上 下
7 / 178
第H章:何故倒された魔物はお金を落とすのか

生と死/3:死ぬまで姉に追いつけない妹が姉の背中を追い越すためのパラドックス

しおりを挟む
「あーあ、やっぱあと1週間くらい観光したかったなぁ。ていうか、お姉様の帰国はまだ先だったんだし、俺たちももう少し残っても良かったんじゃねぇの?」
「お姉ちゃんも観光で残るわけじゃないんだから。それにリク君も、こっちの先生達と難しい話するより、早く日本に帰ってラーメン食べたいんじゃない?」
「それはそう。ほんと、日本を離れるたびに、日本の飯のうまさをわからされるよな」
「ご飯の話ばっかりだね。なら、トマトジュースでも頼む? 飛行機の中ではすごく美味しく感じるらしいよ」
「なんだそれ。気圧とかが関係あるのか?」

 授賞式翌日。天才と呼ばれる姉に先駆けて一足先に日本へと戻ることになった2人は、ストックホルムから成田までの16時間の空の旅に向かう。乗り継ぎなしの直通の便が取れたことは、幸運と言えたかもしれない。ストックホルム上空の天候は曇り。目的地の成田は、この時期にしては珍しい雪が降っているらしいとのことだった。

 離陸し、シートベルト着用のサインが消えたのを見計らって、シズクは2冊の学術書を取り出した。片方のタイトルはAI開発のシンギュラリティ。これは、AIが自らよりも賢いAIを作り出すことが可能になるポイントを特異点、シンギュラリティと定義し、その先に人類の手を離れて加速度的に進化するAIの未来に関する希望と警笛を示すものだった。もう1冊は、姉であるシズカの書いた超大統一理論に繋がるもので、重力を形成する原理や架空と言われた素粒子グラビトンに纏わる歴史を示したもの。前者は単純に流行り物を抑えておこうとするものであり、後者は、姉の超大統一理論の理解に少しでも近づこうとする努力の道でもあった。

 一方、紛いなりにも姉妹と同じ研究室に所属するリクが取り出したのは、携帯ゲーム機とスマートフォンだった。ソフトはファンタジー世界を描いたロールプレイングゲームであり、所々でゲーム画面をそのままにスマフォに目をやりつつのプレイとなる。

「マルチタスクって、実のところあまり効率良くならないらしいよ。遊ぶなら遊ぶで集中した方が良いんじゃないの?」

 栞を挟んで本を閉じ、フライトアテンダントにトマトジュースのおかわりを頼みつつ話しかけた。シズクはゲームに興味がなく、リクが遊ぶロールプレイングゲームが国民的ゲームのナンバリングタイトルであることも知らない。

「攻略Wiki見ながら進めてるんだよ。これ見ないと、敵モンスターの耐性とかわからないし、隠しアイテムの場所とか絶対見つからない」

 ちらりとゲーム画面に目をやると、そこには3Dモデリングの美しい世界が広がっている。シズクがゲームに興味を持たない理由は、単純にもっとやりたいことが別にあるからであり、ゲームに対するネガティブな理由ではない。故に、純粋にゲームも面白そうだとは感じている。だからこそ、つい口に出る。

「ねぇ、聞きたいんだけど。それ、おもしろいの?」
「面白いよ」
「でも、そんなに綺麗な世界を冒険しているのに、リク君は景色よりもスマートフォンに目をやるんだね。それって、もったいなくない?」
「もったいないってのは?」
「自分で宝物を見つけるのは冒険。Wikiに指示されて宝物を回収するのは作業。モンスターの生態系調査だって、面白そうなフィールドワークだと思うんだけど、違うの?」
「ちげーよ。お前だってやってみればわかるよ。やるか?」
「遠慮する。本を読みたいし、もしもリク君の言うことが本当だったら、悲しいから」

 独特の言い回しにリクは首をかしげるが、彼女のそんな独特の感覚は今になって改めて聞くようなものでもなかった。天才の姉ほどではないにしても、この妹もまたそれはそれで天才の片鱗を持つ、常人には理解しがたい生き物なのだ。

「そ」

 再び冒険、もとい、作業に戻るリクを横目に、シズクは幼い日の姉との会話を思い出す。

「おねーちゃんは、どうしてなんでもわかるの?」
「どうしてだろうね。私にもわからない」
「そうなんだ。でも、わたしもおねーちゃんみたいになりたいな」
「それは、仮にもしもなれるとしても、オススメはしないよ」
「どうして? なんでもわかったら、たのしくない?」

 純粋な顔の妹に対し、姉はとても悲しそうな顔で。

「全然楽しくない。知識ってのはね、それを探している時が一番楽しくて、見つけた瞬間に楽しさはゼロになるんだよ。だから、私はこの世界の、全部がまるでつまらないの」

 今までに幾度も思い返す会話。小さい頃はまるで意味がわからなかったが、今は少し、ほんの少しだけ、その意味がわかるような気がしていた。

 それでも、シズクにとっての姉とは憧れであり、目標でもあった。シズクは一度も姉の先を歩いたことがない。成績はずっと2位だったし、姉よりも先になにかに気付いたことは、一度としてもなかった。なんでもいい。なんでもいいから、姉よりも先に何かに気付きたい。それはシズクの小さくも極めて大きな野心だった。

 一呼吸を置き、耳栓をはめてブランケットを手に取る。16時間の旅は長い。一度立ち上がり、改めて座るという簡易的なストレッチを5回ほど繰り返し、届いたトマトジュースを口にした時、違和感を覚えた。先程飲んだ時と、味が違うのだ。

 飛行機で飲むトマトジュースが美味しいという噂は聞いていた。確かにそれは真実であり、数刻前にはリクとそれが何故なのかを考察していたのだが、比較実験を行うことができない状況において、できることはあくまで仮説の列挙だった。真実を見つけるために重要なのは、正解ではなく不正解なのだ。ここで言えば、トマトジュースがそれほど美味しくない状況と、現状のトマトジュースがとても美味しいを比較し、そこにいかなる条件差があるかを考察しなければならない。美味しいトマトジュースだけをいくら飲んだとしても、答えは絶対に見つからないということだ。故に、今のこの感覚は、答えにたどり着くヒントになりえる。耳栓を外し、リクの肩を手で揺さぶる。

「リク君、トマトジュースが美味しくない。飲んでみて」
「はぁ? 飽きたんじゃねぇの?」
「多分違う。さっきと全然味が違うの」

 半信半疑で自分もトマトジュースを頼むリクだったが、一口飲んで。

「いや、やっぱりうまいよ。不思議だな」

 その答えに訝しみつつ、自分も再度トマトジュースを口に運ぶが、今度は確かに美味しく感じる。

「あれ、どうしてだろう」

 その味は確かにほんの数十秒前の味とは明確に違う。すなわち、この2回の検証の差がトマトジュースの味に差を発生させているということになる。真っ先に思い当たるのは、エコノミー症候群との関連性だったが、こんな短時間で筋肉に変化が出るとは考えにくい。そうだとすれば、何が違うのか。数分前の状況再現を目的に、ブランケットをかけてから飲んでみたりと試行錯誤を繰り返す中で、耳栓をつけて飲んだ時、その答えに気付く。

「そっか。音が関係してるんだ」

 味覚とは、純粋に舌による感覚のみで構築される感覚ではない。匂いと舌触り、さらには、視覚情報、聴覚情報のすべてが統合され、脳が味の良し悪しを感じるという話は、本で読んだことがあった。飛行機の中は、存外に大きな音がしている。おそらく、トマトは騒音を感じることで、より味が深まるという特性があるのかもしれない。これはとてもおもしろい発見だった。

(帰国したら、工事現場を探して近くでトマトジュースを飲む形で追従実験を行おう)

 心の中に予定メモを残しつつ、もう一度飲んでみようと耳栓をはめたタイミングで、衝撃と共に機体が強く揺れた。乱気流だろうか? そう思いつつもマイペースにトマトジュースを口に含んだあたりで、隣のリクが酷く慌てだす。耳栓を外すと、機内アナウンスの途中からが耳に入った。

「つきましては、落ち着き、シートベルト着用の上、席を立たないようご協力をお願い致します。ありがとうございました」

 一応、とばかりにシートベルトを着用しつつ、顔面蒼白のリクに話しかける。

「どうしたの?」
「乱気流内で4機のエンジンのうちの3機が止まったって! それで、残り1機のエンジンでどうにか近隣の飛行場への緊急着陸するらしい!」

 ふーん、と、まるで他人事のように返しつつ、スマフォのGPSを起動。軽いため息と共に目を伏せて首を振った。

「多分、ダメだね。ちょうどヒマラヤのあたり。空港はもちろん、無事不時着ができそうなスペースも近くになし。これは死ぬね」
「な、なんでそんな冷静なんだよ!? お前は!?」
「慌てても状況が改善しないからかな」
「そういう話じゃないだろ!」

 おそらく、もう死ぬまでの時間は数分もない。ではこの数分で何を成すべきか。遺書の執筆が頭をよぎって即座に棄却される。それはつまらないエゴでしかないからだ。

「お前さぁ! ほんっとわけわかんないよ!」
「そうかな。どうして?」
「この状況で落ち着いていられるってのはまずそうなんだが、それよりもさ! お前!」

――なんでそんなにうれしそうに目を輝かせてるんだよ!

 その言葉にはっと気付く。確かに今、自分の胸は高揚感に包まれている。この正体は一体何なのか。その答えはすぐに出ることになる。

「そっか、私、お姉ちゃんよりも早く、死を知れるんだ」

 胸に消えないまま燻っていた野心の炎。姉の先に行きたいという願い。おそらく、死ぬまで絶対に越えることができなかったはずの背中。それは奇妙なことに、死によって越えることができてしまう。パラドックスの数奇な解が、今まさに目の前にあった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...