悪徳令嬢と捨てられない犬

犬咲

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約束された破滅の日

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 春の夜、豪奢な屋敷を包みこみ、夜空へと噴きあがる炎が辺りを真昼のように照らしていた。

 ――馬鹿なやつら。

 屋敷の裏手に広がる風景式庭園。造られた小川に架けられた石橋。
 そのたもと、名も知らぬ植物の茂みにハリネズミのように身を隠し、息をひそめて様子を伺っていた私は、心のなかで毒づいた。
 今日は北からの風が吹いている。街に火が回れば困るのは自分達だろうに。

 ――いつになったら帰るのかしら。

 そっと茂みから首を伸ばした拍子に、はらりとフードからこぼれた三つあみは、我ながら見事なプラチナブロンドで、薄闇の中でさえ艶やかな輝きを放った。
 少し前まで象牙の櫛と薔薇の香油で手入れをし、社交界で誉めそやされていた自慢の髪も、今となっては危険な目印でしかない。
 こぼれた髪を無造作にフードの中へとしまいこみ、マントの前をかきあわせ、ホッと息をついて。
 私は白い手の中、汗でぬるつくガラスの小瓶をしっかりと握りなおした。
 自害用の毒。
 凌辱されて殺されるくらいなら、いっそひとおもいに。
 そう、決めていた。
 どうにもならなかったこの人生、最期くらいは自分で決める――と。

 今夜、屋敷が燃えおちて、私の存在は消える。
 親子そろって、次代の王太子妃マリアを亡きものにしようとした稀代の悪徳令嬢――公爵令嬢イライザは。

 そう、私がそれ・・を思いだしたときから、すべては決まっていた。



 私が生きるこの世界は、前世の私が遊んだ恋愛ゲームの世界だ――と口に出してしまえば、私は狂女か魔女として断罪されていただろう。
 狂っているのなら、まだ幸せだった。
 十二の夏、降ってわいたように思いだした生まれる前の記憶のようなもの、私の頭にある未来など妄想に過ぎなかっただろうから。
 けれども、確かにこの世界は前世の私が楽しく遊んだゲームの世界で、シナリオの通りに私は生きるほかなかった。



 この世界が私を破滅へと導きはじめたのは、イライザ十二才の夏。
 三時のお茶の席のことだった。

 フォークを持つ手がピタリと止まり、突然身体が動かなくなった。
 戸惑う内に、私の手は高価な陶器の皿をつかんで、それまで美味しく食べていたストロベリーパイを「まずい! つくりなおしなさい!」と叫んで床へと投げすてたのだ。
 メイドも従僕も、私自身さえも、突然の暴挙に戸惑った。

「……どうなさったのですか、お嬢様。お嬢様の好物ではございませんか」
「え、わ、わたし……どうして……ごめんなさい!」

 ティーポットを手にした従僕に問われ、おろおろとフォークを握りしめたまま立ちあがり、床に手を伸ばすメイドに詫びたのが始まり。
 その夜、眠りについて目覚めると、あるはずのない記憶が私の頭に刻まれていた。

 さあ、おもいだせ。
 おまえは人に嫌われ、恨まれ、断罪されるための存在なのだ――と、見えざる何かに告げられたように。


 
 その日から、時々、私の身体は私のいうことをきかなくなった。
 月に一度だった暴走が、二度になり、三度になり、やがて三日に一度になったころには、使用人たちの私を見る目も冷ややかなものへと変わっていた。
 大人しそうな顔をして、きまぐれに癇癪を起こしては使用人に当たりちらし、贅沢三昧、わがまま放題な悪徳令嬢。
 辞めていった使用人の口伝いに、私の悪評が国中に広まるまで、そう時間はかからなかった。

 そうして名実ともに悪徳令嬢となった私は、十七才の春、ヒロイン「平凡な伯爵令嬢マリア」と出会った。

 公爵家のお茶会に招いたマリアが自分と同じ色のドレスを着ていたことに腹を立て、イライザは手にした紅茶をマリアの顔にバシャリとかける。
 泣いて逃げだしたマリアは、イライザの父の不正を探るため、こっそりと公爵家を訪れていた王太子とぶつかり、恋がはじまって。

 その日から、イライザは約束された破滅の日へと突きすすんでいった。



 それでも私は、精一杯あがいたのだ。
 知っているのならば、防げるのではないかと。
 ヒロインであるマリアが王太子と出会いさえすれば、後は、私――イライザが何をしなくても、二人は結ばれるはずだ。
 それならば、マリアと王太子に関わらぬように息をひそめて過ごせば、最悪の結末は防げるのではないかと。
 父を諭して、どうにか穏便に没落して、平穏な未来を望めないだろうかと。

 けれども、世界シナリオの強制力は無慈悲で、私の表情も言葉も何一つ自由にならなかった。
 マリアと仲良くなろうと笑みを向けることさえできなかった。
 記憶のままのシーンを演ずる間、私は悪どい笑い声を立てながら、ただただ未来に絶望していた。

 不正を働き、王位を簒奪しようともくろんだ父が、私と同じようにシナリオに支配されていたのかはわからない。
 私が物心ついたときから、父は冷酷な人間だった。
 世界の強制力でそうなっていたのか、それが本来の父の性格だったのか。
 その疑問を抱いた時には、すでに私の言葉は自由にならなくなっていて。
 最後まで、父に確かめる事さえできなかった。



 そうして、迎えたマリアと王太子の大団円の夜。

『百年の栄華をほこった公爵家の屋敷は民衆の怒りに焼かれ、
 翌朝、門前に掲げられた棒の先には、血と灰で汚れた豪奢なナイトドレスの切れ端が勝利の旗のようにたなびいていた。
 その日から、公爵令嬢イライザの姿を見た者はいない。 』

 その語りを最後にイライザは退場する。

 暴徒と化した民衆に屋敷を襲われ、凌辱され命を落としたことを匂わせてはいるが、全年齢向けゲームということで配慮したのか具体的な描写は出てこない。

 それがせめてもの救いだった。
 今夜、行方不明になりさえすれば、未来を望めるかもしれない。
 それだけが、希望だった。



 ――もう、そろそろいいかしら。

 ぱらぱらと雨が降りはじめていた。
 春と言えど、夜は冷える。雨に濡れればなおさらだ。
 夜警の笛の音が遠く聞こえ、頭の冷えた民衆がひとり、またひとりと立ちさって、ざわめきが小さくなっていく。

 白い指先をすりあわせながら、私は、そろりと茂みから這いでようとして。
 すっと黒い影が落ちてきた。
 息を呑み、小瓶に手をかけ、その手を掴まれ――。

「っ、――」

 叫ぼうとした口を塞いだ手。

「お嬢様」

 聞こえた声は、三日前に捨てた従僕いぬのものだった。
 
 
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