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プロローグ
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R O A D S T O N E
蔵人の目に飛び込んできたのは、世界的に有名なピアノメーカー『ロードストーン』社のロゴマークだった。
――なぜ、こんなところに……!?
古びたピアノから視線を外して店内を見回すと、20名ほどの客が3~4人ずつのグループに別れ、めいめい酒と食事と雑談を楽しんでいた。
その中には蔵人のように汚れた作業服を着た者も多かったが、それとは別に革製、あるいは金属製の鎧を身に着けたり、足元に盾を置いていたり、腰に剣を佩いていたりする者の姿が散見された。
それだけではなく、赤青緑と派手な髪の色をした者、頭から獣のような耳が生えた者、顔の表面に爬虫類じみた鱗模様がうっすらと見える者など、コスプレというより特殊メイクでも施しているのではないかと思われる者もかなりいる。
「ねぇ、早く弾いてよ」
蔵人にそう声をかけてきたのは健康的な褐色の肌に燃えるような赤い髪と瞳、そしてハスキーな声が印象的な妙齢の女性だった。
――異世界……?
蔵人は戸惑いつつも、用意された椅子に腰を下ろした。
**********
エアーコンプレッサーの風で粉塵汚れを吹き飛ばしたあと、蔵人は翌日の出張修理に必要な工具をプラスチックコンテナに詰め込み、その上に調律道具の入ったツールボックスやちょっとした私物の詰まったバッグを置いてコンテナに手をかけた。
「よっこらしょ……っと」
四十代も半ばを過ぎ、身体の節々に現れ始めた軋みを自覚しながら、蔵人が道具箱を抱えて身体を起こし、顔を上げると、目の前には見慣れた川沿いの工場地帯ではなく、石畳の敷かれた風情ある欧風の古い街並みが広がっていた。
「え……?」
振り返ればそこには今しがた出たばかりの工房があるはずなのに、古びた石造りの家屋が立ち並ぶ通りが見えるだけだった。
「ええっ!?」
街灯はなく、家々から漏れ出る弱々しい灯りが淡く道を照らしている。
まったく状況の理解できない蔵人だったが、自分でも驚くほど混乱も恐怖もない。
(このままぼーっと立っててもしょうがないか)
そう考えた蔵人は、道具箱をかかえたまま周りを警戒しながらも、なにかに誘われるように歩き始めた。
コツコツと響く靴音と、安全靴を通して足に伝わってくる石畳の感触が、なにやら新鮮に感じられた。
ほどなく蔵人は街灯の並ぶ薄明るい道へ行き当たり、角を折れて少し歩いたところでガヤガヤと騒がしい音が聞こえてきた。
「……酒場?」
音に導かれるように歩くと、やがて煌々と灯りの漏れる――あくまで他の民家に比べれば――場所にたどり着いた。
開け放たれた扉の向こうからは、騒がしい音とともに美味そうな料理の匂いが漏れ出していた。
この心地よい喧噪が、意識に乗らない程度だが聞こえていたのだろうか?
蔵人はなんとなくだが、来るべくしてここに来たような気がしていた。
「そういや、晩メシまだだったな」
あるいは漂う匂いに誘われたのかもしれないとも思い直し、蔵人は独りごちた。
「ふふ……耳はともかく、鼻はそんなに効かないんだけどな」
自嘲気味苦笑し、誰に聞こえるでもない言葉を呟いたあと、蔵人は意を決して、中へと踏み込んだ。
一瞬先客の視線を集めた蔵人だったが、汚れの染み込んだ作業服がこの店の空気にうまく溶け込んだらしく、客たちはすぐに自分たちの食事や雑談へと戻っていった。
「いらっしゃい!」
店の奥から現れた女性がハスキーな声で迎え入れてくれた。
「適当に座ってね」
「ああ、はい」
どうやら言葉は通じるようだ。
人の少なそうな場所を探して店内を見回す。
「……!?」
各所に張り出された品書きのようなものを目の端に収めながら、蔵人の視線はあるものに釘付けとなった。
「ピアノ……?」
それはどう見てもグランドピアノだった。
店の一角に堂々たる姿で存在するその楽器は、蔵人にとってなにもかもが異質なもので埋め尽くされた空間に現われた、唯一馴染みのある代物であり、彼は引き寄せられるようにピアノのほうへと歩いていく。
そしてごく自然な手つきで鍵盤の蓋を開けたところで、ロードストーン社のロゴマークを見つけたのだった。
「ねえ、アンタ」
見慣れたロゴマークを視界に収めながら、ぼんやりと立ち尽くしていた蔵人に、ウェイトレスと思しき女性が声をかける。
「あ、すいません! 勝手に触ってしまって……」
「いいよいいよ。ところでアンタ、ピアノ弾けるの?」
「ええ、まぁ」
「ホントに!? じゃ1曲頼むよ!!」
ウェイトレスの嬉しそうな笑顔と期待するような眼差しを眩しく思いながら、蔵人はなぜかすぐには座れずにいた。
(なにか違和感がある……。なんだ?)
その違和感の正体を探るべく、蔵人は再び店内を見回す。
(そうか、文字が……)
そして店内各所に張り出された品書きを見て、違和感の正体を突き止めた。
そこにはカタカナでもひらがなでも、ましてや漢字でもなく、そしてアルファベットでもない、見たことのない文字が書かれていた。
『おすすめ!! オーク肉の生姜焼き』
『エールと一緒にソーセージの盛り合わせはいかが?』
『ワイン入荷しました』
なぜか見たことのない文字を、蔵人は当たり前のように読めた。
「ねぇ、早く弾いてよ」
蔵人は戸惑いつつも、用意された椅子に腰を下ろした。
(バーみたいなことろだし『枯れ葉』でいいか)
ピアノ椅子に座り、姿勢を正した蔵人は、鍵盤の上へ静かに手を乗せた。
指に伝わる鍵盤の感触に思わず笑みをこぼしながら、鍵盤に指を沈める。
流れるように単音を3つ。
蔵人は眉をひそめる。
続く和音で眉間の皺はさらに深くなった。
そこから蔵人は徐々にテンポを上げていく。
リズムはスウィングからシャッフルへ。
短い音で跳ねるように。
速いアルペジオと音数の少ない和音を織り交ぜながら、虚仮威しの技巧に走りつつ、蔵人はなんとか1曲を弾き終えた。
顔を上げて店内を見回す。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
一拍遅れて訪れる万雷の拍手。
「うおおおお! いいぞにーちゃん!!」
「やべぇ! あいつなにもんだよ!!」
「すげぇ!! 俺、あのピアノがまともに弾かれてんの初めてみたぞ!!」
「もう1曲! もう1曲弾いてくれぇ!!」
どうやら気に入ってもらえたようだ。
「アンタすごいじゃないか!!」
「おわっぷ!?」
立ち上がって一礼しようとしたところで、感極まったウェイトレスが抱きついてきた。
中途半端にかがんだところに抱きつかれたため、蔵人はウェイトレスの豊満な谷間に顔をうずめることになった。
弾力のある柔肌の感触を得ながら、表面にじっとりと浮き出た汗から漂う甘酸っぱい匂いに、蔵人は危うく意識を飛ばしそうになる。
「ぷはぁっ……!」
ほどなく解放された蔵人に、ウェイトレスは先ほどより期待に満ちた視線を向けていた。
「ねぇ、もう1曲――」
「あー、いや、その前に」
蔵人はアンコールをねだるウェイトレスの言葉を遮って続けた。
「調律、ズレてませんか?」
「う……」
蔵人の言葉にウェイトレスは気まずそうな表情を浮かべ、目をそらした。
このピアノはかなり状態が悪い。
ロングトーンを出せば単音でも音が揺れる。
なにせピアノというのはひとつの鍵盤で複数の弦を鳴らすのだ。
その内の1本でも調律がズレていれば、単音ですらまともに鳴らず、和音になればそのズレはより顕著になる。
なので、蔵人は途中からロングトーンを避けるように弾き方を変えたのだった。
高速のアルペジオでごまかしつつ、ジャズのスタンダードナンバーにロックギタリストよろしく二和音まで使って。
弾けと言われればいまのようにごまかしながら弾くことも可能だが、できれば調律をしておきたいところだ。
幸い道具はあるのだから。
「もしよろしければ調律しますけど?」
「えぇっ!?」
蔵人の申し出にウェイトレスは声を上げて瞠目し、客席からもざわめきが聞こえた。
「あの、俺こう見えても調律師なんで……」
「えっと、いいのかい?」
「ええ。せっかくなので」
「いや、そうじゃなくて……、それ、ロードストーンだよ?」
「あー、はい。でもロードストーンなら何度か触ったことありますし」
そこで、申し訳なさそうにしていたウェイトレスの目が再び見開かれる。
「アンタ、まさかロードストーンの……?」
「まさかまさか!! 俺は小さな工房のしがない職人ですよ」
確かにロードストーン専属の調律師もいるが、蔵人はそういった団体には所属していない。
コンサートホールや高級ホテルに置いてあるようなものなら専属のメンテナンス契約などもあるが、個人が中古で買ったようなものであれば、たとえロードストーン社製のピアノであっても調律や修理をしたところで問題はない。
「そうかい……。まぁウチのはD級だから、法的にも問題ないんだけど」
「D級? 法的?」
「とにかく、やってくれるってんならやっとくれよ! 普通の調律師にもロードストーンってだけで避けられて、引退して腕の落ちたロートルしかやってくれずに困ってるんだよ」
「あー、まぁそういうのってありますよねぇ」
『ロードストーンの製品は、ロードストーンの職人に!』という無言の圧力を、あの会社は出しているのだ。
……はて、ここは異世界ではなかったか?
「……まぁ、俺はそういうのあまり気にしないんで」
しかし目の前に調律の必要なピアノがあり、持ち主がそれを望むのであれば、細かいことは気にするのは後回しでいいだろう。
「そうかい、助かるよ。ああ、演奏のお礼におごるよ。好きなもの頼んでね」
「ありがとうございます。夕食がまだなんで助かります」
「だったら先にごはん済ませちゃいな。調律代はちゃんと払うからお願いね」
「わかりました」
さてなにを頼もうかと張り出された品書きを吟味する。
そこに並ぶ見たことのない文字。
(でも、読めるんだよなぁ……)
蔵人はもう一度ピアノに視線を落とした。
R O A D S T O N E
そのロゴは、やはりアルファベットで描かれていた。
蔵人の目に飛び込んできたのは、世界的に有名なピアノメーカー『ロードストーン』社のロゴマークだった。
――なぜ、こんなところに……!?
古びたピアノから視線を外して店内を見回すと、20名ほどの客が3~4人ずつのグループに別れ、めいめい酒と食事と雑談を楽しんでいた。
その中には蔵人のように汚れた作業服を着た者も多かったが、それとは別に革製、あるいは金属製の鎧を身に着けたり、足元に盾を置いていたり、腰に剣を佩いていたりする者の姿が散見された。
それだけではなく、赤青緑と派手な髪の色をした者、頭から獣のような耳が生えた者、顔の表面に爬虫類じみた鱗模様がうっすらと見える者など、コスプレというより特殊メイクでも施しているのではないかと思われる者もかなりいる。
「ねぇ、早く弾いてよ」
蔵人にそう声をかけてきたのは健康的な褐色の肌に燃えるような赤い髪と瞳、そしてハスキーな声が印象的な妙齢の女性だった。
――異世界……?
蔵人は戸惑いつつも、用意された椅子に腰を下ろした。
**********
エアーコンプレッサーの風で粉塵汚れを吹き飛ばしたあと、蔵人は翌日の出張修理に必要な工具をプラスチックコンテナに詰め込み、その上に調律道具の入ったツールボックスやちょっとした私物の詰まったバッグを置いてコンテナに手をかけた。
「よっこらしょ……っと」
四十代も半ばを過ぎ、身体の節々に現れ始めた軋みを自覚しながら、蔵人が道具箱を抱えて身体を起こし、顔を上げると、目の前には見慣れた川沿いの工場地帯ではなく、石畳の敷かれた風情ある欧風の古い街並みが広がっていた。
「え……?」
振り返ればそこには今しがた出たばかりの工房があるはずなのに、古びた石造りの家屋が立ち並ぶ通りが見えるだけだった。
「ええっ!?」
街灯はなく、家々から漏れ出る弱々しい灯りが淡く道を照らしている。
まったく状況の理解できない蔵人だったが、自分でも驚くほど混乱も恐怖もない。
(このままぼーっと立っててもしょうがないか)
そう考えた蔵人は、道具箱をかかえたまま周りを警戒しながらも、なにかに誘われるように歩き始めた。
コツコツと響く靴音と、安全靴を通して足に伝わってくる石畳の感触が、なにやら新鮮に感じられた。
ほどなく蔵人は街灯の並ぶ薄明るい道へ行き当たり、角を折れて少し歩いたところでガヤガヤと騒がしい音が聞こえてきた。
「……酒場?」
音に導かれるように歩くと、やがて煌々と灯りの漏れる――あくまで他の民家に比べれば――場所にたどり着いた。
開け放たれた扉の向こうからは、騒がしい音とともに美味そうな料理の匂いが漏れ出していた。
この心地よい喧噪が、意識に乗らない程度だが聞こえていたのだろうか?
蔵人はなんとなくだが、来るべくしてここに来たような気がしていた。
「そういや、晩メシまだだったな」
あるいは漂う匂いに誘われたのかもしれないとも思い直し、蔵人は独りごちた。
「ふふ……耳はともかく、鼻はそんなに効かないんだけどな」
自嘲気味苦笑し、誰に聞こえるでもない言葉を呟いたあと、蔵人は意を決して、中へと踏み込んだ。
一瞬先客の視線を集めた蔵人だったが、汚れの染み込んだ作業服がこの店の空気にうまく溶け込んだらしく、客たちはすぐに自分たちの食事や雑談へと戻っていった。
「いらっしゃい!」
店の奥から現れた女性がハスキーな声で迎え入れてくれた。
「適当に座ってね」
「ああ、はい」
どうやら言葉は通じるようだ。
人の少なそうな場所を探して店内を見回す。
「……!?」
各所に張り出された品書きのようなものを目の端に収めながら、蔵人の視線はあるものに釘付けとなった。
「ピアノ……?」
それはどう見てもグランドピアノだった。
店の一角に堂々たる姿で存在するその楽器は、蔵人にとってなにもかもが異質なもので埋め尽くされた空間に現われた、唯一馴染みのある代物であり、彼は引き寄せられるようにピアノのほうへと歩いていく。
そしてごく自然な手つきで鍵盤の蓋を開けたところで、ロードストーン社のロゴマークを見つけたのだった。
「ねえ、アンタ」
見慣れたロゴマークを視界に収めながら、ぼんやりと立ち尽くしていた蔵人に、ウェイトレスと思しき女性が声をかける。
「あ、すいません! 勝手に触ってしまって……」
「いいよいいよ。ところでアンタ、ピアノ弾けるの?」
「ええ、まぁ」
「ホントに!? じゃ1曲頼むよ!!」
ウェイトレスの嬉しそうな笑顔と期待するような眼差しを眩しく思いながら、蔵人はなぜかすぐには座れずにいた。
(なにか違和感がある……。なんだ?)
その違和感の正体を探るべく、蔵人は再び店内を見回す。
(そうか、文字が……)
そして店内各所に張り出された品書きを見て、違和感の正体を突き止めた。
そこにはカタカナでもひらがなでも、ましてや漢字でもなく、そしてアルファベットでもない、見たことのない文字が書かれていた。
『おすすめ!! オーク肉の生姜焼き』
『エールと一緒にソーセージの盛り合わせはいかが?』
『ワイン入荷しました』
なぜか見たことのない文字を、蔵人は当たり前のように読めた。
「ねぇ、早く弾いてよ」
蔵人は戸惑いつつも、用意された椅子に腰を下ろした。
(バーみたいなことろだし『枯れ葉』でいいか)
ピアノ椅子に座り、姿勢を正した蔵人は、鍵盤の上へ静かに手を乗せた。
指に伝わる鍵盤の感触に思わず笑みをこぼしながら、鍵盤に指を沈める。
流れるように単音を3つ。
蔵人は眉をひそめる。
続く和音で眉間の皺はさらに深くなった。
そこから蔵人は徐々にテンポを上げていく。
リズムはスウィングからシャッフルへ。
短い音で跳ねるように。
速いアルペジオと音数の少ない和音を織り交ぜながら、虚仮威しの技巧に走りつつ、蔵人はなんとか1曲を弾き終えた。
顔を上げて店内を見回す。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
一拍遅れて訪れる万雷の拍手。
「うおおおお! いいぞにーちゃん!!」
「やべぇ! あいつなにもんだよ!!」
「すげぇ!! 俺、あのピアノがまともに弾かれてんの初めてみたぞ!!」
「もう1曲! もう1曲弾いてくれぇ!!」
どうやら気に入ってもらえたようだ。
「アンタすごいじゃないか!!」
「おわっぷ!?」
立ち上がって一礼しようとしたところで、感極まったウェイトレスが抱きついてきた。
中途半端にかがんだところに抱きつかれたため、蔵人はウェイトレスの豊満な谷間に顔をうずめることになった。
弾力のある柔肌の感触を得ながら、表面にじっとりと浮き出た汗から漂う甘酸っぱい匂いに、蔵人は危うく意識を飛ばしそうになる。
「ぷはぁっ……!」
ほどなく解放された蔵人に、ウェイトレスは先ほどより期待に満ちた視線を向けていた。
「ねぇ、もう1曲――」
「あー、いや、その前に」
蔵人はアンコールをねだるウェイトレスの言葉を遮って続けた。
「調律、ズレてませんか?」
「う……」
蔵人の言葉にウェイトレスは気まずそうな表情を浮かべ、目をそらした。
このピアノはかなり状態が悪い。
ロングトーンを出せば単音でも音が揺れる。
なにせピアノというのはひとつの鍵盤で複数の弦を鳴らすのだ。
その内の1本でも調律がズレていれば、単音ですらまともに鳴らず、和音になればそのズレはより顕著になる。
なので、蔵人は途中からロングトーンを避けるように弾き方を変えたのだった。
高速のアルペジオでごまかしつつ、ジャズのスタンダードナンバーにロックギタリストよろしく二和音まで使って。
弾けと言われればいまのようにごまかしながら弾くことも可能だが、できれば調律をしておきたいところだ。
幸い道具はあるのだから。
「もしよろしければ調律しますけど?」
「えぇっ!?」
蔵人の申し出にウェイトレスは声を上げて瞠目し、客席からもざわめきが聞こえた。
「あの、俺こう見えても調律師なんで……」
「えっと、いいのかい?」
「ええ。せっかくなので」
「いや、そうじゃなくて……、それ、ロードストーンだよ?」
「あー、はい。でもロードストーンなら何度か触ったことありますし」
そこで、申し訳なさそうにしていたウェイトレスの目が再び見開かれる。
「アンタ、まさかロードストーンの……?」
「まさかまさか!! 俺は小さな工房のしがない職人ですよ」
確かにロードストーン専属の調律師もいるが、蔵人はそういった団体には所属していない。
コンサートホールや高級ホテルに置いてあるようなものなら専属のメンテナンス契約などもあるが、個人が中古で買ったようなものであれば、たとえロードストーン社製のピアノであっても調律や修理をしたところで問題はない。
「そうかい……。まぁウチのはD級だから、法的にも問題ないんだけど」
「D級? 法的?」
「とにかく、やってくれるってんならやっとくれよ! 普通の調律師にもロードストーンってだけで避けられて、引退して腕の落ちたロートルしかやってくれずに困ってるんだよ」
「あー、まぁそういうのってありますよねぇ」
『ロードストーンの製品は、ロードストーンの職人に!』という無言の圧力を、あの会社は出しているのだ。
……はて、ここは異世界ではなかったか?
「……まぁ、俺はそういうのあまり気にしないんで」
しかし目の前に調律の必要なピアノがあり、持ち主がそれを望むのであれば、細かいことは気にするのは後回しでいいだろう。
「そうかい、助かるよ。ああ、演奏のお礼におごるよ。好きなもの頼んでね」
「ありがとうございます。夕食がまだなんで助かります」
「だったら先にごはん済ませちゃいな。調律代はちゃんと払うからお願いね」
「わかりました」
さてなにを頼もうかと張り出された品書きを吟味する。
そこに並ぶ見たことのない文字。
(でも、読めるんだよなぁ……)
蔵人はもう一度ピアノに視線を落とした。
R O A D S T O N E
そのロゴは、やはりアルファベットで描かれていた。
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