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第一章
氷雪大陸 ―水晶都市 スノーランド 3―
しおりを挟む水晶都市の食料がどうなっているかを書かぬ事には、このグルメ本を完成させる事は出来まい、さてはてどの様な方法で肉や野菜を手に入れているのか、極寒の地である氷雪大陸に住む野生の獣は数少なく。それらを狩ってしまえば生態系が壊れてしまう。
この地に宿る加護は水晶龍クシャルナディア様の物だけでは無い、この地には今では錆鱗龍と呼ばれ、かつては戦乱龍と呼ばれたアトラス、あの龍の加護も宿っている。
私はクシャルナディア様を尊敬しているが、アトラスは…好かぬ。アレは、野生の動物を多く殺している。いや、その身が司る生命の加護によって彼の龍が生命を生み出す事が出来るのは知っているが、それでも…暴食が過ぎるのだ。
だが、そのアトラスの加護によってこの地が成り立っているのもまた事実、我々の様に必要とする栄養が少ない種族でも無ければ、アトラスに対して尊敬の念と感謝の念を抱かぬ種はいないだろう。
水晶の加護と、生命の加護、その二つが折り重なり生まれた奇跡にして、水晶都市の危険、水晶獣…。
様々な大陸で見掛ける野生動物の表面に水晶を散りばめたその外見は美しく。見惚れていれば命を奪われる獰猛さを兼ね備えている。まさしく…クシャルナディア様の美しさと、アトラスの獰猛さを兼ね備えた二人の加護の結晶だ。
クシャルナディア様の近辺から這い出る様に姿を見せる水晶獣は、中には比較的に大人しく家畜に向いたモノも存在する。
ここまで書けば分かって貰えるだろう。このグルメ本は水晶都市でのみ得る事が出来る水晶獣の肉、ミルクや出汁、それらをメインに記した物だ。
水晶牛から採れるミルクは寒さに鍛えられ油っぽさの無い後味のすっきりとした物で、水晶鳥の骨は引き締まった筋肉のお陰で味が濃く滲みており、出汁を取るには最高の代物だ。水晶の塔の内部はこの地にいる魔族にとって食料源となっている。
様々な魔族が住まうこの土地において、誰もが当てにしている水晶の迷宮…クシャルナディア様が最奥に眠る迷宮…そこが、この水晶都市の食料全てを支える場所だ。
――――『決して外に出ないグルメ』 著・ブックウォーカー――――
一冊の本を参考に話された食料事情、それを聞いていたら運ばれて来た皿の上には一枚の肉と健康を支える様に添えられた野菜…。
「そういった野菜類も水晶の迷宮内部であれば手に入るんだ。恐らくは…生命の加護のお陰だろう」
ナイフとフォークを手に持って、食事を始める。「いただきます」の言葉の後に静かに口元へ運ぶ。
「美味…しい…」
口に運んだお肉が…歯に当たると自分から分かれていくかのように繊維が分解された。まるで、元々の形がバラバラであるかの様に自然に、口の中で解れていった。
そして溢れ出すのは内に秘めていた旨味、舌を、喉を、鼻を刺激する成分が身体を震わせるほどに歓喜を覚えさせられる。
何も掛けられていない、ただ焼いただけ…いや、焼き加減も絶妙なのだと舌が触れる部分の硬さの違い、そして視覚でとらえる事が出来るお肉の色からつたわって来る。
「ユーマは気に入ってくれたか…見てみろ、店主の顔を、君があまりにも幸せそうに食べているから彼まで笑顔だ」
僕はどうにも、それほどまでに表情に現れていたらしい…この食べ物を、『水晶牛のこだわり焼き』というメニューを食べて…。
盗賊団で食べていた食事も決して美味しくない訳じゃなかった。だけど、この水晶牛は違う。料理とか、そういう物とは別に…感動する。
食材に何かが籠っているとでもいうのか、食べる事でこちらの感情を揺らされるほどの優しさが伝わって来る。
一噛みするごとに溢れだす旨味と、優しさ。
思わず涙が溢れそうになる。何かを、何かを刺激されて…優しくて、凄く嬉しいのに、美味しいのに、どうしてだろう。
それは僕が知らない何かで、きっと…当たり前に触れられる物で…。
「水晶牛や水晶鳥にはクシャルナディア様の優しさとアトラス様の力強さが宿っている…我々からしてみれば、この地を与えてくれた母と父の想いが宿っているんだ」
フォークは簡単に刺さって、お肉は簡単に裂けるのに、口の中に入れた時には解れて、だけど噛む事を忘れさせない固い部分もあって…。
「この地に住まう者は皆、この優しさと厳しさを噛み締めて育つ…実の母の優しさの他に、クシャルナディア様という偉大な母の優しさを、実の父の厳しさの他に、アトラス様という偉大な父の厳しさを、例え母や父と別れ住む事になろうとも…この味が思い出させてくれる」
そう言いながらチャルさんは噛み締める様に肉を口に入れた。目を閉じて、何かを想い出している様だった。
「俺の母も、父も、優しく厳しく…そして、誇りある戦士だ…だが俺は」
黙り、下を向いたチャルさんが何を思ったのか、それは感情が伝わって来る僕だから、きっと分かった事だろう。
後悔では無い、燃える様な熱、闘志を感じた。何かをしようという気概にも似たものだ。
「ユーマ、俺は君を必ずクシャルナディア様の下まで送り届けよう…昨日の夜の出会いは奇跡だとしても、ここから先、俺が何かをしようと願うのは俺の意思だ」
唐突な誓いの言葉に、僕は面食らい食べていたお肉を味合わずに飲み込んでしまった。
どうして、そこまでしてくれるのだろうか…僕との出会いを奇跡とまで呼んで…。
正直、僕はまだ怖さを隠している。信じなければ歩み寄れないと、自分が先に信頼を置かなければ相手も信頼を預けてはくれないと思っているのに、僕はチャルさんに何処か怖れを抱いている。
それは、何だろう…?
チャルさんからは僕を害そうという意思は一切感じられない、優しさで溢れていて、それはきっとこの水晶都市で育った魔族の方々のほとんどがそういった思考の下に育っているんだろう。
この食事一つにも現れる水晶都市に満ちた優しさ…それはきっと、クシャルナディア様の物で…それは何処か、ファーリエルさんの物に似ていて…。
僕は…何を怖がっているんだろうか…。
怖がっている…それを自覚しているのに、どうして何が怖いのか分からないのだろうか…。
人は未知に怖れを覚える物だと、生前に何かの本で読んだ事があった。それなら、何が怖いのか分からないのも当然の事…だけど…。
自分の事が分からない、それが何よりも怖くなる。何よりも、泣き出したくなる。
水晶牛を食べていて良かった…この優しさが無ければきっと涙が溢れていた。胸を締め付ける苦しさが、僕を何処までも内側から苦しめて、様々な優しさが…僕を外側から包み込んでくれる。
『大丈夫か?』
義父さんの声が、聞こえて来た。胸の内に響いてくるその声が、感情と共に届いて僕を安心させてくれる。
『うん…大丈夫だよ義父さん、ありがとう』
敬語を使わない事が、不思議な繋がりを感じさせた。
「ユーマ…?」
チャルさんに声を掛けられてようやく。僕は自分の思考の中から戻って来る事が出来た。
…そうだよね、今の僕が目を向けるべき点はクシャルナディア様に会うことだ。
「いいえ、大丈夫ですチャルさん…ごちそうさまでした」
音を立てて食器を置く。鉱石すら、水晶の塔の地下に在る水晶迷宮で獲る事が出来るのだという。
胃の中に落ちた食べ物が消化される様に、胸の内に湧き出した不安もいつか、消える時が…くるのだろうか。
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