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ちーちゃんとホルン

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 梅雨が明けて、夏がきた。
 もうすぐ学校も、半分終わって夏休み。
 学校へ行かなくちゃいけない日が減っていくのが、とてもうれしい。
 
「ん~ふ~ふふ、ねーるーとー、な~つ~や~す~み~♪」

 お正月の歌をもじって歌いながら、うきうきと手提げバッグの中身を確かめる。
 今日の授業は国語、体育、図工に図工、それから算数。

「わすれもの、なーし!」

 今日は体操着も必要だから大荷物だ。
 体操着入りのサクランボ柄のナップザックをランドセルの上から背負って、左手に赤いチェックの布バッグを下げて。

「いってきまーす!」

 元気よくママに声をかけて、家を飛び出す。
 たったったっと走る背中で、モ、モ、ンモゥ、と小さな唸り声がする。
 怒っているわけじゃないらしい。

「わっ、あかだ!」

 横断歩道で急ブレーキをかけて、ぴょん、と後ずさる。

「あの木、きっちゃえばいいのにねー」

 大きく育った公園の木が、夏に向けて増量中の葉っぱで歩行者用の信号機を抱えこんでいる。
 線を引きなおしたばかりの横断歩道はピカピカで、車はスピードを落としてくれるけれど、まっすぐ前を向いて飛びだしやすい私のような子どもには、危険といえば危険な道だった。 

「せんせーがいってたよ、せんてーしなきゃって。せんせーがせんてーだって! へんなの! ねーホルン?」
 
 くつくつと笑いながら、ぴょんと飛びはねる。

「なつやすみだよ、ホルン! もうすぐ!」

 びっくりしたのか、ブモッ、と牛というよりもブタみたいな鳴き声がランドセルの中で響いた。



 はじめて触れたあの夜から、白黒のお肉は私のペットを通りこして友だちになった。
 牧場の牛よりも身近で、野良の猫よりも気前よく撫でさせてくれて、ママよりずっと私の話を聞いてくれる。

 毎晩うとうとして、カタカタなる音に起きて、それから一時間ばかし、白黒お肉を撫でたり学校やママの話を聞いてもらう。
 そうやって仲良くなっていって、ある日、お肉に名前をつけてあげなくっちゃと気がついた。
 いつも「ねぇねぇ、聞いて」「牛さん」「お肉さん」となんとなく呼んできたけれど、考えてみれば名前じゃない。
 自分の家の飼い猫に「猫さん」と呼びかけるなんて、ありえない。
 「ウッシー」「ニック」「ブモリン」「ニギュー」と色々考えてみてから、パパが教えてくれた「ホルスタイン」から最初と最後をとって「ホルン」に決めた。
 おしゃれでカッコいい名前だと思う。
 名前をつけたことで、ななしのお肉は私の親友ホルンに進化した。
 そうしてバージョンアップしたホルンは、夜間限定フレンドから終日フレンドにも進化したのだ。

 ――ほんと、びっくりしちゃった。

 朝、ランドセルを開けて、隙間なくつまったホルンを見つけたときは、ママが飛んでくるほどの大声をあげてしまった。
 音楽の時間の練習だとママにウソをつきながら、うれしくてニコニコ笑いがとまらなかった。
 これで、これからは、いつでもホルンといられるって思ったら。
 でも、ちょっぴり困ったといえば困りもした。
 ランドセルはホルンでいっぱいで、他には何にも入れられない。
 ナップザックと手提げカバンで、ガンバっていくしかないので、大変といえば大変だけれど、ホルンのためだと思えば楽しくなった。

 ――ママも、そんなかんじなのかな。
 
 「仕事は大変だけど、あの子のためだと思うと頑張れるの」とママが電話でママのママに話しているのを聞いたことがある。

 ――でも、ちがうかも。

 私は、一緒にいないときでもホルンのことを思うと自然にニヤニヤ笑えてきて、心がポカポカして、クラスの子のことなんてどうでもよくなるけれど、ママは、一緒にいるときでも私のことより大事なものがあるように考えこんでいることも多い。
 「自慢の娘」は「大切なおともだち」よりも、幸せに結びつかないものなのかもしれない。

 ――ママにも、おともだち、できるといいのにね。

 そうすれば、ママはもっと幸せになれる。
 私とだけいるよりも、もっと。



「ねーホルン、そうしたら、みんなしあわせでサイコーだよねー!」

 ぶらぶらと布バッグを振りながら、上を向く。少し前まで、どんより古びた魚色をしていた空は、今はラムネのビンのようにスカッときれいな水色だ。
 顔を前に向ければ横断歩道の向こう、公園の掲示板に貼られた大きなポスター。
 ちびっこプール」「ウォータースライダー」の文字とグルッと回ったすべり台を落ちる、赤い水着の子どもの写真がテカテカと目立っていた。

「プールかぁ、いいね~!」

 泳ぐのは好きだ。
 スイミングスクールに通いたかった。
 でも、ママが女の子に習わせたいのは、バレエやピアノや日本舞踊とか、そういう、きれいなドレスや着物を着て写真に残せるものだったから。
 スイミングのピチッとした帽子にシャチみたいな水着は、ママの好みじゃないみたいで「最低限、泳げればいいでしょ」と一年でおしまいになった。
 悲しかったけれど、今は別にいい。

「ホルンはプール、いけないもんね~」

 ホルンと一緒にいけないのなら、プールに行くよりも他のことがしたい。

「どこがいいかなぁ……」

 学校でもないのにランドセルをしょって、ブラブラしていたら、変な目で見られるだろうか。
 だとしたら、あまり人の目につかないところがいいが、それだと、今度は変なおじさんやお兄さんが怖い。
 図書館だろうか。
 うちから歩いて五分のところに、公民館の中に図書館があって、ペットの飼い方の本を読みたくて、こないだから何回か行ってみた。
 昨日も放課後、ちょっと寄った。
 おしゃべりしながら一緒に本を探してくれたメガネのお姉さんは「いつでも、図書館が開いてるときなら来ていいからね」と笑ってくれた。
 カウンターの奥にいたメガネのおじさんも頷いていた。
 あそこなら、休みの日にランドセルを背負っていっても怒られたりジロジロ見られたりしない気がする。

「う~ん、なやむねぇ……」

 腕を組んで、きゅっと眉を寄せて首をかしげながら、それでも私は笑っていた。

「でもさ! わたし、ホルンとなら、どこでもいいよ!」

 ブルルとホルンが満足げに鼻――あるのかわからないけれど――を鳴らして、ちょうど信号が青に変わって。
 私はポンと飛びはねて、横断歩道の白いところだけを踏むように、トントントンッと駆けだした。
 
 
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