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第10章 何が起きたのか、その瞬間にはたぶん誰もわからなかった
10-1 瞬間
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僕の頭上で、だん! という大きな音が響いた。
何が起きたのか、その瞬間にはたぶん誰もわからなかった。目を開けた僕が見たのは、小さなほっそりした影が屋根のひさしを駆け下り、そのまま空中に飛び出して、長身の男の顔に飛び膝蹴りを見舞うところだった。
男は吹っ飛ばされて民家の壁に頭を打ちつけた。
飛んできたのはグレーの縞の巻衣を着た細身の女性だった。
彼女は向いの家の軒にいったん掴まってから、倒れた男の傍らに着地し、男の頸をひと蹴りして、それからアディに向き直った。
見違えようもない。ファジャルの侍女だった。
「アディ、あなた相変わらず敵の足元を全然見てないわね。それで何度叱られてた?」
侍女はそう言いながら短剣を抜き、振り向きざま、後ろから斬りかかってきた小柄な男の剣を叩き落とし、その勢いで顔に回し蹴りを入れた。
「さすが姐さん。助かりました。腕は鈍ってないようですね」
「当たり前でしょ」
侍女は倒れかけた小男のターバンをつかみ、その頭に短剣の柄をがんがんと何度も振り下ろしてから突き飛ばした。
男は半回転して倒れ、先に倒れていた相棒に折り重なった。
「さっきは背後があんまり無防備なんで心配しましたよ。ファジャル様のお召し替えのお手伝いばかりしていて勘が鈍ったのかと」
「仮にも宮中武官が、あんな下らないやりかたをするなんて思わないでしょう。まして姉弟子のこの私に」
侍女は――いや、この女性が本当に「侍女」などであるはずがないけど――よく見ると素足だったが、倒れた二人の男の顔を二、三度ずつ強めに蹴った。
「当分は動けないわ。あとは衛士隊に任せましょう。アディ、あなたも王都に呼び戻されるだけではすまないわよ。こんなことになったのはあなたの責任だから。港務長官様から宮中武官長に正式に抗議することになるはずよ」
「俺が悪かったです。姐さん。このことはどうか姫様には……」
アディが言い終わらないうちに、侍女は彼の腰に回し蹴りを食らわせた。アディは板戸に叩きつけられた。
「痛ててて。姐さん、ひどいですよ」
「このバカ。王室のご信頼に甘えるのもいい加減になさい」
侍女はアディに背を向けて僕に一礼し、手を差し伸べた。
「ミナミ様、お手を。お邸までお送りします」
侍女にうやうやしく手を握られて、だけど僕は地べたに座ったまま立ち上がることができなかった。
暴力と無縁に生きてきた僕にとって、1904年という時代がどんな意味を持つのか、思い知らされた気がした。茉莉がここにいなくてよかった。僕の力ではあの子を守ることができないだろう。
茉莉には、二十一世紀の安全な世界にいて、僕のために祈っていてほしい。それだけでいい。
何が起きたのか、その瞬間にはたぶん誰もわからなかった。目を開けた僕が見たのは、小さなほっそりした影が屋根のひさしを駆け下り、そのまま空中に飛び出して、長身の男の顔に飛び膝蹴りを見舞うところだった。
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侍女はそう言いながら短剣を抜き、振り向きざま、後ろから斬りかかってきた小柄な男の剣を叩き落とし、その勢いで顔に回し蹴りを入れた。
「さすが姐さん。助かりました。腕は鈍ってないようですね」
「当たり前でしょ」
侍女は倒れかけた小男のターバンをつかみ、その頭に短剣の柄をがんがんと何度も振り下ろしてから突き飛ばした。
男は半回転して倒れ、先に倒れていた相棒に折り重なった。
「さっきは背後があんまり無防備なんで心配しましたよ。ファジャル様のお召し替えのお手伝いばかりしていて勘が鈍ったのかと」
「仮にも宮中武官が、あんな下らないやりかたをするなんて思わないでしょう。まして姉弟子のこの私に」
侍女は――いや、この女性が本当に「侍女」などであるはずがないけど――よく見ると素足だったが、倒れた二人の男の顔を二、三度ずつ強めに蹴った。
「当分は動けないわ。あとは衛士隊に任せましょう。アディ、あなたも王都に呼び戻されるだけではすまないわよ。こんなことになったのはあなたの責任だから。港務長官様から宮中武官長に正式に抗議することになるはずよ」
「俺が悪かったです。姐さん。このことはどうか姫様には……」
アディが言い終わらないうちに、侍女は彼の腰に回し蹴りを食らわせた。アディは板戸に叩きつけられた。
「痛ててて。姐さん、ひどいですよ」
「このバカ。王室のご信頼に甘えるのもいい加減になさい」
侍女はアディに背を向けて僕に一礼し、手を差し伸べた。
「ミナミ様、お手を。お邸までお送りします」
侍女にうやうやしく手を握られて、だけど僕は地べたに座ったまま立ち上がることができなかった。
暴力と無縁に生きてきた僕にとって、1904年という時代がどんな意味を持つのか、思い知らされた気がした。茉莉がここにいなくてよかった。僕の力ではあの子を守ることができないだろう。
茉莉には、二十一世紀の安全な世界にいて、僕のために祈っていてほしい。それだけでいい。
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