AQUA☆STAR短編集

AQUA☆STAR

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last train 最終夜行列車【ドラマ】

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"お父さん!ねぇ、お父さん!"

 娘の呼ぶ声が聞こえる。随分と意識が薄れ視界が白くなっていたが、我が子の声はしっかり聞こえた。

"ねぇ起きてよ!お父さんまで、私を置いていくつもり!?"

 咲、すまない。父さんも頑張ったんだ。母さんに先を越され、男手ひとつで育ててきたお前には、本当にすまないと思っている。

 最後の力を振り絞って、私は咲の手を握り返す。もうほとんど力も残っていない。

 自分の最期を愛娘に見届けられるのは、辛かったが同時にこれほど幸せなことはないと思った。

「ありがとう…な、咲…」

 良かった。最後の一言を言えた。咲を一人にするのは何とも心細いが、義兄さんに任せているから、安心だ。

"御臨終です…"

 担当医だった優しい先生の言葉を最後に、私の意識は完全に消えてしまった。


 ◇


「ご乗車になられる方は、こちらにお並びください。乗車切符を拝見いたします」

 末期癌により、50で現世を去った私は、黒い制服に黒い帽子、そして白手袋を身につけ、あの世とこの世を行き来する夜行列車の車掌として業務をこなしていた。

 どうやら、私のように救い様のない理由で死んだ人間は、仏様のご配慮で生前の夢を少しの間叶えさせてくれるらしい。

 会社員として中間管理職となり、胃の痛む毎日を送ってきた私は、幼少期に国鉄の車掌になりたいと思っていた。

 そこでしばらくの間、現世で亡くなった人の魂が、あの世にたどり着くまで乗車するこの夜行列車、別名【最終夜行列車】の車掌を任された。

 夜行列車の外見は、どこか既視感のあるものだった。名前は思い出せないが、どこか懐かしい、そんな感情を沸き立ててくれる。

「切符に書かれている号車にお乗りください。ご安心を、お席はお一人お一人様指定となっています。当列車長旅をごゆっくりお楽しみください」

 乗客の切符を改札鋏で挟み切り込みを入れる。切符にはそれぞれ行き先と指定席のある号車が記載されており、乗客は切符の記載事項に従うことになっている。誰がそんな決まりを決めたのかも、乗客がどこでこの切符を手に入れたのかも、私は知らなかった。

 一通り乗客の切符を切り終えたあと、客車の点検を行い発車時刻の確認を行う。首から下げた懐中時計では、あと1分で発車時刻となる。

「待ってください、私も乗ります!」

 そう言って、ホームから慌てて私のところへと駆け寄ってくる方がいた。その声と背丈から、おそらく18くらいの歳の少女だろう。生憎学生服の上にはフード付きのパーカーを羽織っており、目深にかぶったパーカーのせいでその表情は見ることができなかった。

 しかし、その声はどこか聞き覚えのある声だった。少女の切符に書かれた行き先は、終着駅。多く乗る乗客の中でも、行き先が終着駅なのは一部の乗客のみであり、ほとんどが途中下車してしまう。

 少女は私が切り終えた切符を手にすると、すぐに客車の中へと入っていった。これまで、発射時刻ギリギリに駆け込んでくる乗客は見たことがなかったので、あの少女が少し珍しく感じた。私は全ての乗客の乗車が完了したことを、合図灯で先頭の動力車で待つ運転士に知らせる。私が客車の最後尾に乗り込むと
同時に、最終夜行列車はゆっくりと動き出した。

「ご苦労様でした、白波瀬さん」

 そう言って労を労ってくれる彼女の名は、客室乗務員の新藤七海さん。新藤さんも私と同じく、救いようのない死によって現世を去り、しばらくの間こうして最終夜行列車の客室乗務員として業務に就いている。トレードマークは、なんと言っても青いリボンでまとめたポニーテールだろう。

「ふぅ、腰が痛くなってしまったよ…」
「私もお手伝いしたかったのですが、何しろ全てのお客様を席に着かせているとそちらに手が回らなくて…」
「構わんよ、私もこの仕事が好きで続けているからね」
「それにしても、今日も満席ですね。特に、5号車のお客様が多い印象です」

 最終夜行列車は、先頭の動力車、1から5号車までの客車、そして私や新藤さんが乗る最後尾の設備車となっている。客車は1号車が終着駅までの乗客が乗るようになっており、5号車まで1駅ずつ降りる駅が違う。様々な乗客が乗るこれらの客車の造りに差はないが、実は降りる駅に大きな違いがある。

 5号車、ここに乗る乗客が一番多いのには理由がある。それは、向かう先があの世であっても生前の罪を償う、いわば地獄のような場所であるからだ。

 地獄というものは正確には存在しない。5号車の乗客は生前に犯した罪に応じて、各々に償いという使命が与えられる。例えば、人を殺めてしまった者は、自らが殺めた相手の世話をすることになる。他には、詐欺を働いた者であれば、騙した相手。虐待を働いた者は、虐待された者。その数が多ければ多いほど、世話をする相手も増えるということになる。もちろん、それを苦痛に感じるがそれこそが償いの目的なのだ。

 4号車、5号車の次に乗客の多いこの客車は、5号車と比べて生前に善行を積んでいたが、心の緩みで少しの悪行を働いてしまった者が乗り込んでいる。彼らは例えるのなら煉獄のような場所で、その悪行を浄化する使命が与えられる。

 3号車、ここに乗る乗客は少し変わっている。ここは他の客車に共通する転生の中でも、悪行よりも善業を多く積み、人ではなく人以外のものに転生することを望む乗客が乗り込んでいる。

 2号車、ここには転生の中でも、人に生まれ変わることを望む乗客が乗っている。

 そして、1号車。

 彼らが降りるのは、最終夜行列車の終着駅。終着駅は魂の安息、永遠の眠りを望む乗客が乗っている。ただ、ここに乗り込む者は数少ない。なぜなら、ここは人としても、人以外としても転生することを望まず。いつか来る終末の時まで、ただ眠りにつくことになるのだ。

 では、先ほどの少女は一体。

 少女の切符には、確かに1号車の指定席が記載されていた。

「さっき、最後に乗り込んできた女の子の切符に、1号車の文字があったんですよ」
「女の子って、あのフードの子ですか?」
「えぇ、それも、なぜか聞き覚えのある声でした。なぜ、あの様な女の子が…」
「白波瀬さん、私たちがそれに対して疑問を抱くことは出来ません。1号車を望むのは、お客様の意思なのですから」
「そうでしたね。申し訳ありません、私の悪いくせが出てしまいました」
「いえ、お気になさらず。さてと、最初の駅までまだたっぷり時間がありますので、いつもの様に」
「はい、では…」

 次の駅に到着するまで、車掌である私の仕事は特段ない。乗客の要望は客室乗務員の新藤さんが担当する。私はいつもの様に、仕事のひとつであり、楽しみでもある乗客の話し相手をすることにした。


 ◇


「車掌さんは、どんな人生を送ってきたんですか?」

 そう切り出したのは、3号車の乗客である若い男性、名前は遠藤俊哉と言うらしい。生前は会社員、俗に言うサラリーマンとして仕事をしていたそうだが、会社内のパワハラに心身が不安定になり、自らが務める会社の屋上から身を投げたと言う。

「私も、元々はとある会社の部長として働いていました」
「そうでしたか。いや、それでは仕事の辛さ、よくご理解いただけますね」
「そう言う立場でしたからね」
「僕は、新卒で就職しました。入社してからは会社のために一生懸命に働き、業績も上げ、彼女もできて、若いながら順調な人生を送っていたと思っていました。ある出来事が起こる前までは…」

 彼は社内での評判もすこぶるよく、話していてよく分かるが人当たりもいい。そんな彼がなぜ自ら身を投げたのか、それは彼の業績に嫉妬した先輩社員からしつこい嫌がらせを受けたらしい。それも嫌がらせの程度が悪く、機密流出と言ったありもしない噂を社内に広め、彼の企画を横取りした挙句、愛想を尽かした彼女を我がものにしたという。

「できる事なら、両親に一言、ごめんって伝えたかったですね…」

 根が真面目な彼は、社内の人気者から一気にはみ出し者に転じることになり、耐えきれずについには自ら命を絶ったという。

「お辛かったですね」
「はい、彼女とは結婚の約束までしていたのですが、それもパーになってしまいました。情けないですよね、弱い自分が本当に情けないです…」
「いえ、情けないのはあなたではありませんよ。あなたはただ、そこから逃げるすべを見つけることができなかっただけです」
「逃げるすべですか?」
「真面目だったあなたの事です。おそらく、周囲に迷惑をかけず自分だけで全てを背負っていたのでしょう。違いませんか?」
「はい、おっしゃる通りです。上司にも同僚にも、誰にも相談できませんでした…」
「できることなら、私があなたの上司であればよかった。あなたの異変をいち早く察して、こうして話を聞いてあげたかった。情けないなどと自分を悲観的に見る必要はありません。あなたの様に、誰かのために一生懸命に努力する人ほど、輝いている人はいませんよ」
「巡り合わせ…というものでしょうか。私も、できることなら車掌さんのような人のもとで働きたかったです。車掌さん、まるで神様か仏様みたいですね…」
「何をおっしゃいますか。私はただの車掌ですよ。遠藤さん、あなたは何に生まれ変わるのを望んでいるのですか?」

 彼は、空を自由に羽ばたく鳥になりたいと口にした。誰にも縛られることもなく、誰の指図も受けることなく、自分の意思で羽根を広げ、果てなく続く空を飛びたいと口にした。

「えぇ、とても素敵な望みだと思います」
「もし、僕が鳥になったとしても、いつかあなたと巡り合うことを心から望みます。こんな僕の、しょうもない話を聞いていただきありがとうございます」
「いえ、とても良い話を聞かせてもらいました。次のあなたの人生が、幸せになることを祈っています」

 私がそう言うと、彼は涙を浮かべて頭を下げた。

「ありがとうございます、車掌さん」

 最終夜行列車は、始発駅から終着駅を結ぶ中有線へと入った。
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