5 / 7
ちーちゃんとホルン
しおりを挟む梅雨が明けて、夏がきた。
もうすぐ学校も、半分終わって夏休み。
学校へ行かなくちゃいけない日が減っていくのが、とてもうれしい。
「ん~ふ~ふふ、ねーるーとー、な~つ~や~す~み~♪」
お正月の歌をもじって歌いながら、うきうきと手提げバッグの中身を確かめる。
今日の授業は国語、体育、図工に図工、それから算数。
「わすれもの、なーし!」
今日は体操着も必要だから大荷物だ。
体操着入りのサクランボ柄のナップザックをランドセルの上から背負って、左手に赤いチェックの布バッグを下げて。
「いってきまーす!」
元気よくママに声をかけて、家を飛び出す。
たったったっと走る背中で、モ、モ、ンモゥ、と小さな唸り声がする。
怒っているわけじゃないらしい。
「わっ、あかだ!」
横断歩道で急ブレーキをかけて、ぴょん、と後ずさる。
「あの木、きっちゃえばいいのにねー」
大きく育った公園の木が、夏に向けて増量中の葉っぱで歩行者用の信号機を抱えこんでいる。
線を引きなおしたばかりの横断歩道はピカピカで、車はスピードを落としてくれるけれど、まっすぐ前を向いて飛びだしやすい私のような子どもには、危険といえば危険な道だった。
「せんせーがいってたよ、せんてーしなきゃって。せんせーがせんてーだって! へんなの! ねーホルン?」
くつくつと笑いながら、ぴょんと飛びはねる。
「なつやすみだよ、ホルン! もうすぐ!」
びっくりしたのか、ブモッ、と牛というよりもブタみたいな鳴き声がランドセルの中で響いた。
はじめて触れたあの夜から、白黒のお肉は私のペットを通りこして友だちになった。
牧場の牛よりも身近で、野良の猫よりも気前よく撫でさせてくれて、ママよりずっと私の話を聞いてくれる。
毎晩うとうとして、カタカタなる音に起きて、それから一時間ばかし、白黒お肉を撫でたり学校やママの話を聞いてもらう。
そうやって仲良くなっていって、ある日、お肉に名前をつけてあげなくっちゃと気がついた。
いつも「ねぇねぇ、聞いて」「牛さん」「お肉さん」となんとなく呼んできたけれど、考えてみれば名前じゃない。
自分の家の飼い猫に「猫さん」と呼びかけるなんて、ありえない。
「ウッシー」「ニック」「ブモリン」「ニギュー」と色々考えてみてから、パパが教えてくれた「ホルスタイン」から最初と最後をとって「ホルン」に決めた。
おしゃれでカッコいい名前だと思う。
名前をつけたことで、ななしのお肉は私の親友ホルンに進化した。
そうしてバージョンアップしたホルンは、夜間限定フレンドから終日フレンドにも進化したのだ。
――ほんと、びっくりしちゃった。
朝、ランドセルを開けて、隙間なくつまったホルンを見つけたときは、ママが飛んでくるほどの大声をあげてしまった。
音楽の時間の練習だとママにウソをつきながら、うれしくてニコニコ笑いがとまらなかった。
これで、これからは、いつでもホルンといられるって思ったら。
でも、ちょっぴり困ったといえば困りもした。
ランドセルはホルンでいっぱいで、他には何にも入れられない。
ナップザックと手提げカバンで、ガンバっていくしかないので、大変といえば大変だけれど、ホルンのためだと思えば楽しくなった。
――ママも、そんなかんじなのかな。
「仕事は大変だけど、あの子のためだと思うと頑張れるの」とママが電話でママのママに話しているのを聞いたことがある。
――でも、ちがうかも。
私は、一緒にいないときでもホルンのことを思うと自然にニヤニヤ笑えてきて、心がポカポカして、クラスの子のことなんてどうでもよくなるけれど、ママは、一緒にいるときでも私のことより大事なものがあるように考えこんでいることも多い。
「自慢の娘」は「大切なおともだち」よりも、幸せに結びつかないものなのかもしれない。
――ママにも、おともだち、できるといいのにね。
そうすれば、ママはもっと幸せになれる。
私とだけいるよりも、もっと。
「ねーホルン、そうしたら、みんなしあわせでサイコーだよねー!」
ぶらぶらと布バッグを振りながら、上を向く。少し前まで、どんより古びた魚色をしていた空は、今はラムネのビンのようにスカッときれいな水色だ。
顔を前に向ければ横断歩道の向こう、公園の掲示板に貼られた大きなポスター。
ちびっこプール」「ウォータースライダー」の文字とグルッと回ったすべり台を落ちる、赤い水着の子どもの写真がテカテカと目立っていた。
「プールかぁ、いいね~!」
泳ぐのは好きだ。
スイミングスクールに通いたかった。
でも、ママが女の子に習わせたいのは、バレエやピアノや日本舞踊とか、そういう、きれいなドレスや着物を着て写真に残せるものだったから。
スイミングのピチッとした帽子にシャチみたいな水着は、ママの好みじゃないみたいで「最低限、泳げればいいでしょ」と一年でおしまいになった。
悲しかったけれど、今は別にいい。
「ホルンはプール、いけないもんね~」
ホルンと一緒にいけないのなら、プールに行くよりも他のことがしたい。
「どこがいいかなぁ……」
学校でもないのにランドセルをしょって、ブラブラしていたら、変な目で見られるだろうか。
だとしたら、あまり人の目につかないところがいいが、それだと、今度は変なおじさんやお兄さんが怖い。
図書館だろうか。
うちから歩いて五分のところに、公民館の中に図書館があって、ペットの飼い方の本を読みたくて、こないだから何回か行ってみた。
昨日も放課後、ちょっと寄った。
おしゃべりしながら一緒に本を探してくれたメガネのお姉さんは「いつでも、図書館が開いてるときなら来ていいからね」と笑ってくれた。
カウンターの奥にいたメガネのおじさんも頷いていた。
あそこなら、休みの日にランドセルを背負っていっても怒られたりジロジロ見られたりしない気がする。
「う~ん、なやむねぇ……」
腕を組んで、きゅっと眉を寄せて首をかしげながら、それでも私は笑っていた。
「でもさ! わたし、ホルンとなら、どこでもいいよ!」
ブルルとホルンが満足げに鼻――あるのかわからないけれど――を鳴らして、ちょうど信号が青に変わって。
私はポンと飛びはねて、横断歩道の白いところだけを踏むように、トントントンッと駆けだした。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
【完結】失恋直後の女性は狙い目らしいので、冒険者パーティをクビになった女戦士を口説いてみた
もう書かないって言ったよね?
ホラー
十七歳のユミルはアルバイトの帰り道、街中で金色のゆるふわロングヘアの女の子の別れ話を目撃してしまった。別れたくないと必死に引き止めようとする女の子の顔面を、イケメン彼氏は容赦なく足蹴りした。
ユミルは平凡な顔だけど、あんな酷い男よりは自分の方がマシだと思った。それに失恋直後の女性は落としやすいと聞いた事があるユミルは、ポケットから水色のハンカチを取り出すと、初めてのナンパを見事に成功させた。
翌日、彼女である十八歳の金髪美少女ベッキーと一緒に、ユミルは冒険者である彼女のお仕事の手伝いをする事になった。デートのような楽しい時間はあっという間に過ぎていき、お昼ご飯に彼女の手作りサンドイッチを食べる事になった。
そんな幸せな二人に、剣を持った二人組のおじさんが近づいていく。そして、銀貨二枚を投げ渡して、サンドイッチを食べさせろと要求してきた。
夜通しアンアン
戸影絵麻
ホラー
ある日、僕の前に忽然と姿を現した謎の美少女、アンアン。魔界から家出してきた王女と名乗るその少女は、強引に僕の家に住みついてしまう。アンアンを我が物にせんと、次から次へと現れる悪魔たちに、町は大混乱。僕は、ご先祖様から授かったなけなしの”超能力”で、アンアンとともに魔界の貴族たちからの侵略に立ち向かうのだったが…。
社会的適応
夢=無王吽
ホラー
ハムラ族に輪姦、拷問され、
牢穴の底に幽閉された俺は、
苦痛と絶望のなか、
闇の奥に一筋の希望を見つける。
その男は風前の灯火にも似た、
消えかけの希望の糸だった。
俺はそいつに縋り、
ハムラの戦士たちに、
抵抗することを決めた。
俺は戦士ではないが、
戦力差は《戦士の槍》が埋める。
最期の瞬間まで、
俺は絶対に諦めない。
深い牢穴の冥暗のなか、
裸身の男二人は死の嵐に対し、
捨身で、折れた牙を剥く。
秋嵐の獄、狐狗狸けらけら
月芝
ホラー
終戦後、目まぐるしくうつろう世の中、復興に沸く巷にあって、
連日新聞紙面を賑わせていたのが、とある大店の蔵の床下から大量に発見された人骨のこと。
数、膨大にして推定二百体ほど。そのほとんどが赤子の骨。
どうやらここの女房の仕業らしい。
だが当人は行方をくらませており、当局の懸命な捜索にもかかわらず、
いまもって消息は不明であった。
そんなおり、ラジオが告げたのは季節外れの台風が列島を縦断するという情報。
ちょうど進路上に重なった和良簾村は、直撃を喰らい孤立することになる。
だが東北の山間部の深奥、僻地にあったこの村にとっては慣れたこと。
ゆえに慌てることもなくいつも通り。粛々と嵐が過ぎるのを待つばかり。
だがしかし、今回の嵐はいつもとはちがっていた。
村が嵐に閉ざされる前に、魔が入り込んでいたのである。
遠い対岸の火事であったことがなんら前触れもなく、
ふと我が身に降りかかってくることになったとき……。
仮面は剥され、克明に浮き彫りにされるのは人の本性。
嵐の夜、うっかり魔を招き入れてしまった駐在が味わう恐怖の一夜。
けれどもそれすらもが真の恐怖の序章に過ぎない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる