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遅い夕食を食べてから、僕はお風呂に入った。
キースさんが態々用意してくれたお風呂は、温かいお湯が溜められていて、香りのいい石鹸まで置いてあった。
そう言えば、皆、身綺麗にしていた。
貴族のお屋敷ともなれば、使用人も綺麗にしてなきゃいけないのかもしれない。
明日からはギルバート様つきの小姓になるんだから、僕も綺麗にしなきゃとばかりに、いつもより長くお風呂に入った。
ホカホカの身体でお風呂場を出ると、キースさんがいた。
「あっ、お風呂気持ちよかったです。あの、片付けはどうしたらいいでしょうか」
「構わなくていい。後で、俺も入るから」
「えっ、じゃあ、僕、先に入ってしまってよかったんでしょうか」
新参者なのに、また知らずにしちゃいけないことをしてしまったんだろうか。でも、お風呂に案内してくれたのは、キースさんだ。
「いいんだよ。それより、」これからアレクに教えたいことがある。少し付き合ってくれるか」
断る理由もないし、僕は頷いた。
キースさんに連れられて、僕は彼の部屋を訪れた。
僕たち使用人の部屋とは違って、ギルバート様の部屋に近い場所にキースさんの部屋はあった。
有事に備えてということらしい。
ギルバート様の部屋にあるような銀細工の調度品とは違うけれど、それなりに年代物の本棚や机が置いてある。
「アレク、そこに座ってくれ」
勧められて、僕は椅子に腰かけた。
テーブルを挟んで、正面の椅子にキースさんが座る。
そこに置かれていたグラスにキースさんは僕の分と自分の分の葡萄酒を注いだ。
「さあ、飲んでくれ」
目の前に差し出されたグラスを、僕は遠慮がちに手に取った。
お酒は強くないんだ。
一杯でも酔って記憶を失くしてしまう。
でも、断るのも悪いと思って、僕は唇を濡らす程度に口をつけた。
「ああ、酒は苦手だったか?」
問われて、僕は「大丈夫です」と答えた。
「無理はするな。俺に遠慮することはない」
「本当に大丈夫です」
そう答えて、僕はもう一口飲んだ。
口当たりはまろやかで、友達と飲んだ安酒とは味も香りも格段に違っていた。
やはり貴族の家にあるものは、なんでも特別なんだろう。
「アレク、お前には知っていて欲しいことがある」
そう切り出されて、僕は姿勢を正した。
「仕事のことは全部は覚えきれないだろうから、絶対にしてはいけないことをこれから話す」
「はいっ」
意欲を見せて返事をするも、キースさんは気の進まない顔をした。
僕がギルバート様の小姓になったことを良く思っていないのかもしれない。
「ギルバート様に旦那様の話は禁句だ。主人についての噂話はしたくはないが、アレクもギルバート様に仕えるなら、それが真実かどうかは別として耳に入れておいてもいいだろう」
キースさんが言いたいことの察しがついた。
オーガストさんから聞いた好色漢だとかいう話だろう。
「……旦那様は奥方様が亡くなる前から、他のご婦人と恋仲になっていたと……そういう噂がある。今も、頻繁に相手を変え、情事に耽っていると、不名誉な噂が流れている」
「ギルバート様も、ご存じなのですね」
そう僕が口を挟むと、キースさんは苦笑した。
「俺の言いたいことがわかってくれたか。当然、ギルバート様の耳にも入っている。どころか、ギルバート様は奥方様が亡くなったのは旦那様のせいだと思っているらしい。いや、今もそうなのかはわからないが、俺はギルバート様が幼少期に旦那様を責めていたのを何度も眼にしているからな。旦那様もギルバート様に責められるのが辛くて、この屋敷から足が遠のいているのかもしれない」
「じゃあ、旦那様はどこにいるんですか?」
素朴な疑問だった。
家に帰れないなら、お困りじゃないんだろうかと。
「別邸がある。ここから、そう離れてはいない場所だから、政務もそこでこなされているよ。ここは申し訳程度に顔を見せるだけだ。ああ、もし、旦那様と顔を合わせることがあれば、礼節は弁えろ。気さくな方だから、使用人にも分け隔てなく接してはくれるが、お前はギルバート様の小姓になったのだから、あまり旦那様とは関わらない方がいい」
それはギルバート様が父親のことを良く思っていないから、僕にも仲良くするなってことなんだろうか。
親子なのに仲が悪いなんて……寂しいな。
噂が本当だとしたら、旦那様が悪いとは思うけど……
「アレクはジャンほど、お喋りではないと思うが、ギルバート様に対しての言葉には気を付けることだ」
「わかりました。ギルバート様を傷つけるようなことは言いません」
「そう願うよ」
キースさんは葡萄酒を飲んで一息吐いてから、今度は僕に矛先を向けた。
「アレクはギルバート様を知っているような口ぶりだったが、事情を聞かせてもらっても構わないか」
僕の気持ちを優先するような訊き方に応えたいとは思ったけれど、それを口にするのは憚れた。
ギルバート様にも言わずにおいたことだ。
言う覚悟はしたけど、今思えば、口にしないで良かったと思う。
せめて少しくらい認められてからの方がいい。
追い出されては困るんだ。
僕は一生ギルバート様の側にいたいんだから……
「……一方的に、僕が知ってるだけなんです」
「ああ、そのようだな。だが、ギルバート様に仕える為にここに来たと、それ程までの事情なら、聴いておきたい」
ギルバート様は興味なさそうだったのに、キースさんは気になる様子だ。
どう答えれば、誤魔化せるんだろうか。
嘘を吐くのは苦手で、困ってしまう。
「……あの……俺」
「ただの使用人なら深い事情までは尋ねない。だが、アレクはギルバート様の小姓になった。俺も、仕事上、把握しておきたい」
そんなことを言われても困るんだ。
僕がギルバート様に怪我を負わせたことを知れば、キースさんだって僕のことを追い出そうとするかもしれない。
「ギルバート様はお忘れになっているようですが、教会でギルバート様にお会いして……そこで、ギルバート様に助けられたんです」
「ギルバート様は人との関わりは極力避けるお方だ。アレクがギルバート様に仕えたいと、強く願う程のことをなさったとは思えない」
なんとか作り話をしようとしたのに、キースさんに見抜かれてしまう。
やっぱり嘘を吐くなんて、できないや。
「……キースさん、ギルバート様には言わないでくれますか」
僕は真っ直ぐに、キースさんの眼を見た。
「約束はできない」
正直な人なんだと思った。
追い出されてしまっては困るけど、キースさんに嘘は吐きたくないと感じさせられる。
僕の気持ちを、ちゃんと伝えよう。
きっと、キースさんならわかってくれる。
僕は葡萄酒で口の渇きを癒してから、秘めた事実を口にした。
「……実は、ギルバート様に怪我を負わせたのは僕なんです」
正直に話したら、肩の荷が下りてスッと軽くなった。
けど、キースさんは逆に難しい顔をした。
「僕がギルバート様を落馬させてしまったんです。あの時、僕はまだ子供で、ギルバート様の手を握ってあげることしかできなくて……その手も、僕は離してしまった」
うわ言で「行かないで」と言っていたのを思い出す。
思い出す度に、胸が苦しい。
「僕はずっとギルバート様に償いたいと思っていました。弟が独り立ちできるようになったら、ギルバート様にお仕えしたいと、子供の頃からずっと願ってきたんです。まさか、歩けなくなっているとは思わなくて……もっと早くに来れば良かったと、後悔しているくらいです。僕、一生かけてギルバート様に償いたいんです。だから、どうか追い出さないでください」
キースさんなら、きっと僕の気持ちを汲んでくれると思った。
でも、キースさんは訝し気に僕を見た。
「作り話はいいと言ったはずだ」
びっくりしてしまう。
そんなことを言われるとは思わなくて……
「本当です。僕がギルバート様に怪我を負わせてしまったんです」
「ギルバート様は旦那様に怨みを抱く者に誘拐され、怪我を負った。確かに、その時の後遺症で歩くのが不自由になってしまわれたが、お前のことは話にも上らなかったぞ」
オーガストさんから聞いた話そのものだった。
あの時、司祭が嘘を吐いた。
それが真実として、伝わっているんだ。
でも、ギルバート様なら、当事者のギルバート様なら、誘拐が事実じゃないと知っているはず。
「ギルバート様は、怪我のことを誘拐犯の仕業だと仰ったんですか?」
声が震える。
父を貶めたのが司祭だけであることを祈って……
「いや、ギルバート様は旦那様のせいだと……全ては旦那様のせいだと仰っていた。それより、アレク、お前、その誘拐犯と関わりでもあるのか?」
ドキッと鼓動が跳ねる。
誘拐犯だなんて……
僕のせいで、父がそんな汚名を着せられてしまった。
悔しくて、涙が零れそうになる。
「誘拐犯は処刑されたと聞く。もし、お前がギルバート様に怨みでも抱いているのなら、見過ごすわけにはいかない」
「ちっ、違いますっ」
僕はブンブンと首を振った。
「怨みなんか抱いてません。僕はギルバート様のことを大切に想っています。誰よりも大切に想っています」
この想いは真実なのだとわかってほしかった。
ギルバート様への気持ちを疑われるのは、ひどく悲しいことだ。
僕はあの時からずっとギルバート様のことだけを想って、生きてきた。
それだけは、どうか否定しないでほしいと願った。
「正直、俺にはお前が嘘を吐いているようには思えん。だが、お前を信用するには至らない」
「お願いします。僕を追い出さないでください」
縋るように見つめると、キースさんは小さく吐息を漏らした。
「少し様子を見るとしよう。ギルバート様に話せることでもないしな。だが、俺はお前を疑っているということを忘れるな。ギルバート様を傷つけるようなことがあれば、即刻、追い出す。いいな」
キースさんは強い口調で言った。
彼もまた、ギルバート様を大切に想ってのことなのだろう。
「僕、精一杯、ギルバート様にお仕えするつもりです」
僕の言葉に、キースさんは「ああ」と頷いた。
他にも何か言われるかと身構えていたけど、キースさんの口からは何も紡がれなかった。
沈黙に耐え切れず、僕は席を立った。
「明日も早いので、これで失礼します」
ぺこっとお辞儀をすると、キースさんは僕のことをジッと見つめてきた。
「えっと、お酒、ご馳走様でした」
もう一度お辞儀をして顔を上げると、今度は幾分か表情が柔らかくなっていた。
「おやすみなさい」
そう挨拶すると、「おやすみ」と返ってきた。
ほんの少し安堵して、僕はキースさんの部屋を後にした。
ギルバート様の怪我のこと。
父のこと。
やっぱり僕は黙っているべきなんだろう。
できれば、父の汚名をそそぎたい。
でも、僕がまずしなきゃいけないことは、ギルバート様に信用してもらうことだ。
それから、キースさんにも信用してもらえたらいいな。
その為には頑張らないと。
「頑張るぞーーっ!」
気合を入れて、僕は明日へと臨んだ。
キースさんが態々用意してくれたお風呂は、温かいお湯が溜められていて、香りのいい石鹸まで置いてあった。
そう言えば、皆、身綺麗にしていた。
貴族のお屋敷ともなれば、使用人も綺麗にしてなきゃいけないのかもしれない。
明日からはギルバート様つきの小姓になるんだから、僕も綺麗にしなきゃとばかりに、いつもより長くお風呂に入った。
ホカホカの身体でお風呂場を出ると、キースさんがいた。
「あっ、お風呂気持ちよかったです。あの、片付けはどうしたらいいでしょうか」
「構わなくていい。後で、俺も入るから」
「えっ、じゃあ、僕、先に入ってしまってよかったんでしょうか」
新参者なのに、また知らずにしちゃいけないことをしてしまったんだろうか。でも、お風呂に案内してくれたのは、キースさんだ。
「いいんだよ。それより、」これからアレクに教えたいことがある。少し付き合ってくれるか」
断る理由もないし、僕は頷いた。
キースさんに連れられて、僕は彼の部屋を訪れた。
僕たち使用人の部屋とは違って、ギルバート様の部屋に近い場所にキースさんの部屋はあった。
有事に備えてということらしい。
ギルバート様の部屋にあるような銀細工の調度品とは違うけれど、それなりに年代物の本棚や机が置いてある。
「アレク、そこに座ってくれ」
勧められて、僕は椅子に腰かけた。
テーブルを挟んで、正面の椅子にキースさんが座る。
そこに置かれていたグラスにキースさんは僕の分と自分の分の葡萄酒を注いだ。
「さあ、飲んでくれ」
目の前に差し出されたグラスを、僕は遠慮がちに手に取った。
お酒は強くないんだ。
一杯でも酔って記憶を失くしてしまう。
でも、断るのも悪いと思って、僕は唇を濡らす程度に口をつけた。
「ああ、酒は苦手だったか?」
問われて、僕は「大丈夫です」と答えた。
「無理はするな。俺に遠慮することはない」
「本当に大丈夫です」
そう答えて、僕はもう一口飲んだ。
口当たりはまろやかで、友達と飲んだ安酒とは味も香りも格段に違っていた。
やはり貴族の家にあるものは、なんでも特別なんだろう。
「アレク、お前には知っていて欲しいことがある」
そう切り出されて、僕は姿勢を正した。
「仕事のことは全部は覚えきれないだろうから、絶対にしてはいけないことをこれから話す」
「はいっ」
意欲を見せて返事をするも、キースさんは気の進まない顔をした。
僕がギルバート様の小姓になったことを良く思っていないのかもしれない。
「ギルバート様に旦那様の話は禁句だ。主人についての噂話はしたくはないが、アレクもギルバート様に仕えるなら、それが真実かどうかは別として耳に入れておいてもいいだろう」
キースさんが言いたいことの察しがついた。
オーガストさんから聞いた好色漢だとかいう話だろう。
「……旦那様は奥方様が亡くなる前から、他のご婦人と恋仲になっていたと……そういう噂がある。今も、頻繁に相手を変え、情事に耽っていると、不名誉な噂が流れている」
「ギルバート様も、ご存じなのですね」
そう僕が口を挟むと、キースさんは苦笑した。
「俺の言いたいことがわかってくれたか。当然、ギルバート様の耳にも入っている。どころか、ギルバート様は奥方様が亡くなったのは旦那様のせいだと思っているらしい。いや、今もそうなのかはわからないが、俺はギルバート様が幼少期に旦那様を責めていたのを何度も眼にしているからな。旦那様もギルバート様に責められるのが辛くて、この屋敷から足が遠のいているのかもしれない」
「じゃあ、旦那様はどこにいるんですか?」
素朴な疑問だった。
家に帰れないなら、お困りじゃないんだろうかと。
「別邸がある。ここから、そう離れてはいない場所だから、政務もそこでこなされているよ。ここは申し訳程度に顔を見せるだけだ。ああ、もし、旦那様と顔を合わせることがあれば、礼節は弁えろ。気さくな方だから、使用人にも分け隔てなく接してはくれるが、お前はギルバート様の小姓になったのだから、あまり旦那様とは関わらない方がいい」
それはギルバート様が父親のことを良く思っていないから、僕にも仲良くするなってことなんだろうか。
親子なのに仲が悪いなんて……寂しいな。
噂が本当だとしたら、旦那様が悪いとは思うけど……
「アレクはジャンほど、お喋りではないと思うが、ギルバート様に対しての言葉には気を付けることだ」
「わかりました。ギルバート様を傷つけるようなことは言いません」
「そう願うよ」
キースさんは葡萄酒を飲んで一息吐いてから、今度は僕に矛先を向けた。
「アレクはギルバート様を知っているような口ぶりだったが、事情を聞かせてもらっても構わないか」
僕の気持ちを優先するような訊き方に応えたいとは思ったけれど、それを口にするのは憚れた。
ギルバート様にも言わずにおいたことだ。
言う覚悟はしたけど、今思えば、口にしないで良かったと思う。
せめて少しくらい認められてからの方がいい。
追い出されては困るんだ。
僕は一生ギルバート様の側にいたいんだから……
「……一方的に、僕が知ってるだけなんです」
「ああ、そのようだな。だが、ギルバート様に仕える為にここに来たと、それ程までの事情なら、聴いておきたい」
ギルバート様は興味なさそうだったのに、キースさんは気になる様子だ。
どう答えれば、誤魔化せるんだろうか。
嘘を吐くのは苦手で、困ってしまう。
「……あの……俺」
「ただの使用人なら深い事情までは尋ねない。だが、アレクはギルバート様の小姓になった。俺も、仕事上、把握しておきたい」
そんなことを言われても困るんだ。
僕がギルバート様に怪我を負わせたことを知れば、キースさんだって僕のことを追い出そうとするかもしれない。
「ギルバート様はお忘れになっているようですが、教会でギルバート様にお会いして……そこで、ギルバート様に助けられたんです」
「ギルバート様は人との関わりは極力避けるお方だ。アレクがギルバート様に仕えたいと、強く願う程のことをなさったとは思えない」
なんとか作り話をしようとしたのに、キースさんに見抜かれてしまう。
やっぱり嘘を吐くなんて、できないや。
「……キースさん、ギルバート様には言わないでくれますか」
僕は真っ直ぐに、キースさんの眼を見た。
「約束はできない」
正直な人なんだと思った。
追い出されてしまっては困るけど、キースさんに嘘は吐きたくないと感じさせられる。
僕の気持ちを、ちゃんと伝えよう。
きっと、キースさんならわかってくれる。
僕は葡萄酒で口の渇きを癒してから、秘めた事実を口にした。
「……実は、ギルバート様に怪我を負わせたのは僕なんです」
正直に話したら、肩の荷が下りてスッと軽くなった。
けど、キースさんは逆に難しい顔をした。
「僕がギルバート様を落馬させてしまったんです。あの時、僕はまだ子供で、ギルバート様の手を握ってあげることしかできなくて……その手も、僕は離してしまった」
うわ言で「行かないで」と言っていたのを思い出す。
思い出す度に、胸が苦しい。
「僕はずっとギルバート様に償いたいと思っていました。弟が独り立ちできるようになったら、ギルバート様にお仕えしたいと、子供の頃からずっと願ってきたんです。まさか、歩けなくなっているとは思わなくて……もっと早くに来れば良かったと、後悔しているくらいです。僕、一生かけてギルバート様に償いたいんです。だから、どうか追い出さないでください」
キースさんなら、きっと僕の気持ちを汲んでくれると思った。
でも、キースさんは訝し気に僕を見た。
「作り話はいいと言ったはずだ」
びっくりしてしまう。
そんなことを言われるとは思わなくて……
「本当です。僕がギルバート様に怪我を負わせてしまったんです」
「ギルバート様は旦那様に怨みを抱く者に誘拐され、怪我を負った。確かに、その時の後遺症で歩くのが不自由になってしまわれたが、お前のことは話にも上らなかったぞ」
オーガストさんから聞いた話そのものだった。
あの時、司祭が嘘を吐いた。
それが真実として、伝わっているんだ。
でも、ギルバート様なら、当事者のギルバート様なら、誘拐が事実じゃないと知っているはず。
「ギルバート様は、怪我のことを誘拐犯の仕業だと仰ったんですか?」
声が震える。
父を貶めたのが司祭だけであることを祈って……
「いや、ギルバート様は旦那様のせいだと……全ては旦那様のせいだと仰っていた。それより、アレク、お前、その誘拐犯と関わりでもあるのか?」
ドキッと鼓動が跳ねる。
誘拐犯だなんて……
僕のせいで、父がそんな汚名を着せられてしまった。
悔しくて、涙が零れそうになる。
「誘拐犯は処刑されたと聞く。もし、お前がギルバート様に怨みでも抱いているのなら、見過ごすわけにはいかない」
「ちっ、違いますっ」
僕はブンブンと首を振った。
「怨みなんか抱いてません。僕はギルバート様のことを大切に想っています。誰よりも大切に想っています」
この想いは真実なのだとわかってほしかった。
ギルバート様への気持ちを疑われるのは、ひどく悲しいことだ。
僕はあの時からずっとギルバート様のことだけを想って、生きてきた。
それだけは、どうか否定しないでほしいと願った。
「正直、俺にはお前が嘘を吐いているようには思えん。だが、お前を信用するには至らない」
「お願いします。僕を追い出さないでください」
縋るように見つめると、キースさんは小さく吐息を漏らした。
「少し様子を見るとしよう。ギルバート様に話せることでもないしな。だが、俺はお前を疑っているということを忘れるな。ギルバート様を傷つけるようなことがあれば、即刻、追い出す。いいな」
キースさんは強い口調で言った。
彼もまた、ギルバート様を大切に想ってのことなのだろう。
「僕、精一杯、ギルバート様にお仕えするつもりです」
僕の言葉に、キースさんは「ああ」と頷いた。
他にも何か言われるかと身構えていたけど、キースさんの口からは何も紡がれなかった。
沈黙に耐え切れず、僕は席を立った。
「明日も早いので、これで失礼します」
ぺこっとお辞儀をすると、キースさんは僕のことをジッと見つめてきた。
「えっと、お酒、ご馳走様でした」
もう一度お辞儀をして顔を上げると、今度は幾分か表情が柔らかくなっていた。
「おやすみなさい」
そう挨拶すると、「おやすみ」と返ってきた。
ほんの少し安堵して、僕はキースさんの部屋を後にした。
ギルバート様の怪我のこと。
父のこと。
やっぱり僕は黙っているべきなんだろう。
できれば、父の汚名をそそぎたい。
でも、僕がまずしなきゃいけないことは、ギルバート様に信用してもらうことだ。
それから、キースさんにも信用してもらえたらいいな。
その為には頑張らないと。
「頑張るぞーーっ!」
気合を入れて、僕は明日へと臨んだ。
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