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第9話 劇薬
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アスファルトを割るようにして岩が隆起し、樹の根が行く手を阻むようにして道路上を這う。
そのような悪路のなか、マコトはハンドルを巧みに操り、アンジーと共に目的地を目指していた。
その道中――
「想像していた以上の地獄だな……」
マコトが目にしたのは、幾つかの魔物の死骸。
加えて目にしたのは、雑に転がされた老若男女の死体で、マコトは眉根に深い皺を寄せる。
「それにしても……酷い臭いじゃのう……」
そう言ったのはアンジーで、マコト同様に眉根に皺を寄せると鼻をつまむ。
現にマコトの鼻にも異臭――ツンとするような、それでいてベタリと張りつくような、思わず吐き気を催すほどの、強烈な腐敗臭が届いていた。
「時期が悪かった。ってことなんだろうな……」
「うむ、確かにこの暑さじゃからのう……」
実際、二人の言うとおりなのだろう。
異世界の木々が陽光を遮っていることで、真夏の避暑地くらいの暑さに和らいではいるが、それでも暑いという事実に変わりはない。
転がされた死体は急速に腐敗を進行させ、その腐敗臭を周囲にばら撒き始めていた。
「それに……道理で静かな訳だよ」
マコトはハンドル操作に集中しながらも、周囲に視線を飛ばす。
すると、その目に映ったのは――無人の乗用車や、横転した救急車。
その他にも、民家に頭を突っ込んだ消防車や、黒煙を吐き続けるパトカーなどが映る。
「くそっ、スズネは無事なのかよ……それに他の人達も……」
緊急車両が機能していない現状を目の当たりにし、マコトはアクセルを握る手に力を込める。
スズネが無事であることを願うのと同時に、この街で暮らす人々の安否を気に掛けるのだが……
「くそっがッ!! どんどん酷くなってやがるッ!」
目的地であるマコトの勤める会社――駅のある中心部へ近づくごとに状況は悪化していく。
魔物の死骸を幾つも見掛けたが、それを霞ませてしまうほどに人の死体が溢れている。
同時に、先程までの腐敗臭が可愛く思えるほどに、より濃厚な腐敗臭へと変わっていた。
マコトは奥歯をギリリと噛むと、いっそうアクセルを握る右手に力を込める。
そうして、地獄のような光景のなかバイクを走らせていると――
「なんだこれ? バリケード……ってことか?」
会社まで後僅か、というところで、二台のトラックによって行く手を阻まれてしまう。
タイヤを見ればご丁寧に空気が抜かれており、ちょっとやそっとの力では動かせそうにもない。
「くそっ、別の道を探すしかねぇか……いや、それよりもトラックを乗り越えちまった方が早そうだな」
「ぬっ? バイク殿とはここでお別れなのか?」
「いや、バイク殿とお別れするつもりはねぇよ。
このトラックを乗り越えちまえば会社まですぐだからな。会社にスズネが居ないようならすぐに回収するつもりだ」
「成程のう。では、行くとするかのう」
マコトは頷くとキーに手を掛ける。
そしてエンジンを切ろうとしたその瞬間。
「も、もしかして……お前、小野屋か?」
「おお! 小野屋君じゃないか!」
荷台の上から男性二人に声を掛けられる。
「吉岡? それに立石課長ですか?」
「ああ、そうだ! 吉岡だよ!」
「そうそうか! 小野屋君も無事だったんだね!
というか、そんなにやつれてしまって……本当に大変な目に遭ったんだね……会社の方も――」
「た、立石課長! その話は後にしましょうよ!」
「そ、そうだね! それよりも小野屋君を中に入れてあげるのが先決だ!
小野屋君! そこの裏通りに回ってくれないか! 今なかに入れてあげるから!」
「は、はい! えっと、バイクで行っても大丈夫でしょうか?」
「ああ、大丈夫だ!」
マコトはエンジンを切らずに、立石が指示した場所へと向かう。
すると、そこにもトラックが置かれており、車一台分ほどの通路を綺麗に塞いでいた。
「今動かすからね!」
しかし、立石が声を上げると同時にエンジンが鳴り、道を譲るようにして前進していく。
そしてマコト達が無事に通過すると、トラックは後退の音を鳴らして再び通路を塞ぎ――
「本当、本当に無事で何よりだよ!」
マコト達は防壁の内――いや、檻の中へと招かれるのだった。
「さぁさぁ、喉が渇いているだろ? 水が良い? それともお茶が良いかい?」
「そ、それじゃあ水を貰っても良いですか?」
「そこのお嬢さん……えっと……」
「ああ、この子の名前はアンジーって言います」
「アンジーちゃんだね。君は何が良いのかな?」
「うむ! 儂は黒いシュワシュワを所望するのじゃ!」
「黒いシュワシュワ――ああ、コーラのことかな? 申し訳ないけど此処にはないんだよね……
ミルクティーとかスポーツ飲料水、それにコーヒーならあるんだけど」
「ぬっ! ではコーヒーというヤツを所望するのじゃ!」
「微糖だから少し苦いけど大丈夫かな?」
「問題無しじゃ!」
「は、ははっ、面白い喋り方をする子だね?」
「そ、そうですね……」
場所はマコトの勤める会社のオフィス。
応接スペースの柔らかなソファに腰を下ろしたマコト達は、水分で喉を潤すとほうと息を吐く。
吐くのだが……渋い表情を浮かべる者が一人だけ居た。
「苦いのう……苦いのう……こやつは苦しじゃのう……」
それは勿論アンジーである。
「おまえ……自信満々で「問題無しじゃ!」って言ってただろうが?」
「問題無いと思ったんじゃよ……じゃが、まさかこれほど苦いとは……ああ、苦いのう……実に苦しじゃのう」
「ったく、じゃあコーヒーは俺が飲んでやるからアンジーはこっちの水を飲めよ」
「こ、交換してくれるのか!?」
「ああ……交換してやるからさっさとソイツを寄こせ」
「か、かたじけないのじゃ!」
そのような会話を交わすと、マコトは呆れ顔を浮かべ、アンジーは苦味を洗い流すかのようにペットボトルを傾けていく。
まるで親子を連想させるような――或いは兄妹を連想させるような二人のやり取り。
そんなやり取りを見せられた立石と吉岡は、二人がどのような関係にあるのか気になってしまったのだろう。
「仲が良いんだね。まるで兄妹みたいだけど……そういう訳ではないよね?」
代表して、立石が疑問を口にする。
「な、仲が良いように見えました? そう言われると少し複雑な感じがするんですが……
ともあれ、課長が仰るように俺達は兄弟ではありませんね。
俺も詳しく聞かされてはいないのですが、母方の親戚に国際結婚をした人が居るとは聞いていたので、恐らくその子供がアンジーなんだと思います」
しかし、マコトからすれば、それは想定していた疑問であった。
容姿も。年齢も。性別も。暮らしていた世界すら違うアンジーと行動する以上、付いて回る疑問であると理解していたからこそ、あらかじめ用意していた設定を返答として返す。
「アンジーが言うには、夏休みを利用して日本観光に訪れたって話なんですけど……
俺の実家で預かることになった詳しい経緯はアンジーも知らないようですし、知ってる筈の両親はもう……
まあ、そのような感じなので、本当に親戚かどうかも分からないのですが、こんな状況で放っておく訳にもいきませんしね。こうして面倒を見ることにした。と、いった感じでしょうか」
更に用意していた設定を並べるのだが、マコトは僅かばかりの罪悪感を覚えていた。
何故なら、マコトが並べたのはあくまで設定であり、同僚に対して嘘を吐いていると自覚していたからだ。
実際、真実を伝えることができたのなら罪悪感など感じる必要もないのだろう。
だが、「彼女は異世界の住人で吸血鬼なんです」と、真実を伝えたところで誰が信じるだろうか?
現状では正気を疑われてしまうのがオチで、きっと憐みの視線を向けてくるに違いない。
とはいえ、それだけならマコトが我慢すれば良いだけの話だろうし、アンジーの魔法を見せれば疑いを晴らすことも容易だろう。
が、問題なのはアンジーという存在をどのように捉えるのか、だ。
もしかしたら魔物の同類として捉えてしまうかもしれない。
その結果、敵意を向ける対象として捉えられてしまうかもしれない。
そして何より……混乱する状況下において、人の姿をした「ナニカ」が紛れ込んでいるというのは疑心暗鬼の種であり、人々にとっての劇薬でしかない。
そのように考えていたマコトは、偽りの設定をあらかじめ用意し、伝えることにした訳なのだが……
「と、言うことは、異国の地に一人取り残されてしまったということか……可哀想に……ふぐぅ。
ア、アンジーちゃん! ほら! お菓子もあるから沢山食べなよ!」
「ぬっ!? 良いのか!?」
「食べて食べて! この新作のポテチなんかおすすめだぜ!」
「ぬぬっ!? ぽていちとな!?」
ある意味こちらも劇薬だったようで、目尻に涙を溜めたおっさん二人が猫可愛がりし始めるのだった。
そのような悪路のなか、マコトはハンドルを巧みに操り、アンジーと共に目的地を目指していた。
その道中――
「想像していた以上の地獄だな……」
マコトが目にしたのは、幾つかの魔物の死骸。
加えて目にしたのは、雑に転がされた老若男女の死体で、マコトは眉根に深い皺を寄せる。
「それにしても……酷い臭いじゃのう……」
そう言ったのはアンジーで、マコト同様に眉根に皺を寄せると鼻をつまむ。
現にマコトの鼻にも異臭――ツンとするような、それでいてベタリと張りつくような、思わず吐き気を催すほどの、強烈な腐敗臭が届いていた。
「時期が悪かった。ってことなんだろうな……」
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転がされた死体は急速に腐敗を進行させ、その腐敗臭を周囲にばら撒き始めていた。
「それに……道理で静かな訳だよ」
マコトはハンドル操作に集中しながらも、周囲に視線を飛ばす。
すると、その目に映ったのは――無人の乗用車や、横転した救急車。
その他にも、民家に頭を突っ込んだ消防車や、黒煙を吐き続けるパトカーなどが映る。
「くそっ、スズネは無事なのかよ……それに他の人達も……」
緊急車両が機能していない現状を目の当たりにし、マコトはアクセルを握る手に力を込める。
スズネが無事であることを願うのと同時に、この街で暮らす人々の安否を気に掛けるのだが……
「くそっがッ!! どんどん酷くなってやがるッ!」
目的地であるマコトの勤める会社――駅のある中心部へ近づくごとに状況は悪化していく。
魔物の死骸を幾つも見掛けたが、それを霞ませてしまうほどに人の死体が溢れている。
同時に、先程までの腐敗臭が可愛く思えるほどに、より濃厚な腐敗臭へと変わっていた。
マコトは奥歯をギリリと噛むと、いっそうアクセルを握る右手に力を込める。
そうして、地獄のような光景のなかバイクを走らせていると――
「なんだこれ? バリケード……ってことか?」
会社まで後僅か、というところで、二台のトラックによって行く手を阻まれてしまう。
タイヤを見ればご丁寧に空気が抜かれており、ちょっとやそっとの力では動かせそうにもない。
「くそっ、別の道を探すしかねぇか……いや、それよりもトラックを乗り越えちまった方が早そうだな」
「ぬっ? バイク殿とはここでお別れなのか?」
「いや、バイク殿とお別れするつもりはねぇよ。
このトラックを乗り越えちまえば会社まですぐだからな。会社にスズネが居ないようならすぐに回収するつもりだ」
「成程のう。では、行くとするかのう」
マコトは頷くとキーに手を掛ける。
そしてエンジンを切ろうとしたその瞬間。
「も、もしかして……お前、小野屋か?」
「おお! 小野屋君じゃないか!」
荷台の上から男性二人に声を掛けられる。
「吉岡? それに立石課長ですか?」
「ああ、そうだ! 吉岡だよ!」
「そうそうか! 小野屋君も無事だったんだね!
というか、そんなにやつれてしまって……本当に大変な目に遭ったんだね……会社の方も――」
「た、立石課長! その話は後にしましょうよ!」
「そ、そうだね! それよりも小野屋君を中に入れてあげるのが先決だ!
小野屋君! そこの裏通りに回ってくれないか! 今なかに入れてあげるから!」
「は、はい! えっと、バイクで行っても大丈夫でしょうか?」
「ああ、大丈夫だ!」
マコトはエンジンを切らずに、立石が指示した場所へと向かう。
すると、そこにもトラックが置かれており、車一台分ほどの通路を綺麗に塞いでいた。
「今動かすからね!」
しかし、立石が声を上げると同時にエンジンが鳴り、道を譲るようにして前進していく。
そしてマコト達が無事に通過すると、トラックは後退の音を鳴らして再び通路を塞ぎ――
「本当、本当に無事で何よりだよ!」
マコト達は防壁の内――いや、檻の中へと招かれるのだった。
「さぁさぁ、喉が渇いているだろ? 水が良い? それともお茶が良いかい?」
「そ、それじゃあ水を貰っても良いですか?」
「そこのお嬢さん……えっと……」
「ああ、この子の名前はアンジーって言います」
「アンジーちゃんだね。君は何が良いのかな?」
「うむ! 儂は黒いシュワシュワを所望するのじゃ!」
「黒いシュワシュワ――ああ、コーラのことかな? 申し訳ないけど此処にはないんだよね……
ミルクティーとかスポーツ飲料水、それにコーヒーならあるんだけど」
「ぬっ! ではコーヒーというヤツを所望するのじゃ!」
「微糖だから少し苦いけど大丈夫かな?」
「問題無しじゃ!」
「は、ははっ、面白い喋り方をする子だね?」
「そ、そうですね……」
場所はマコトの勤める会社のオフィス。
応接スペースの柔らかなソファに腰を下ろしたマコト達は、水分で喉を潤すとほうと息を吐く。
吐くのだが……渋い表情を浮かべる者が一人だけ居た。
「苦いのう……苦いのう……こやつは苦しじゃのう……」
それは勿論アンジーである。
「おまえ……自信満々で「問題無しじゃ!」って言ってただろうが?」
「問題無いと思ったんじゃよ……じゃが、まさかこれほど苦いとは……ああ、苦いのう……実に苦しじゃのう」
「ったく、じゃあコーヒーは俺が飲んでやるからアンジーはこっちの水を飲めよ」
「こ、交換してくれるのか!?」
「ああ……交換してやるからさっさとソイツを寄こせ」
「か、かたじけないのじゃ!」
そのような会話を交わすと、マコトは呆れ顔を浮かべ、アンジーは苦味を洗い流すかのようにペットボトルを傾けていく。
まるで親子を連想させるような――或いは兄妹を連想させるような二人のやり取り。
そんなやり取りを見せられた立石と吉岡は、二人がどのような関係にあるのか気になってしまったのだろう。
「仲が良いんだね。まるで兄妹みたいだけど……そういう訳ではないよね?」
代表して、立石が疑問を口にする。
「な、仲が良いように見えました? そう言われると少し複雑な感じがするんですが……
ともあれ、課長が仰るように俺達は兄弟ではありませんね。
俺も詳しく聞かされてはいないのですが、母方の親戚に国際結婚をした人が居るとは聞いていたので、恐らくその子供がアンジーなんだと思います」
しかし、マコトからすれば、それは想定していた疑問であった。
容姿も。年齢も。性別も。暮らしていた世界すら違うアンジーと行動する以上、付いて回る疑問であると理解していたからこそ、あらかじめ用意していた設定を返答として返す。
「アンジーが言うには、夏休みを利用して日本観光に訪れたって話なんですけど……
俺の実家で預かることになった詳しい経緯はアンジーも知らないようですし、知ってる筈の両親はもう……
まあ、そのような感じなので、本当に親戚かどうかも分からないのですが、こんな状況で放っておく訳にもいきませんしね。こうして面倒を見ることにした。と、いった感じでしょうか」
更に用意していた設定を並べるのだが、マコトは僅かばかりの罪悪感を覚えていた。
何故なら、マコトが並べたのはあくまで設定であり、同僚に対して嘘を吐いていると自覚していたからだ。
実際、真実を伝えることができたのなら罪悪感など感じる必要もないのだろう。
だが、「彼女は異世界の住人で吸血鬼なんです」と、真実を伝えたところで誰が信じるだろうか?
現状では正気を疑われてしまうのがオチで、きっと憐みの視線を向けてくるに違いない。
とはいえ、それだけならマコトが我慢すれば良いだけの話だろうし、アンジーの魔法を見せれば疑いを晴らすことも容易だろう。
が、問題なのはアンジーという存在をどのように捉えるのか、だ。
もしかしたら魔物の同類として捉えてしまうかもしれない。
その結果、敵意を向ける対象として捉えられてしまうかもしれない。
そして何より……混乱する状況下において、人の姿をした「ナニカ」が紛れ込んでいるというのは疑心暗鬼の種であり、人々にとっての劇薬でしかない。
そのように考えていたマコトは、偽りの設定をあらかじめ用意し、伝えることにした訳なのだが……
「と、言うことは、異国の地に一人取り残されてしまったということか……可哀想に……ふぐぅ。
ア、アンジーちゃん! ほら! お菓子もあるから沢山食べなよ!」
「ぬっ!? 良いのか!?」
「食べて食べて! この新作のポテチなんかおすすめだぜ!」
「ぬぬっ!? ぽていちとな!?」
ある意味こちらも劇薬だったようで、目尻に涙を溜めたおっさん二人が猫可愛がりし始めるのだった。
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