聖弾の射手

平尾正和/ほーち

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序章

第1話 会社が潰れました

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 バスッ! バスッ! と鋭く短い音が狭い屋内射撃場に響く。
 エア・ピストルから放たれた10発の弾丸は、10メートル離れた標的にいくつか命中し、それを確認したけんは構えをといた。

「あいかわらず悪くない腕だね、いしおかくん」

 うしろから掛けられた声に賢人が振り向くと、スーツに身を包んだ女性が立っていた。

「ありゃ、あまかわさんいつから見ていたんですか?」
「5発目くらいからかな?」

 天川よし
 おろせば肩まであるだろうダークブラウンの髪をうしろに束ねた、化粧気の少ない女性だ。
 もうすぐ40になろうかという賢人よりはいくつか若いはずだが、やたら老成した物言いをしてくる。
 それが妙に自然で、賢人はつい敬語で喋ってしまうのだった。

「ほんとうに、悪くない腕だな」
「たいしてよくもないですけど」
「ま、そうなのだけど。趣味でやってるにしては悪くないよ」
「昔取った杵柄ってやつです」

 賢人は高校時代、ライフル射撃部に所属していた。
 特に射撃が好きというわけではなく、単に競合校が少ないから部活でそこそこの成績を残せるだろう、という打算の元に。
 事実、彼はエア・ライフルで全国大会に出場し、大学受験を推薦でくぐり抜けた。
 ちなみに射撃の腕は、全国大会に運良く出場できる程度のものだった。
 大学では申し訳け程度に活動し、卒業後就職してからはいっさい縁がなかったのだが、ひょんなことからこの施設を知り、暇つぶしとストレス発散のため、数年前に再開したという経緯がある。
 美子とはここで知り合った仲だ。
 学生時代にあまり縁のなかったエア・ピストルは、彼女に勧められて始めたのだが、案外自分に合っているな、と賢人は思っていた。

「聞いたよ、会社のこと。大変だったみたいだね」
「ええ、まぁ」

 賢人は懐から禁煙サポートパイプを取り出し、口に咥えた。
 すぅっと息を吸い込むと、ミントの香りが鼻腔や喉を刺激して心地いい。

「お、いいものを持っているな。私にももらえるか」
「どうぞ」

 賢人から受け取ったパイプを咥えて大きく息を吸い込んだ美子は、眉をひそめて息を吐き出した。

「なんだ、ニコチンは入っていないのか」

 口から離し、つまんだパイプを見ながら、美子は不満げに吐き捨てた。

「ええ、ただのミントパイプですから」

 賢人はタバコを吸わない。
 若いころにイキがって吸おうとしたものの、結局身体に合わなかったのだが、当時はなんとなくそれが恥ずかしくて、ミントパイプを咥えるようになった。
 元々喫煙癖はあったが、いまは一身上の都合でやめている、という体裁をとりつくろったのだ。
 若気の至りというやつだが、ミントパイプはなんとなく習慣として残ってしまった。
 気分が落ち着く……ような気がするのだ。

「そうか」

 かたや美子は愛煙家だ。
 なので、ニコチン成分の入っていないパイプに対して相変わらず不満げな態度を見せたが、それでもないよりはマシと思ったのか、口に咥えたままにしていた。
 このご時世に愛煙家は肩身がせまかろうと思わなくもないが、個人の嗜好に口を挟むつもりは、少なくとも賢人にはなかった。

「しかし、まさか会社が潰れるとは思いませんでしたよ」

 3日ほど前、賢人が勤めていた会社が潰れた。

「1階の中華料理屋でガス爆発だって?」

 しかも物理的に。

「ええ。中華は火力が命ってんで、LPガスを使ってたのがまずかったみたいだとかなんとか」

 幸い死傷者はゼロ。
 ただ、サーバーなどの設備類が物理的に破壊され、その復旧やら補償やらで会社は立ちゆかなくなってしまった。
 保険でなんとかなる部分もあれば、ならない部分もあるのだとか。
 ならば一度会社を畳んでしまおうというのが、役員たちの下した判断だった。

「次の職場は決まったのかい? きけば君、優秀らしいじゃないか」
「いや、どうなんでしょうね。まぁ誘いはありましたけど……」
「お、その様子だと次は決まってないようだな。ならウチにこないか?」
「えっと、天川さんのところですか?」
「そうだ。君の悪くない腕を見込んで、な」

 言いながら、美子はちらりと標的を見る。

「いやぁ、警察はちょっと……っていうか、天川さんって何課でしたっけ?」
「県警の資料課だな。私のコネでなんとかしてやろう」
「それ、射撃の腕関係ないですよね?」
「はっはっは。それはそうだな」

 そう言い捨てると、美子はミントパイプを吸った。
 口元に浮かんでいた笑みが、わずかに曇る。

「とりあえず、田舎に帰ります。失業保険もすぐに出るみたいですし、しばらくはゆっくりするつもりです」

 思えば大学卒業から十数年、ずっと働きづめだった。
 おかげでそこそこ貯金はできたし、未消化の有休や退職金、そして失業保険を合わせれば2~3年は働かなくても平気だろう。

「そうか。いつ帰るんだい?」
「もう荷物は全部処理したんで、このあとすぐにでも」

 会社が潰れ、その翌日には田舎に帰ることを決断した。
 その日のうちにリサイクルショップに連絡し、家にある物はほとんど引き取ってもらった。
 買取額の大半はゴミにしかならなかった上に処分費用へと消えてしまったが、引っ越し代を考えれば安いものだ。
 スマートフォンや財布などの所持品のほかに残ったのは、ノートパソコンくらいだった。

「もうここには来ないのかい?」
「当分は」
「ふむ。そういえば、しまくんはどうしている?」
「あいつ、有休使って海外旅行なんですよ。もう何日もしないうちに帰国するのかな? 旅行中に会社が潰れるってのは、不幸なんですかね?」
「どうだろうね? というか、三島くんは会社のことを知っているのか?」
「そりゃ会社から連絡は行ってますよ。どうせ帰ってもどうにもならないなら、旅行を満喫するとかなんとか言ってたらしいですけど」
「はっはっは、らしいといえばらしいな。で、君が田舎に帰ることは伝えたのか?」
「いや、たまにここで一緒に撃つだけの仲ですし」

 賢人がそう答えると、美子はぽかんと口を開けた。
 その拍子に咥えていたパイプがポロリと落ちる。

「おっと、失礼」

 落ちたパイプを拾ってポケットに入れ、顔を上げた美子は、苦笑を漏らして賢人を見た。

「私の記憶が確かなら、君は三島くん以外の誰ともここに来ていないと思うが?」
「あー、そうですね」
「……他に仲のいい同僚はいるのかい? 休みの日に食事へ行ったりとか」
「いえ、特には」

 賢人は同僚とそれほど交流するほうではない。
 飲み会などがあれば顔を出すが、それ以上にプライベートで関係を持っている社員はいない。
 となれば、趣味を同じくする三島とは、そこそこの関係なのかもしれないと思い至る。

「ひと言くらい知らせてやったらどうだ?」

 賢人の表情から考えを察したのか、美子は呆れがちにそう言って肩をすくめた。

「……ですね」

 それから片付けを終えた賢人は、施設を出た。
 美子が、わざわざエントランスまで見送りに来てくれた。

「では、達者でな、石岡くん」
「ええ、天川さんも」

 タクシーを拾って駅に向かう。
 その道中、賢人は三島にショートメッセージを1本送っておいた。
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