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第8章 船が着いたとき港市の街はもう夕日に染まっていた

8-2 歓待

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 奇妙な儀式が終わると僕はファジャルに腕を取られ、アディと言葉をかわす暇もなく、そのまま丘の上の港務長官邸に連れて行かれ、酒食でもてなされた。
 僕の隣にはずっとファジャルがくっついて料理を並べたり葡萄酒を注いだりしてくれるものだから、彼女の胸元がなるべく視野に入らないように、僕はひたすら料理と、長官の顔と、壁のペルシャ絨毯と、広間の隅にある螺鈿の箪笥たんすとを順番に見ていた。

 王室所有の小さな一軒家を貸し与えられると聞いていたのに、僕の荷物は長官家の下男たちの手で長官邸の一室に運びこまれ、二十畳くらいはありそうなその部屋が僕の寝室になった。
 内心ちょっと恐れていたけど、さすがにそこにまでファジャルがついて来ることはなかった。

 一人になってようやく人心地ひとごこちがついてみると、そこは分不相応としか思えない立派な部屋だった。
 床の中央には蔓草模様の大きな絨毯じゅうたんが敷かれ、ベッドには金泥で塗装された天蓋てんがいと紗のカーテンが付き、天井からはアラベスク模様の彫りの入ったガラスのランプが吊られている。
 壁に掛かっていたのは、小さいけれど額装された西洋式の油絵で、描かれた風景は海から見たイスタンブールらしかった。
 まるでリゾートホテルだ、と僕は思った。茉莉ならこんな部屋に泊まりたがるかもしれない。出張のお土産であの子が一番喜ぶのは、お菓子でも化粧品でもなくアンティークの小物だから。

 あとで邸内を案内されて分かったのだけど、僕が部屋を与えられたのは、広大な港務長官邸の中でも長官の一族だけが住む一角で、本来なら決してそこに客人を泊めることはないらしかった。
 それだけ歓待されていたわけだけど、僕には港務長官の意図が読めなくて気味が悪かった。
 豪華な部屋も末娘の接待も要らない。僕は日本のアパートに帰りたいだけだ。帰って茉莉と一緒にカップ焼きそばを食べたりカウントダウンTVを見たりできればそれでいい。この港市に来たのもそのためだった。
 だけど今の僕には港務長官に頼るしか道がないのだ。

   ◇

 翌朝は港市の街を自由に歩くことが許されたが、一人にはできないというのでファジャルの侍女の一人がついてきた。三十前くらいの物静かで小柄な女性だが、質素なグレーのしまの巻衣の上に紫の帯をしめて短剣クリスを差した姿がおそろしく板についていたから、侍女というよりは護衛なのかもしれなかった。

 港務長官邸を出て、街に向かって丘を降りると、待っていたアディが僕に片手を上げた。
「よう、昨夜はどうだった。ファジャル様が夜通ししてくれたか」
「そういう言いかたするなよ、冗談でも」
「なんだ、飯を食っただけか?」
 笑いながらアディは侍女のほうに目をやった。どうやら単に僕をからかっているだけではなさそうだったが、侍女は僕の後ろで黙ったままだった。

 そうして僕は、短剣を帯びた二人に伴われて街を歩くことになった。
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