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忘却編
第19話 荒脛
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翌朝、私たちは村の人たちの見送りを受けて、葦原村を離れることになった。
カミコ様、剣史郎さん、シラヌイ様とサクヤ様、そして私たちは、大和の国都『帝京』に向けて出立する。
聞いた話では、葦原村から帝京までの間は、何もなく順調にいけば片道10日の道のりらしい。でも、それはあくまでも何もなければの話。
「早く行こうが遅く行こうが、目的は変わらない。それに、大和は必ず俺たちが帝京に来るのを妨害するはずだ」
帝京への道のりの途中、剣史郎さんがそう言った。この道のりは体力勝負でもあるが、何より私たちの帝京入りをよく思わない人たちから受ける妨害に抗わなければならない。
道中を馬に乗って移動する案もあった。でも、残念ながら葦原には馬はいない。カミコ様は途中の村で拝借しようと考えていたけど、どこも大和の脅威に備えて自分たちの馬を重宝しているため、余所者の私たちには譲ってくれなかった。
そのため、朝から今の今まで、休むことなく歩き続けている。
「舞花、大丈夫?」
「はぁ、はぁ…」
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。言い訳にしかならないけど、この中で普通の人は私だけ。ゆえに、体力も一番ない。朝から夕方まで歩き続けているけど、やはり体に堪える。
「舞花、妾の背に乗ると良い」
「い、いえ…頑張ります」
シラヌイ様はそう言ってもらえたけど、大神様の背に乗るなんてことは、巫女として不敬だと感じた私は最初、断ることにした。
「舞花、無理はするな。シラヌイ様の好意に甘えると良い」
「ですが…」
「妾は構わぬ。遠慮せずとも良い」
これは多分、私に対する気遣いと配慮だと気がつき、その申し出を承諾する。
「はい……すみません……では」
結局私は、ただただ歩き続けることで精一杯だった状態で、シラヌイ様の背に乗せていただくことにした。
「シラヌイ様、重くないですか?」
「ふふ、妾にとっては鳥の羽の様に軽いものじゃ」
私はシラヌイ様の背に乗った。ふわふわの毛並みはとても心地よくて柔らかい。そして、その背は体を伸ばしても落ちないくらい大きい。
「シラヌイ様……ありがとうございます……」
「気にすることはない」
シラヌイ様はそう言ってくれたけど、私はそれ以上何も返すことができなかった。シラヌイ様の毛に顔をうずめると、とても良い匂いがした。
「今日はこれくらいにしようかしら。皆、そこの川辺で野営にするわ」
今日は野宿になる。私はいつも、神社で寝泊まりしているため、こうして外で寝泊まりするのは初めてだった。できる限りのことをしようと、焚き火に使う薪を集めることにした。
「カミコ様、薪を拾ってきました」
「ありがとう舞花。さすがね」
「いえ……これくらいは……」
「舞花も休んでいて良いわよ?今日は疲れたでしょう?」
「はい……ありがとうございます」
カミコ様は私に気を遣ってくれた。私はそのお言葉に甘えて、体を丸めるシラヌイ様のそばで休むことにした。
「舞花、大丈夫か?」
剣史郎さんが私に声をかけてきた。
「はい……不甲斐ない姿をお見せして申し訳ありません…」
「謝らなくていい。この中で舞花だけが人なんだ。こちらこそ無理をさせてすまない」
剣史郎さんはそう言うと、私の代わりに薪を拾いに行ってしまった。私は少し罪悪感を覚えたが、剣史郎さんに言われた通り、今はしっかりと休むことにした。体は疲れ切っていたようで、目を閉じるとすぐに眠り込んでしまう。
◇
「よっぽど疲れていたみたいだな。すぐに眠ってしまったよ」
シラヌイの体にもたれかかり、寝息を立てて眠る舞花を見て、焚き火のそばにいた剣史郎がそう言う。
「無理もないわ。舞花は今日、朝からずっと歩き通しだったもの」
カミコも舞花の寝顔を見てそう言った。
「シラヌイ、お前は平気なのか?」
「妾は平気じゃ」
「お姉様も少しは休んだらどうですか?」
「そうね……先に休ませてもらうわ」
サクヤの勧めもあり、カミコもシラヌイの体にもたれかかる。
「シラヌイ、あなたは寝ないの?」
「妾は良い。御身らに何かあったら困るからな。剣史郎と共に周りを見ておこう」
「そう……ありがとう」
「礼には及ばぬ。しかし、御身は本当に妾の体が好きであるな」
「だって、ふさふさで気持ちいいのだもの」
「そうか…ふふ」
シラヌイが珍しく笑った。
◇
「舞花、朝よ」
「はぅ…おはよう…ございます」
カミコ様に起こされた私は、大きく体を伸ばして目を開ける。
「舞花、よく眠れた?」
「はい……おかげさまで……」
昨日は疲れ切っていたためか、熟睡できた。しっかり睡眠を取れたおかげで、体も軽くなった気がする。
「シラヌイ様のおかげです」
私はそう言ってシラヌイ様に頭を下げた。すると、白狼の姿のままのシラヌイ様は私の頬を軽く舐めてきた。少しくすぐったいけど嬉しかった。
「舞花、朝餉の手伝いをしてくれ」
「はっ、はい!」
剣史郎さんが私を呼びに来たので、朝餉の手伝いに取りかかることにした。手伝いと言っても呪術で火を起こすくらいだけだった。
「舞花様、これを」
「ありがとうございます、サクヤ様」
私はサクヤ様に温かいお味噌汁が入ったお椀を渡される。村を出る時に準備してきた握り飯と一緒に温かい汁物を堪能する。
「美味しい……」
「疲れているから味付けは濃くしていたが、大丈夫か?」
「はい!これくらいが丁度いいです」
「そうか……なら、良かった」
剣史郎さんは少し嬉しそうにそう言った。
「そういえば、昨日の夜、かなり先で呪力の乱れを感じたが、誰か俺と同じ感じはあったか?」
確か、寝ている時に一度だけ、大きな呪力の乱れを感じて目を覚ました。
「妾も感じた。だが、すぐに収まった様じゃな」
「私も感じました……」
「私もよ」
その場にいた全員がそう答えると、剣史郎さんは少し考え込んだ。そして、何かを思い出したかのように顔を上げる。
「用心するに越したことはないな」
「不安要素、と言ったところでしょうか」
「そうね」
「気をつけましょう」
私は嫌な予感がしていた。何か、とても悪いことが起きるような予感がしてならなかった。
◇
一同が野営場所からさらに歩き始めること二刻、全員が感じた呪力の乱れを、再びその場にいた全員が感じ取っていた。
「カミコ……これは……」
「間違いない。こっちに近づいてくるわ」
カミコはそう断言した。この呪力の乱れは自分たちの方へと近づいている。そして、それは間違いなく敵意があるものだと判断できた。
「来たぞ!」
先頭を歩いていた剣史郎が声を上げると、周囲の木々を凄まじい速さで飛び移る影を見つける。それは木々を飛び移りながら徐々に剣史郎たちの元へと近づいてくる。
「危ない‼︎」
「きゃっ⁉︎」
影が舞花に飛びつこうとした際、剣史郎が腰の鞘から引き抜いた刀で影を弾き飛ばす。弾き飛ばされた影が動きを止めると、その姿が露わとなった。
「け、獣⁉︎」
「いや!化外だ!」
剣史郎が人外を指す化外と称したその影は、四足歩行で全身に体毛を生やした獣のような姿をしていた。
「まずい、奴は荒脛じゃ!」
「あ、荒脛…」
シラヌイが荒脛と呼んだその獣は、大神の一種。しかし、シラヌイやサクヤたち神威大神と違う点は、その神性が穏やかな和魂ではなく、荒ぶる荒魂が神性の大半を占めているところだ。
大神の神性には、和魂と荒魂の両側面が存在する。しかし、荒魂が神性の大半を占めた場合、大神は荒神と呼ばれる異質な存在と化する。
「荒脛は大神の中でも最も気性が荒く、そして強い…そう簡単には倒せぬぞ!」
シラヌイはそう言うと、舞花を庇うように前に出る。
「っ!?」
「舞花、妾の後ろに隠れておれ!」
荒脛は低くの太い咆哮を放つと、シラヌイたちに向かって飛びかかってきた。その速さは尋常ではなく、まるで瞬間移動でもしたかのように目の前に現れたのだ。
「ぬぅ!!」
シラヌイは荒脛の牙による咬みつきを、自身の爪で受け止める。シラヌイが攻撃を受け止めた隙を見計らい。荒脛を取り囲むようにカミコ、剣史郎、サクヤが呪術と剣術で攻撃を加える。
「神術、八雲」
「葦原流、簪」
「神術、芽吹」
だが、荒脛は3人の攻撃を軽々とかわし、逆に反撃を仕掛けてくる。その速さと力強さに圧倒される一同だったが、カミコが放った呪力によって動きを封じられた隙をつき、剣史郎が刀で斬りつける。
しかし、荒脛の硬い毛に阻まれて刃が通らず、さらにはその巨体から繰り出される体当たりを受けて吹き飛ばされてしまう。
それでも、剣史郎は諦めずに立ち上がり、再び刀を構える。荒脛の力は単純ではあるが、故に強く、カミコたちの攻撃が通用しなかった。
すると、今度はシラヌイが飛び上がり、空中から攻撃を仕掛ける。だが、それでも荒脛を仕留めるまでには至らなかった。
その後も何度も攻撃を繰り出すも全て躱されてしまい、逆に反撃を受けてしまう始末だった。
"強い…気を抜いているとやられる"
剣史郎は荒脛のあまりの速さと力強さに、攻めあぐねていた。
◇
私はシラヌイ様の後方に隠れながら、荒脛という荒神様の動きをじっくりと観察していた。
「舞花、妾たちが時間を稼ぐ。その間に奴に気づかれぬように呪術で動きを止めるのじゃ。できるか」
「はい!」
「承知じゃ」
シラヌイ様は私にだけ聞こえる声でそう言った。私は頷き、大幣を振るい術式を展開する。そして、シラヌイ様が荒脛に向かって飛びかかった瞬間を見計らい、術を発動させた。
幻符、影縫。
この呪術は光の糸を創り出し、対象の影に縫い付けることで、本体である肉体の動きを封じるもの。自分の影を光の糸で縫い付けられた荒脛は、その場から身動きが取れなくなる。
シラヌイ様の鋭い爪が、荒脛の首元へと食い込む。
「今じゃ!」
シラヌイ様がそう言うと、カミコ様たちが一斉に攻撃を仕掛けた。カミコの呪力が荒脛の剛毛を焼き、剣史郎とサクヤの攻撃が追撃する。そして最後に残ったシラヌイ様はとどめを刺すべく爪を振りかぶる。
「これで終わりじゃ!!」
シラヌイ様は爪で荒脛の首を斬り裂いた。首を切り裂かれた荒脛は、血を流して
ぐったりとその場に倒れ込む。
「倒した……のか?」
剣史郎さんがそう呟くと、シラヌイ様が首を横に振った。
「……いや、まだじゃ」
「え?」
シラヌイ様がそう言った瞬間、荒脛の体がびくびくと震え、膨張し始る。そして、瞬く間に巨大化した。その大きさはそばに生える木々を優に超えており、もはや先ほどまでの面影はない。
その姿はまさに異形そのもの。
「あ、あれは!」
「業魔化ね…」
「か、カミコ様、業魔化とは一体…」
「私たちの持つ神性は、和魂であろうが荒魂であろうが、その性質は安定している。でも、それすらも不安定になった暁には、自身の神性を自らの意思では制御できなくなり、暴走するの」
「その暴走が起こり、成れの果てになったのが、あの荒脛の姿だ」
カミコ様と剣史郎さんがそう説明する。
業魔化した荒脛は、お腹に響くほどの大きな咆哮をあげ、周囲にあるもの全てを破壊するかのように暴れ始める。
「全員、散開!」
「わっ⁉︎」
突然、背後から服の襟を摘まれ、宙に放り投げられる。その着地場所は、シラヌイ様の背の上だった。
「掴まっておれ!」
「は、はい!」
私はシラヌイ様の毛にしがみついた。荒脛が私たちに向かって突進してくる。突進が外れると、荒脛は両前足を地面に叩きつけ、口元に呪力を集中させる。
「来るぞ!頭を下げておれ!」
荒脛の口から、太い光線が放たれる。その光線は木々を薙ぎ払いながら、避けようとする私たちの方へと向かってくる。
「舞花、しっかり掴まっておれ!」
シラヌイ様はそう言うと、光線に向かって飛び上がる。そして、その巨体を空中で翻し、迫る光線を見事に避けた。
「シラヌイ様、今のは?」
「あの荒吐が放った呪力の光線じゃ。まともに受ければただでは済まぬぞ」
シラヌイ様はそう言うと、木々の間を飛び移りながら荒脛から距離を取る。しかし、荒脛も私たちを逃がすまいと木々を薙ぎ倒しながら追いかけてくる。
「舞花、シラヌイ、目を瞑って!」
「⁉︎」
カミコ様の声に従って、私は目を閉じる。
「光符、閃光‼︎」
◇
辺り一面が真っ白に変わるほど、猛烈な光が広がる。カミコが閃光を放った呪術は、舞花たちを追いかける荒脛の視界を一時的に奪うには十分すぎる光量だった。
視界を奪われ、無造作に暴れ回る荒脛から、舞花たちは距離をとる。
「カミコ、荒神も大神だ。普通に戦うだけじゃ倒せないぞ」
「えぇ…普通なら、ね」
「どういう意味だ?」
「まさか、お姉様…」
「少し離れていて」
カミコは前に出ると、集中力を高めて神力を増幅させる。彼女の周囲には、もやが揺らいでいる様に見える。そして、舞花も見たことがない神秘的で壮大な術式が空中に描かれる。
「神術、心神滅却」
カミコは右手の平を、荒脛へと向けた。
カミコ様、剣史郎さん、シラヌイ様とサクヤ様、そして私たちは、大和の国都『帝京』に向けて出立する。
聞いた話では、葦原村から帝京までの間は、何もなく順調にいけば片道10日の道のりらしい。でも、それはあくまでも何もなければの話。
「早く行こうが遅く行こうが、目的は変わらない。それに、大和は必ず俺たちが帝京に来るのを妨害するはずだ」
帝京への道のりの途中、剣史郎さんがそう言った。この道のりは体力勝負でもあるが、何より私たちの帝京入りをよく思わない人たちから受ける妨害に抗わなければならない。
道中を馬に乗って移動する案もあった。でも、残念ながら葦原には馬はいない。カミコ様は途中の村で拝借しようと考えていたけど、どこも大和の脅威に備えて自分たちの馬を重宝しているため、余所者の私たちには譲ってくれなかった。
そのため、朝から今の今まで、休むことなく歩き続けている。
「舞花、大丈夫?」
「はぁ、はぁ…」
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。言い訳にしかならないけど、この中で普通の人は私だけ。ゆえに、体力も一番ない。朝から夕方まで歩き続けているけど、やはり体に堪える。
「舞花、妾の背に乗ると良い」
「い、いえ…頑張ります」
シラヌイ様はそう言ってもらえたけど、大神様の背に乗るなんてことは、巫女として不敬だと感じた私は最初、断ることにした。
「舞花、無理はするな。シラヌイ様の好意に甘えると良い」
「ですが…」
「妾は構わぬ。遠慮せずとも良い」
これは多分、私に対する気遣いと配慮だと気がつき、その申し出を承諾する。
「はい……すみません……では」
結局私は、ただただ歩き続けることで精一杯だった状態で、シラヌイ様の背に乗せていただくことにした。
「シラヌイ様、重くないですか?」
「ふふ、妾にとっては鳥の羽の様に軽いものじゃ」
私はシラヌイ様の背に乗った。ふわふわの毛並みはとても心地よくて柔らかい。そして、その背は体を伸ばしても落ちないくらい大きい。
「シラヌイ様……ありがとうございます……」
「気にすることはない」
シラヌイ様はそう言ってくれたけど、私はそれ以上何も返すことができなかった。シラヌイ様の毛に顔をうずめると、とても良い匂いがした。
「今日はこれくらいにしようかしら。皆、そこの川辺で野営にするわ」
今日は野宿になる。私はいつも、神社で寝泊まりしているため、こうして外で寝泊まりするのは初めてだった。できる限りのことをしようと、焚き火に使う薪を集めることにした。
「カミコ様、薪を拾ってきました」
「ありがとう舞花。さすがね」
「いえ……これくらいは……」
「舞花も休んでいて良いわよ?今日は疲れたでしょう?」
「はい……ありがとうございます」
カミコ様は私に気を遣ってくれた。私はそのお言葉に甘えて、体を丸めるシラヌイ様のそばで休むことにした。
「舞花、大丈夫か?」
剣史郎さんが私に声をかけてきた。
「はい……不甲斐ない姿をお見せして申し訳ありません…」
「謝らなくていい。この中で舞花だけが人なんだ。こちらこそ無理をさせてすまない」
剣史郎さんはそう言うと、私の代わりに薪を拾いに行ってしまった。私は少し罪悪感を覚えたが、剣史郎さんに言われた通り、今はしっかりと休むことにした。体は疲れ切っていたようで、目を閉じるとすぐに眠り込んでしまう。
◇
「よっぽど疲れていたみたいだな。すぐに眠ってしまったよ」
シラヌイの体にもたれかかり、寝息を立てて眠る舞花を見て、焚き火のそばにいた剣史郎がそう言う。
「無理もないわ。舞花は今日、朝からずっと歩き通しだったもの」
カミコも舞花の寝顔を見てそう言った。
「シラヌイ、お前は平気なのか?」
「妾は平気じゃ」
「お姉様も少しは休んだらどうですか?」
「そうね……先に休ませてもらうわ」
サクヤの勧めもあり、カミコもシラヌイの体にもたれかかる。
「シラヌイ、あなたは寝ないの?」
「妾は良い。御身らに何かあったら困るからな。剣史郎と共に周りを見ておこう」
「そう……ありがとう」
「礼には及ばぬ。しかし、御身は本当に妾の体が好きであるな」
「だって、ふさふさで気持ちいいのだもの」
「そうか…ふふ」
シラヌイが珍しく笑った。
◇
「舞花、朝よ」
「はぅ…おはよう…ございます」
カミコ様に起こされた私は、大きく体を伸ばして目を開ける。
「舞花、よく眠れた?」
「はい……おかげさまで……」
昨日は疲れ切っていたためか、熟睡できた。しっかり睡眠を取れたおかげで、体も軽くなった気がする。
「シラヌイ様のおかげです」
私はそう言ってシラヌイ様に頭を下げた。すると、白狼の姿のままのシラヌイ様は私の頬を軽く舐めてきた。少しくすぐったいけど嬉しかった。
「舞花、朝餉の手伝いをしてくれ」
「はっ、はい!」
剣史郎さんが私を呼びに来たので、朝餉の手伝いに取りかかることにした。手伝いと言っても呪術で火を起こすくらいだけだった。
「舞花様、これを」
「ありがとうございます、サクヤ様」
私はサクヤ様に温かいお味噌汁が入ったお椀を渡される。村を出る時に準備してきた握り飯と一緒に温かい汁物を堪能する。
「美味しい……」
「疲れているから味付けは濃くしていたが、大丈夫か?」
「はい!これくらいが丁度いいです」
「そうか……なら、良かった」
剣史郎さんは少し嬉しそうにそう言った。
「そういえば、昨日の夜、かなり先で呪力の乱れを感じたが、誰か俺と同じ感じはあったか?」
確か、寝ている時に一度だけ、大きな呪力の乱れを感じて目を覚ました。
「妾も感じた。だが、すぐに収まった様じゃな」
「私も感じました……」
「私もよ」
その場にいた全員がそう答えると、剣史郎さんは少し考え込んだ。そして、何かを思い出したかのように顔を上げる。
「用心するに越したことはないな」
「不安要素、と言ったところでしょうか」
「そうね」
「気をつけましょう」
私は嫌な予感がしていた。何か、とても悪いことが起きるような予感がしてならなかった。
◇
一同が野営場所からさらに歩き始めること二刻、全員が感じた呪力の乱れを、再びその場にいた全員が感じ取っていた。
「カミコ……これは……」
「間違いない。こっちに近づいてくるわ」
カミコはそう断言した。この呪力の乱れは自分たちの方へと近づいている。そして、それは間違いなく敵意があるものだと判断できた。
「来たぞ!」
先頭を歩いていた剣史郎が声を上げると、周囲の木々を凄まじい速さで飛び移る影を見つける。それは木々を飛び移りながら徐々に剣史郎たちの元へと近づいてくる。
「危ない‼︎」
「きゃっ⁉︎」
影が舞花に飛びつこうとした際、剣史郎が腰の鞘から引き抜いた刀で影を弾き飛ばす。弾き飛ばされた影が動きを止めると、その姿が露わとなった。
「け、獣⁉︎」
「いや!化外だ!」
剣史郎が人外を指す化外と称したその影は、四足歩行で全身に体毛を生やした獣のような姿をしていた。
「まずい、奴は荒脛じゃ!」
「あ、荒脛…」
シラヌイが荒脛と呼んだその獣は、大神の一種。しかし、シラヌイやサクヤたち神威大神と違う点は、その神性が穏やかな和魂ではなく、荒ぶる荒魂が神性の大半を占めているところだ。
大神の神性には、和魂と荒魂の両側面が存在する。しかし、荒魂が神性の大半を占めた場合、大神は荒神と呼ばれる異質な存在と化する。
「荒脛は大神の中でも最も気性が荒く、そして強い…そう簡単には倒せぬぞ!」
シラヌイはそう言うと、舞花を庇うように前に出る。
「っ!?」
「舞花、妾の後ろに隠れておれ!」
荒脛は低くの太い咆哮を放つと、シラヌイたちに向かって飛びかかってきた。その速さは尋常ではなく、まるで瞬間移動でもしたかのように目の前に現れたのだ。
「ぬぅ!!」
シラヌイは荒脛の牙による咬みつきを、自身の爪で受け止める。シラヌイが攻撃を受け止めた隙を見計らい。荒脛を取り囲むようにカミコ、剣史郎、サクヤが呪術と剣術で攻撃を加える。
「神術、八雲」
「葦原流、簪」
「神術、芽吹」
だが、荒脛は3人の攻撃を軽々とかわし、逆に反撃を仕掛けてくる。その速さと力強さに圧倒される一同だったが、カミコが放った呪力によって動きを封じられた隙をつき、剣史郎が刀で斬りつける。
しかし、荒脛の硬い毛に阻まれて刃が通らず、さらにはその巨体から繰り出される体当たりを受けて吹き飛ばされてしまう。
それでも、剣史郎は諦めずに立ち上がり、再び刀を構える。荒脛の力は単純ではあるが、故に強く、カミコたちの攻撃が通用しなかった。
すると、今度はシラヌイが飛び上がり、空中から攻撃を仕掛ける。だが、それでも荒脛を仕留めるまでには至らなかった。
その後も何度も攻撃を繰り出すも全て躱されてしまい、逆に反撃を受けてしまう始末だった。
"強い…気を抜いているとやられる"
剣史郎は荒脛のあまりの速さと力強さに、攻めあぐねていた。
◇
私はシラヌイ様の後方に隠れながら、荒脛という荒神様の動きをじっくりと観察していた。
「舞花、妾たちが時間を稼ぐ。その間に奴に気づかれぬように呪術で動きを止めるのじゃ。できるか」
「はい!」
「承知じゃ」
シラヌイ様は私にだけ聞こえる声でそう言った。私は頷き、大幣を振るい術式を展開する。そして、シラヌイ様が荒脛に向かって飛びかかった瞬間を見計らい、術を発動させた。
幻符、影縫。
この呪術は光の糸を創り出し、対象の影に縫い付けることで、本体である肉体の動きを封じるもの。自分の影を光の糸で縫い付けられた荒脛は、その場から身動きが取れなくなる。
シラヌイ様の鋭い爪が、荒脛の首元へと食い込む。
「今じゃ!」
シラヌイ様がそう言うと、カミコ様たちが一斉に攻撃を仕掛けた。カミコの呪力が荒脛の剛毛を焼き、剣史郎とサクヤの攻撃が追撃する。そして最後に残ったシラヌイ様はとどめを刺すべく爪を振りかぶる。
「これで終わりじゃ!!」
シラヌイ様は爪で荒脛の首を斬り裂いた。首を切り裂かれた荒脛は、血を流して
ぐったりとその場に倒れ込む。
「倒した……のか?」
剣史郎さんがそう呟くと、シラヌイ様が首を横に振った。
「……いや、まだじゃ」
「え?」
シラヌイ様がそう言った瞬間、荒脛の体がびくびくと震え、膨張し始る。そして、瞬く間に巨大化した。その大きさはそばに生える木々を優に超えており、もはや先ほどまでの面影はない。
その姿はまさに異形そのもの。
「あ、あれは!」
「業魔化ね…」
「か、カミコ様、業魔化とは一体…」
「私たちの持つ神性は、和魂であろうが荒魂であろうが、その性質は安定している。でも、それすらも不安定になった暁には、自身の神性を自らの意思では制御できなくなり、暴走するの」
「その暴走が起こり、成れの果てになったのが、あの荒脛の姿だ」
カミコ様と剣史郎さんがそう説明する。
業魔化した荒脛は、お腹に響くほどの大きな咆哮をあげ、周囲にあるもの全てを破壊するかのように暴れ始める。
「全員、散開!」
「わっ⁉︎」
突然、背後から服の襟を摘まれ、宙に放り投げられる。その着地場所は、シラヌイ様の背の上だった。
「掴まっておれ!」
「は、はい!」
私はシラヌイ様の毛にしがみついた。荒脛が私たちに向かって突進してくる。突進が外れると、荒脛は両前足を地面に叩きつけ、口元に呪力を集中させる。
「来るぞ!頭を下げておれ!」
荒脛の口から、太い光線が放たれる。その光線は木々を薙ぎ払いながら、避けようとする私たちの方へと向かってくる。
「舞花、しっかり掴まっておれ!」
シラヌイ様はそう言うと、光線に向かって飛び上がる。そして、その巨体を空中で翻し、迫る光線を見事に避けた。
「シラヌイ様、今のは?」
「あの荒吐が放った呪力の光線じゃ。まともに受ければただでは済まぬぞ」
シラヌイ様はそう言うと、木々の間を飛び移りながら荒脛から距離を取る。しかし、荒脛も私たちを逃がすまいと木々を薙ぎ倒しながら追いかけてくる。
「舞花、シラヌイ、目を瞑って!」
「⁉︎」
カミコ様の声に従って、私は目を閉じる。
「光符、閃光‼︎」
◇
辺り一面が真っ白に変わるほど、猛烈な光が広がる。カミコが閃光を放った呪術は、舞花たちを追いかける荒脛の視界を一時的に奪うには十分すぎる光量だった。
視界を奪われ、無造作に暴れ回る荒脛から、舞花たちは距離をとる。
「カミコ、荒神も大神だ。普通に戦うだけじゃ倒せないぞ」
「えぇ…普通なら、ね」
「どういう意味だ?」
「まさか、お姉様…」
「少し離れていて」
カミコは前に出ると、集中力を高めて神力を増幅させる。彼女の周囲には、もやが揺らいでいる様に見える。そして、舞花も見たことがない神秘的で壮大な術式が空中に描かれる。
「神術、心神滅却」
カミコは右手の平を、荒脛へと向けた。
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