能ある元令嬢は爪を隠す

安蒜佑香

文字の大きさ
上 下
2 / 12
一章

1、逃亡

しおりを挟む
 乗り合い馬車が舗装されていない道をもうもうと土煙を立てつつ走る。風が運んで来るのは熱気と砂埃ばかりで、秋だというのに爽やかさの欠片もない。
 人がぎゅうぎゅうに詰められた乗り合い馬車の中で一人の少年が深いため息をついた。
 琥珀色の長い髪は深紅のリボンで一本にゆるくまとめられ、赤い瞳を持つ目は切れ長だ。その中性的な容姿は、どこか儚ささえ漂わせている。

同じ馬車に乗る女性たちが少年の姿をうっとりと眺めている中、少年は今、自分がここにいる原因となった出来事を思い出していた。



 その少年はついさっきまで伯爵令嬢であった。
 間違えた訳ではない。本当に令嬢ーつまり女だったのだ。
 少年、もとい少女の名はレイリア・ウィンターソン。辺境伯爵家、ウィンターソンの領主、クリス・ウィンターソンの次女だ。
 そんな彼女が家を出たのには、理由があった。


******



 時は一日分遡る。


 その日、レイリアはいつも通り自分で着替えた後、メイドが自分を起しに来るのを待った。


「レイリアお嬢様、お目覚めのお時間でございます。」


 ノックの音が響いた後、そんな声が聞こえて、起きているよと言いながらドアを開けに行った。


「お嬢様、今日も起きていらっしゃったのですね… それにお召し物まで… そういう事は我々の仕事だといつも言っているではありませんか。」
「ごめん、ごめん。つい、ね。」
「つい、ではありませんよ。全く…私の仕事をなくすおつもりですか?
 それに、こういうのに慣れる為にわざわざこんな場所にいらっしゃるのでしょう?」
「…わかっているんだけどね。やろうと思えばできるし。貴族っぽいのは苦手なんだ。知ってるだろ?」


 いつもと同じ会話。いつもと同じように軽口を叩き合いながら、食堂へと移動する。
 しかし、レイリアと並んで歩いていたメイドは食堂に近づくと、従者としてふさわしく一歩後ろに下がった。

 食堂に入ると既に父と義母、兄2人が揃っていた。この4人の他にレイリアには姉が1人と妹が1人いるが、姉はもう嫁に行っており、妹とは何故か一度も会った事がない。


「遅かったな、レイリア。」
「おはようございます、お父様。着替えに手間取ってしまいまして… 申し訳ございません」



 別に手間取った訳ではないが、言い訳をしておく。
 レイリアはいつも通りにしていたのに父より遅くなったという事は、遅れた原因が主にメイドにあるからだ。自分のせいにしておけば、メイドは罰せられない。


「ふん。どうせ今日も自分で着替えたんだろう。この恥知らずが。」


 自分で着替える事の何が恥知らずなのかわからなかったレイリアは、取り敢えずその一番上の兄、レオンハルトの言葉を無視した。舌打ちをされるが、それも無視する。
 このようなやり取りなど日常茶飯事だ。
 だが、その日違ったのは1人のメイドがニ番目の兄、レインの服にスープをこぼしてしまった事だ。

 その瞬間、空気が凍りついた。
 「申し訳ございません」とこっちが泣きそうになるくらい謝るメイドを、音を立てて立ち上がった兄は力一杯蹴りつけた。
 それだけでは気が済まず、投げつけた皿からレイリアは思わずメイドを守る。


「レイお兄様、これ以上はやり過ぎです。」
「んだよ、レイリア。邪魔をするな。
 あと、俺の事を兄だなんて呼ぶな。反吐が出る。」


 こっちだって呼びたくて呼んでいる訳じゃない、と叫びたいのをレイリアは何とかこらえる。


「…お言葉ですが、これ以上やりますと、ウィンターソン家の品位が疑われる原因となりえます。」
「使用人の躾をするのも雇い主の役目だ。」
「雇い主はお父様です。」
「同じようなものだろう。」


 いつまでも終わりそうにない、意味のない遣り取りと、兄と呼びたくないそいつの言葉の端々にイライラして、レイリアはテーブルをバンと思いっきり叩いた。


「…申し訳ございません。」


 一言謝った後、いまだに床に座っているメイドを連れて部屋を出た。







「レイリア様、申し訳ございません。」
「気にするな。あいつらがおかしいんだ。」


 メイドを自室に連れて来て、その蹴られて青く腫れた腹に、レイリアは自作の湿布を貼った。
 貴族の令嬢らしくお茶会などしないレイリアは、大量の本を今まで読み漁ってきたので知識を大量に蓄えている。それに加えて屋敷を抜け出し、薬師の手伝いをよくしているのだ。
 貴族のお抱えになって慢心し、研究をしなくなった家の薬師など、その腕前の足元にも及ばない。


 その日、レイリアは一日中部屋から出ずに、本を読んで過ごした。







 夜、皆が寝静まった後、本を返すために図書室ヘ行こうと廊下を歩くレイリアの耳に微かに悲鳴が届く。
 踵を返し、悲鳴が聞こえた方へ走る。着いた先はレインの部屋だった。不用心なことにドアが細く開いている。

 中を覗いたその目に映ったのは、今朝兄の服にスープをかけてしまったメイドがベッドに裸で括り付けられ、そこに兄2人が覆いかぶさっている様子だった。
 よく見ると、メイドの体にはいくつも傷がある。



 レイリア自身が酷い扱いを受けることは、彼女にとってはもはや普通の事。


 でも、自分を大切にしてくれる人が傷つけられるのは嫌だった。
 


 レイリアが抱いたその感情の名は、怒り。
 心が嫌なふうにどす黒く染まっていくのを感じる。

 それなのに、度が過ぎているからなのか、何故か至って冷静な感じがして。
 その冷静な心のまま、躊躇することなく部屋に踏み込むと、反応されるより早く2人の頸動脈を斬り裂いた。
 いつも持っている短剣が思わぬ場所で役に立つ形となった。


「…レイリア、様?」


メイドの弱々しい声が聞こえて、そちらを見ると、生々しい傷とおびただしい返り血を浴びた姿がそこにある。


「大丈夫か? いや、愚問だったな。こんなことをされて大丈夫な訳がない。それに…血も、すまなかった。」
「いえ、ありがとうございます。助かりました。ですが、レイリア様は…」


 男2人の死体を見ながら発せられたその言葉に、レイリアは本心からこう答えた。


「気にするな。こんな奴ら、いなくなった方が世のためだ。」


 本来、家族である人に向けられるはずのないその言葉には、空気が一気に重たくなったように思えるほどの憎しみがこもっている。


「だが、曲がりながりにも、この家の次期当主とその予備だ。家から逃げた方がいいだろうな。心配するな、どこか遠くヘ逃げ延びて見せるさ。」

 
 苦虫を噛み潰したような表情でそう言うと、私のせいでレイリア様が、と自分を責めるメイドを何とか慰め、兄を殺した短剣をわざと置いたまま、レイリアは部屋を出る。

 その短剣は、唯一レイリアとウィンターソン家のつながりを正しく示す、彼女が生まれる前に亡くなった祖父からの贈り物だった。


******




「……ちゃん。おい、そこの兄ちゃん!! 聞いてんのかい!」
「…っはい! わた…じゃなくて、僕ですか? 」
「そうに決まってんだろ! この馬車にあんた以外の若い男なんていないだろ?」


 周りを見ると、確かに若い男は自分しかいない。若いのは女性ばかりだ。


「な、いないだろ?」
「ええ、で、なんです? 僕に何か用でも?」
「ああ、荷物運ぶのを手伝ってほしくてねぇ。爺さんたちじゃ、持ち上げるので精一杯なんだよ。」
「わかりました。…これですか?」


 さっきから喋っていたおばちゃんが頷いたので、馬車の荷台から箱を下し、別の荷台へと積み直した。
 その様子を同じ馬車に乗っていた人々は驚いた様子で見つめる。


「あんた、凄いねぇ。こんな重いのを1人で運んじまうなんて。」
「まあ、いつも鍛錬していますから。」


 完全に男として見られていることにホッとしながら、レイリアは武術をやっていた事に感謝した。


「そうかい、偉いねぇ。うちの孫にも見習って欲しいよ。そういえば、これからどこへ向かうんだい? この馬車はここまでだろう? 良ければ一緒に行かないかい?」
「ありがとうございます。僕はこれから商業都市のカナンに行こうと思っているのですが…」
「あちゃー、私と反対方向だ。しょうがない。じゃあ、いずれまた、ご縁があったら。」
「ええ、いずれまた、ご縁がありましたら。」


 旅で親しくなった相手との別れの挨拶を交わし、別れようと背を向けようとしたレイリアにその女性は訊ねた。


「あんた、名前は?」
「レイ… レイといいます。」
「じゃあな、レイ」
「はい、また。」


 今度こそ背を向けて、レイリアはカナンへと向かう馬車を探し始めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

なんで・・・恋愛が嫌いな私が、よりにもよって恋愛シュミレーションゲームの主人公に転生してるのよ、冗談じゃない!

塚本麗音
ファンタジー
30歳の鬼崎可憐はごくごく普通のOL。 しかし会社の中では男よりも仕事ができると言うことで疎まれていた。 過去には同じ理由で彼氏に振られたこともあり恋愛が嫌いになっていたのだが、ある日男に押し付けられた仕事のため取引先へ向かう途中、事故で死んだ。 死んだ後にカレンが生前借りていた恋愛シュミレーションゲームの主人公カレンとして、転生していた。 そのゲームをまま進めば、主人公がである自分を我が物にしようと戦争が勃発することを知っていたので、カレンはそれを回避するために男装することにした。 その状態で攻略キャラ達を交わしつつ戦争を回避と思っていたが・・・

転生したら性別変わっていたから、男装したのに何故か婚約者が出来た?

にゃんこ
ファンタジー
転生したら男性だったはずが女性になっていたけど、幼少期だったからショックも少なかったから。女性としてドレスなんて着たくないから男装する事に決めた。 男装始めた幼少期から少したって好みの子に出会い両親に告げたら何故か婚約者になっていたんだけど? 何それ、同性婚許されてるの? 成長と共に世界観を知り同性婚は推奨されていないと知り、何故婚約出来たのか不思議に思っていたら…。

婚約破棄したくせに「僕につきまとうな!」とほざきながらストーカーするのやめて?

百谷シカ
恋愛
「うぅーん……なんか……うん、……君、違うんだよね」 「はっ!?」 意味不明な理由で婚約破棄をぶちかましたディディエ伯爵令息アンリ・ヴァイヤン。 そんな奴はこっちから願い下げよ。 だって、結婚したって意味不明な言掛りが頻発するんでしょ? 「付き合うだけ時間の無駄よ」 黒歴史と割り切って、私は社交界に返り咲いた。 「君に惚れた。フランシーヌ、俺の妻になってくれ」 「はい。喜んで」 すぐに新たな婚約が決まった。 フェドー伯爵令息ロイク・オドラン。 そして、私たちはサヴィニャック伯爵家の晩餐会に参加した。 するとそこには…… 「おい、君! 僕につきまとうの、やめてくれないかッ!?」 「えっ!?」 元婚約者もいた。 「僕に会うために来たんだろう? そういうの迷惑だ。帰ってくれ」 「いや……」 「もう君とは終わったんだ! 僕を解放してくれ!!」 「……」 えっと、黒歴史として封印するくらい、忌み嫌ってますけど? そういう勘違い、やめてくれます? ========================== (他「エブリスタ」様に投稿)

悪徳権力者を始末しろ!

加藤 佑一
SF
何をしても自分は裁かれる事は無いと、悠然としている連中に 特殊能力を身につけた池上梨名、 ハッカーの吉田華鈴、 格闘技が鬼レベルの川崎天衣(あい)、 と共に戯れ合いながら復讐を完結させるお話です。

女王様に婚約破棄追放を申し渡されたので、男装死化粧師として生きます【完結】

クリム
恋愛
 刺されたーーって、ここはどこ? 「イーリア・ボゥ・ダスティン伯爵令嬢。あなたの婚約者は私の養女の婚約者になります。ーーお下がりなさい」  スベロニア王国の女王陛下に、婚約者を取られて婚約破棄ついでに王都追放?ダブルコンボ。一体私が何をしたって言うの?  あ、悪役令嬢のざ、さまぁ?私、ざまぁされたってるわけ!?  とは言え、食べていかないとだめだ。髪を切り男装した私は、前世の知識を活用するーーこの世界で死化粧を施す唯一の納棺師として生きていくわ。  ぼちぼちの更新です。そんなに長くはかかりません。ただし職業柄、グロい表現があります。苦手な方は↩︎へ。 ※小説家になろうにても掲載しています。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

鏡の中の絵美里:剃髪と再生の物語【シリーズ】

S.H.L
青春
若い日本人女性、絵美里の物語を描いています。彼女は富豪の家でメイドとして働くことになり、最初の仕事として、特定の髪型「襟足をスッキリと刈り上げたボブ」にすることを求められます。緊張しながらも、絵美里は新しい生活に一歩を踏み出します。 彼女は豪華な邸宅で勤勉に働き、新しい役割に徐々に慣れていきます。しかし、彼女の習熟と自信が、やがて彼女を思わぬ過ちへと導きます。絵美里は誤って価値の高い食器を割ってしまい、このミスにより主人から厳しい罰を受けることになります。 罰として、彼女は髪を剃らなければならなくなり、理容室で頭を丸めることになります。この過程を通じて、絵美里は内面的な変化を経験します。彼女は自分の過ちを受け入れ、新しい自分を見つけることで、より強く、成熟した人間に成長します。 最終章では、絵美里は新たな自信と受け入れを持って、彼女の責任と役割を全うします。彼女は邸宅での仕事を続け、自分の過去のミスを乗り越え、新しい未来に向かって歩み始めます。

仮面の男装令嬢の事件簿~探偵侯爵に求婚されました~

高井うしお
恋愛
男爵令嬢アリシアの趣味&実益は「不埒な男を影ながら成敗する事」。時に仮面をかぶり、男装をし 、人知れず被害に泣く令嬢や人妻を救ってきた。そんな主人公は大の男嫌い。 ある日、とある男を追っていたアリシアは同じ男を追う侯爵と街角で出会い、男装もバレてしまう。 ところが侯爵からかりそめの婚約を持ちかけられて……? ※元は十万字を想定していましたものを、一万字程度にまとめたものです。

処理中です...