上 下
70 / 140
第18章 その箪笥の前に、赤い着物を着て正座していた

18-2 薄暮

しおりを挟む
 夢から覚めて最初に分かったのは、泣いていたのは妹ではなく僕だということだった。涙でぐしょぐしょに濡れていたのは僕自身の顔だった。

 お香を焚いた覚えはないのに、あの白檀に似た香りが小屋の中に薄く漂っていた。
 竹を編んだ壁の隙間から、夜明け前の青白い光が点々と漏れてきている。 アディは頭まで布をかぶってまだ眠っていた。
 その向こうで同じように布にくるまって眠っている二人は、母屋を王女に譲ったためにこの小屋で寝るはめになったこの村の村長《プンフル》夫妻、すなわちアディの両親だった。

 驚くほど若く、僕の五、六歳年上と思われる二人は昨夜、僕たちの来訪を喜び、この山里では精一杯であろうごちそうを振る舞ってくれた。
 素朴で気のいい夫婦だ。田園の村の村長夫人と同様に、ここの奥さんも胸を隠していないのには、相手がアディの母親だけに困ってしまったけど。

 僕は心の底からアディがうらやましかった。
 三人で一緒に旅をしているけど、両親を失くしていないのは彼だけだ。故郷を追われていないのも彼だけだ。
 最愛の人を自分の手で守ることができるのも彼だけだ。

 泣いたせいか、喉が渇いていた。僕は涙を拭い、さっきの夢について考えながら寝床を出た。

 変なものだ。僕は山梨の本家になんて一度も行ったことがない。夢で見たことさえなかった。
 祖父の生まれた家だと聞いてはいるけれど、たぶんもう存在すらしないはずだ。
 だからたぶんあれは山梨の本家なんかじゃない。もちろんどこの宮殿でもない。

 あれは、うちの仏壇だ。

 号泣していた茉莉の姿は、夢とは思えない生々しさだった。
 あれは夢ではなくて、現実だったのではないだろうか。茉莉はあの部屋の仏壇の前で、ひとりであんなふうに泣いているんじゃないだろうか。
 そう思うとかわいそうで、また涙がにじんだ。

 外のベランダスランビにある水瓶で喉を潤すために、僕は暖簾のような布をかき分けて小屋の外に出た。
 港市《バンダル》や王都《コタラジャ》よりかなり標高があるらしく、肩に布をかけていてもまだ寒かった。

 少しだけ明るくなり始めた空は深い青で、なだらかな山の連なりが黒い影になって、素朴な三角屋根が斜面に並ぶ辺境の村を取り囲んでいる。
 村長によると、ここが王都の地方《ダエラ》の最後の村で、内陸《ダラム》の入り口まではあと少しだということだった。

 僕がひょうたんの柄杓《ひしゃく》で水を汲んで顔を洗い、三口ほど飲んだとき、下から声が聞こえた。
「ミナミ? もう起きてたの?」

 見下ろすと、ベランダから庭に降りる階段の下に植わった榕樹《ブリンギン》の大木の根に、王女が片膝を立てて座っていた。
 深紅の更紗《バティック》の巻衣《サルン》に染め出された白いジャスミンの花の柄と、裾からのぞいた白い脚が、夜明け前の光に浮かび上がって見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

47歳のおじさんが異世界に召喚されたら不動明王に化身して感謝力で無双しまくっちゃう件!

のんたろう
ファンタジー
異世界マーラに召喚された凝流(しこる)は、 ハサンと名を変えて異世界で 聖騎士として生きることを決める。 ここでの世界では 感謝の力が有効と知る。 魔王スマターを倒せ! 不動明王へと化身せよ! 聖騎士ハサン伝説の伝承! 略称は「しなおじ」! 年内書籍化予定!

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

戦国陰陽師2 〜自称・安倍晴明の子孫は、ぶっちゃけ長生きするよりまず美味しいご飯が食べたいんですが〜

水城真以
ファンタジー
「神様って、割とひどい。」 第六天魔王・織田信長の専属陰陽師として仕えることになった明晴。毎日美味しいご飯を屋根の下で食べられることに幸せを感じていた明晴だったが、ある日信長から「蓮見家の一の姫のもとに行け」と出張命令が下る。 蓮見家の一の姫──初音の異母姉・菫姫が何者かに狙われていると知った明晴と初音は、紅葉とともに彼女の警護につくことに。 菫姫が狙われる理由は、どうやら菫姫の母・長瀬の方の実家にあるようで……。 はたして明晴は菫姫を守ることができるのか!?

処理中です...