上 下
29 / 140
第8章 船が着いたとき港市の街はもう夕日に染まっていた

8-1 上陸

しおりを挟む
 騒ぎのあと、船団は途中の集落に寄港し、村長プンフルの家でファジャルを着替えさせ休ませてから姉たちが待つ屋形船に戻し、それから再出発した。
 そのため予定は大幅に遅れ、僕らの船が着いたとき港市バンダルの街はもう夕日に染まっていた。

 船から眺めていると、ほとんど隙間なく建てられた粗末な木造の家並みが、水中に柱を並べて川面にまで広がり、海水混じりの川で水浴びや洗い物をする人の姿が見えた。
 見上げると、寺院のものらしい塔が何本か、屋根の間から空に突き出して茜色あかねいろに輝いている。

 やがて真っ白な城塞のような港務長官邸が丘の上に見え、その麓の船着き場に、船頭は僕らの船を寄せた。

 岸に着くと港務長官シャーバンダルとファジャルが――ファジャルのはずだ。見分けはつかないけど、まさか他の姉妹ではないだろう――待ち構えていた。そしてその背後を取り巻くように、明らかに異なる人種に属する人々が含まれた港市の民衆が、様々な言語でざわめきながら好奇の目をこちらに向けていた。

 港務長官は、金糸で刺繍が施された黒いベルベットの上着と更紗バティック巻衣サルンの正装で僕に歩み寄り、痩せた両手で僕の手を握った。
「君は実に立派だ。娘の命を救ってくださって感謝するよ」
 父親の傍らにはファジャルが、豊かな胸が半分はみ出しそうな高さで真紅の巻衣を身にまとい、銀の花を髪に飾り、水を満たして花を浮かべた真鍮の器と、木綿の白い布を持って立っていた。
 化粧っ気をなくしたファジャルは意外に幼く見え、せいぜい茉莉と同じくらいの歳かと思われた。アジア的な涼しい目元とアラブ風のくっきりした鼻筋で、たしかに十人が見れば十人が「美しい」と言うだろう顔立ちだった。

 ファジャルは黙って僕の足元にひざまずき、儀式的な仕草で器を傾け、僕の足に水を注いだ。
ねた水が彼女の巻衣の膝を濡らしたが、気にする様子は無かった。
 この国のしきたりは知らないが、相手の足を洗うのはジャワ島などでは結婚式の作法だ。
 何だこれは、と思って僕はアディと船頭に視線で助けを求めようとしたが、二人は群衆に混じって笑顔でこちらを眺めているだけだった。

 水が無くなるとファジャルは器を置き、白い布を使って両手で包むようにして僕の足の甲をいた。それは感謝の表現というより服従の儀式のように見え、僕は戸惑うほかなかった。

 こんなところをもし茉莉が見たら、なんて言うだろう。
 港務長官は、群衆の眼前で娘に外国人の足を拭かせながら、澄ました顔で立っている。
 どうして我が子に、それもついさっき事故から救われたばかりの末の娘に、こんなことをさせるのか。僕ならどんなことがあっても、たとえ誰が相手でも、茉莉にこんな真似はさせない。

 言いたくはないけど、僕の困惑には身体的なよろこびから来る動揺が含まれていた。
 ファジャルの肩と背中はつややかで、指は柔らかかった。ひざまずくと、胸に巻いている布なんてほとんど意味がなかった。どんな意図があるにせよ、この寸劇を演出した港務長官にはそれが分かっていたはずだ。だからこそ僕はこの上なく不快だったし、できれば逃げ出したかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

47歳のおじさんが異世界に召喚されたら不動明王に化身して感謝力で無双しまくっちゃう件!

のんたろう
ファンタジー
異世界マーラに召喚された凝流(しこる)は、 ハサンと名を変えて異世界で 聖騎士として生きることを決める。 ここでの世界では 感謝の力が有効と知る。 魔王スマターを倒せ! 不動明王へと化身せよ! 聖騎士ハサン伝説の伝承! 略称は「しなおじ」! 年内書籍化予定!

戦国陰陽師2 〜自称・安倍晴明の子孫は、ぶっちゃけ長生きするよりまず美味しいご飯が食べたいんですが〜

水城真以
ファンタジー
「神様って、割とひどい。」 第六天魔王・織田信長の専属陰陽師として仕えることになった明晴。毎日美味しいご飯を屋根の下で食べられることに幸せを感じていた明晴だったが、ある日信長から「蓮見家の一の姫のもとに行け」と出張命令が下る。 蓮見家の一の姫──初音の異母姉・菫姫が何者かに狙われていると知った明晴と初音は、紅葉とともに彼女の警護につくことに。 菫姫が狙われる理由は、どうやら菫姫の母・長瀬の方の実家にあるようで……。 はたして明晴は菫姫を守ることができるのか!?

処理中です...