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さよなら、おともだち

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 ゆびおりかぞえて待つ夏休み。
 学校に行かなくちゃいけない日が、残り片手分くらいになった金曜日。
 梅雨は空けたのに、その日は朝から雨だった。
 
 両手が手提げでふさがっているせいで、首と肩ではさんだカサを何度も落としそうになった。
 ようやく教室に入って、席について、用意しておいたタオルハンカチで、ぽん、ぽん、と教科書とランドセルをふいていると隣の席の加藤くんが話しかけてきた。

「なー、きもとさん、なんで、ランドセルつかわないの?」

 ビクッと顔を上げると、加藤くんはニカッと白い歯を見せてきた。
 加藤くんは「悪い子」ではないと思うけれど、私と「同じような、イイ子」ではない。
 母親がヒマ過ぎて料理投稿動画をはじめたとか、父親とサッカーの試合を観に行ったとか、うれしそうに話しているのを聞いたことがある。
 週末に遊ぶパパがいて、いつも家にはママがいて、後ろのロッカーに放りこまれた青いランドセルは、彼が友だちと遊ぶときの武器で、ときにはイスにもなる。
 そんな加藤くんは、私と「違う子」だ。
 ひとなつっこそうな笑顔は、クラスのみんなに人気があるけれど、加藤くんのまぶしさが私は少し苦手だった。

「……べつに、なんとなくだよぉ」

 無愛想には思われないように、へへ、と笑って答えると、加藤くんは「ふーん」と頭のうしろで腕を組み、きょとんと首をかしげる。

「へんなの! 手さげでもったら、おもいじゃん? おもくねーの?」
「べつに、だいじょうぶだよ」
「だって、おれ、ハハオヤにたのまれて買いものするけど、ビニールぶくろ、めっちゃおもいよ? なぁ、モッチ?」

 加藤くんが仲良しの山本くんに話しかけて、山本くんが力強く頷く。

「わかる! ヒモが手にくいこむ! めちゃくちゃおもいよなー!」
「なー?」
「キャベツおもいよなー!」
「ギューニューもキツい!」
「麦茶二リットルとか、ヤバい!」
「うち、あわせてたのまれる。オトコのコなんだから、って、ジドーギャクタイだよなぁ!」

 わかる、わかる、と他の男の子も盛り上がるなか、私は「そうなんだぁ」とあやふやな笑みを浮かべて、ランドセルからそれたまま話が終わるのを待っていた。
 それなのに。

「じゃあ、きもとさんの手さげも、ギャクタイだよな!」
「え?」

 加藤くんの言葉に、みんなの視線が私に向いた。

「マジで? きもとさん、ギャクタイされてるの?」
「うそ、かわいそー!」

 女子の声が混じる。

「どっちがイジメるの? ママ? パパ?」
「わたし、しってる。きもとさんち、リコンして、おかーさんしかいないんだよ!」
「うわ、ダブルでかわいそー」

 教室にクーラーは効いてるはずなのに、じわっと背中に汗が出る。
 「そんなことないよー」と笑っても、誰かの「うそ! かわいそー!」の叫びに、かき消される。

「オレ、しってる! シンママって子どもをギャクタイするって、テレビでいってた」
「ヤバいね。せんせーにいったほうがいいよ」
「やだ、きもとさん、かわいそー!」
「はやくだれか、じそーにつーほーしてあげなよー」
「スマホもってる?」
「わたしダメ、ママとパパとおばあちゃんにしか、かけられない」
「オレ、あるよ!」

 山本くんが授業中は使用禁止のスマートフォンをポケットから出してきた。

「じそーって、なんばん? なんばん?」

 山本くんの言葉に「しらべられないの?」と女子の誰かが答えて、これ以上黙っていたらマズイと私は立ち上がった。

「いいよ、そんなんじゃないって!」

 ガタンとイスを鳴らして叫んだのと、ガラリと教室の戸が開いたのは同時だった。
 シーンと変な空気が広がるなか、バラバラと席に戻っていくみんなを見ながら、ゆっくりとイスに腰を下ろそうとして先生の低い声が響いた。

「紀本さん、待って。そのまま立ってて」
「……はい」

 いよいよ汗がとまらなくなる。
 教卓まで来た先生が荷物を置いて、水色のブラウスの襟をチョッとさわって、首をかしげて戻す。

「何を騒いでたの?」

 やさしく聞かれて、言葉につまる。

 ――わたしが、ききたいです。

 心の中でつぶやく。
 本当に、みんな、何を騒いでいたんだろう。
 ただ、私はランドセルの代わりに手さげを使っていただけなのに。

「なにも、ないです」
「せんせー! きもとさん、ハハオヤにギャクタイされてまーす!」

 男子の誰かが私の答えをかき消すように叫んで、きれいにお化粧された先生の顔が曇る。

「虐待? 紀本さん、お母さんに虐待されてるの?」
「……ちがいます」
「そうでーす! ランドセルつかわせてもらえなくて、手さげつかってるんでーす!」
「きょうかしょ、おもくて、手がいたくなっちゃうのに。きもとさん、かわいそうです!」

 また、違う男子が答えて、女子が補足する。

「そうなの? そういえば、紀本さん、いつも両手に手さげ下げてるわね……ランドセルは使っちゃダメって、お母さんにいわれているの?」
「違います!」

 今度こそ誰にも遮られないように大きな声で答えた。

「違うの?」
「ちがうのかよー」
「かくさなくて、いいよー」

 口々に聞かれて、こくり、と頷く。

「ホントにだいじょーぶ。みんな、しんぱいしてくれて、ありがとう」

 なんとか笑顔をつくって、まわりに振りまく。

「わたし、ランドセルがスキだから、つかうのがもったいなくて、だいじにしてただけなんだ……せんせい、さわがせて、ごめんなさい」

 えへへ、と笑って謝ると、先生は、ホッと気の抜けた顔になった。
 面倒くさいことにならなくて良かったぁ、というように。
 まわりのみんなも「なぁんだ」と気の抜けた顔になる。
 面白いことになりそうだったのに残念だなぁ、というように。

「きもとさん、ランドセル、スキすぎじゃね?」

 つまんないという思いをにじませた誰かのつぶやきに、誰かが乗っかる。

「ぼしかてーだから、大事にしてるんだよ」
「ランドセル、たかいもんね」
「でも、2組のこーすけくんは、ランドセルでサッカーしてるよ?」
「こーすけくんちのほうが、きもとさんちよりおカネ、あるんじゃない?」

 くすくすと笑う声が耳に刺さる。

「こら、みんな、やめなさい!」

 先生の声が響く。

「紀本さんは好きでお父さんがいないわけじゃないのよ! お母さんしかいないからって、バカにするのは差別です! 差別はダメ、絶対! わかった、みんな?」

 先生の言葉に、みんなは「はーい!」と頷いて、私は一人で傷ついた。



 その日の残り時間、気分は最低だった。
 給食は好きな揚げパンだったけれど、ゆっくり味わうよゆうなんてなくて、早く帰りたい、とずっと思っていた。
 帰りさえすれば、みんなの声も目も届かなくなる。
 ホルンとゆっくり、ふたりだけの時間が過ごせる。
 明日は休みだ。明後日も。
 二日もはさめば、みんなの興味は他にうつってくれるだろう。そうだといいな。

 ――きっと、そう。だいじょーぶ。みんな、わたしなんか、きょーみないし。

 今日は、たまたま加藤くんが声を上げたから注目が集まっただけ。

 ――はやく、かえりたい。

 残りの授業の間、いつもどおりに目立たないように、みんなに心配されないよう、むしかえされないよう、何でもないような顔で先生の話を聞きながら、ずっとそれだけを考えていた。
 放課後のメロディーが流れて、ようやく教室を出られたころには、水泳の授業を二時間こなした後のように、くたびれていた。

 雨は、まだ降っていた。
 それでも、もう後は帰るだけ、帰りさえすれば大丈夫だと風に遊ばれる傘を必死に首で肩に押さえつけながら、かけあしで家を目指した。
 途中で、図書館に本を返すのを思いだして、公園のそばの十字路をまがって、寄って、新しく入った本をめくったりして、ホルンに読んであげる絵本を選んだ。
 ピッと絵本のバーコードを読んでもらって、手さげにしまって「気をつけて帰ってね」と笑うメガネのお姉さんに「はい!」と頭を下げて、図書館を出たときには、だいぶ空の色が黒みがかっていた。
 雨は、やっぱり降っていたけれど、よりみちをしたことで、少しだけ気分は上向いていた。
 とことこと家に帰ってみると、うすぐらい玄関んに、つやつやしたママのベージュのパンプスがあった。

 ――きょうは、はやい日なのかな?
 
 最近、勉強が――本当はホルンと遊ぶのが――忙しいからとご飯を食べたら、すぐに部屋に戻っていて、あまりママと話さないから、よくわからない。
 首をかしげながら上がり口に手さげを下ろして、パタパタとカサを振って、まるめようとしているとガチャリと後ろで音がした。
 くるりと見れば、リビングのドアが開いて、ママが顔を出していた。
 リビングからもれる明かりを背に受けて、うつむくママの顔は真っ黒に見えた。

「ママ、ただいま」

 かけた声に答えず、ママはズンズンと歩いてきて、右の手を振り上げた。
 「え?」と思ったときには、パチン、と小さな音がして、またたき三回の後に頬が熱くなった。

 ――ママが、ぶった。

 痛みよりもショックで呆然となって、ママを見上げた。

「……ママ?」
「ちーちゃん、今日ね、ちーちゃんの学校の先生から、ママに連絡があったの」

 すごく低い声で言うと、ママは、私を叩いた右手を左手でキュッと握りしめて、ためいきをついた。

「……ちーちゃん、どうしてランドセル使わないの? ちーちゃんがランドセル使わないで、手さげなんて使っているせいで、ママ、先生にヒドイこと言われたのよ?」

 悲しそうな顔をしたママの言葉に、私は思わず「ごめんなさい」と言いそうになって、こくり、と呑みこんで、言いなおした。

「雨のとき、ママが、ランドセルはタイセツにしなきゃダメって、いったからだよ。やさしくして、たいせつにって。なんで、ダメなの? ママが、いったのに」

 私が言いかえすとは思っていなかったのだろう。
 ママの眉毛と目がキッと吊り上がる。

「大切に使いなさいって言ったの! 『使うな』なんて言ってない! まったく! ママ、恥ずかしかったんだから! どういう教育してるんだって、職員室中の笑いものにされたに決まってる……もう、さいてい。ちーちゃん、明日から、ちゃんとランドセルに入れていきなさい! 手さげは禁止! いい?」

 ママの言葉に、私は唇を噛みしめた。

「ちーちゃん、お返事は!?」
「……やだ」

 ぽつり、とつぶやいて、ランドセルの肩ヒモを両手で握りしめた。

「え? ちーちゃん、今、なんていったの?」
「やだ! やだっていったの! ランドセルなんて、つかわない!」

 ママに叫んで、くるりと回って、バタンと玄関を飛びだした。

「ちーちゃんっ!」

 叫ぶママの声が後ろから聞こえたけれど、私は足をとめなかった。

 だっだっだっと走る背中で、モ、モ、ンモゥ、と小さな唸り声がする。
 いつもとちがう、ごきげんとは違う。
 「そんなに急いで、どうしたの?」「どこにいくの?」とでも言うような声。
 行くあてなんて、なかった。
 でも、ママと一緒には、いたくなかった。
 走りながら、ふと、メガネのお姉さんが頭に浮かんだ。

 ――そうだ、まだ、あいてるかも。

 図書館を目指して、公園を目指す。
 途中まで、いつもの通学路だ。

 私は傘を持っていなかった。
 ランドセルの肩ひもをギュッと握りしめて、びゅんびゅんと吹きつける雨と風に、頭からぶつかっていくように走っていた。
 ママの結ってくれた三つ編みも、白いブラウスも、赤い水玉のフレアースカートも全部がびしょぬれになっても、白いレースの靴下が泥にまみれても、私は足をとめなかった。

 大きく育った公園の木が見えた。
 白い線がまぶしい横断歩道。緑の葉っぱの間から、チカチカと歩行者用の信号が緑色に光っているのが見えた。
 チカチカはセーフだ。急いで渡れ。
 車は目に入らなかった。
 バチバチとおでこに当たる雨に目を細めながら、白い線を三つ、ふみこえて。

 クラクションが右の耳を叩いた。

 右目に飛びこんできた白い光が花火みたいに広がって、キキッとタイヤがアスファルトにこすれる音。
 どん、と、歩いてきた神様のつまさきに引っかけられたように、私は空を飛んでいた。
 くるりとかかとが浮き上がって、藍色と灰色が混ざった空が近付いて、遠ざかる。

 ――だめ、ホルンがつぶれちゃう!

 そう思ったときには地面に落ちていた。
 ぼんっ、と背中から身体が破裂したみたいだった。
 保育園のころ、プールの飛びこみ台に登って背中から落ちたときのような、水面に叩きつけられたあの感じ。
 それよりも、ずっと強くて、消えない。
 頭がグラグラ揺れて、口を開いているのに息が吸えなくなる。まばたきをしながら、目を開いてるのに、どんどん暗くなっていく。
 排気ガスなのか、こすれたタイヤのものなのか、変なにおいと、雨に濡れたアスファルトのにおいがした。
 靴が脱げたのか、つまさきが冷たいような感じがした。
 ガチャリと車のドアが開く音。
 「嘘だろ!」と、若いおじさんの声が続いた。
 チカチカと光る車のライトが、だんだんぼやけて、ちいさくなっていって、世界が真っ暗になった。

 光が消えて、においはして、キーンと耳の奥で音がなって。
 ふわりと暗闇に身体が浮かび上がるような感じがして、ある瞬間。

 モォォゥ――と牛の鳴き声がした。

 まるで、お別れのあいさつみたいに。
 ホルンの声は長く尾をひいて、そうして、私の意識と一緒に、ぷつりと消えた。 
 
 
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