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明日は満月

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 フィオナは、アメジストが到着した際に使っていた部屋の隣室を居室としてあてがわれていた。白い扉を静かにノックすると、一呼吸の間を空けて開いた。
 さすがのフィオナもまさか来訪者がシトリニアとは想定外だったらしく、目を丸くした。
「シトリニア様。どうされましたか?アメジスト様が何か……」
 心配そうな表情を浮かべたフィオナに、笑顔で首を振った。
「違うのよ。少し話したいことがあるの。中に入ってもいいかしら」
 フィオナは安堵した表情で大きく扉を開いた。
「もちろんです。どうぞお入りください」
 ここは普段、急な来客を迎えるための部屋として用意している。主賓室ほど広くはないが、十分に調度品が整っている。
 飴色を帯びた文机の上にはランプがともり、インク瓶やノートが置かれている。どうやら書き物をしていたらしい。
「日々の出来事を記すのが日課なんです。アメジスト様の乳母を仰せつかってから、毎日欠かさず書いています」
 シトリニアの目線に気がついたのかそう説明すると、重厚なクッション張りの椅子を勧めた。見た目に違わず几帳面な性格らしい。
「ありがとう。それで、お話なんだけど……」
 斜めに向かい合って着席したフィオナに、早速本題を切り出した。

「儀式でお召しになるドレス、ですか」
 フィオナの表情が柔らかくなった。よっぽど何か重大な話があると思っていたらしい。
 少し間があって、彼女はキリリと居住まいを正した。
「失礼しました。何を身に着けるかはとても大切なことですもの。お持ちしたドレスや靴は隣のお部屋にご用意していますよ。すぐにご覧に入れましょう」
 二人はアメジストが使っていた主賓室に移動した。シトリニアの部屋に入りきらなかったり、急を要さない荷物がいくらか残されており、主の帰りを静かに待っている。
 フィオナがクローゼットとして設けられた小部屋の扉を開いた。
 色彩の洪水のような景色を想像していたシトリニアは、その簡素な量に少し驚いた。ドレスは多く見積もっても両の手で数えられるほどだろう。
「少ないと思われるかもしれませんが、着替えはいつも最低限でいいとおっしゃるんです。これでも私の一存でこっそり増やしておきました。もっといろいろな物をお召しになって頂きたいのですが、あまりご興味がない様子で」
 かと言ってあまり浪費をお好みでも困りますし、贅沢な悩みですよねと付け加えて苦笑した。
「出してみてもいいかしら」
「もちろんですよ」
 フィオナの目利きで誂えられたであろうドレスの数々は、どれも品がよくアメジストの豊かな黒髪や白い肌に似合うものだ。自らが手塩にかけて育てる姫の美しさを、余すことなく活かそうという意気込みすら感じられる。
 フィオナのアメジストに対する温かい思いに触れた気がして、思わず微笑んだ。

 シトリニアは一着一着を取り出して眺めながら、自身のドレスとの取り合わせを目まぐるしく想像した。
 それぞれの魅力を十分に引き出しつつ、お互いの美しさを引き立てあうようなものを身につけたい。気持ちに寄り添う美しい衣装は、まとう者を勇気付けてくれるというのがシトリニアの考えだ。
 もちろん何を着ようが、儀式の成功には直接関係ないということはよくわかっている。それでもシトリニアの得意なことを何か儀式に、アメジストのために活かせたらという気持ちもあった。
 二人分の衣装を考えるとなるといつも以上に頭を使うが、苦痛は感じなかった。
 真剣な表情のシトリニアの横で、フィオナが帽子箱を開けて髪飾りを並べてくれている。
 出して見ては戻し、を繰り返しているうちに、真紅のドレスに手が触れた。
――あ、これは……
 既視感を覚えながらそっと引き出すと、薔薇の花びらの質感をまとった生地がさざめくようにゆれた。触れればひんやりと冷たい生地が、しっとりと手に沿う。
 思ったとおり、玉座の間で対面したときに着ていたドレスだ。ほんの数日前なのに、もう遠い昔の出来事のように感じる。
 かがんだ姿勢のフィオナが、帽子箱の陰から顔を出して言った。
「そのドレス、アメジスト様によくお似合いですよね。あまり派手な色はお好みではないのですが、私がどうしても着ていただきたいと言って選んだものなんですよ」
 正直に言って、玉座の間で対面したときはアメジストのことを、派手好きで歌が上手いことを鼻にかけている女の子だと思っていた。でも実際一緒に過ごしてみると、アメジストは歌うことが大好きで着飾ることに興味のない、案外素朴な女の子なのかもしれないと感じる。
 フィオナが帽子箱から真紅の薔薇の髪飾りを取り出した。
「今日、聖歌塔から戻られたアメジスト様にお会いして、すぐにシトリニア様と何かあったとわかりました。だから小食堂でシトリニア様にお会いしたとき、何か手助けして差し上げたいと思ったんですが、いい言葉が見つからなくて。でも、お二人が仲直りされて本当によかったです」
 そう言うと、顔を上げて微笑んだ。
「言葉にはされませんが、幼いころからずっと、一緒に歌う友達を欲しがっておられるようだったので。本当によかった」
 シトリニアは、心の奥がきゅっとするのを感じてぽつりとつぶやいた。
「私、アメジストのことを少し勘違いしていたのかもしれないわ」

「何を勘違いしていたの?」
 背後から思わぬ声を聞いて振り返ると、アメジストその人が腰に手を当てて首をかしげている。おまけに、隣にはハンナがにこにこと立っている。フィオナはというと、おかしくて仕方がないといった様子で帽子箱の蓋の陰で笑みをかみ殺している。
「あなたたち、どうしてここに?」
 意表を衝かれて裏返った声でこう漏らすと、アメジストは肩をすくめた。
「せっかく選んでくれるのに、一人で行かせるのは申し訳ないと思ったのよ。それで来てみたら、二人で楽しそうに内緒話してるじゃない。ねえ?」
 同意を求められ、ハンナも大きくうなずく。
「こんなに大切なことをお決めになるのに呼んで頂けないなんて、ハンナは悲しいです」
 よよよ、とハンカチを噛む身振りをして見せるハンナを、フィオナがなだめた。
「お姉様、もうお二人は私たちの手がなくともご自分の意思で決められますよ。温かく見守って差し上げましょう」
 この言葉にはシトリニアもアメジストも驚いた。
「ハンナとフィオナは姉妹だったの?!」
 身体全体がまるっこいハンナと、すらりと長身のフィオナ。どちらも栗色の髪をしているが、姉妹だとはにわかに信じられなくて二人を交互に見比べてしまう。
「私たちは昔から似ていない姉妹と言われましたからね」
 二人は笑って顔を見合わせる。
「でも、瞳の色だけは似ているでしょう?」
 そう言われて見れば、ハンナもフィオナも焦げ茶色と緑青色が複雑に混ざった不思議な色をしている。
「この世は広いですが、自分と血を分けた姉妹は二人きりですからね。つらい時もありましたが、支え合う人がいるのはうれしいものです」
 ハンナの懐かしそうな笑顔に、フィオナが照れたように頬を赤らめるとぱんぱんと手を打った。
「私たちの昔話はいいんです。さあ、ドレスを決めましょう」
 それから小一時間、主賓室にはにぎやかな声が響くことになった。

 白を基調としたシトリニアの部屋に、夜の帳(とばり)が青く満ちている。窓から煌々とした月明かりが投げかけられ、満月の夜はもう明日だと改めて感じる。
 いよいよ明日なのかという思いと、やっと明日なのかという思いが複雑に絡み合う。儀式へ臨む重圧で、心は思った以上に擦り切れているのかもしれない。
「ねえ」
 呼び声に寝返りを打てば、アメジストも横になったまま窓の月を見ていた。瞳の空色が淡くきらめいている。
「なぁに?」
「一つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
 二人きりの部屋に、草を小さく揺らすようなささやき声が響く。
 シトリニアは微笑んだ。
「もちろんいいわよ」
「約束ね。おやすみなさい」
アメジストは小さく声を弾ませ、キルトのかかった掛け布団に頭まですっぽりとくるまった。
「ええ。おやすみなさい」
 シトリニアもアメジストに習って、すっぽりと掛け布団にくるまってみた。
 世界がふんわりと温かいもので包まれ、親鳥の胸に抱かれた雛のように安堵する。目を閉じてその感覚に身を任せるうち、気持ちの高ぶりがゆっくりと静まるのを感じた。
 今夜は、怖い夢を見なくて済む気がした。
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