、実際の大金貨と比べると、メダルの方がかなり大きくはある。
 記憶の大金貨と比べれば、私のボタンが一回り程度。メダルに至っては少なくとも二回りは大きいだろう。しかし。

「大きすぎても、実物を知らなければ分からない?」

 誰にともなく呟いた私の言葉を、リニアがさり気なく拾い上げる。

「だろうね。小さな女の子だ。信頼ある人物が『これが大金貨だよ』なんて言って渡せば、まあ信じてしまうことも十分にあり得るだろう」

 だからこそ、とリニアは言う。

 少年は、年下の幼い女の子が願い事をするための”小道具”として、この記念メダルに目をつけたのではないかと。

「ところがだ。いざ手に入れてみたものの、思いもかけずに事情が変わってしまった」
「事情、ですか?」

「ああ。抽象的な言い方になってしまうけど、きっとメダルは使い物にならなかった、と言った感じだったんじゃないかな?」

 リニアの発言に、彼女の手元で揺れる記念メダルに視線が吸い込まれる。

(使い物にならない?)

 抽象的と銘打たれた発言なだけあって、その理由の輪郭すらもはっきりしない。というか、幼い子供が扱う大金貨の替えとしてなら、まあ何とかなりそうなようにも思えるのだけれど。

「続けるよ?」

 促され、私は慌てて視線をリニアへと戻した。



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