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第一章

氷雪大陸 父の残した物

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―――山頂―――

 父を求めてやって来たその山頂で、我は自身の過去を振り返ることとなった。

 羽ばたかせて勢いを殺し着地した雪の上、まるで凍っているかのように硬く踏み締められた雪だった。

 我は、その光景を見た事が在った。

 燃える頂き、ただそれだけならば我の見て来た物と重なる物だったが、違う物もそこにはあった。

 人の死体だ。人の死体がそこにはあった。

 アトラス山脈の山頂であれば、我が炎を吐くまでは無かった筈の人間の死体だ。

 それはこの氷雪大陸における山脈の頂きにおいても変わらないだろう。その場所に新鮮な人間の死体が在る事が当然な地域などある筈が無い。

 つまり、この死体を作りだしたのは―――父だ。

『ユーマよ、風の加護は掛けておこう…よければ周囲を見て回っては貰えぬか、我もちとこの状況を調べてみたい』

 父の姿は無く。辺り一面の白銀の雪が朱に染められている。人間の人数はそれなりにおり、なおかつ武具も身に着けている…。

 なにやら、嫌な予感が胸の内で大きくなっていく。

 雪景色の中に確かに燃える炎が、美しい煌きで周囲を照らしてくれているが

「分かりました…えっと、現時点で考え付いた事を話しても」
『ならぬ』
「…分かりました」

 恐らくだが、ユーマの考えている事は我が考えている事と同じだろう。

 状況証拠が揃い過ぎている。昨日、我を近づけようとしなかった理由、この様に武器を持ち山頂に積まれた死体の山、そしておびただしい血の跡…。

 果たして人の身から、これ程の血が流れる物だろうか…。

 不思議…という感想は抱かない、その答えは明白なのだから、故に我が探すのはその否定材料、きっとユーマもそれを理解しているのだろう。

 信奉者の事もあり、最近の人間の様子がおかしい事は知っている。それが何に起因する事なのかは分からないが、あの目は…恐れを抱いていた。

 それにしても、明らかにおかしな事が一つだけある。

 父は敵に背を見せて敗北する様な雄では無かった筈だ。故に、ここに姿が無い事は違和感しか無い。ともなれば勝利し、何処かで傷を癒しているのだろう。この考えには我の願いも入っているかもしれないが、あの堅物が簡単にやられるとも思えぬのだ。

 最大の否定材料が我の記憶というのも頼りの無い話だが、我も父の姿を探してみるとしよう。





「義父さん!こちらに!」

 ユーマから声を掛けられて、我は人の死骸から離れた。

 …どうにも、この者共は何処かの国から使わされたと見るのが正しいらしい、全員が『月を横切る鷲』の紋章を装備品の何処かに刻み込んでいる。 

 国を挙げて、父を殺しに来たとでもいうのか…?だとすれば、人の世では龍に対する何かが動き始めているのだろうか…故に、信奉者の者達もそれに乗じる形で…。

 一体何が起きているのか、何度目の疑問になるのか…果たして答えに辿り着く事はあるのか。

 それを知る為には人の国に行く必要があるが…今は、今はその時では無い。大々的に全ての生物を殺すほどの悪虐を敷いているのであれば我も動こう…だが、これが龍に対して行われているのであれば、我と同じ様に人に容易く敗れる龍はいない、急く事では無い。

 ユーマに呼ばれた場所へ行くと、父の鱗が置かれていた。そう。剥がされた様に無残に捨てられていたのでも無く。まるでそこに父が置いたかの様に…。

「義父さん、これは…?」

 その問い掛けの答えを言おうとしたが、我の口から漏れ出したのは笑いだった。

 我は遠い昔の記憶を引き摺りだされた。

 成程、成程成程、何処までも我が父は我が父らしい事をする。

『…く、くは…くはははは!』
「と、義父さん…?」
『ユーマよ、感傷に浸るのは止めだ…そしてこの場からも去るとしよう。父はしばらく戻らぬ様だ』
「そ、そうなんですか?」







 我が子供の頃、そう。それこそまだ飛ぶ事を覚えて間もない頃だ。

 父が住処を留守にすると言い出した。管理者たる我等がその様な事をするのは稀、余程の理由があるのかと思い何故留守にするのかを尋ねた。

 父の答えは、ひどく簡潔な物だった。

『儂にゃ女がおるけぇのぉ…』

 男気溢れる答えだと思う反面で、自分の母親が誰なのか気になった瞬間でもあった。

 我のこれまでの生きて来た道程の中で、最も呆れた瞬間がこの時だ。

『会いにいかにゃならんじゃろうて…』

 そう言って羽を広げた父が、我の足元に何かを残した。

 それは、鱗だった。父の体温も保たれたままの暖かな鱗がそこに置かれた。

『とはいえ、お前ェも子じゃからのぉ…』

 父はそれ以上は言わなかったけれど、我はそれまでの日々、父に添い寝してもらいながら過ごしていた。

恥ずかしい話だが、龍は幼少期に己の熱を保持する事が難しい、それは様々な能力があり、それらを伸ばすのに幼少期の親と共にいる時期を使うからだ。

 成長と共に自然と熱を保持する術を覚えていき、身体機能の成熟と共に我等龍はその術を学ぶ。

 ほとんどが無意識だが、その無意識を意識化で行えるようになるのが龍だ。

 つまりは体温を自在に調整出来るのだが、意識しなければ高温で維持される。故に我の体表の鱗は暖かく。ユーマもそこに安心を覚えるのだろう。

 それは我も同じ、父の置いて行ってくれた鱗には父の体温が宿っていて、お陰で我は安心して眠る事が出来た。

『じゃけぇ、儂ゃ女ぁ待たせとるけぇ』

 そう言って羽ばたき、辺りに緑を生み出して父は去って行った。

 羽ばたけばその場に命を生み出し、息を吹けば炎や雷、自然を生み出す。

 父の語っていた最良、生命を司る龍。自身をその様に語れるのはそれ程の自信があるからだろう。

 事実、父は何度か自我を失い暴れていた巨大な魔獣を我を連れて倒していた。

 あの時の父は…我の中で憧れであり、最強と胸を張れる誇りだ。

 残された我は羽ばたき去って行く父の背を見て、あのようになりたいと願った。

 それが、今の我に繋がっている。





『大丈夫だユーマ、父は健在だ』

 その事実、何故、父がこの場に居ないのかを話すのはやめておこう。

 それを知ってユーマが父にどんな印象を抱くのかは分からないが、とてもじゃないが…良い印象を与えられるとは思えない。

 いや、ユーマならば女性を大切にする優しい龍だと感想を抱くかもしれないな。

 だが、それ等は実際に会って判断した方が良い、出会いを楽しみにする事は良い事だ。

「そう…なんですか?」
『…ユーマよ、我が父に言われたある事を、此処でお主に申しておこう』
「え?」
『ユーマ、我とお主は父と子、敬語は必要無い…かつての我も、父に敬語を使っていてな…くくく』

 我の時は『気持ちが悪い』と言われたのだったな。

「わかりまし…えっと、わ、分かった。義父さん」
『くははははは!慣れぬのでは仕方もあるまい、段々と慣れて行けば良い』
「…うん」

 ユーマから伝わって来る嬉しいという感情が、こそばゆさと不思議な喜びを我にも与える。

 父には会えなんだが…健在であるのならばいつか会えるだろう。

 我はゆっくりと、此処にはいない父が残した鱗に触れた。

 ―――――『伝えにゃならん』―――――

 突如として頭に流れ込んできた言葉に、我は周囲に視線を巡らせた。

 だが、その声の主は見当たらず。鱗から伝わってきているのだと理解した。

 ―――――『人の世の乱れにゃ、儂等龍は巻き込まれる』―――――

 その言葉は我に残された物なのだと分かった。

 ―――――『更に北、ノースランドに向かえ』―――――

 我はその地名に聞き覚えがあったが、耳を疑わずにはいられなかった。

 ―――――『おめぇの連れとる御子と共にの』―――――

 …ノースランド。

 その地は氷雪大陸の厚い雪によって外界と隔たれている秘境。

 秘境にして住まう者が確かに居る土地。

 
『魔の土地と呼ばれるあの場へ、向かえと言うのか…父よ』


 父から示された道は、人の住まわぬ場所を指していた。

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