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第Li章:多くの美しい自然遺産を持つ異世界で何故観光産業が発展しないのか

ハンバーガーと富士宮焼きそば/1:フロイトが偉大な研究者であることは疑いようがないが、ちょっと性欲を拡大解釈しすぎな気はする

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 アーキタイプと呼ばれるものがある。これは、人類のDNAに予め記録されている創作の種である。例えば、日本神話におけるイザナギが黄泉の国へ送られたイザナミを迎えに行くエピソード。ここでイザナギは「帰り支度をするから少し待て。それまで絶対に覗くな」ということを言われるのだが、ここであまりに遅いためしびれを切らして覗いてしまうと、そこには蛆にまみれた醜いイザナミの死骸が。激怒したイザナミに追われて、黄泉平坂を振り返ることもなく駆け上がるというエピソードである。一方、旧約聖書におけるソドムとゴモラのエピソード。堕落し腐敗したソドムとゴモラの街に神の裁きが下ることを予め伝えられていたロトは、家族と共に街から逃げ出す。この際、神からは何が起きても振り返ってはならぬと言われていたにも関わらず、彼の妻は背後の街から響く恐怖と嘆きの叫び声につい振り向いてしまう。すると、妻は塩の柱になり、その命も失われたというエピソードになる。

 この2つのエピソードに共有されるものは「事前に見るなと言われていたこと」「それでも見てしまったこと」「見てはいけないものから逃げること」であり、まるでどちらかのエピソードがもう片方を参考に書いたかに見える類似性を持っていることが感じ取れる。しかし、この時代の旧約聖書圏と日本神話圏における文化交流は歴史学的には無かったとされており、つまり、そっくりのエピソードが異なる場所で偶然生まれたと解釈されている。

 少し都市伝説に明るいものであれば、ここで日ユ同祖論を反証に出すかもしれない。兵庫県の淡路島には実際にヘブライ系の紋章の記されたユダヤの遺跡が残っており、四国の剣山には失われた聖櫃が隠されているという、なんともロマンに満ちた話である。あまりに面白すぎるほどに出来すぎているため創作と思われがちでこそあるが、実際に剣山はユダヤ人の観光客を集めており、そこで日本古来からの神事を見たものは、それが自分たちの祭りに酷似していることからここには確かにユダヤの失われた12氏族の1つが流れ着いていたのだと確信するという。他にも、京都の祇園祭や、映画村のある太秦という土地の名前、そこにある井戸や牛追い祭りという奇祭、さらにはカボスという果物が日本とユダヤ圏にしか存在せず、ユダヤにおけるカボスが神の果実と言われているなど、日本とユダヤの関連性は探せばきりがない。現在の歴史学においては完全なオカルトとして歯牙にもかけられないでっち上げとされるが、では全てが嘘、妄想、創作で、かろうじての整合点は偶然なのかと言われると、これはこれで信じがたいのも事実である。そんな話を知っていれば、旧約聖書のソドムとゴモラのエピソードが日本に伝わった結果のイザナギとイザナミだとする考えも起きるだろう。

 だが、先程上げた3つの要素「事前に見るなと言われていたこと」「それでも見てしまったこと」「見てはいけないものから逃げること」が話の根幹となる物語はこの2例に留まらない。ギリシャ神話における竪琴の名手オルフェウスのエピソードをはじめ、中国やオセアニア、さらには古代インカ、メキシコに至る文字通り世界各所に同系統の物語が記録されているのだから、やはり単純な文化の伝播だけでは考えにくい。

 これに歴史上はじめて気付き理由付けを行った人物は、歴史学者でも文化人類学者でもなく、一人の心理学者だった。彼の名はカール・グスタフ・ユング。心理学の開祖であるジークムント・フロイトの弟子として世に現れるものの後世は彼の元を離れ、心理学の根本的な部分で激しく対立した初期心理学の巨星である。ユングはこれらのエピソードにおける共通点を「見るなのタブー」として体系化し、このように同系統のエピソードが偶発的に生まれてしまう理由を、人類の心に共有する価値観、物語を創作する種があるためとし、それをアーキタイプとして定義したのだ。

 このアーキタイプの中には、見るなのタブーの他にも様々なものがある。特に、人類の神話において見るなのタブー以上に頻出するアーキタイプ的シナリオ構造、それが、洪水神話である。

 洪水神話と言えば真っ先に思いつくのはやはり旧約聖書におけるノアの方舟だろう。しかし、歴史上の初出はそれよりも前、人類最古の文明にして最古の文字を持っていた古代文明、シュメールに残された神話、ギルガメッシュ叙事詩におけるウトナピシュティムの物語にある。また、一見すると洪水とは無関係に見えるが、日本神話における英雄スサノオノミコトが打倒し、その尻尾から後の三種の神器となる草薙の剣を発見したことでもされる8つの頭を持つ竜ヤマタノオロチとは、実は川の氾濫、つまるところ洪水の具現化であり、このエピソードが大和王権による治水工事の成功を示しているというのは、今や日本の歴史学における共通見解となっている。

 このような洪水神話がアーキタイプに組み込まれた理由は、実のところ見るなのタブーよりも合理的納得ができる理由付けが可能である。人類文明の発展には近くに川があることが必須であり、人は川の周りに集まって集落を築いた。だが、台風などの豪雨災害に伴い川は簡単に氾濫し、集落をたちどころに破壊してしまう。この繰り返しが人類に洪水の恐怖を刻み込んだというものである。日本では地震雷火事おやじと恐怖の対象を伝えたが、古来の人類最大の恐怖はそのどれでもなく、洪水だったのである。

 さて。ノアの方舟を見に行こうと言われたシズクは、その場所をトルコの西、アララト山であると受け取った。近年、キリスト教において聖書の教えはすべて歴史的事実に基づいていたと主張する派閥による超古代史研究の中で、聖書でも特に印象的なエピソードであるノアの方舟を発見しようとした計画、ノアの方舟国際物語が立ち上がった。このプロジェクトにおいて、木の残骸と思われる構造物をアララト山の山頂付近にて発見。これこそ旧約聖書におけるノアの方舟であると99%確信したという報告が世界の一部を震撼させた。そこにはアララト山の山頂付近海抜4000mの場所に聖書のサイズ感とほぼ同じ木造の人工構造物が確かに発見されており、これはノアの方舟の残骸かもしれないと信じさせるような説得力があった。なによりこの木片は放射性年代測定を持って確かに古代の木造建築だと科学的に証明されているのだから、この声明のインパクトは極めて大きい。

 だが、このような視点で考えて欲しい。まず、アララト山を中心とする一帯は、最古のキリスト教信仰が残る場所である。そこで聖書を読んだ彼等は、神を称えるために教会を建築しようと思い立つ。どのような場所にどのような教会を建造すれば、神の威光を大勢に伝えることができるだろうか。そうだ、聖書におけるノアの方舟、これを完璧に模倣した教会を建造してはどうだろうか。場所はアララト山の山頂付近。当然、そう簡単に行ける場所ではないが、そこに教会を作れば、まだ聖書を知らないもノアの方舟の物語を信じ、神の威光を感じ取るに違いない。そして時が経ちすべての記録が失われた21世紀、既に神の威光を信じ、ノアの方舟は実在すると信じる一団がその残骸を発見すれば、それはもう紛れもなく99%の確信を持ってノアの方舟に違いないと断言されてしまうのだ。

 とはいえ、この仮説が事の顛末であったとして、ノアの方舟の残骸がフェイクであり無価値かと言われればそんなことはない。本物のノアの方舟でなくとも、世界最古級のキリスト教教会の遺構、それもノアの方舟を模した一大計画の産物だ。それがキリスト教信者にとって重要な場所となることはもちろん、そうでない者にとっても古代人類の遺産としてひと目見たいと考えてしまう魅力があることは間違いないのだ。

 実際問題、シズクはそのニュースにも強い関心を見せていた。だがそれを、ヨーロッパは広いね、スカンジナビアからじゃ行けるところも限られるね、という話の流れでどや顔提示されたのでは、舞からの逆鱗も飛ぶというもの。一方のリクは後に偉い人となる人物の言葉を借りてこう述べる。たすきがなければ確一だった、と。

「いってぇなこの! あぁ待て、落ち着け、混乱から回復しろ!」
「なに? 言い訳? 自己正当化?」
「ちげぇって。俺が言うノアの方舟はそっちじゃない。現代のノアの方舟、ノルウェーの北は北極圏、スヴァールバル諸島に存在する世界種子貯蔵庫だ」

 スヴァールバル世界種子貯蔵庫。それは、かのマイクロソフトの創始者にして世界的大富豪ビル・ゲイツの財力によって作られた、現代のノアの方舟である。そこには地球上のあらゆる植物の種子が冷凍保存されており、もしも将来、全世界を巻き込んだ核戦争や、恐竜を絶滅したサイズの巨大隕石の衝突、もしくはイエローストーン級の超巨大火山による破局噴火などにより地球環境が大打撃を受け、多くの植物が絶滅してしまったとしても、ここから現在の地球の植物形態を復活させられるという代物。内部には当然ながら緊急時用自家発電機を有しているが、仮に外部からの電力送電が断たれ内部の自家発電機も停止してしまったとして、その場所は極寒の北極圏。それこそ1000年単位で種子を発芽可能な状態で保存できるという仕組みになっている。

「なるほど。確かにスカンジナビア、ノルウェーの施設だね。なんか、東京の観光地を聞いたら小笠原の青ヶ島の名前をあげられた気分ではあるけど」
「それはそうなんだが」
「でも、そこって見学可能だったっけ? そもそも交通手段確保できるの?」
「ぐぐれかすってやつだな。まぁ言い出したからには調べてみるさ。興味あるだろ?」
「それはもちろん。でも、そんな寒い僻地に行って、そこだけってのもなんかなぁ」
「なら、ここも合わせて見に行こうぜ。長崎県の軍艦島も真っ青になって凍りつくこと間違いなしの超美麗廃墟群。旧ソ連時代の炭鉱街、失われた社会主義の楽園遺跡都市、ピラミデンだ」
「わぁ」

 ピラミデン。その名で検索して現れる写真は、あまりの美しさによる感動で畏敬の念を抱くこと間違いなしである。そこには旧共産圏に見られる独特のプロレタリア的芸術センスと規模感で建造された建物郡が存在している。炭鉱の枯渇に伴い現在は住む人もいなくなった完全な廃村であるが、北極圏はスヴァールバル諸島という極寒の地に建てられていたことにより経年劣化を逃れている。写真で見るその光景は、無人だというのに今にもマルクスの夢を信じた若者たちによる合唱が聞こえそうな圧を示していた。この景色を肌で感じたい。透き通るような氷の世界を想像したシズクの心は明鏡止水にして、されどその魂は真っ赤に燃えていた。

「ほんと、楽しみだね。二人のスカンジナビア旅行」

 数日後、リクは二人分の航空機のチケット確保に成功する。お値段は多少高くついたが、十分貯金の範囲内。ただ、便数の少なさ故に予め用意されていた姉達と同じ帰りの飛行機のチケットはキャンセルせざるをえなくなる。二人の帰国は元の予定の3日後。それは後に、近代最悪の航空機事故と呼ばれることになるスイス航空255便のヒマラヤ墜落事故が起きてしまう日本時間12月11日の、一週間後であった。

「いやいや、主目的はノーベル賞受賞式典な?」

 そう一応のツッコミを入れつつも、気のおける幼馴染との二人旅に、リクもまた胸の高鳴りを覚えていた。
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